【リオ・クライシス side】
自分でもトーラスとの距離の詰め方がおかしいコトはわかっている。
それでも俺には友達の作り方なんてわからないし、そもそもトーラスと友達になりたいのかと言われるとそうではない気がする。
こういった感情になるのは初めてだ。
初めてトーラスと会話をしたあの日、俺はトーラスに怒鳴られた。
正確に言えば叱られたと言う方が正しいだろうか。トーラスを庇って怪我を負った俺が前線に戻ろうとしたコトに対し、「っ何やってんだよ」と一喝したのだ。
俺だって怒鳴られたことがないわけではない。でもそれは小さいころに両親から受けたものであり、俺が貴族の出であることを知っている周りの大人からは怒鳴られたどころか注意を受けた記憶すらない。
それは大人になってからもだ。
騎士団の候補生のころも同期の候補生や教官らは俺が貴族であることを知っていたため、無駄に関わりを持たれたりすることもなかったため、声を掛けてくる者は多くはなかった。
一応俺が第三騎士団団寮になってからは部下もでき、同僚とも話す機会は増えたのだが、怒鳴ることはあっても怒鳴られることはなかった。
だから俺はあの日、トーラスから怒鳴られたとき、自分がどうして怒鳴られているか理解が出来なかった。
だってそうだろう。魔物の討伐遠征とはいえ本来騎士とは誰かを守るための職だ。
同じ騎士団に所属している人間とはいえ、トーラスを庇って怪我をしたことに怒鳴られる意味が分からなかった。
言い方を変えれば自分の職を、今までやってきたことを否定されている気分になり、若干ではあるが苛つきさえした。しかしそれと同時に俺を怒鳴ったときのトーラスの顔が、表情がずっと俺の頭から離れることはなく、怒りではない別の感情が俺の中を支配しようとしていた。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
俺がいなくとも討伐遠征は無事に終了したようだ。
オーガキングとの戦闘はかなり長引くことが予想されていたが、俺に怒鳴ったトーラスが尽力したおかげで負傷者は出たものの、死者はゼロ人という快挙で幕を閉じた。
こんなことは今までにないことだ。
オーガキングとの戦闘の前日に、第三騎士団の面々や第一騎士団からの報告で一応トーラスの名前とその貢献ぶりは聞いてはいたが、本来討伐遠征には参加しないサポート部の人間が一人加わったところで足手まといにしかならないと踏んでいたが、俺の認識が間違っていたようだと、俺は認識を改めることにした。
討伐遠征から帰還した俺は一度屋敷に戻ることにした。
討伐遠征には本来危険を伴い、死者が出るのが当たり前になっている。死者を出したくないのは皆が思っていることなのだが、どうしても討伐遠征という危険な任務ともなれば皆が覚悟していることでもある。
そのため討伐遠征から帰還してすぐは空に旅立った仲間たちを弔う儀式が行われ、その翌日に遠征を労うための宴が行われるのだが、今回の討伐遠征においてはトーラスや医療班の力添えがあり、死者はゼロ人だったため弔いが行われることはなく、自由時間という運びとなったのだ。
「リオ・クライシス、ただいま戻りました」
屋敷に戻った俺は屋敷中に響き渡るほど大きな声でそう告げる。
それを聞きつけたのか、俺が帰ってくることを予感していたのかこの屋敷に仕える執事のロベルが奥の扉から驚きの表情を浮かべながら顔を覗かせた。
「リオお坊ちゃま! お早いお帰りでしたね。お出迎えの準備が出来ておらず申し訳ございません」
「いや構わない。今回の討伐遠征での死者はいなかったから帰宅が早まっただけだ」
それを聞いたロベルはさらにひどく驚いた表情を見せた。
それもそうだろう。ここ数年の討伐遠征で死者が出なかったのは初めてのことだ。それも今回のようなオーガキングが相手ともなれば討伐遠征に向かう騎士の十分の一が死んでいてもおかしくない。それなのにもかかわらず死者がゼロだと聞かされれば驚くのも無理はないだろう。
