告白されて、次の日のことだった。
俺はメッセージを確認する。深夜まで駄弁っていたのだろう。通知の量が多い。
一斉に既読しにて、俺は檜山とのチャットを開いた。
檜山:今日、時間があるので美術室行きます
町田:待ってます
そう送って、俺はハッとした。
待ってるって、重荷に感じないだろうか。
行けなかった時、罪悪感を抱かないだろうか。
やばい。
すると、メッセージが届く。
檜山:待っててください
俺はベッドの上、大きく息を吐いて吸った。
良かった。間違えてはいなかったらしい。
俺は安心してベッドを出る。
そして朝の用意をして、朝食を食べると、また作品の続きを描きたくて、朝早く学校へ向かった。
町田:付き合う事になった
休み時間、そう送ったら、わらわらとチャット欄が賑やかになる。
角:マジ? 良いじゃん
田亭:村八分するわ
犬山:余裕なさすぎだろ
町田:正直今でも夢見てる気分
犬山:だろうな
チャイムが鳴って、俺は進む時間にどんどん緊張していく。
ちゃんと話せるだろうか。
町田:今日二人きりで初めて会うんだけど、会話ネタちょうだい
田亭:天気
町田:んなこと聞いてんじゃねえよ
角:俺たちがそんな気の利いた話持ってる訳ないって
俺が怒ったクマのスタンプを押したら、どいつもこいつも面白がって、笑い出す。
こいつらに聞いたのが間違いだった。俺はスマホをしまって、席を立つと、授業開始の合図に頭を下げる。
そしてあっという間に放課後になって、もしかしたら、もう居るのかもしれない。
でも、教室の前には誰もいなくて、俺は安堵すると共に、少し落胆した。
教室の鍵を開けて、明かりをつけて。
椅子に座って待っていると、気持ち悪いかもしれない。
俺はカバンからスケッチブックを取り出すと、一緒に青いリボンが出てきた。
そう言えば、チョコレートの箱は捨ててしまったけど、リボンだけは勿体なくて残しておいたのだ。
俺はそのリボンをどうしようか迷って、また、カバンの底に入れる。
お守りにしようと思った。俺をこれだけ好きになってくれる人がいたという、証にしたかったのだ。
そして鉛筆でまた下書きを消したり付け足したりしていたら、俺は自分の世界に没頭していたらしい。
ふ、と意識が戻って、慌てて時計を見ようとしたら、隣に、男が座っていた。
びっくりして肩が跳ねる。
すると、男——檜山は笑う。
「初めまして」
「……初めまして」
俺たちは軽く頭を下げ合う。
そして俺はハッとして頭をもう一度下げた。
「ごめんなさい、気づかなくて」
「ううん、気にしてない。真剣な横顔見れて、すごい眼福だった」
「眼福……?」
こんな平凡な男の横顔を見て、何が楽しいと言うのだろう。
「うん。俺、町田の絵描いてる時の顔、すごい好きなんだ」
「あ、そ、そっか。それは、良かった……?」
俺はどう返事をしたら良いかわからなくて曖昧になる。
そんな俺のことを檜山は、優しい瞳を向けてくる。
恋色の眼差しだった。
俺はすぐに恥ずかしくなって、俯いてしまう。
「あの、さ」
「うん」
「えっと俺、何が出来る?」
「うん? どう言うこと?」
「だって檜山は、俺の絵が好きなんだよね? 俺に、何が出来るかな」
そう言うと、檜山は目を瞬かせる。
そして、首を横に振った。
「俺は、利益があるから町田と付き合ってるんじゃないよ。そりゃ、俺は町田の絵が好きだけど、町田の絵だけが好きなんじゃない。笑顔だって、難しい顔だって好きだよ。好きな絵師に、俺はお前が好きだから俺の好む絵を描けなんて言わないでしょ?」
檜山の言っていることは正しかった。
絵を描ける、“町田汐音”という絵師が好きなんだと思っていた。
でも檜山は俺の中身を見ようとしてくれているのだ。
俺も、檜山の外見や流れてくる噂でしか檜山を知らない。
恋人同士になったのだ。お互いのことを、ちゃんとお互いの目で見て判断するのが筋だろう。
「うん、俺が間違えてた。俺は絵を描くことしか能が無いって思ってる。半分真実だし。でも、俺の描いた絵で喜ぶ檜山が見たいって気持ちは本当なんだ」
「俺の、喜ぶ顔が見たいの?」
「うん、だって、俺の絵をこんなにも愛してくれたのは、檜山くらいだから」
「……そっか」
すると、檜山は考えるような顔をした。
俺はリクエストでもされるのかと、白紙のページを開く。
「あのさ、町田」
「うん?」
「ミュシャに捧げる、学校にある?」
「え? あ、あるよ?」
「見たい」
「マジか」
正直、一年生の頃の自分の絵を見るなんて嫌だ。だって粗が目立っているし、今ならもっとマシに描けると思ってしまうからだ。
でも檜山は、俺のその絵が好きなのだと言う。
俺も、たとえばクリムトが若い頃の絵が気に入らないと言って燃やし始めたり、見せたくないと倉庫に直したりしたら、きっと驚くだろう。何を言っているのかと。
その時にしか描けない絵と言うものはあるのだ。
俺は、迷ったけど、頷いた。
「準備室の方に置かれてる。着いてきて」
「うん」
俺たちは立ち上がる。
俺は鍵かけに掛けていた鍵を取ると、準備室に繋がる扉を開けた。
「めちゃくちゃ埃っぽいから、気をつけてね」
「わかった」
俺は出来るだけ呼吸をしないようにしながら、部屋に入る。どこもかしこも埃が積もっていて、もはやどこから掃除したら良いのかわからない。
俺は布で隠された絵を見つけた。
「これだよ」
そして俺は、布を取る。
すると、檜山の言葉にできない感動が伝わってきた。
俺の隣に立つと、じっと、絵を見ている。
好きな人に、久しぶりに会えた時みたいに、そんな甘い瞳をして。
俺は恥ずかしくて仕方がなかった。
「そ、そんなに良い?」
「うん、絵なのに、絵じゃ無いみたいだ」
その言葉が心臓に刺さって、抜けなくなる。
屈んで、細部まで見ている町田に俺はソワソワと喜びが止まらなかった。
修正した部分とか、目立ってないといいな。
そして檜山は俺の絵をじっくり見て、満足そうに笑う。
「ありがとう、町田」
「ううん、楽しんで貰えたんなら嬉しい」
「すごく、有意義な時間になった。やっぱり俺、町田の絵が好きだよ」
「……ありがと」
目の前で褒められることなんてない。だからどう反応すれば良いかわからなくて、顔を赤くして目を逸らした。
すると、俺の顔を町田が覗き込んでくる。
「照れてるの?」
「うっ〜! だって、目の前で褒められることとかないから」
「嘘、こんな素敵な絵を描いてるのに?」
「うーん、そんなこと言ってくれるの、多分檜山くらいだよ」
「やった」
すると、檜山は嬉しそうに目細める。
俺はなんだと首を傾げた。
「だって、町田の絵の素敵なところ、俺が最初に町田に伝えられたってことでしょ。ファンとしては、嬉しいな」
「あ、う、ありがとう」
檜山はニコニコしながら、準備室を出ていく。俺はもう一度、俺が一年生の時に、全身全霊で描いた絵を見返した。
「……これが俺の、精一杯だったんだよな」
金賞だって夢じゃないと、そう信じて描いていた。
でも、獲れたのは銀賞で。
『これが銀賞?』
この絵が学校の玄関に飾られた時、ふと耳にした言葉。
俺はそれに、俺の努力を踏み躙られた気がして、すぐに玄関から絵を外してもらった。
それから絵は一枚も出していない。
でも檜山はずっと、俺が描けない中でも、見にきてくれていたのだろうか。
俺が嫌になって、机に突っ伏していても、苛立ちでシャーペンの芯を折ってしまった時も。
そんな姿を見ても、好きでいてくれたのだろうか。
聞いてみたい。でも、聞くのが怖い。
「町田ー?」
「! はい!」
そう言って、俺は絵に布を掛けて、準備室に戻った。
それから、檜山は毎日のように美術室に来ては、俺が下書きをしている隣で勉強をするようになった。
「ごめん、邪魔じゃないと良いんだけど」
「邪魔なんてそんな、思わないよ」
「良かった。やっぱり、絵を描くって繊細な作業だから、シャーペンの音とか、まず人の気配とかも邪魔になるのかなって」
「ううん、俺そんな繊細なタイプじゃない。でも集中すると周りの音が聞こえなくなるタイプだから、何かあったら肩叩いたりして」
「わかった」
一週間経ってわかった。
俺は、檜山の纏う空気が好きだ。
ふと視線を上げた時、俺の方を見ている。
どんな表情で居ればいいのかわからなくて、小さく笑って見せれば、檜山も嬉しそうに笑ってくれる。そして、お互いにまた、お互いのやりたいことをする。
その中で、檜山はずっと穏やかで、優しい空気を纏っていた。
いつも一人で作業していた。何か話したいことができた時も、話す相手がいなかった。
でも、今は檜山が居てくれる。
俺は、筆を止めると、後ろを振り返った。
「檜山」
「うん?」
「この色とこの色、どっちが好き?」
俺はパレットを差し出して見せてみる。
すると檜山は悩み出した。もしかしたら作者本人である俺よりも檜山の方が悩んでいるかもしれない。
俺は面白くて、肩を揺らす。でも檜山はそんなことに気づきもしないで、真面目に悩むと、右の色を指差した。
「こっちで」
「わかった」
「どんな絵描くの」
「内緒」
俺が秘密、と指を唇の前に当てれば、檜山は顔を赤くして、視線を逸らす。
「え、どっか照れるポイントあった?」
「内緒」
そう言って、檜山は課題に戻る。
俺は、首を傾げたまま、檜山の選んだ色をキャンバスに広げた。
閉校時間になって、俺たちは美術室から出る。
今日の進捗はまあまあだ。多分明日になったら、やり直したくなるだろう。そんな出来栄え。
そして下足室に入った時だった。一緒に居た檜山が、声をかけてくる。
「町田」
「?」
俺が振り返れば、檜山は靴を履き替えながら、俺に視線を向けている。
「一緒に帰らない?」
「へ?」
「校門出て右? 左?」
「あ、右」
そう答えると、檜山は「やった」と子供みたいな純粋な笑みを浮かべる。
「一緒だ」
そんな笑顔を見ると、俺の中から断ると言う選択肢はなくなった。
本当に、俺が好きなんだな。
言動の節々から愛情が感じられて、俺は恥ずかしくて、でも嬉しかった。
靴を履き替える。
「俺、自転車通学だから、自転車取りに行っていい?」
「わかった。俺、駅まで歩いて帰るから。途中まで一緒に居てくれると嬉しい」
「はーい」
俺は下足室を出ると、急いで自転車置き場へ走った。
そして、自転車を押して、校門の方へ向かう。
「お待たせ」
俺が声をかけると、車道の方を眺めていた檜山が振り返った。
「ううん。じゃ、行こっか」
「うん」
俺たちは二人、隣同士で歩き出す、
特段、話すことなんてないけど、気まずくないのが、俺的には驚きだった。こんなイケメンの隣、何か話題を出さないといけないと焦る羽目になるのかと思っていた。
でも檜山は話したくなったら話題を出してくれるし、俺が話題を出してもちゃんと乗ってくれる。
「檜山はさ」
「うん」
「将来の夢とかあるの」
「……将来の夢かあ、今のところ、医者を目指してるよ」
「おお、なんで?」
すると、檜山はなんとなく、と答える。
「親が医者だから、医者で良いかなって」
「医者って大変だと思うけど、それでも良いの?」
「うん。どんな仕事も、結局楽なものなんてないと思うから」
立派な考え方だなと思った。
俺は、自分の好きを職業にしたくて、他は多分無理だと思った。仕事なんてしていたら、描けなくなる。そんな自分、想像もできない。
「俺は美大行くよ。お互い、受かるといいね」
「うん」
そして、一度会話は終わる。
すると、前から自転車が来る。俺は自然と、檜山の方に寄った。
すると、肩がぶつかる。
「わ、ごめっ」
慌てて体を離そうとしたら、バランスを崩しかける。
すると、檜山の手が俺の腰に回った。
「危なっ」
「ご、ごめん」
顔を上げたら、すぐそこに、檜山がいて。
俺はびっくりして、固まってしまう。
良い匂いがする。そう思った。
檜山は何も言わず、俺の自転車を支えて、元に戻してくれる。
「ありがとう……」
「……うん」
俺はドキドキが止まらなかった。檜山の体温が、触れられる距離にあって。いや、そんなこと、何度だってあったはずなのに。
でも、この距離になって、ようやく意識しだす。
そうだ、俺は、檜山の近くにいて、手を伸ばせば手を掴める距離にいるのだ。
俺たちはその後、無言のまま、駅で別れた。
俺は鼻を掠めた、居心地のいい香りがずっと忘れられなかった。
俺はメッセージを確認する。深夜まで駄弁っていたのだろう。通知の量が多い。
一斉に既読しにて、俺は檜山とのチャットを開いた。
檜山:今日、時間があるので美術室行きます
町田:待ってます
そう送って、俺はハッとした。
待ってるって、重荷に感じないだろうか。
行けなかった時、罪悪感を抱かないだろうか。
やばい。
すると、メッセージが届く。
檜山:待っててください
俺はベッドの上、大きく息を吐いて吸った。
良かった。間違えてはいなかったらしい。
俺は安心してベッドを出る。
そして朝の用意をして、朝食を食べると、また作品の続きを描きたくて、朝早く学校へ向かった。
町田:付き合う事になった
休み時間、そう送ったら、わらわらとチャット欄が賑やかになる。
角:マジ? 良いじゃん
田亭:村八分するわ
犬山:余裕なさすぎだろ
町田:正直今でも夢見てる気分
犬山:だろうな
チャイムが鳴って、俺は進む時間にどんどん緊張していく。
ちゃんと話せるだろうか。
町田:今日二人きりで初めて会うんだけど、会話ネタちょうだい
田亭:天気
町田:んなこと聞いてんじゃねえよ
角:俺たちがそんな気の利いた話持ってる訳ないって
俺が怒ったクマのスタンプを押したら、どいつもこいつも面白がって、笑い出す。
こいつらに聞いたのが間違いだった。俺はスマホをしまって、席を立つと、授業開始の合図に頭を下げる。
そしてあっという間に放課後になって、もしかしたら、もう居るのかもしれない。
でも、教室の前には誰もいなくて、俺は安堵すると共に、少し落胆した。
教室の鍵を開けて、明かりをつけて。
椅子に座って待っていると、気持ち悪いかもしれない。
俺はカバンからスケッチブックを取り出すと、一緒に青いリボンが出てきた。
そう言えば、チョコレートの箱は捨ててしまったけど、リボンだけは勿体なくて残しておいたのだ。
俺はそのリボンをどうしようか迷って、また、カバンの底に入れる。
お守りにしようと思った。俺をこれだけ好きになってくれる人がいたという、証にしたかったのだ。
そして鉛筆でまた下書きを消したり付け足したりしていたら、俺は自分の世界に没頭していたらしい。
ふ、と意識が戻って、慌てて時計を見ようとしたら、隣に、男が座っていた。
びっくりして肩が跳ねる。
すると、男——檜山は笑う。
「初めまして」
「……初めまして」
俺たちは軽く頭を下げ合う。
そして俺はハッとして頭をもう一度下げた。
「ごめんなさい、気づかなくて」
「ううん、気にしてない。真剣な横顔見れて、すごい眼福だった」
「眼福……?」
こんな平凡な男の横顔を見て、何が楽しいと言うのだろう。
「うん。俺、町田の絵描いてる時の顔、すごい好きなんだ」
「あ、そ、そっか。それは、良かった……?」
俺はどう返事をしたら良いかわからなくて曖昧になる。
そんな俺のことを檜山は、優しい瞳を向けてくる。
恋色の眼差しだった。
俺はすぐに恥ずかしくなって、俯いてしまう。
「あの、さ」
「うん」
「えっと俺、何が出来る?」
「うん? どう言うこと?」
「だって檜山は、俺の絵が好きなんだよね? 俺に、何が出来るかな」
そう言うと、檜山は目を瞬かせる。
そして、首を横に振った。
「俺は、利益があるから町田と付き合ってるんじゃないよ。そりゃ、俺は町田の絵が好きだけど、町田の絵だけが好きなんじゃない。笑顔だって、難しい顔だって好きだよ。好きな絵師に、俺はお前が好きだから俺の好む絵を描けなんて言わないでしょ?」
檜山の言っていることは正しかった。
絵を描ける、“町田汐音”という絵師が好きなんだと思っていた。
でも檜山は俺の中身を見ようとしてくれているのだ。
俺も、檜山の外見や流れてくる噂でしか檜山を知らない。
恋人同士になったのだ。お互いのことを、ちゃんとお互いの目で見て判断するのが筋だろう。
「うん、俺が間違えてた。俺は絵を描くことしか能が無いって思ってる。半分真実だし。でも、俺の描いた絵で喜ぶ檜山が見たいって気持ちは本当なんだ」
「俺の、喜ぶ顔が見たいの?」
「うん、だって、俺の絵をこんなにも愛してくれたのは、檜山くらいだから」
「……そっか」
すると、檜山は考えるような顔をした。
俺はリクエストでもされるのかと、白紙のページを開く。
「あのさ、町田」
「うん?」
「ミュシャに捧げる、学校にある?」
「え? あ、あるよ?」
「見たい」
「マジか」
正直、一年生の頃の自分の絵を見るなんて嫌だ。だって粗が目立っているし、今ならもっとマシに描けると思ってしまうからだ。
でも檜山は、俺のその絵が好きなのだと言う。
俺も、たとえばクリムトが若い頃の絵が気に入らないと言って燃やし始めたり、見せたくないと倉庫に直したりしたら、きっと驚くだろう。何を言っているのかと。
その時にしか描けない絵と言うものはあるのだ。
俺は、迷ったけど、頷いた。
「準備室の方に置かれてる。着いてきて」
「うん」
俺たちは立ち上がる。
俺は鍵かけに掛けていた鍵を取ると、準備室に繋がる扉を開けた。
「めちゃくちゃ埃っぽいから、気をつけてね」
「わかった」
俺は出来るだけ呼吸をしないようにしながら、部屋に入る。どこもかしこも埃が積もっていて、もはやどこから掃除したら良いのかわからない。
俺は布で隠された絵を見つけた。
「これだよ」
そして俺は、布を取る。
すると、檜山の言葉にできない感動が伝わってきた。
俺の隣に立つと、じっと、絵を見ている。
好きな人に、久しぶりに会えた時みたいに、そんな甘い瞳をして。
俺は恥ずかしくて仕方がなかった。
「そ、そんなに良い?」
「うん、絵なのに、絵じゃ無いみたいだ」
その言葉が心臓に刺さって、抜けなくなる。
屈んで、細部まで見ている町田に俺はソワソワと喜びが止まらなかった。
修正した部分とか、目立ってないといいな。
そして檜山は俺の絵をじっくり見て、満足そうに笑う。
「ありがとう、町田」
「ううん、楽しんで貰えたんなら嬉しい」
「すごく、有意義な時間になった。やっぱり俺、町田の絵が好きだよ」
「……ありがと」
目の前で褒められることなんてない。だからどう反応すれば良いかわからなくて、顔を赤くして目を逸らした。
すると、俺の顔を町田が覗き込んでくる。
「照れてるの?」
「うっ〜! だって、目の前で褒められることとかないから」
「嘘、こんな素敵な絵を描いてるのに?」
「うーん、そんなこと言ってくれるの、多分檜山くらいだよ」
「やった」
すると、檜山は嬉しそうに目細める。
俺はなんだと首を傾げた。
「だって、町田の絵の素敵なところ、俺が最初に町田に伝えられたってことでしょ。ファンとしては、嬉しいな」
「あ、う、ありがとう」
檜山はニコニコしながら、準備室を出ていく。俺はもう一度、俺が一年生の時に、全身全霊で描いた絵を見返した。
「……これが俺の、精一杯だったんだよな」
金賞だって夢じゃないと、そう信じて描いていた。
でも、獲れたのは銀賞で。
『これが銀賞?』
この絵が学校の玄関に飾られた時、ふと耳にした言葉。
俺はそれに、俺の努力を踏み躙られた気がして、すぐに玄関から絵を外してもらった。
それから絵は一枚も出していない。
でも檜山はずっと、俺が描けない中でも、見にきてくれていたのだろうか。
俺が嫌になって、机に突っ伏していても、苛立ちでシャーペンの芯を折ってしまった時も。
そんな姿を見ても、好きでいてくれたのだろうか。
聞いてみたい。でも、聞くのが怖い。
「町田ー?」
「! はい!」
そう言って、俺は絵に布を掛けて、準備室に戻った。
それから、檜山は毎日のように美術室に来ては、俺が下書きをしている隣で勉強をするようになった。
「ごめん、邪魔じゃないと良いんだけど」
「邪魔なんてそんな、思わないよ」
「良かった。やっぱり、絵を描くって繊細な作業だから、シャーペンの音とか、まず人の気配とかも邪魔になるのかなって」
「ううん、俺そんな繊細なタイプじゃない。でも集中すると周りの音が聞こえなくなるタイプだから、何かあったら肩叩いたりして」
「わかった」
一週間経ってわかった。
俺は、檜山の纏う空気が好きだ。
ふと視線を上げた時、俺の方を見ている。
どんな表情で居ればいいのかわからなくて、小さく笑って見せれば、檜山も嬉しそうに笑ってくれる。そして、お互いにまた、お互いのやりたいことをする。
その中で、檜山はずっと穏やかで、優しい空気を纏っていた。
いつも一人で作業していた。何か話したいことができた時も、話す相手がいなかった。
でも、今は檜山が居てくれる。
俺は、筆を止めると、後ろを振り返った。
「檜山」
「うん?」
「この色とこの色、どっちが好き?」
俺はパレットを差し出して見せてみる。
すると檜山は悩み出した。もしかしたら作者本人である俺よりも檜山の方が悩んでいるかもしれない。
俺は面白くて、肩を揺らす。でも檜山はそんなことに気づきもしないで、真面目に悩むと、右の色を指差した。
「こっちで」
「わかった」
「どんな絵描くの」
「内緒」
俺が秘密、と指を唇の前に当てれば、檜山は顔を赤くして、視線を逸らす。
「え、どっか照れるポイントあった?」
「内緒」
そう言って、檜山は課題に戻る。
俺は、首を傾げたまま、檜山の選んだ色をキャンバスに広げた。
閉校時間になって、俺たちは美術室から出る。
今日の進捗はまあまあだ。多分明日になったら、やり直したくなるだろう。そんな出来栄え。
そして下足室に入った時だった。一緒に居た檜山が、声をかけてくる。
「町田」
「?」
俺が振り返れば、檜山は靴を履き替えながら、俺に視線を向けている。
「一緒に帰らない?」
「へ?」
「校門出て右? 左?」
「あ、右」
そう答えると、檜山は「やった」と子供みたいな純粋な笑みを浮かべる。
「一緒だ」
そんな笑顔を見ると、俺の中から断ると言う選択肢はなくなった。
本当に、俺が好きなんだな。
言動の節々から愛情が感じられて、俺は恥ずかしくて、でも嬉しかった。
靴を履き替える。
「俺、自転車通学だから、自転車取りに行っていい?」
「わかった。俺、駅まで歩いて帰るから。途中まで一緒に居てくれると嬉しい」
「はーい」
俺は下足室を出ると、急いで自転車置き場へ走った。
そして、自転車を押して、校門の方へ向かう。
「お待たせ」
俺が声をかけると、車道の方を眺めていた檜山が振り返った。
「ううん。じゃ、行こっか」
「うん」
俺たちは二人、隣同士で歩き出す、
特段、話すことなんてないけど、気まずくないのが、俺的には驚きだった。こんなイケメンの隣、何か話題を出さないといけないと焦る羽目になるのかと思っていた。
でも檜山は話したくなったら話題を出してくれるし、俺が話題を出してもちゃんと乗ってくれる。
「檜山はさ」
「うん」
「将来の夢とかあるの」
「……将来の夢かあ、今のところ、医者を目指してるよ」
「おお、なんで?」
すると、檜山はなんとなく、と答える。
「親が医者だから、医者で良いかなって」
「医者って大変だと思うけど、それでも良いの?」
「うん。どんな仕事も、結局楽なものなんてないと思うから」
立派な考え方だなと思った。
俺は、自分の好きを職業にしたくて、他は多分無理だと思った。仕事なんてしていたら、描けなくなる。そんな自分、想像もできない。
「俺は美大行くよ。お互い、受かるといいね」
「うん」
そして、一度会話は終わる。
すると、前から自転車が来る。俺は自然と、檜山の方に寄った。
すると、肩がぶつかる。
「わ、ごめっ」
慌てて体を離そうとしたら、バランスを崩しかける。
すると、檜山の手が俺の腰に回った。
「危なっ」
「ご、ごめん」
顔を上げたら、すぐそこに、檜山がいて。
俺はびっくりして、固まってしまう。
良い匂いがする。そう思った。
檜山は何も言わず、俺の自転車を支えて、元に戻してくれる。
「ありがとう……」
「……うん」
俺はドキドキが止まらなかった。檜山の体温が、触れられる距離にあって。いや、そんなこと、何度だってあったはずなのに。
でも、この距離になって、ようやく意識しだす。
そうだ、俺は、檜山の近くにいて、手を伸ばせば手を掴める距離にいるのだ。
俺たちはその後、無言のまま、駅で別れた。
俺は鼻を掠めた、居心地のいい香りがずっと忘れられなかった。



