今朝は朝からそわそわして落ち着かなかった。
──なに着て行けばいいんだろう……。
僕はベッドの上に手持ちの洋服を並べ、どれを選べばいいか悩み過ぎて、もはや何もわからなくなっていた。
初めて学校以外で千嵐君に会う。
その事実が、緊張と興奮を連れてきた。
「尚? 今日、出かけるって言ってなかった? 時間、大丈夫?」
──もうこんな時間?!
母さんに声を掛けられ、僕は急いで支度を進める。
洋服に迷い過ぎて、待ち合わせに遅れるなんて申し訳なさすぎる。
僕はバタバタと階段を降り、一直線で玄関に向かった。
「なに? もしかしてデート?」
「なっ……、そんなんじゃないよ! 友達と、文化祭のアイデア探しに行くだけっ!」
スニーカーの紐を結びながら、母さんに反論する。
デートなんかじゃない。ましてや遊びに行くわけでもない。
そんな言い訳をしながら、靴紐を強く引いた。
「そのお友達……、前みたいに一方的なお友達じゃないのよね?」
母さんが少し暗いトーンでそう聞いてくるから、僕の心も一瞬で過去に引っ張られ、冷たくなる。
「……大丈夫。被服科の人だから、そういうところはちゃんとしてるよ」
「それなら安心だけど……。尚は、人に合わせすぎるから」
「もう時間ないから行くねっ!」
母さんの言葉から逃げるように家を出た。
『結城! 品切れだから、早く次作ってくれよ』
男が編み物してるって笑っていたのに、それを利用された過去──。
フラッシュバックのように当時の記憶が蘇って、僕はそれを振り払うように頭を横に振る。
さっきまで浮かれていた気分が、糸が切れたみたいに床へ落ちていった。
重い足取りで待ち合わせ場所に到着すると、既に千嵐君は到着していた。
「尚ー! こっちこっち!」
僕を見つけると、手を挙げているところをアピールしてきた。
通行人に振り向かれて恥ずかしかったけど、子供みたいな千嵐君の行動が、それまで沈んでいた心を浮上させてくれるようだった。
「ごめん、待たせちゃったかな」
「いや、俺が早く到着しすぎたんだ。尚と出かけるのが楽しみ過ぎて、じっとしてられなかった!」
満面の笑みで恥ずかしげもなくそう言える彼に、僕は面食らってしまう。
それに、純粋な私服姿を見るのは初めてで新鮮だった。
手作りやアレンジの効いた服を着てくるのかと思っていたけれど、実際は大きなプリントTシャツにダメージ加工の黒スキニー、履き込まれたハイカットスニーカーという、計算されていないようで計算されたシンプルなコーディネートだった。
それなのに、千嵐君のスタイルの良さを引き立てていて、やけに格好良く見えた。
だけど、気になったのは口角に貼られた大きな絆創膏だった。
「それ、どうしたの?」
考えるより先に口に出てしった言葉に、僕は身体を硬直させた。
千嵐君は笑っているのに、目だけが笑っていなかったんだ。
その一瞬の沈黙が、妙に重く感じる。
「……大したことじゃないよ。じゃあ、行こうか」
そう言って千嵐君は歩き始めたけど、僕はすぐに一歩を踏み出せなかった。
人混みに紛れそうな彼の背中が、少しだけ揺らいで見えて、思わず彼のTシャツに手を伸ばす。
「ん? 迷子?」
笑いながらそう言われて、指先が熱くなる。
すぐに離さなきゃと思うのに、なぜか手が動かなかった。
「……はぐれたら困るでしょ」
自分でも説明できない感情を誤魔化す為に、不自然に低い声で答える。
千嵐君は、その様子をにやけながらふふんと笑って、それでも少しだけ、歩くペースを落としてくれた。
そのさりげない気遣いが、必死に繕った強がりを、歩幅と一緒に溶かしてくれるようだった。
「到着! ここ、俺が一番気に入ってるところ。店長もめっちゃいい人だから!」
そう言って目の前の扉を開けると、古着屋特有の埃と洗剤と古い革の匂いが鼻をくすぐる。逆光で薄暗く見える店内から『いらっしゃいませ』と声が聞こえ、吸い込まれるように僕らは店内に招き入れられた。
「真人さん、久しぶり!」
「おぉ奏斗、久しぶりだな。ん? 友達?」
「あ、結城尚と言います。お邪魔します」
「いらっしゃい。奏斗が友達連れてくるなんて珍しい。ちゃんと友達いたんだな」
「ちょっと、真人さん!」
店内のカウンター越しに声を掛けてきたのは、ミディアムロングの黒髪を無造作に結んだ、アロハシャツの男性だった。
砕けた会話から仲の良さが伺えて、千嵐君がこのお店によく通っているのが伝わってくる。
「今日は今年のコンテストのアイデア探し。尚はモデル候補」
「そっか。話し合いは出来たのか?」
真人さんの視線は、千嵐君の絆創膏に一瞬だけ止まり、千嵐君は口を閉じる。
いつも太陽みたいに明るく見えた彼の変化に、僕は異様な緊張感を感じてしまった。
「ちょっと、あたしもいるんだけど無視しないでくれる?」
「あれ、麻耶も来てたんだ」
すると、店内の奥から女の子が出てきて、そのまま会話を始めてしまう。
「その顔、またやったの?」
「……うるさい」
二人の会話から、お互いを良く知っている雰囲気が伝わってきて、胸の奥が僅かに揺らいだ。
僕が知らない絆創膏の理由も、彼女は何も聞かされなくてもわかっているようで、その事実が僕の周りに再び殻を被せる。
「奏斗も来るんだったら、声かけてくれればよかったのに」
「なんでお前と来なきゃなんだよ。今日は予定があったんだ」
「……誰? 友達?」
値踏みするようなその子から鋭い視線が、何故か痛いほどに刺さって挨拶するのが遅れてしまった。
「あぁ、学校の友達。今年のコンテストでモデルやってもらおうと思って」
「はぁ?! あたしがモデルやるって言ったじゃん! 最後のチャンスなんだよ?」
「お前が勝手にそう言ってるだけだろ。今年が大事だから、モデルは俺が厳選したいんだ」
「そんなの聞いてない!」
その声は震えていて、冗談ではないとすぐにわかった。
二人の関係性も分からないのに、口は出せない。僕はどうしたらいいか分からず、一歩下がった。
「奏斗の服の魅力を最大限に表現できるように、ショーモデルのレッスンだって受けてきたのに!」
「モデルも含めて作品なんだ。俺の構想だと、モデルはお前じゃない」
聞こえてきた千嵐君の声のトーンが、一段下がった気がした。
──なんだよ……。モデルやりたいって人、いるんじゃないか……。
もやっとして、僕は眉間にしわを寄せる。
「せっかく私たちの夢が叶うかと思ったのに……。もう知らないっ!」
捨て台詞のようなものが聞こえて、女の子は店を出て行ってしまった。
千嵐君は、そのまま真人さんと話し込んでしまう。
完全に僕は蚊帳の外になってしまい、もやもやした気持ちを抱えながら、商品を探すふりをして気を紛らわしていた。
そんな中、小物のワゴンを見つけて、レース編みが施されたスカーフを見るける。
ビーズも一緒に編みこまれていて、その精巧さに、思わず手に取って広げてみた。
──わぁ……、すごく綺麗……。
レース編みの繊細さが、誰かに大事にされるのをずっと待っているようで、目が離せなくなる。
自分が作った作品は、誰に贈るわけでもなく部屋の片隅に保管されている。そんな作品たちを思い出すと、ただ生み出されただけだと、改めて気付いてしまった。
──こうやって、誰かの目に触れさせてあげられればな……。
「お目が高いですねぇ」
「わっ! いきなり話しかけないでよ!」
急に出てきた千嵐君に驚いて、持っていたスカーフを投げてしまいそうになって、慌てて持ち直し、不愛想に言葉を返した。
「……真人さんと話してればいいじゃん」
「拗ねてんの?」
確かに少し拗ねているのかもしれない。
ここに来るまで浮足立ってたんだ。着るものだって選べなくて、何度も鏡とにらめっこした。
それなのに、僕の知らない交友関係がいきなり出てきたら、何も出来ないじゃないか。
僕は少し悔しくて、そっぽを向いたまま無意味にワゴンを漁った。
「なぁ、これ尚に似合うんじゃない?」
「いいよ、そういうの」
ご機嫌伺いのように話しかけられているのが分かって、素直に顔を向ける気になれない。
千嵐君の方を振り向かないまま、そっけなく答えた。
──僕には何も話してくれないのかな。
そう思った瞬間、ズキっと心臓を刺された。
僕に話したところで出来ることはないのかもしれないだけど、何も言ってもらえないのは寂しい。
「……千嵐君は、デザイナー目指してるの?」
真人さんへの対抗心なのか、思わず口をついて出てしまった。
千嵐君の瞳から火が陰ったようにみえて、踏み込んだ質問だったとハッと我に返る。
「デザイナーね。なれたらいいけど、才能と運と人脈を持ってる、一握りの人しか成功できない……」
いつもの明るく自信ありげな表情から一変して少し眉が下がった表情に、千嵐君でも現実を見ていると気付かされる。
それでも、挑戦しようとしている姿は、くすぶっているだけの僕の目に熱い炎のように見えた。
「麻耶は、子供の頃からの幼馴染。あいつはモデルを目指してるんだ。それもあって、昔から俺がデザイナーになるのを応援してくれてる」
そんな友人がいるなら、自信のない僕よりモデルに適任じゃないか。そう思うと、僕はぎゅっと拳を握った。
「自信もあるみたいだし、僕より……」
「モデルは尚にやってもらいたい!」
僕の言葉を遮るように、食い気味で千嵐君が被せる。
余りの勢いに、僕は少し仰け反ってしまった。
「尚じゃなきゃ完成しないって思ってる。でも、無理強いはしたくない。むしろ俺が作った服を『着たい』って思って欲しい。俺がイメージしてるモデルは、尚なんだ。それに、尚の編み物の技術も借りたい」
その言葉に、息をひそめていた僕の作品たちが騒ぎ出し、背中を押してくれるような気がした。
僕が作ったものが、さっきのスカーフのように、誰かの目に触れることができるだろうか。
「……本当に、僕でいいのかな」
「尚がいいっ!!」
千嵐君はそう言って、僕の両手を包むように握った。
その情熱が手のひらから流れてくる。千嵐君から希望の光が差し込むようで、僕の胸の奥に小さな火が灯った。
千嵐君の力になりたいと思う気持ちは、日に日に大きくなっているのは事実だった。
今、返事をしなければ、僕に用意された椅子に他の人が座るかもしれない。
そんな危機感が、僕の背中を押す。
「そこまで言ってくれるなら……、わかったよ」
「本当に?! 良かった! ありがとう!!」
ほっとしたようなくしゃりとした笑顔が、僕の心を掴む。
きっとこの夏、僕は変わってしまう。
そんな予感が怖くて、でも少しだけ楽しみだった。
──なに着て行けばいいんだろう……。
僕はベッドの上に手持ちの洋服を並べ、どれを選べばいいか悩み過ぎて、もはや何もわからなくなっていた。
初めて学校以外で千嵐君に会う。
その事実が、緊張と興奮を連れてきた。
「尚? 今日、出かけるって言ってなかった? 時間、大丈夫?」
──もうこんな時間?!
母さんに声を掛けられ、僕は急いで支度を進める。
洋服に迷い過ぎて、待ち合わせに遅れるなんて申し訳なさすぎる。
僕はバタバタと階段を降り、一直線で玄関に向かった。
「なに? もしかしてデート?」
「なっ……、そんなんじゃないよ! 友達と、文化祭のアイデア探しに行くだけっ!」
スニーカーの紐を結びながら、母さんに反論する。
デートなんかじゃない。ましてや遊びに行くわけでもない。
そんな言い訳をしながら、靴紐を強く引いた。
「そのお友達……、前みたいに一方的なお友達じゃないのよね?」
母さんが少し暗いトーンでそう聞いてくるから、僕の心も一瞬で過去に引っ張られ、冷たくなる。
「……大丈夫。被服科の人だから、そういうところはちゃんとしてるよ」
「それなら安心だけど……。尚は、人に合わせすぎるから」
「もう時間ないから行くねっ!」
母さんの言葉から逃げるように家を出た。
『結城! 品切れだから、早く次作ってくれよ』
男が編み物してるって笑っていたのに、それを利用された過去──。
フラッシュバックのように当時の記憶が蘇って、僕はそれを振り払うように頭を横に振る。
さっきまで浮かれていた気分が、糸が切れたみたいに床へ落ちていった。
重い足取りで待ち合わせ場所に到着すると、既に千嵐君は到着していた。
「尚ー! こっちこっち!」
僕を見つけると、手を挙げているところをアピールしてきた。
通行人に振り向かれて恥ずかしかったけど、子供みたいな千嵐君の行動が、それまで沈んでいた心を浮上させてくれるようだった。
「ごめん、待たせちゃったかな」
「いや、俺が早く到着しすぎたんだ。尚と出かけるのが楽しみ過ぎて、じっとしてられなかった!」
満面の笑みで恥ずかしげもなくそう言える彼に、僕は面食らってしまう。
それに、純粋な私服姿を見るのは初めてで新鮮だった。
手作りやアレンジの効いた服を着てくるのかと思っていたけれど、実際は大きなプリントTシャツにダメージ加工の黒スキニー、履き込まれたハイカットスニーカーという、計算されていないようで計算されたシンプルなコーディネートだった。
それなのに、千嵐君のスタイルの良さを引き立てていて、やけに格好良く見えた。
だけど、気になったのは口角に貼られた大きな絆創膏だった。
「それ、どうしたの?」
考えるより先に口に出てしった言葉に、僕は身体を硬直させた。
千嵐君は笑っているのに、目だけが笑っていなかったんだ。
その一瞬の沈黙が、妙に重く感じる。
「……大したことじゃないよ。じゃあ、行こうか」
そう言って千嵐君は歩き始めたけど、僕はすぐに一歩を踏み出せなかった。
人混みに紛れそうな彼の背中が、少しだけ揺らいで見えて、思わず彼のTシャツに手を伸ばす。
「ん? 迷子?」
笑いながらそう言われて、指先が熱くなる。
すぐに離さなきゃと思うのに、なぜか手が動かなかった。
「……はぐれたら困るでしょ」
自分でも説明できない感情を誤魔化す為に、不自然に低い声で答える。
千嵐君は、その様子をにやけながらふふんと笑って、それでも少しだけ、歩くペースを落としてくれた。
そのさりげない気遣いが、必死に繕った強がりを、歩幅と一緒に溶かしてくれるようだった。
「到着! ここ、俺が一番気に入ってるところ。店長もめっちゃいい人だから!」
そう言って目の前の扉を開けると、古着屋特有の埃と洗剤と古い革の匂いが鼻をくすぐる。逆光で薄暗く見える店内から『いらっしゃいませ』と声が聞こえ、吸い込まれるように僕らは店内に招き入れられた。
「真人さん、久しぶり!」
「おぉ奏斗、久しぶりだな。ん? 友達?」
「あ、結城尚と言います。お邪魔します」
「いらっしゃい。奏斗が友達連れてくるなんて珍しい。ちゃんと友達いたんだな」
「ちょっと、真人さん!」
店内のカウンター越しに声を掛けてきたのは、ミディアムロングの黒髪を無造作に結んだ、アロハシャツの男性だった。
砕けた会話から仲の良さが伺えて、千嵐君がこのお店によく通っているのが伝わってくる。
「今日は今年のコンテストのアイデア探し。尚はモデル候補」
「そっか。話し合いは出来たのか?」
真人さんの視線は、千嵐君の絆創膏に一瞬だけ止まり、千嵐君は口を閉じる。
いつも太陽みたいに明るく見えた彼の変化に、僕は異様な緊張感を感じてしまった。
「ちょっと、あたしもいるんだけど無視しないでくれる?」
「あれ、麻耶も来てたんだ」
すると、店内の奥から女の子が出てきて、そのまま会話を始めてしまう。
「その顔、またやったの?」
「……うるさい」
二人の会話から、お互いを良く知っている雰囲気が伝わってきて、胸の奥が僅かに揺らいだ。
僕が知らない絆創膏の理由も、彼女は何も聞かされなくてもわかっているようで、その事実が僕の周りに再び殻を被せる。
「奏斗も来るんだったら、声かけてくれればよかったのに」
「なんでお前と来なきゃなんだよ。今日は予定があったんだ」
「……誰? 友達?」
値踏みするようなその子から鋭い視線が、何故か痛いほどに刺さって挨拶するのが遅れてしまった。
「あぁ、学校の友達。今年のコンテストでモデルやってもらおうと思って」
「はぁ?! あたしがモデルやるって言ったじゃん! 最後のチャンスなんだよ?」
「お前が勝手にそう言ってるだけだろ。今年が大事だから、モデルは俺が厳選したいんだ」
「そんなの聞いてない!」
その声は震えていて、冗談ではないとすぐにわかった。
二人の関係性も分からないのに、口は出せない。僕はどうしたらいいか分からず、一歩下がった。
「奏斗の服の魅力を最大限に表現できるように、ショーモデルのレッスンだって受けてきたのに!」
「モデルも含めて作品なんだ。俺の構想だと、モデルはお前じゃない」
聞こえてきた千嵐君の声のトーンが、一段下がった気がした。
──なんだよ……。モデルやりたいって人、いるんじゃないか……。
もやっとして、僕は眉間にしわを寄せる。
「せっかく私たちの夢が叶うかと思ったのに……。もう知らないっ!」
捨て台詞のようなものが聞こえて、女の子は店を出て行ってしまった。
千嵐君は、そのまま真人さんと話し込んでしまう。
完全に僕は蚊帳の外になってしまい、もやもやした気持ちを抱えながら、商品を探すふりをして気を紛らわしていた。
そんな中、小物のワゴンを見つけて、レース編みが施されたスカーフを見るける。
ビーズも一緒に編みこまれていて、その精巧さに、思わず手に取って広げてみた。
──わぁ……、すごく綺麗……。
レース編みの繊細さが、誰かに大事にされるのをずっと待っているようで、目が離せなくなる。
自分が作った作品は、誰に贈るわけでもなく部屋の片隅に保管されている。そんな作品たちを思い出すと、ただ生み出されただけだと、改めて気付いてしまった。
──こうやって、誰かの目に触れさせてあげられればな……。
「お目が高いですねぇ」
「わっ! いきなり話しかけないでよ!」
急に出てきた千嵐君に驚いて、持っていたスカーフを投げてしまいそうになって、慌てて持ち直し、不愛想に言葉を返した。
「……真人さんと話してればいいじゃん」
「拗ねてんの?」
確かに少し拗ねているのかもしれない。
ここに来るまで浮足立ってたんだ。着るものだって選べなくて、何度も鏡とにらめっこした。
それなのに、僕の知らない交友関係がいきなり出てきたら、何も出来ないじゃないか。
僕は少し悔しくて、そっぽを向いたまま無意味にワゴンを漁った。
「なぁ、これ尚に似合うんじゃない?」
「いいよ、そういうの」
ご機嫌伺いのように話しかけられているのが分かって、素直に顔を向ける気になれない。
千嵐君の方を振り向かないまま、そっけなく答えた。
──僕には何も話してくれないのかな。
そう思った瞬間、ズキっと心臓を刺された。
僕に話したところで出来ることはないのかもしれないだけど、何も言ってもらえないのは寂しい。
「……千嵐君は、デザイナー目指してるの?」
真人さんへの対抗心なのか、思わず口をついて出てしまった。
千嵐君の瞳から火が陰ったようにみえて、踏み込んだ質問だったとハッと我に返る。
「デザイナーね。なれたらいいけど、才能と運と人脈を持ってる、一握りの人しか成功できない……」
いつもの明るく自信ありげな表情から一変して少し眉が下がった表情に、千嵐君でも現実を見ていると気付かされる。
それでも、挑戦しようとしている姿は、くすぶっているだけの僕の目に熱い炎のように見えた。
「麻耶は、子供の頃からの幼馴染。あいつはモデルを目指してるんだ。それもあって、昔から俺がデザイナーになるのを応援してくれてる」
そんな友人がいるなら、自信のない僕よりモデルに適任じゃないか。そう思うと、僕はