野獣の呪いが解けても、──愛してくれますか?


 『王子よりも野獣のままの方が良かった』

 昔見た童話にそういった感想があったのを思い出した。きっとそれは野獣の優しさに深く触れてしまったのが大きい。
 もっと醜悪で暴虐で、人間に戻れて心から良かったと──そう思える呪いならばこんな"感情"も出てこなかった。

(俺は、どう思うんだろうか……)

 無意味な自問自答。
 窓を見る。かすかに映るのは平凡な顔立ち。
 指を触る。力まずとも顕著に伝わる無骨さ。

(せめて、俺が……)

 その答えが出そうになる前に、俺は考えに蓋をした。

…………。

『キンコンカンコーン』

 不意に鳴るチャイムの音で現実に引き戻される。
 軽く耽っていたと思えば、最後に時計へ目をやってからもう10分以上は経過しており、数学の担当は日直に号令の挨拶をするように指示を出していた。

 号令が終わると、瞬く間に雑音と喋り声が辺りに拡散していく。自分も手早く教科書とノートを片付け、手提げ鞄を膝上に置き、その中へと片手をつっこむ。

 その時、背後からドタドタと誰かが近づいてくるのに気付いた。

(平常心……)

 軽く深呼吸をして気配の正体を待つ。
 案の定、目の端に映ってきたのは"アイツ"だった。

「道希くーん、お昼なったから売店いこ〜」
「やだよ。ただでさえお前目立つのにあんな人混み行くなんて。行きたいなら一人で行け」

 目線は変えずに。淡々とだけ言う。
 俺は鞄から紙袋を取り出し、そこから無造作に中身を抜いて口へ放る。ほのかな香ばしさとチョコの匂いが鼻腔に広がった。

「も〜またそない釣れんこと言って。友達なくすでホンマ」
「余計なお世話だってば。しっしっ」

 他愛のない会話、何気ない日常。こんな光景は本来誰の目にも入らない。

 ──ただ一つの要素を除けば。

『モフッ』

 肌触りのいい短毛生地の"手"が、俺の頬へそっと触れた。

 男の親指が頬から耳の前をゆっくりとなぞるように往復する。凝り固まっていた筋肉が少しずつほぐれていくような感覚に、自然と肩の力が抜けていった。

 だが、手が耳周辺へ近づいていくにつれ、流石にむず痒さの方が勝ってしまい、反射的に男の手を払いのけてしまった。
 身体をひねり、目の前にいる男と向き合うような体勢になる。

「やっと目が合った」
「……どこが」

 その男には表情がなかった。いや、もっと言うと"表情を見れない"だ。

 だって、コイツの姿は──。

「耳はやめろって前から言ってんだろ! お前の"着ぐるみ"くすぐったいんだよ!」
「やってやって、道希くんがいけずなことばっかするんやもん! 今日朝バタついててなんも食えてないねん、昼飯抜きは流石に死ぬ! 餓死する!」

"着ぐるみ"

 決して比喩とかじゃない。
 ピンッと尖った耳に嗅覚に特化した口先。全身は黄緑色の短毛生地を纏い、胴体と足の比率に対して頭部が少し大きい─遊園地でよく見るあれだ。

 もちろんここは遊園地じゃないし、ごく普通の高校だが……その事情をいちいち話してたら日が暮れる。
 とりあえず、まずはこの駄々こねを何とかしなければ。

「わかった、わかったてば! 一緒に行ってあげるからもう騒ぐなって」
「ホンマか! ありがとな~。それでこそ俺の友達やで!」

 そう言うと男は両腕を目いっぱい広げ、そのまま包み込むかのように俺の事を抱きしめてくる。ひと肌とも違う温もりが、全身に補給されていくのがわかった。

「温かい……」

 考えるより前に言葉が出てしまう。
 男はその言葉を肯定と捉えたようで、自分のより一回りはある手で頭を撫で、もう一方は背中を擦る。

 これじゃあ本当に遊園地にいる着ぐるみじゃないか。
 俺も同じように男の背中へと手を伸ばす──が。

『友達』

 思わず身体が固まる。
 俺、今どっちの気持ちで……。

「あーずるーい!」

 急に背後から声が聞こえ、咄嗟に両手を前に突きだし男を引き剥がす。
 背後にいたのはクラスメイトの女子が二人。

「秀明くんってば、いつも副級長ばっかにハグして、たまには私たちにもしてよー」
「そうだ、そうだ!」
「へへ、やなこった。暖房代わりが欲しいんやったら今度からカイロでも持ってきぃ」
「ぶーぶー!」

 秀明と女子たちとのやり取りを見て、胸がチクリとする。
 わかってた。でも、わかりたくなかった。

(俺、やっぱ秀明のことが……)