「……そうでしたか。それは本当に幸運にございました。すぐにお食事にされますか? それとも湯浴みを先に済まされますか?」
「そうだな……父上はいるか? 少し聞きたいことがあるのだが……」
「旦那様ですか? 現在旦那様は王宮に出ておりますが、もうしばらくすればお戻りになるかと思います。戻られたらお声がけさせていただきましょうか?」
「そうしてくれ。俺は湯浴みを先に済ませる」
「かしこまりました」
俺はそう言うと浴場へと向かった。
討伐遠征中はまともに湯浴みをすることが出来ないため、一刻でも早く汗を流したかったのだ。聞くところによるとトーラスも風呂が好きだという噂を耳にした。第三騎士団所属の騎士たちが話しているところを耳にしただけだが、なんでも今回の討伐遠征で一番辛かったことは風呂に入れなかったことだったらしい。そんなトーラスはせめて服だけでもと自身の魔法を使い、洗濯を行っていたとも聞いた。それも自分の分だけではなく、第一・第三騎士団の面々の服も洗濯したとも聞いた。風呂には入れないが、身に着けている衣服を洗濯するだけでもだいぶ普段とは違うだろうな、とそんなことを考えていると脱衣所に到着していた。
俺は衣服を脱ぎ捨て、浴場に入ったとき、ふと思い出した。
怪我をしたはずの左腕に全く痛みを感じていないことを。
確かに腕が折れるほどの怪我ではなかったが、それでもトーラスの言う通りヒビは確実に入っていただろう。しかしいくら医療班の治療を受けたからといって怪我が完治するわけではない。医療班の使う治癒魔法は簡単に言えば寿命の前借だ。負傷者自身の持つ自然治癒能力を最大限に引き上げるもので、医療班はその怪我の大きさに応じて付与する治癒魔法の効果を変えるのが常識である。
騎士が怪我を負った場合はその後前線に復帰することを考え、体力を温存するために外傷の治癒をすることはあっても痛みを感じなくするまでの治癒を施すことはほとんどない。
「……医療班が痛みの軽減まで治癒したのか? いやそれにしては体力の消耗は激しくない。あいつの魔法か?」
思わず俺はそう口にした。
そうだ。そうに違いない。痛みを感じなくさせたのはトーラスだと確信した。
それは微かに残る魔力がトーラスのものだと分かったからだ。
つまりトーラスは自身の寿命を削って俺の怪我の痛みを感じなくさせたのだ。
……これは大問題である。
何かお咎めがあるようなタイプの問題ではなく、治癒士としての問題があるのだ。
トーラスはサポート課の人間であることは知っており、医療班の人間出ないことももちろん知っている。そのため治癒魔法を使用することは出来るが、治癒士としてのルールを知らないのかもしれない。回復系統の魔法を扱えるものは非常に少なく、その中から騎士団に所属する者となるとかなり限られてくるため、基本的には治癒士本人の寿命を縮める行為は禁止されているのだ。
しかしトーラスはそれを知ってか知らずか、自分の寿命を削ってまで俺に回復魔法を施したのだ。いや、トーラスはもともと医療班のテントに怪我を負った騎士を連れてきていた。
そうとなれば俺だけではなく、今までテントまで運んできた騎士たちにも同じようなことをしているかもしれない。
「……クソっ」
俺はそうぶっきらぼうに強く言い放ち、湯船に張ってある湯を魔法で浮かせ、自身に掛ける。それから討伐遠征時の汗や魔物の血を綺麗に忘れ去るがごとく、全身をくまなく洗い、さっぱりしたところで湯船に全身を浸かる。
全身が温かい湯に包まれると、心もホッとしはじめる。
討伐遠征中は常に緊張感を持って行動しているため、遠征後のこの瞬間がやっと安らげる時間だ。
俺があまりの心地よさに湯船の中で寝そうになっているとき、隣から湯船に浸かる音が聞こえた。
「……父上。帰って来ているなら普通に声を掛けてください」
「いやすまないね。あまりにも気持ちよさそうにしていたもんだから、声をかけそびれてしまったよ」
「……まぁいいです。リオ・クライシス。討伐遠征より無事帰還いたしました」
俺は父上のペースに飲まれる前に先に帰還の挨拶をする。その挨拶を聞いて父上はゆっくりと「うん、おかえり」と微笑みながら応えた。
「それにしてもリオと一緒にお風呂に入るなんて久しぶりだね」
「俺が入っているのに父上が入って来たんですけどね」
「まぁそう硬いことは言わないでよ。それで? どうしたの?」
「え?」
「ロベルから聞いたよ。私を探していたとね。リオが私に何か用があったのかなと思ってね。それならと思ってお風呂にまで来たのさ」
「……なら単刀直入に伺います。と、友達を作るにはどうしたらいいですか?」
それをきいた父上はひどく驚いた表情を見せた。
それもそうだろう。俺から相談すること自体が初めてのことだし、それも今まで父上としても考えもしなかったタイプの質問だろう。
困惑するのが当然だし、驚きもするのだって必然なことだ。
しかし俺にとってこんなことを相談できる相手は父上しかいない。そのため父上には申し訳ないが、この相談には乗ってほしい。
とは言ったものの、俺は果たして本当にトーラスと友達になりたいのかと言われれば、それは正直すぐに頷くことは出来ない。俺としてもトーラスとどんな関係になりたいのかという問いかけに対してどう答えればいいかが分からないからだ。
俺にとってトーラスは初めて俺のことを思って怒鳴ってくれ、自身の寿命を削ってまで俺に回復魔法を施した危なっかしくて放っておけない人間の認識に過ぎない。
それでも父上に友達を作る方法を聞いたのは、どのように人との距離感を詰めていけばいいかが分からないからだ。
「そうかそうか。リオが……。友達になりたい子でも出来たいのか?」
「いえ……そういうわけではありません。実は——」
俺は父上にことの顛末を詳細に話した。
それを聞いていた父上はなぜかとても嬉しそうに俺の話しを頷きながら聞いていた。
話している途中で自分の中にあったモヤモヤが少しだけ解消された気がした。
「そうか、そんなことがあったんだね。もう腕の怪我は大丈夫なのかい?」
「はい、もうなんともありません。ご心配をおかけいたしました」
「息子の心配をするのは当然だよ。それでリオはそのトーラスという子とどうなりたいんだい?」
「と、友達に……」
「リオはトーラスと友達になりたいのかい?」
「…………」
父親という存在はいくつになっても叶わないのだと感じた。
俺自身が友達になりたいかどうかが分からない状況であってもそれを汲み取って俺に逆に質問をしてきているのだろう。
俺は無言という回答を行い、別の質問をすることにした。
「俺はどうして怒鳴られたのだと思いますか? 騎士としてどこが間違っていたのでしょうか?」
「リオ自身はどうして怒られたんだと思う?」
「……庇って怪我を負ったからでしょうか」
「んー、、それもあるかもしれないね。でもそうじゃないと思うよ」
「どういうことでしょうか?」
「確かにリオがトーラスのことを庇ったのは騎士としては間違った行動じゃないし、むしろ褒められる行為だと思うよ。でもトーラスが怒鳴った理由はそこじゃない。リオが怪我を負ってもなお前線に戻ろうとしたからだよ」
「それは騎士であれば当然のことではないでしょうか」
「そうだね。でもトーラスからしたらそうじゃないんだと思うよ。怪我をしたのであれば後退して治療してもらうのが普通だと思っているのかもしれないね」
俺はそこで思い出した。トーラスに怒鳴られたセリフを。
『怪我人は治療を受けてろ!』
そのセリフを聞いた俺がどれだけの思いがフラッシュバックしたかを。
俺は貴族として、騎士として今までの人生を歩んできた。そのせいか自身を犠牲にするのは当たり前だし、ノブレスオブリージュの精神を忘れたことはない。
しかしトーラスはそんな俺の生き方を否定するわけではなく、ただの一人の人として見てくれ、それでいて貴族でもあり第三騎士団団長である俺の心配をした発言だ。
「リオにとっては初めてのことで混乱していたのかもしれないけど、そうだね。リオはたぶん怒鳴ってくれたこと自体が嬉しかったんだよ。爵位持ちとか騎士団の団長の座についているとかでリオを判断するんじゃなくて、一人の人として自分を見て、叱ってくれることが嬉しかったんだと思うよ」
「……俺は嬉しかったのか」
「そうだと私は思うけどね。いいかいリオ。そういう人間は大事にしなさい。自分を叱ってくれる人間なんてそういるもんじゃない。トーラスはリオの今後の人生を大きく変える人物であると私は思うよ」
「人生を大きく変える……」
「そ。リオがトーラスともっとお近づきになりたいのであれば食事にでも誘ったらいいんじゃないかな? リオに誘われて嫌な人はいないと思うな」
父上はそう俺に微笑みかけてきた。
それに続けるように父上は俺と久しぶりに一緒に入浴出来たことを嬉しそうに話してくれた。
「それにしてもリオと一緒に入浴するなんていつぶりだろうね」
「そうですね。親子とは言えど俺も二十九歳になりましたからね。一緒に入ることはもうないかもしれないですね」
「そんな寂しいこと言わなくてもいいのに……。リオももういい年だろう。気になるやつとかいないのか?」
「気になる……ですか?」
「そう、私はリオの選んだ人だったらどんな人でも良いとは思うけどね。騎士団の団長と貴族としてのお仕事もあって大変かもしれないが、そろそろ考えてもいい年齢じゃないのかい?」
——しまった!
それがこの手の質問をされた俺が感じたことだ。
実を言うと結婚からは逃げている自覚がある。
貴族社会の結婚は早く、十代になるより前に相手を見つけて求婚をし、二十代手前では既に婚姻を結ぶことも珍しくない。
それなのに俺はと言うと、今まで貴族でありながら騎士団に所属しているという言い訳を使い、相手を見つけるという行為を先延ばしにし続けていたのだ。
だからと言って希望の相手がいるのかと問われればそうではない。今まで異性との接点を一切持ってこなかった俺にとって話すきっかけもなければ、どういう風にアプローチしていけばいいのかは分からない。
そもそも俺の好みとはどういったものなのだろうか。こればっかりは自問自答しても今までそういった経験がないため、答えようがない。この年にして第三騎士団団長である俺が童貞だと知られてしまえば、相手は幻滅してしまうんじゃないだろうか。
そんなことが頭をよぎって仕方がない。
「申し訳ございません。父上や母上には申し訳ないですが孫の顔は見せてあげられそうにありません」
「……私も妻も別に孫の顔を見たいわけじゃないよ。リオがどんな人を選ぶのかが知りたいのさ」
「俺が選ぶ人……ですか」
「そう、私たちは別に異性じゃなくても良いと思っているよ」
父上が言っていることは子孫を残さなくても良いと同義である。
これは貴族としては非常に珍しいことだ。同性婚であれば同居や同棲を行うことはできても、互いが互いの保証をすることができない。それでは国の制度の全てを受けられるわけではなく、意味としては一生を共にする相手がいることを国や周囲に唯一知らせることくらいだ。
孫がいなくても良いということは、クライシス伯爵家は俺の代をもって終わりを迎えてしまっても良いということでもある。
「それって……」
「親の幸せは息子が幸せになってくれることだよ。リオが誰かと一緒にいれることで幸せを手にできるのであればそれに越したことはないけど、リオが一人でもいいと思えるのならそれでもいいと私は思うね」
「俺が一緒にいれることで幸せになる人……」
「ハハッ。長風呂をしすぎてしまったかな。私は先にあがるよ。湯船でゆっくりと遠征の疲れと、トーラスのことを考えてあげなさい」
そう父上は言い残し、ゆっくりと座りながら使っていた湯船から立ち上がると、脱衣所の方へと歩みを進めていった。
一人浴場に残された俺は湯煙で靄のかかった浴場の天井を仰ぎながら、濡れた髪をかき上げ、トーラスのことを思い出しながら疲れを癒すかのように目をそっと閉じた。
「……一緒に……幸せに……か。次トーラスに会ったときに食事にでも誘おう」
自分でもトーラスとの距離の詰め方がおかしいコトはわかっている。
それでも俺には友達の作り方なんてわからないし、そもそもトーラスと友達になりたいのかと言われるとそうではない気がする。
こういった感情になるのは初めてだ。
初めてトーラスと会話をしたあの日、俺はトーラスに怒鳴られた。
正確に言えば叱られたと言う方が正しいだろうか。トーラスを庇って怪我を負った俺が前線に戻ろうとしたコトに対し、「っ何やってんだよ」と一喝したのだ。
俺だって怒鳴られたことがないわけではない。でもそれは小さいころに両親から受けたものであり、俺が貴族の出であることを知っている周りの大人からは怒鳴られたどころか注意を受けた記憶すらない。
それは大人になってからもだ。
騎士団の候補生のころも同期の候補生や教官らは俺が貴族であることを知っていたため、無駄に関わりを持たれたりすることもなかったため、声を掛けてくる者は多くはなかった。
一応俺が第三騎士団団寮になってからは部下もでき、同僚とも話す機会は増えたのだが、怒鳴ることはあっても怒鳴られることはなかった。
だから俺はあの日、トーラスから怒鳴られたとき、自分がどうして怒鳴られているか理解が出来なかった。
だってそうだろう。魔物の討伐遠征とはいえ本来騎士とは誰かを守るための職だ。
同じ騎士団に所属している人間とはいえ、トーラスを庇って怪我をしたことに怒鳴られる意味が分からなかった。
言い方を変えれば自分の職を、今までやってきたことを否定されている気分になり、若干ではあるが苛つきさえした。しかしそれと同時に俺を怒鳴ったときのトーラスの顔が、表情がずっと俺の頭から離れることはなく、怒りではない別の感情が俺の中を支配しようとしていた。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
俺がいなくとも討伐遠征は無事に終了したようだ。
オーガキングとの戦闘はかなり長引くことが予想されていたが、俺に怒鳴ったトーラスが尽力したおかげで負傷者は出たものの、死者はゼロ人という快挙で幕を閉じた。
こんなことは今までにないことだ。
オーガキングとの戦闘の前日に、第三騎士団の面々や第一騎士団からの報告で一応トーラスの名前とその貢献ぶりは聞いてはいたが、本来討伐遠征には参加しないサポート部の人間が一人加わったところで足手まといにしかならないと踏んでいたが、俺の認識が間違っていたようだと、俺は認識を改めることにした。
討伐遠征から帰還した俺は一度屋敷に戻ることにした。
討伐遠征には本来危険を伴い、死者が出るのが当たり前になっている。死者を出したくないのは皆が思っていることなのだが、どうしても討伐遠征という危険な任務ともなれば皆が覚悟していることでもある。
そのため討伐遠征から帰還してすぐは空に旅立った仲間たちを弔う儀式が行われ、その翌日に遠征を労うための宴が行われるのだが、今回の討伐遠征においてはトーラスや医療班の力添えがあり、死者はゼロ人だったため弔いが行われることはなく、自由時間という運びとなったのだ。
「リオ・クライシス、ただいま戻りました」
屋敷に戻った俺は屋敷中に響き渡るほど大きな声でそう告げる。
それを聞きつけたのか、俺が帰ってくることを予感していたのかこの屋敷に仕える執事のロベルが奥の扉から驚きの表情を浮かべながら顔を覗かせた。
「リオお坊ちゃま! お早いお帰りでしたね。お出迎えの準備が出来ておらず申し訳ございません」
「いや構わない。今回の討伐遠征での死者はいなかったから帰宅が早まっただけだ」
それを聞いたロベルはさらにひどく驚いた表情を見せた。
それもそうだろう。ここ数年の討伐遠征で死者が出なかったのは初めてのことだ。それも今回のようなオーガキングが相手ともなれば討伐遠征に向かう騎士の十分の一が死んでいてもおかしくない。それなのにもかかわらず死者がゼロだと聞かされれば驚くのも無理はないだろう。
「……そうでしたか。それは本当に幸運にございました。すぐにお食事にされますか? それとも湯浴みを先に済まされますか?」
「そうだな……父上はいるか? 少し聞きたいことがあるのだが……」
「旦那様ですか? 現在旦那様は王宮に出ておりますが、もうしばらくすればお戻りになるかと思います。戻られたらお声がけさせていただきましょうか?」
「そうしてくれ。俺は湯浴みを先に済ませる」
「かしこまりました」
俺はそう言うと浴場へと向かった。
討伐遠征中はまともに湯浴みをすることが出来ないため、一刻でも早く汗を流したかったのだ。聞くところによるとトーラスも風呂が好きだという噂を耳にした。第三騎士団所属の騎士たちが話しているところを耳にしただけだが、なんでも今回の討伐遠征で一番辛かったことは風呂に入れなかったことだったらしい。そんなトーラスはせめて服だけでもと自身の魔法を使い、洗濯を行っていたとも聞いた。それも自分の分だけではなく、第一・第三騎士団の面々の服も洗濯したとも聞いた。風呂には入れないが、身に着けている衣服を洗濯するだけでもだいぶ普段とは違うだろうな、とそんなことを考えていると脱衣所に到着していた。
俺は衣服を脱ぎ捨て、浴場に入ったとき、ふと思い出した。
怪我をしたはずの左腕に全く痛みを感じていないことを。
確かに腕が折れるほどの怪我ではなかったが、それでもトーラスの言う通りヒビは確実に入っていただろう。しかしいくら医療班の治療を受けたからといって怪我が完治するわけではない。医療班の使う治癒魔法は簡単に言えば寿命の前借だ。負傷者自身の持つ自然治癒能力を最大限に引き上げるもので、医療班はその怪我の大きさに応じて付与する治癒魔法の効果を変えるのが常識である。
騎士が怪我を負った場合はその後前線に復帰することを考え、体力を温存するために外傷の治癒をすることはあっても痛みを感じなくするまでの治癒を施すことはほとんどない。
「……医療班が痛みの軽減まで治癒したのか? いやそれにしては体力の消耗は激しくない。あいつの魔法か?」
思わず俺はそう口にした。
そうだ。そうに違いない。痛みを感じなくさせたのはトーラスだと確信した。
それは微かに残る魔力がトーラスのものだと分かったからだ。
つまりトーラスは自身の寿命を削って俺の怪我の痛みを感じなくさせたのだ。
……これは大問題である。
何かお咎めがあるようなタイプの問題ではなく、治癒士としての問題があるのだ。
トーラスはサポート課の人間であることは知っており、医療班の人間出ないことももちろん知っている。そのため治癒魔法を使用することは出来るが、治癒士としてのルールを知らないのかもしれない。回復系統の魔法を扱えるものは非常に少なく、その中から騎士団に所属する者となるとかなり限られてくるため、基本的には治癒士本人の寿命を縮める行為は禁止されているのだ。
しかしトーラスはそれを知ってか知らずか、自分の寿命を削ってまで俺に回復魔法を施したのだ。いや、トーラスはもともと医療班のテントに怪我を負った騎士を連れてきていた。
そうとなれば俺だけではなく、今までテントまで運んできた騎士たちにも同じようなことをしているかもしれない。
「……クソっ」
俺はそうぶっきらぼうに強く言い放ち、湯船に張ってある湯を魔法で浮かせ、自身に掛ける。それから討伐遠征時の汗や魔物の血を綺麗に忘れ去るがごとく、全身をくまなく洗い、さっぱりしたところで湯船に全身を浸かる。
全身が温かい湯に包まれると、心もホッとしはじめる。
討伐遠征中は常に緊張感を持って行動しているため、遠征後のこの瞬間がやっと安らげる時間だ。
俺があまりの心地よさに湯船の中で寝そうになっているとき、隣から湯船に浸かる音が聞こえた。
「……父上。帰って来ているなら普通に声を掛けてください」
「いやすまないね。あまりにも気持ちよさそうにしていたもんだから、声をかけそびれてしまったよ」
「……まぁいいです。リオ・クライシス。討伐遠征より無事帰還いたしました」
俺は父上のペースに飲まれる前に先に帰還の挨拶をする。その挨拶を聞いて父上はゆっくりと「うん、おかえり」と微笑みながら応えた。
「それにしてもリオと一緒にお風呂に入るなんて久しぶりだね」
「俺が入っているのに父上が入って来たんですけどね」
「まぁそう硬いことは言わないでよ。それで? どうしたの?」
「え?」
「ロベルから聞いたよ。私を探していたとね。リオが私に何か用があったのかなと思ってね。それならと思ってお風呂にまで来たのさ」
「……なら単刀直入に伺います。と、友達を作るにはどうしたらいいですか?」
それをきいた父上はひどく驚いた表情を見せた。
それもそうだろう。俺から相談すること自体が初めてのことだし、それも今まで父上としても考えもしなかったタイプの質問だろう。
困惑するのが当然だし、驚きもするのだって必然なことだ。
しかし俺にとってこんなことを相談できる相手は父上しかいない。そのため父上には申し訳ないが、この相談には乗ってほしい。
とは言ったものの、俺は果たして本当にトーラスと友達になりたいのかと言われれば、それは正直すぐに頷くことは出来ない。俺としてもトーラスとどんな関係になりたいのかという問いかけに対してどう答えればいいかが分からないからだ。
俺にとってトーラスは初めて俺のことを思って怒鳴ってくれ、自身の寿命を削ってまで俺に回復魔法を施した危なっかしくて放っておけない人間の認識に過ぎない。
それでも父上に友達を作る方法を聞いたのは、どのように人との距離感を詰めていけばいいかが分からないからだ。
「そうかそうか。リオが……。友達になりたい子でも出来たいのか?」
「いえ……そういうわけではありません。実は——」
俺は父上にことの顛末を詳細に話した。
それを聞いていた父上はなぜかとても嬉しそうに俺の話しを頷きながら聞いていた。
話している途中で自分の中にあったモヤモヤが少しだけ解消された気がした。
「そうか、そんなことがあったんだね。もう腕の怪我は大丈夫なのかい?」
「はい、もうなんともありません。ご心配をおかけいたしました」
「息子の心配をするのは当然だよ。それでリオはそのトーラスという子とどうなりたいんだい?」
「と、友達に……」
「リオはトーラスと友達になりたいのかい?」
「…………」
父親という存在はいくつになっても叶わないのだと感じた。
俺自身が友達になりたいかどうかが分からない状況であってもそれを汲み取って俺に逆に質問をしてきているのだろう。
俺は無言という回答を行い、別の質問をすることにした。
「俺はどうして怒鳴られたのだと思いますか? 騎士としてどこが間違っていたのでしょうか?」
「リオ自身はどうして怒られたんだと思う?」
「……庇って怪我を負ったからでしょうか」
「んー、、それもあるかもしれないね。でもそうじゃないと思うよ」
「どういうことでしょうか?」
「確かにリオがトーラスのことを庇ったのは騎士としては間違った行動じゃないし、むしろ褒められる行為だと思うよ。でもトーラスが怒鳴った理由はそこじゃない。リオが怪我を負ってもなお前線に戻ろうとしたからだよ」
「それは騎士であれば当然のことではないでしょうか」
「そうだね。でもトーラスからしたらそうじゃないんだと思うよ。怪我をしたのであれば後退して治療してもらうのが普通だと思っているのかもしれないね」
俺はそこで思い出した。トーラスに怒鳴られたセリフを。
『怪我人は治療を受けてろ!』
そのセリフを聞いた俺がどれだけの思いがフラッシュバックしたかを。
俺は貴族として、騎士として今までの人生を歩んできた。そのせいか自身を犠牲にするのは当たり前だし、ノブレスオブリージュの精神を忘れたことはない。
しかしトーラスはそんな俺の生き方を否定するわけではなく、ただの一人の人として見てくれ、それでいて貴族でもあり第三騎士団団長である俺の心配をした発言だ。
「リオにとっては初めてのことで混乱していたのかもしれないけど、そうだね。リオはたぶん怒鳴ってくれたこと自体が嬉しかったんだよ。爵位持ちとか騎士団の団長の座についているとかでリオを判断するんじゃなくて、一人の人として自分を見て、叱ってくれることが嬉しかったんだと思うよ」
「……俺は嬉しかったのか」
「そうだと私は思うけどね。いいかいリオ。そういう人間は大事にしなさい。自分を叱ってくれる人間なんてそういるもんじゃない。トーラスはリオの今後の人生を大きく変える人物であると私は思うよ」
「人生を大きく変える……」
「そ。リオがトーラスともっとお近づきになりたいのであれば食事にでも誘ったらいいんじゃないかな? リオに誘われて嫌な人はいないと思うな」
父上はそう俺に微笑みかけてきた。
それに続けるように父上は俺と久しぶりに一緒に入浴出来たことを嬉しそうに話してくれた。
「それにしてもリオと一緒に入浴するなんていつぶりだろうね」
「そうですね。親子とは言えど俺も二十九歳になりましたからね。一緒に入ることはもうないかもしれないですね」
「そんな寂しいこと言わなくてもいいのに……。リオももういい年だろう。気になるやつとかいないのか?」
「気になる……ですか?」
「そう、私はリオの選んだ人だったらどんな人でも良いとは思うけどね。騎士団の団長と貴族としてのお仕事もあって大変かもしれないが、そろそろ考えてもいい年齢じゃないのかい?」
——しまった!
それがこの手の質問をされた俺が感じたことだ。
実を言うと結婚からは逃げている自覚がある。
貴族社会の結婚は早く、十代になるより前に相手を見つけて求婚をし、二十代手前では既に婚姻を結ぶことも珍しくない。
それなのに俺はと言うと、今まで貴族でありながら騎士団に所属しているという言い訳を使い、相手を見つけるという行為を先延ばしにし続けていたのだ。
だからと言って希望の相手がいるのかと問われればそうではない。今まで異性との接点を一切持ってこなかった俺にとって話すきっかけもなければ、どういう風にアプローチしていけばいいのかは分からない。
そもそも俺の好みとはどういったものなのだろうか。こればっかりは自問自答しても今までそういった経験がないため、答えようがない。この年にして第三騎士団団長である俺が童貞だと知られてしまえば、相手は幻滅してしまうんじゃないだろうか。
そんなことが頭をよぎって仕方がない。
「申し訳ございません。父上や母上には申し訳ないですが孫の顔は見せてあげられそうにありません」
「……私も妻も別に孫の顔を見たいわけじゃないよ。リオがどんな人を選ぶのかが知りたいのさ」
「俺が選ぶ人……ですか」
「そう、私たちは別に異性じゃなくても良いと思っているよ」
父上が言っていることは子孫を残さなくても良いと同義である。
これは貴族としては非常に珍しいことだ。同性婚であれば同居や同棲を行うことはできても、互いが互いの保証をすることができない。それでは国の制度の全てを受けられるわけではなく、意味としては一生を共にする相手がいることを国や周囲に唯一知らせることくらいだ。
孫がいなくても良いということは、クライシス伯爵家は俺の代をもって終わりを迎えてしまっても良いということでもある。
「それって……」
「親の幸せは息子が幸せになってくれることだよ。リオが誰かと一緒にいれることで幸せを手にできるのであればそれに越したことはないけど、リオが一人でもいいと思えるのならそれでもいいと私は思うね」
「俺が一緒にいれることで幸せになる人……」
「ハハッ。長風呂をしすぎてしまったかな。私は先にあがるよ。湯船でゆっくりと遠征の疲れと、トーラスのことを考えてあげなさい」
そう父上は言い残し、ゆっくりと座りながら使っていた湯船から立ち上がると、脱衣所の方へと歩みを進めていった。
一人浴場に残された俺は湯煙で靄のかかった浴場の天井を仰ぎながら、濡れた髪をかき上げ、トーラスのことを思い出しながら疲れを癒すかのように目をそっと閉じた。
「……一緒に……幸せに……か。次トーラスに会ったときに食事にでも誘おう」



