翌日、お盆で学校が閉庁になる前の最終日、僕はクラスの準備に顔を出した。
田辺さんがいち早く気づいて、声をかけに来てくれる。
「結城君、体調大丈夫?」
「あぁ、うん。挨拶もしないで帰ってごめんね。もう大丈夫だから」
「よかったぁ。あのあと、各々で作りたいデザイン書き出してみたの。どう進めればいいか、アドバイスしてくれる? 暫く学校も来れないし、それぞれ家で進められると思うから」
「そうだね、分かった。……で、みんなは?」
教室をぐるっと見渡しても、店員に割り振られた人たちがどこにも見当たらない。
装飾や看板製作の生徒しかいなかったのだ。
「あぁ、ミシン使いたい子もいるから、みんな被服室に行ってるよ」
被服室という単語が出てきて、思わず息を止めた。
意識しないと、すぐ顔は熱くなるし、頬が緩む。
田辺さんにそれを見られるのが恥ずかしくて、僕は咄嗟に平静を装った。
「わかった。じゃぁ、僕も被服室に行ってみる」
そう言って、スキップしそうな足元を隠しながら、僕は被服室へ向かう廊下を急いだ。
被服室に到着して中に入ると、奏斗を中心にクラスメイトたちが自分のヘッドドレスを作っていた。
「千嵐君、ここってどうやって留めたらいいの?」
「ん? あぁ、ここを摘まんで縫うと、ギャザーが出来て可愛いかもね」
そう言って、奏斗は質問された女子の背後に回り、丁寧に作業を教えている。
──えっ……? ちょっと、近くない?
胸の奥が、糸で引かれたみたいにぎゅっと締まった。
確かに、奏斗は人との距離が近いのかもしれない。僕に作業を教えてくれる時も、何度も近くて緊張させられていた。
でも、外からその光景を見ると、何故か心がざわつく。
そして、奏斗の手が、彼女の肩に置かれた瞬間だった。
「奏斗っ!」
被服室にいる人たちの視線が一斉に僕に向けられて、はっと我に返り後ずさりする。
──僕、今なにした……?
自分で自分の取った行動の意味が分からず、続く言葉が出てこない。
「尚! 元気になったか?」
「う、うん。心配かけてごめん」
奏斗の向日葵が咲いたような笑顔が眩しくて、視線を逸らしてしまった。
直視すると鼓動が早くなって胸が苦しい。
自分の感情をコントロールできなくて、そわそわしてしまった。
「早速だけど、デザイン画できたから見てくれる?」
奏斗が真剣なトーンが、僕も浮ついた心をぎゅっと引き締める。
ふと奏斗の視線が、どこか追い詰められているような、そんな目をしている事に気づいた。
その違和感に、僕は言葉がすぐ出なくて黙ったまま、奏斗から差し出されたデザイン画に視線を移す。
「これ、羽化した蝶のイメージなんだけど……」
そう言って出来上がったばかりのデザイン画を見せてくれた。
肩から袖口にかけて大胆に広がったワイドスリーブが、蝶の美しい羽根を表現しているのだと一目見て理解できる。
それは狩衣のような優雅さもあって、袖の内側には幾重にも重なったシフォンのような柔らかなフリルが溢れていた。歩く度に揺れるて蝶の羽ばたきを連想させ、息をするのも忘れる。
首元はすっきりとした立ち襟のモダンなマオカラーで、フリルが豊かなウエストからのカスケードヘムは細身のパンツに合わせられ、身体の中心は蝶の本体のように芯を持っていた。
格調高い優雅さの中にも、淡い暖色のパステルカラーで纏められ、春の優しい暖かさを感じさせた。
目の前に提示されたデザイン画を見て、その柔らかに揺れる袖やフリルに、自分が編んだレースを組み合わせている事に気づいて息を呑む。
「どう?」
「うん、凄いきれい。優雅に羽を広げる春色のアゲハ蝶だね」
奏斗の声で現実に引き戻されても、僕の頭の中は奏斗のデザイン画で埋め尽くされていた。
それと同時に、これを自分がこれを着るのかと思うと、足がすくむ。
「……本当に、これを僕が着るの?」
「そう。きっと似合う」
奏斗の言葉には少しの揶揄いも余裕もなく、その真剣さを百パーセントの純度でぶつけてくるような鋭さがあった。
それは、いつも接してくれている友人としての彼じゃなくて『千嵐奏斗』と言うデザイナーの眼差しに見える。
──奏斗が、僕を想像しながら、僕の為に考えてくれたデザイン。怖いなんて気後れしてる場合じゃない……、よな。
震える手のひらに、緊張や怖さだけじゃない、少しの興奮を隠すことができなかった。
「奏斗のデザインに、負けないように堂々と歩かなきゃだね」
「尚……、なんか変わった? なんか吹っ切れた感じ。良いじゃん」
「そうかな?」
その言葉が、胸を熱くする。
けれど、そうも僕は欲張りになってしまったみたいだ。
──対等に、奏斗の隣に立ちたい。もう、守られるだけじゃ嫌だ。
その為に、僕ができる事は全部やって、奏斗の作品を大賞に連れて行く。
僕はこの時初めて、しっかりとそう心に刻み込んだ。
その自分だけの決意が、奏斗の小さな綻びを見逃すことになるなんて、この時の僕に気づける余裕はなかった──。
「ほら、お前たちー! そろそろ学校閉めるから、片付けて帰れよー!」
先生が校内を回ってきてた。
明日からお盆休みに入ることから、みんなある程度切りの良いところまで作業したかったようで、バタバタと追い込みで作業をしている。
そんな中、僕が帰りの支度をしていると、クラスの女子の一人が話しかけてきた。
「学校に来れない間、わからないとこ出てきたら連絡してもいい?」
確かに、作業をここでストップさせるのは不安かもしれないけど、言う程ぎりぎりでもない。
どう返答しようか考えている間に、何故か奏斗が僕らの間に割り込んできた。
「ここまで結構頑張ってたから、休みはゆっくり休んだり、夏休みっぽい事しなよ。多分、そこまで根詰めなくても、もう間に合うんじゃない?」
「えっ……、そ、そうかな……」
「高校最後の夏休みなんだし、文化祭準備に全部費やすのも勿体ないよ? 休み明けに、また頑張ればいいじゃん」
向けられたのは笑顔なのに、何も反論させないような圧を感じて、何も言えない。
その子は何故かそそくさと、帰りの支度をしに戻って行った。
その後、僕達は追い出されるように教室を後にする。
「尚! 一緒に帰ろうぜ」
後ろから追いかけて来た奏斗に声を掛けられ、振り向くより先に胸をぎゅっと掴んだ。そして、跳ねた心臓を鎮めるため、深く深呼吸してから振り返。
「なぁ、ちょっと真人さんの店、寄っていかない?」
「あ、うん。いいよ」
心が騒いでいるのを悟られないよう、丁寧にゆっくり返事をした。
学校だけじゃなく、プライベートな時間まで一緒にいられる。それがこんなに嬉しいと思うなんて初めてで、どうリアクションしていいのかわからず困ってしまう。
並んで歩く彼側の肩を、無意識に緊張させていた。
「あ……、あのデザイン画、すごく素敵だった。あれが形になるの、想像するとわくわくする」
「マジ? 気に入ってくれた?」
「うん。凄いなって思った」
「尚のこと考えながらデザインしたんだ。どうやったら、尚が自信もってランウェイ歩けるかとか、尚の良さを引き出すには、どうしたらいいかとかさ」
そう言って、奏斗は少しだけ照れたようにはにかみながら、視線を少し先の廊下に落としていた。
僕の事を考えながら、デザイン画を起こしてくれたのかと思うと、むず痒さに身体を悶えさせる。
「あとは、僕がちゃんとステージを歩けるかってことだね」
「あんまり重くならないように、生地の種類も考えるよ。歩きづらかったら、それはそれで服として成り立ってないからな」
僕らは、他愛もない会話をしながら、真人さんの店に向かった。
「おう奏斗、いらっしゃい。どう、順調?」
「真人さん! ちょうどデザイン画持ってきたから、あとで見て!」
「わかった。ん? 今日もお友達と一緒なのな。デートかい?」
奏斗のあとをついて店に入った僕を見つけて、真人さんがからかうようにそう言ってきた。
思わず『違う』と声を上げそうになったけど、奏斗がすかさず返事をする。
「尚は、俺がやっと見つけたパートナーだからさ」
恥かしげもなく堂々とそう言われて、僕は思わず奏斗の横顔を凝視してしまった。
そんな風に思ってくれていたことが嬉しくて、でも恥ずかしくて、何も言葉が浮かばない。
「ははっ! いいじゃん。創作って、孤独な作業になりがちだからな」
真人さんにそう言われて、こんな僕でも奏斗の助けになっているかもと少しホッとしながら、それでも真人さんのようにアドバイスができないもどかしさが絡みついてくるようだった。
出来上がったデザイン画を、早速真人さんに見せようとしている奏斗を見て、邪魔しちゃいけないような気がして少し離れて商品を見るふりをする。
初めてここに連れてきてもらった時もそうだけど、あの二人の間に、うかつに入れないような気がしていた。ファッションや被服製作に関して、僕は素人すぎる。
そう思いながら、ふと二人の会話が聞こえてきた。
「いいんじゃない? 奏斗はこれで勝負するんだな」
「うん。これをちゃんと形に出来たら……、結果がどうなっても、後悔はないかな」
「やっぱり、親父さんの意思は固いか?」
奏斗は普段、自分の事をほとんど話さない。
どこに住んでいるのかも、家族の事も、ここに来る前の話も聞いたことがなかったし、聞かなくてもいいと思っていた。
でも今、真人さんに向ける奏斗の表情が、学校で見せるものと少し違って見えて、僕は視線を逃がすように商品へ落とす。
──僕だって、奏斗の相談に乗りたいのに……。
そう思っても、奏斗から話してもらえない事を盗み聞きしちゃ悪いような気がして、僕はそっとその場から離れた。
家に帰ると、枕に顔を押し付け声にならない憤りを、必死に抑え込む。
奏斗のそばに近づけたかと思っても、それは友人として、はたまたモデルとしての距離でしかないんだと釘を刺された気分だった。
その時、はたと気付く。
僕は、奏斗がコンテストで結果を出さなきゃいけないと言った理由を、何も教えてもらえていなかった。
その事実が、僕の身体に重くのしかかる。
学校開放が再開したら、本格的にコンテスト用の作品の製作に入る。
──このままじゃ、嫌だ。
僕はゆっくりベッドから起き上がり、自分の気持ちを形作るように編み目を繋いでいった。
「久しぶりー! 焼けてるねぇ!」
「はい、これお土産」
久々に集まった被服室で、みんなが休み中の報告をしている中、僕は一人険しい顔をしていると思う。
僕は、奏斗にちゃんと自分の気持ちを告げる覚悟をしてきた。ぐるっと教室内を見渡して、奏斗を探す。
──まだ、来てないな……。
ほっとするような、早く来てほしいと焦る気持ちが入り乱れ、僕はぎゅっとポケットを握る。
被服室は、一通りの挨拶が済むと、各々が自分の作業を開始していた。
夏休み明け、九月の第一週の土日が文化祭当日になる。
お盆明けのこのタイミングは、もう準備のラストスパートだった。
「おはよー。みんな早いな」
その声が聞こえて、僕は一瞬、息を止めた。
──来た……。
僕は深呼吸をして、気持ちを落ち着けてから振り返った。
「おはよう、奏斗。ちょっと話があるから、今いい?」
「えっ? なに、どうした?」
僕からいきなり改まって話があるという状況に、少し身構えた奏斗の目線は置き場もなく泳いでいた。
奏斗もこんな表情をするんだと思うと可愛くて、少しだけ意地悪をしたいような気持になってしまう。
「あのね、奏斗がこのコンテストに一生懸命に取り組んでるのは分かってる……」
「あ、あぁ……、うん」
珍しく言い淀んでいる姿に、奏斗が何を言われるのか警戒しているが伝わってくるようだった。
「僕は、過去に作家さんの編み図を使ってルール違反をしてしまった。それは消すことができないし、一回ついたレッテルが、これからどう影響するか分からないんだ……」
「それは、反省したんだろ? 今はやってない。それに、もう誰かの編み図に頼らなくても、尚は自分の力で作っていけるじゃないかっ!」
「そうだね……」
「い、今更モデルやらないなんて言わないよなっ?! そのことは、もう解決してるんだろ?」
奏斗の取り乱した様子に、僕は思わず吹き出しそうになってしまった。
いや、それはだいぶ性格が悪いな。
僕は、静かにポケットに忍ばせていたものを奏斗に渡す。
「これって……」
「僕が作ったチャーム、欲しいって言ってくれてたでしょ? 大賞取れるように願いながら編んだ。お守りにって思って……」
この休みのうちに、僕は奏斗から見せてもらったデザイン画をイメージして、パステルカラーの蝶々の編みぐるみを作った。
誰かの為に、僕から人手に渡るものを作ったのは、中学のあの事件以来だった。
「……貰っていいの?」
「奏斗の為に作ったんだ。貰ってよ」
怖がって殻に閉じこもっていたら、結果は何も変わらない。
動かなかったら、風も起きないんだ。
「奏斗がどうして大賞にこだわるのか、本当の理由を僕は知らない。でも、その理由が何だとしても、僕は最後まで奏斗と一緒に戦うから」
その理由を、無理に聞き出したところで僕のやる事は変わらない。
ただ、奏斗のサポートをするのみだと気付いたんだ。
奏斗は両手に納めた編みぐるみを見つめていたかと思うと、いきなり抱きしめられた。
「ど、どうしたのっ?!」
「……ありがとう。尚に喝、入れられたな。これで大賞もとれる気がしてきたよ」
心臓の音が近すぎて、自分のものか分からなくなる。
奏斗の体温を直で感じられて、不思議と心は落ち着いていく。
暫く抱き合ったまま時間が止まっていたけど、ガタっとドアが引っかかる音が聞こえた一瞬で、僕らは飛び跳ねるように離れた。
「そ、それじゃ作業始めようか。もう、そんなにゆっくりしてられないからな」
「あ……、う、うん」
名残惜しさが後ろ髪を引かれたことに、少しだけ動揺しながら、奏斗の後ろを付いていく。
浮足立つのはここまでにしないと、本来の目標を見失いそうになる。
僕は、ぎゅっと口を結んで、気合を入れ直した。
田辺さんがいち早く気づいて、声をかけに来てくれる。
「結城君、体調大丈夫?」
「あぁ、うん。挨拶もしないで帰ってごめんね。もう大丈夫だから」
「よかったぁ。あのあと、各々で作りたいデザイン書き出してみたの。どう進めればいいか、アドバイスしてくれる? 暫く学校も来れないし、それぞれ家で進められると思うから」
「そうだね、分かった。……で、みんなは?」
教室をぐるっと見渡しても、店員に割り振られた人たちがどこにも見当たらない。
装飾や看板製作の生徒しかいなかったのだ。
「あぁ、ミシン使いたい子もいるから、みんな被服室に行ってるよ」
被服室という単語が出てきて、思わず息を止めた。
意識しないと、すぐ顔は熱くなるし、頬が緩む。
田辺さんにそれを見られるのが恥ずかしくて、僕は咄嗟に平静を装った。
「わかった。じゃぁ、僕も被服室に行ってみる」
そう言って、スキップしそうな足元を隠しながら、僕は被服室へ向かう廊下を急いだ。
被服室に到着して中に入ると、奏斗を中心にクラスメイトたちが自分のヘッドドレスを作っていた。
「千嵐君、ここってどうやって留めたらいいの?」
「ん? あぁ、ここを摘まんで縫うと、ギャザーが出来て可愛いかもね」
そう言って、奏斗は質問された女子の背後に回り、丁寧に作業を教えている。
──えっ……? ちょっと、近くない?
胸の奥が、糸で引かれたみたいにぎゅっと締まった。
確かに、奏斗は人との距離が近いのかもしれない。僕に作業を教えてくれる時も、何度も近くて緊張させられていた。
でも、外からその光景を見ると、何故か心がざわつく。
そして、奏斗の手が、彼女の肩に置かれた瞬間だった。
「奏斗っ!」
被服室にいる人たちの視線が一斉に僕に向けられて、はっと我に返り後ずさりする。
──僕、今なにした……?
自分で自分の取った行動の意味が分からず、続く言葉が出てこない。
「尚! 元気になったか?」
「う、うん。心配かけてごめん」
奏斗の向日葵が咲いたような笑顔が眩しくて、視線を逸らしてしまった。
直視すると鼓動が早くなって胸が苦しい。
自分の感情をコントロールできなくて、そわそわしてしまった。
「早速だけど、デザイン画できたから見てくれる?」
奏斗が真剣なトーンが、僕も浮ついた心をぎゅっと引き締める。
ふと奏斗の視線が、どこか追い詰められているような、そんな目をしている事に気づいた。
その違和感に、僕は言葉がすぐ出なくて黙ったまま、奏斗から差し出されたデザイン画に視線を移す。
「これ、羽化した蝶のイメージなんだけど……」
そう言って出来上がったばかりのデザイン画を見せてくれた。
肩から袖口にかけて大胆に広がったワイドスリーブが、蝶の美しい羽根を表現しているのだと一目見て理解できる。
それは狩衣のような優雅さもあって、袖の内側には幾重にも重なったシフォンのような柔らかなフリルが溢れていた。歩く度に揺れるて蝶の羽ばたきを連想させ、息をするのも忘れる。
首元はすっきりとした立ち襟のモダンなマオカラーで、フリルが豊かなウエストからのカスケードヘムは細身のパンツに合わせられ、身体の中心は蝶の本体のように芯を持っていた。
格調高い優雅さの中にも、淡い暖色のパステルカラーで纏められ、春の優しい暖かさを感じさせた。
目の前に提示されたデザイン画を見て、その柔らかに揺れる袖やフリルに、自分が編んだレースを組み合わせている事に気づいて息を呑む。
「どう?」
「うん、凄いきれい。優雅に羽を広げる春色のアゲハ蝶だね」
奏斗の声で現実に引き戻されても、僕の頭の中は奏斗のデザイン画で埋め尽くされていた。
それと同時に、これを自分がこれを着るのかと思うと、足がすくむ。
「……本当に、これを僕が着るの?」
「そう。きっと似合う」
奏斗の言葉には少しの揶揄いも余裕もなく、その真剣さを百パーセントの純度でぶつけてくるような鋭さがあった。
それは、いつも接してくれている友人としての彼じゃなくて『千嵐奏斗』と言うデザイナーの眼差しに見える。
──奏斗が、僕を想像しながら、僕の為に考えてくれたデザイン。怖いなんて気後れしてる場合じゃない……、よな。
震える手のひらに、緊張や怖さだけじゃない、少しの興奮を隠すことができなかった。
「奏斗のデザインに、負けないように堂々と歩かなきゃだね」
「尚……、なんか変わった? なんか吹っ切れた感じ。良いじゃん」
「そうかな?」
その言葉が、胸を熱くする。
けれど、そうも僕は欲張りになってしまったみたいだ。
──対等に、奏斗の隣に立ちたい。もう、守られるだけじゃ嫌だ。
その為に、僕ができる事は全部やって、奏斗の作品を大賞に連れて行く。
僕はこの時初めて、しっかりとそう心に刻み込んだ。
その自分だけの決意が、奏斗の小さな綻びを見逃すことになるなんて、この時の僕に気づける余裕はなかった──。
「ほら、お前たちー! そろそろ学校閉めるから、片付けて帰れよー!」
先生が校内を回ってきてた。
明日からお盆休みに入ることから、みんなある程度切りの良いところまで作業したかったようで、バタバタと追い込みで作業をしている。
そんな中、僕が帰りの支度をしていると、クラスの女子の一人が話しかけてきた。
「学校に来れない間、わからないとこ出てきたら連絡してもいい?」
確かに、作業をここでストップさせるのは不安かもしれないけど、言う程ぎりぎりでもない。
どう返答しようか考えている間に、何故か奏斗が僕らの間に割り込んできた。
「ここまで結構頑張ってたから、休みはゆっくり休んだり、夏休みっぽい事しなよ。多分、そこまで根詰めなくても、もう間に合うんじゃない?」
「えっ……、そ、そうかな……」
「高校最後の夏休みなんだし、文化祭準備に全部費やすのも勿体ないよ? 休み明けに、また頑張ればいいじゃん」
向けられたのは笑顔なのに、何も反論させないような圧を感じて、何も言えない。
その子は何故かそそくさと、帰りの支度をしに戻って行った。
その後、僕達は追い出されるように教室を後にする。
「尚! 一緒に帰ろうぜ」
後ろから追いかけて来た奏斗に声を掛けられ、振り向くより先に胸をぎゅっと掴んだ。そして、跳ねた心臓を鎮めるため、深く深呼吸してから振り返。
「なぁ、ちょっと真人さんの店、寄っていかない?」
「あ、うん。いいよ」
心が騒いでいるのを悟られないよう、丁寧にゆっくり返事をした。
学校だけじゃなく、プライベートな時間まで一緒にいられる。それがこんなに嬉しいと思うなんて初めてで、どうリアクションしていいのかわからず困ってしまう。
並んで歩く彼側の肩を、無意識に緊張させていた。
「あ……、あのデザイン画、すごく素敵だった。あれが形になるの、想像するとわくわくする」
「マジ? 気に入ってくれた?」
「うん。凄いなって思った」
「尚のこと考えながらデザインしたんだ。どうやったら、尚が自信もってランウェイ歩けるかとか、尚の良さを引き出すには、どうしたらいいかとかさ」
そう言って、奏斗は少しだけ照れたようにはにかみながら、視線を少し先の廊下に落としていた。
僕の事を考えながら、デザイン画を起こしてくれたのかと思うと、むず痒さに身体を悶えさせる。
「あとは、僕がちゃんとステージを歩けるかってことだね」
「あんまり重くならないように、生地の種類も考えるよ。歩きづらかったら、それはそれで服として成り立ってないからな」
僕らは、他愛もない会話をしながら、真人さんの店に向かった。
「おう奏斗、いらっしゃい。どう、順調?」
「真人さん! ちょうどデザイン画持ってきたから、あとで見て!」
「わかった。ん? 今日もお友達と一緒なのな。デートかい?」
奏斗のあとをついて店に入った僕を見つけて、真人さんがからかうようにそう言ってきた。
思わず『違う』と声を上げそうになったけど、奏斗がすかさず返事をする。
「尚は、俺がやっと見つけたパートナーだからさ」
恥かしげもなく堂々とそう言われて、僕は思わず奏斗の横顔を凝視してしまった。
そんな風に思ってくれていたことが嬉しくて、でも恥ずかしくて、何も言葉が浮かばない。
「ははっ! いいじゃん。創作って、孤独な作業になりがちだからな」
真人さんにそう言われて、こんな僕でも奏斗の助けになっているかもと少しホッとしながら、それでも真人さんのようにアドバイスができないもどかしさが絡みついてくるようだった。
出来上がったデザイン画を、早速真人さんに見せようとしている奏斗を見て、邪魔しちゃいけないような気がして少し離れて商品を見るふりをする。
初めてここに連れてきてもらった時もそうだけど、あの二人の間に、うかつに入れないような気がしていた。ファッションや被服製作に関して、僕は素人すぎる。
そう思いながら、ふと二人の会話が聞こえてきた。
「いいんじゃない? 奏斗はこれで勝負するんだな」
「うん。これをちゃんと形に出来たら……、結果がどうなっても、後悔はないかな」
「やっぱり、親父さんの意思は固いか?」
奏斗は普段、自分の事をほとんど話さない。
どこに住んでいるのかも、家族の事も、ここに来る前の話も聞いたことがなかったし、聞かなくてもいいと思っていた。
でも今、真人さんに向ける奏斗の表情が、学校で見せるものと少し違って見えて、僕は視線を逃がすように商品へ落とす。
──僕だって、奏斗の相談に乗りたいのに……。
そう思っても、奏斗から話してもらえない事を盗み聞きしちゃ悪いような気がして、僕はそっとその場から離れた。
家に帰ると、枕に顔を押し付け声にならない憤りを、必死に抑え込む。
奏斗のそばに近づけたかと思っても、それは友人として、はたまたモデルとしての距離でしかないんだと釘を刺された気分だった。
その時、はたと気付く。
僕は、奏斗がコンテストで結果を出さなきゃいけないと言った理由を、何も教えてもらえていなかった。
その事実が、僕の身体に重くのしかかる。
学校開放が再開したら、本格的にコンテスト用の作品の製作に入る。
──このままじゃ、嫌だ。
僕はゆっくりベッドから起き上がり、自分の気持ちを形作るように編み目を繋いでいった。
「久しぶりー! 焼けてるねぇ!」
「はい、これお土産」
久々に集まった被服室で、みんなが休み中の報告をしている中、僕は一人険しい顔をしていると思う。
僕は、奏斗にちゃんと自分の気持ちを告げる覚悟をしてきた。ぐるっと教室内を見渡して、奏斗を探す。
──まだ、来てないな……。
ほっとするような、早く来てほしいと焦る気持ちが入り乱れ、僕はぎゅっとポケットを握る。
被服室は、一通りの挨拶が済むと、各々が自分の作業を開始していた。
夏休み明け、九月の第一週の土日が文化祭当日になる。
お盆明けのこのタイミングは、もう準備のラストスパートだった。
「おはよー。みんな早いな」
その声が聞こえて、僕は一瞬、息を止めた。
──来た……。
僕は深呼吸をして、気持ちを落ち着けてから振り返った。
「おはよう、奏斗。ちょっと話があるから、今いい?」
「えっ? なに、どうした?」
僕からいきなり改まって話があるという状況に、少し身構えた奏斗の目線は置き場もなく泳いでいた。
奏斗もこんな表情をするんだと思うと可愛くて、少しだけ意地悪をしたいような気持になってしまう。
「あのね、奏斗がこのコンテストに一生懸命に取り組んでるのは分かってる……」
「あ、あぁ……、うん」
珍しく言い淀んでいる姿に、奏斗が何を言われるのか警戒しているが伝わってくるようだった。
「僕は、過去に作家さんの編み図を使ってルール違反をしてしまった。それは消すことができないし、一回ついたレッテルが、これからどう影響するか分からないんだ……」
「それは、反省したんだろ? 今はやってない。それに、もう誰かの編み図に頼らなくても、尚は自分の力で作っていけるじゃないかっ!」
「そうだね……」
「い、今更モデルやらないなんて言わないよなっ?! そのことは、もう解決してるんだろ?」
奏斗の取り乱した様子に、僕は思わず吹き出しそうになってしまった。
いや、それはだいぶ性格が悪いな。
僕は、静かにポケットに忍ばせていたものを奏斗に渡す。
「これって……」
「僕が作ったチャーム、欲しいって言ってくれてたでしょ? 大賞取れるように願いながら編んだ。お守りにって思って……」
この休みのうちに、僕は奏斗から見せてもらったデザイン画をイメージして、パステルカラーの蝶々の編みぐるみを作った。
誰かの為に、僕から人手に渡るものを作ったのは、中学のあの事件以来だった。
「……貰っていいの?」
「奏斗の為に作ったんだ。貰ってよ」
怖がって殻に閉じこもっていたら、結果は何も変わらない。
動かなかったら、風も起きないんだ。
「奏斗がどうして大賞にこだわるのか、本当の理由を僕は知らない。でも、その理由が何だとしても、僕は最後まで奏斗と一緒に戦うから」
その理由を、無理に聞き出したところで僕のやる事は変わらない。
ただ、奏斗のサポートをするのみだと気付いたんだ。
奏斗は両手に納めた編みぐるみを見つめていたかと思うと、いきなり抱きしめられた。
「ど、どうしたのっ?!」
「……ありがとう。尚に喝、入れられたな。これで大賞もとれる気がしてきたよ」
心臓の音が近すぎて、自分のものか分からなくなる。
奏斗の体温を直で感じられて、不思議と心は落ち着いていく。
暫く抱き合ったまま時間が止まっていたけど、ガタっとドアが引っかかる音が聞こえた一瞬で、僕らは飛び跳ねるように離れた。
「そ、それじゃ作業始めようか。もう、そんなにゆっくりしてられないからな」
「あ……、う、うん」
名残惜しさが後ろ髪を引かれたことに、少しだけ動揺しながら、奏斗の後ろを付いていく。
浮足立つのはここまでにしないと、本来の目標を見失いそうになる。
僕は、ぎゅっと口を結んで、気合を入れ直した。
