「何恥ずかしがってるんだよ。早く脱いで?」
「わ、分かってるよ……。でも、僕……」
「大丈夫だって。俺に任せておけばいいから」
千嵐君が優しくそう言ってくれるから、僕も覚悟を決めてシャツを脱ぐ。教室を冷やすエアコンの冷たい風を、直接肌に感じてぶるっと一つ身震いする。
運動とは縁のない線の細い身体をさらすのは、いくら気にしないと言われていても恥ずかしい。
腕を胸の前で交差させて小さくなっていると、千嵐君が僕に向かってゆっくり腕を伸ばす。視界いっぱいに千嵐君の喉元が映って、思わず息を止めた。背中に回された腕が、見えない所で動いていた。
「はい、じゃぁ腕上げて」
言われるがまま、僕は両腕を上へと引き上げた。
千嵐君がぐっと近くに寄って、その触れそうな距離に心臓だけが暴れる。千嵐君が動くたび、彼の体温の気配が鼻先をかすめる。
背中に冷たいものが触れて、千嵐君が僕の胸の前で交差させ、メモリを読む。
「……82センチ。細いなぁ。ほら、骨まで触れそうだ。ちゃんと飯食ってる?」
そう言って、メジャーを引き抜きながら、冗談めかして僕の肋骨を軽く叩く。
「いたっ! ちょっとやめてよ、千嵐君!」
「ごめんごめん。でも、細身で手足長いから、どんなデザインでも綺麗に映えそうだな。さなぎから羽化するモチーフは、定番だけど蝶でいこう」
千嵐君は持っていたメジャーを首にかけ、僕のサイズをメモしている。
冷や汗をかきそうな僕と違って、涼しい顔をしているのが悔しかった。
「蝶か……。やっぱり僕より、もっと華がある人の方が……」
「何度も言ってるだろ? 尚じゃなきゃ意味がない」
そう言われて、ぐっと息を止める。
『尚じゃなきゃ意味がない』
千嵐君からのその言葉を、胸の奥で宝物のように何度も心の中でなぞった。乾いていた心が満たされ、自分を少しずつ解いていける。
「そうだ、尚。相談なんだけど、布の端にレース編みの飾りつけるのは可能?」
「問題ないと思うよ。リボン状のレース編みを作って、裾に縫い付ければいい」
「そっか! じゃぁ、それは可能で考える。編み方教えてくれよな」
「それは良いけど……。千嵐君は鎖編みマスターしてね。あれがかぎ針の基本だから。ちゃんと均一に編めるようになってね」
「うっ……」
痛いところを突かれたような困った顔の千嵐君が、情けない声を出していたのが面白くて、僕はふっと笑みがこぼれる。
こんなふうに、被服や手芸の事を離せる友達ができるなんて、あの事件のあとに想像することなんて出来なかった。ただひたすら、もう誰にも利用されたくなくて息をひそめていた。
僕はやっと、自由に呼吸ができるようになった気がしていた。
「そういえば、尚のクラスの準備はいかなくていいのか?」
「あ……」
そう言われて、初めて自分のクラスの事を思い出す。
被服科の人達と同じように準備に取り掛かっているのに、そっちには一度も顔を出していなかった。
「採寸はほとんど終わったし、クラスの方がなんかあれば、そっちに行ってもらって大丈夫だぞ」
「うん、分かった……」
途端に、胸の奥に冷たい穴が空く。
千嵐君がいない場所に戻るのが怖くなっていた。
そう思っても、デザインに集中したい千嵐君の邪魔をするわけにもいかず、僕は次の日からクラスの準備を手伝うことにした。
久々に訪れた夏休みの自分の教室は、完全にアウェーだ。
クラスのグループラインで作業日の確認は出来ても、作業の進捗までは分からない。しかも、コンカフェのテーマが何になったのかすら知らなかった。
今まで参加しなかった気まずさがぬぐい切れないまま、恐る恐る、作業をしている田辺さんに声を掛けた。
「あの……。僕、何をすればいいかな」
「結城君、被服科の方大丈夫なの?」
「えっ?」
僕が被服科に通っていることは、噂で回っていたのだろうか。
自分のクラスの準備そっちのけで、被服科に出入りしていたと知られれば、いい事は言われないだろう。
僕は、嫌味の一つでも言われる覚悟を決めた。
「私の友達が被服科にいるの。結城君、編み物得意なんだって?」
嫌味より、知られたくない事を知られていた事実に言葉を失う。
千嵐君や被服科の人達と違って、受け取り方は中学の頃の同級生と同じかもしれないと思うと、怖くて身体が動かない。
「あっ! 違うの、責めてるわけじゃないから!」
慌てて取り繕う田辺さんに、悪意はなかったのかもしれない。けれど、僕の頭の中では『男なのに』と悪魔のささやきが離れていかなかった。
千嵐君がいないだけで、気持ちは夏休み前の卑屈だった自分に引き戻される。
「ごめん……、今まで手伝い来なくて……」
「ううん、それは全然。他の人も来れる時にしか来ないし、強制じゃないから大丈夫だよ」
そう言われて少しだけほっとする。
安心していると、田辺さんが更に話しかけてきた。
「被服科の友達、めっちゃ助かってるって言ってた。編み図見てもよく分からないところとか、質問したら分かり易く教えてくれるって」
「いや、あれは慣れみたいなとこあるし……」
「でも、その慣れるまで結城君はやってたって事でしょ? 丁寧だし編み目もきれいだし、魔法みたいに編んでたって褒めてたよ」
慣れていない事を言われて、どう返していいか分からず返答に困ってしまう。
だけど、認めてもらえることは嬉しかった。千嵐君との出会いから、周りも自分自身も、今までの見え方からだいぶ変わったように思えた。
「コンカフェのテーマだけど、結局メイドカフェに決まったの。男子は執事ね。衣装は女子が手配するから、男子は教室の飾りと小物の作成をお願いしてる」
「わかった。じゃぁ、僕は装飾やればいいかな」
「それでね、結城君にお願いがあって……」
いきなりお願いなんて言われると、少し身構えてしまう。
なにを言われるか想像出来なくて、僕は固唾を呑んだ。
「あのね、メイドのヘッドバンドに個性出したくて、女子で手作りしたいねってなったんだ。被服科の友達に聞いたらレース編みで可愛く作れるって言うし、結城君詳しそうだから教えてもらえないかなって思って……」
その言葉に、心臓がドクンと脈打つ。
今までと同じように、教室の片隅で存在を消しているのを望むなら、受けない方がいいだろう。
考える間もなく、夏休み直後の僕だったら即決で断るかもしれない。
でも……。
「……僕で力になれるか分からないけど、アドバイスぐらいだったらできると思う」
「本当?! ありがとう! そしたらデザイン案あるからちょっと見て!」
想像以上に嬉しそうな田辺さんに、少しだけ肩の力が抜ける。
──教えるだけなら大丈夫。それぞれで好きなように作ってもらえば、楽しさも大変さも分かってもらえる……。
もっと早くみんなと打ち解けていれば、違う今があったのかもしれない。
後悔はないけど、少し勿体なかったのかなと頭をかすめていた。
「結城君、こういうデザインにしたいんだけど、どうすればいいかな」
「あぁ、これは全部を編むと時間かかるから、ベースは布で作った方が良いかも」
「え? じゃぁ、こうするのは?」
衣装を担当する女子に囲まれ、僕はそれぞれに持ってきてもらったデザイン画にアドバイスをしていった。
被服科の人達と話しているときも思ったけど、こうやって何かを相談しながら作る作業は、想像以上に楽しかった。
「なぁ、結城!」
いきなり男子に声を掛けられて、僕は一瞬ビクッと肩を揺らす。
──まずい……。男子の作業そっちのけでここにいるから、怒られる……?
僕は、びくびくしながら振り返った。
「なんかさぁ、俺、ネタ枠でメイド衣装って言われたんだけど、俺のカチューシャ? こういうの作れる?」
「えっ……? 木村君、メイド服着るの……?」
陸上部の木村君は、確かに細身でレディースの大きいサイズなら切れるのかもしれない。
でもその短髪と、磨き上げられて引き締まった腕と足が、メイド服から伸びていることを想像すると、思わず笑いが込み上げてきてしまった。
「おいー、笑わないでくれよぉ。結城がメイド服でもいいんだけど?」
「結城君じゃ可愛くなっちゃうからダメだよ。木村が着るから面白いんじゃん!」
僕を囲む田辺さんたちが、木村君に反論してくれる様子も、僕の笑いの沸点を下げてしまう。
「あははっ!」
「結城ー! 笑ってないで、ちょっとは庇ってくれよ!」
「ごめん、ごめん。木村君のメイド、楽しみにしてる」
「ちょっとー!」
教室内が笑いで溢れる。
気づけば、声を出して笑っていた。いつからだろう、誰かと笑うことを怖がるようになったのは。
自分から心を開かないと、相手からも開いてもらえないんだ。
僕が、過去の傷を引きずって、もう傷つきたくないからと壁を作っていただけだったと、改めて気付かされたようだった。
クラスメイト達と、笑い合っていたその時だった。
「なーおっ!」
「えっ?! な、なに?」
いきなり首の後ろから腕が伸びて来て、そのまま捕まえられてしまう。
クラスメイトたちの視線が一斉に集まった。
教室の空気と一緒に、僕の思考も一瞬止まってしまう。
振り返ろうとしても、すぐ後ろに顔があると思うと振り返る事ができない。
でも、この声が誰のものか分かってしまった。
「ち、千嵐君、どうしたの?」
「ん? ちょっと息抜きに尚の顔見に来ただけ」
息抜き?
ていうか、距離が近すぎませんか?!
頭の中の疑問が四方八方に飛びまわって、思考がまとまらない。
振り返る事も出来ないから、千嵐君がどんな顔でそう言っているのか見て確認することも出来なかった。
「なーんか、楽しそうじゃん。俺いなくても平気そうだな」
「え? それは良いでしょ? 自分のクラスだもん」
「……まぁ、そうなんだけどさ」
そう言って、不貞腐れたように顔を僕の肩に乗せてきた。
──いやいやいや! 顔、近いですって!
千嵐君の距離感がおかしい。
顔のすぐ横に千嵐君の体温を感じて、心臓がうるさいほど脈打った。
「ど、どうしたの?」
「尚が誰かと笑ってるの、なんか……落ち着かない」
時々見せる拗ねたような物言いに、僕は心を乱される。
熱を集めている顔に気づかれたくなくて、精一杯の虚勢で平静を装った。
「千嵐君、重いよ。そろそろ離してくれない?」
「んー、だめ。奏斗って呼んでくれなきゃ離さない」
「なっ! そんないきなり言われても……」
背中から千嵐君の鼓動を感じて、僕の心臓が悲鳴を上げている。
名前で呼ぶなんて、特別に仲良くなった人にしかしないと思っていた。
「俺は尚って名前で呼んでるのに、いまだに苗字なのは距離を感じるなぁ。奏斗って呼んでくれるまで、このままでいよっと」
「ちょ、ちょっとー!」
さっきまでの拗ねてた様子からころっと、僕をからかって楽しんでいるようだった。
僕の反応を見て楽しんでるんだと思うと、今度は腹が立ってくる。
千嵐君から逃げようと身体をくねらせ反抗してみても、なかなかその腕を払う事ができなかった。
「そこ、なにいちゃついてるの?」
「いちゃっ?!」
田辺さんから突っ込まれて、一気に顔が熱くなる。
「そ、そんなんじゃないよっ!」
「尚が俺のこと、いつまでたっても名前で呼んでくれないからさぁ」
千嵐君が、あたかも僕が悪いみたいに言うから、反論したくて振り向いてしまった。
すると、想像以上に顔が近くて、思わず口をつぐんで息を止める。
触れてしまいそうな唇に、身体の神経が一瞬にして集まったようだった。
バチっと千嵐君と目が合って、彼もその近さに驚いたのか、慌てて腕を離す。
僕も千嵐君も気恥ずかしさからか、その動きはぎこちなかった。
「もう、せっかく夏休みに集まってるんだから、遊んでないでさっさと準備しよう?」
田辺さんに窘められて、僕達はしゅんと肩を落とす。
それでも、こうやってクラスメイトと打ち解けて接して貰えることに、心なしか頬が緩み、千嵐君がそれに気づいたのか肘でつついてきた。
こんなふうに、自分がまた笑えるようになったのは、千嵐君と出会えたからかもしれない。
そう考えていたら、胸がきゅっと苦しくなる。
この感情がなんなのか、まだ僕は気付かないふりをした。
「わ、分かってるよ……。でも、僕……」
「大丈夫だって。俺に任せておけばいいから」
千嵐君が優しくそう言ってくれるから、僕も覚悟を決めてシャツを脱ぐ。教室を冷やすエアコンの冷たい風を、直接肌に感じてぶるっと一つ身震いする。
運動とは縁のない線の細い身体をさらすのは、いくら気にしないと言われていても恥ずかしい。
腕を胸の前で交差させて小さくなっていると、千嵐君が僕に向かってゆっくり腕を伸ばす。視界いっぱいに千嵐君の喉元が映って、思わず息を止めた。背中に回された腕が、見えない所で動いていた。
「はい、じゃぁ腕上げて」
言われるがまま、僕は両腕を上へと引き上げた。
千嵐君がぐっと近くに寄って、その触れそうな距離に心臓だけが暴れる。千嵐君が動くたび、彼の体温の気配が鼻先をかすめる。
背中に冷たいものが触れて、千嵐君が僕の胸の前で交差させ、メモリを読む。
「……82センチ。細いなぁ。ほら、骨まで触れそうだ。ちゃんと飯食ってる?」
そう言って、メジャーを引き抜きながら、冗談めかして僕の肋骨を軽く叩く。
「いたっ! ちょっとやめてよ、千嵐君!」
「ごめんごめん。でも、細身で手足長いから、どんなデザインでも綺麗に映えそうだな。さなぎから羽化するモチーフは、定番だけど蝶でいこう」
千嵐君は持っていたメジャーを首にかけ、僕のサイズをメモしている。
冷や汗をかきそうな僕と違って、涼しい顔をしているのが悔しかった。
「蝶か……。やっぱり僕より、もっと華がある人の方が……」
「何度も言ってるだろ? 尚じゃなきゃ意味がない」
そう言われて、ぐっと息を止める。
『尚じゃなきゃ意味がない』
千嵐君からのその言葉を、胸の奥で宝物のように何度も心の中でなぞった。乾いていた心が満たされ、自分を少しずつ解いていける。
「そうだ、尚。相談なんだけど、布の端にレース編みの飾りつけるのは可能?」
「問題ないと思うよ。リボン状のレース編みを作って、裾に縫い付ければいい」
「そっか! じゃぁ、それは可能で考える。編み方教えてくれよな」
「それは良いけど……。千嵐君は鎖編みマスターしてね。あれがかぎ針の基本だから。ちゃんと均一に編めるようになってね」
「うっ……」
痛いところを突かれたような困った顔の千嵐君が、情けない声を出していたのが面白くて、僕はふっと笑みがこぼれる。
こんなふうに、被服や手芸の事を離せる友達ができるなんて、あの事件のあとに想像することなんて出来なかった。ただひたすら、もう誰にも利用されたくなくて息をひそめていた。
僕はやっと、自由に呼吸ができるようになった気がしていた。
「そういえば、尚のクラスの準備はいかなくていいのか?」
「あ……」
そう言われて、初めて自分のクラスの事を思い出す。
被服科の人達と同じように準備に取り掛かっているのに、そっちには一度も顔を出していなかった。
「採寸はほとんど終わったし、クラスの方がなんかあれば、そっちに行ってもらって大丈夫だぞ」
「うん、分かった……」
途端に、胸の奥に冷たい穴が空く。
千嵐君がいない場所に戻るのが怖くなっていた。
そう思っても、デザインに集中したい千嵐君の邪魔をするわけにもいかず、僕は次の日からクラスの準備を手伝うことにした。
久々に訪れた夏休みの自分の教室は、完全にアウェーだ。
クラスのグループラインで作業日の確認は出来ても、作業の進捗までは分からない。しかも、コンカフェのテーマが何になったのかすら知らなかった。
今まで参加しなかった気まずさがぬぐい切れないまま、恐る恐る、作業をしている田辺さんに声を掛けた。
「あの……。僕、何をすればいいかな」
「結城君、被服科の方大丈夫なの?」
「えっ?」
僕が被服科に通っていることは、噂で回っていたのだろうか。
自分のクラスの準備そっちのけで、被服科に出入りしていたと知られれば、いい事は言われないだろう。
僕は、嫌味の一つでも言われる覚悟を決めた。
「私の友達が被服科にいるの。結城君、編み物得意なんだって?」
嫌味より、知られたくない事を知られていた事実に言葉を失う。
千嵐君や被服科の人達と違って、受け取り方は中学の頃の同級生と同じかもしれないと思うと、怖くて身体が動かない。
「あっ! 違うの、責めてるわけじゃないから!」
慌てて取り繕う田辺さんに、悪意はなかったのかもしれない。けれど、僕の頭の中では『男なのに』と悪魔のささやきが離れていかなかった。
千嵐君がいないだけで、気持ちは夏休み前の卑屈だった自分に引き戻される。
「ごめん……、今まで手伝い来なくて……」
「ううん、それは全然。他の人も来れる時にしか来ないし、強制じゃないから大丈夫だよ」
そう言われて少しだけほっとする。
安心していると、田辺さんが更に話しかけてきた。
「被服科の友達、めっちゃ助かってるって言ってた。編み図見てもよく分からないところとか、質問したら分かり易く教えてくれるって」
「いや、あれは慣れみたいなとこあるし……」
「でも、その慣れるまで結城君はやってたって事でしょ? 丁寧だし編み目もきれいだし、魔法みたいに編んでたって褒めてたよ」
慣れていない事を言われて、どう返していいか分からず返答に困ってしまう。
だけど、認めてもらえることは嬉しかった。千嵐君との出会いから、周りも自分自身も、今までの見え方からだいぶ変わったように思えた。
「コンカフェのテーマだけど、結局メイドカフェに決まったの。男子は執事ね。衣装は女子が手配するから、男子は教室の飾りと小物の作成をお願いしてる」
「わかった。じゃぁ、僕は装飾やればいいかな」
「それでね、結城君にお願いがあって……」
いきなりお願いなんて言われると、少し身構えてしまう。
なにを言われるか想像出来なくて、僕は固唾を呑んだ。
「あのね、メイドのヘッドバンドに個性出したくて、女子で手作りしたいねってなったんだ。被服科の友達に聞いたらレース編みで可愛く作れるって言うし、結城君詳しそうだから教えてもらえないかなって思って……」
その言葉に、心臓がドクンと脈打つ。
今までと同じように、教室の片隅で存在を消しているのを望むなら、受けない方がいいだろう。
考える間もなく、夏休み直後の僕だったら即決で断るかもしれない。
でも……。
「……僕で力になれるか分からないけど、アドバイスぐらいだったらできると思う」
「本当?! ありがとう! そしたらデザイン案あるからちょっと見て!」
想像以上に嬉しそうな田辺さんに、少しだけ肩の力が抜ける。
──教えるだけなら大丈夫。それぞれで好きなように作ってもらえば、楽しさも大変さも分かってもらえる……。
もっと早くみんなと打ち解けていれば、違う今があったのかもしれない。
後悔はないけど、少し勿体なかったのかなと頭をかすめていた。
「結城君、こういうデザインにしたいんだけど、どうすればいいかな」
「あぁ、これは全部を編むと時間かかるから、ベースは布で作った方が良いかも」
「え? じゃぁ、こうするのは?」
衣装を担当する女子に囲まれ、僕はそれぞれに持ってきてもらったデザイン画にアドバイスをしていった。
被服科の人達と話しているときも思ったけど、こうやって何かを相談しながら作る作業は、想像以上に楽しかった。
「なぁ、結城!」
いきなり男子に声を掛けられて、僕は一瞬ビクッと肩を揺らす。
──まずい……。男子の作業そっちのけでここにいるから、怒られる……?
僕は、びくびくしながら振り返った。
「なんかさぁ、俺、ネタ枠でメイド衣装って言われたんだけど、俺のカチューシャ? こういうの作れる?」
「えっ……? 木村君、メイド服着るの……?」
陸上部の木村君は、確かに細身でレディースの大きいサイズなら切れるのかもしれない。
でもその短髪と、磨き上げられて引き締まった腕と足が、メイド服から伸びていることを想像すると、思わず笑いが込み上げてきてしまった。
「おいー、笑わないでくれよぉ。結城がメイド服でもいいんだけど?」
「結城君じゃ可愛くなっちゃうからダメだよ。木村が着るから面白いんじゃん!」
僕を囲む田辺さんたちが、木村君に反論してくれる様子も、僕の笑いの沸点を下げてしまう。
「あははっ!」
「結城ー! 笑ってないで、ちょっとは庇ってくれよ!」
「ごめん、ごめん。木村君のメイド、楽しみにしてる」
「ちょっとー!」
教室内が笑いで溢れる。
気づけば、声を出して笑っていた。いつからだろう、誰かと笑うことを怖がるようになったのは。
自分から心を開かないと、相手からも開いてもらえないんだ。
僕が、過去の傷を引きずって、もう傷つきたくないからと壁を作っていただけだったと、改めて気付かされたようだった。
クラスメイト達と、笑い合っていたその時だった。
「なーおっ!」
「えっ?! な、なに?」
いきなり首の後ろから腕が伸びて来て、そのまま捕まえられてしまう。
クラスメイトたちの視線が一斉に集まった。
教室の空気と一緒に、僕の思考も一瞬止まってしまう。
振り返ろうとしても、すぐ後ろに顔があると思うと振り返る事ができない。
でも、この声が誰のものか分かってしまった。
「ち、千嵐君、どうしたの?」
「ん? ちょっと息抜きに尚の顔見に来ただけ」
息抜き?
ていうか、距離が近すぎませんか?!
頭の中の疑問が四方八方に飛びまわって、思考がまとまらない。
振り返る事も出来ないから、千嵐君がどんな顔でそう言っているのか見て確認することも出来なかった。
「なーんか、楽しそうじゃん。俺いなくても平気そうだな」
「え? それは良いでしょ? 自分のクラスだもん」
「……まぁ、そうなんだけどさ」
そう言って、不貞腐れたように顔を僕の肩に乗せてきた。
──いやいやいや! 顔、近いですって!
千嵐君の距離感がおかしい。
顔のすぐ横に千嵐君の体温を感じて、心臓がうるさいほど脈打った。
「ど、どうしたの?」
「尚が誰かと笑ってるの、なんか……落ち着かない」
時々見せる拗ねたような物言いに、僕は心を乱される。
熱を集めている顔に気づかれたくなくて、精一杯の虚勢で平静を装った。
「千嵐君、重いよ。そろそろ離してくれない?」
「んー、だめ。奏斗って呼んでくれなきゃ離さない」
「なっ! そんないきなり言われても……」
背中から千嵐君の鼓動を感じて、僕の心臓が悲鳴を上げている。
名前で呼ぶなんて、特別に仲良くなった人にしかしないと思っていた。
「俺は尚って名前で呼んでるのに、いまだに苗字なのは距離を感じるなぁ。奏斗って呼んでくれるまで、このままでいよっと」
「ちょ、ちょっとー!」
さっきまでの拗ねてた様子からころっと、僕をからかって楽しんでいるようだった。
僕の反応を見て楽しんでるんだと思うと、今度は腹が立ってくる。
千嵐君から逃げようと身体をくねらせ反抗してみても、なかなかその腕を払う事ができなかった。
「そこ、なにいちゃついてるの?」
「いちゃっ?!」
田辺さんから突っ込まれて、一気に顔が熱くなる。
「そ、そんなんじゃないよっ!」
「尚が俺のこと、いつまでたっても名前で呼んでくれないからさぁ」
千嵐君が、あたかも僕が悪いみたいに言うから、反論したくて振り向いてしまった。
すると、想像以上に顔が近くて、思わず口をつぐんで息を止める。
触れてしまいそうな唇に、身体の神経が一瞬にして集まったようだった。
バチっと千嵐君と目が合って、彼もその近さに驚いたのか、慌てて腕を離す。
僕も千嵐君も気恥ずかしさからか、その動きはぎこちなかった。
「もう、せっかく夏休みに集まってるんだから、遊んでないでさっさと準備しよう?」
田辺さんに窘められて、僕達はしゅんと肩を落とす。
それでも、こうやってクラスメイトと打ち解けて接して貰えることに、心なしか頬が緩み、千嵐君がそれに気づいたのか肘でつついてきた。
こんなふうに、自分がまた笑えるようになったのは、千嵐君と出会えたからかもしれない。
そう考えていたら、胸がきゅっと苦しくなる。
この感情がなんなのか、まだ僕は気付かないふりをした。
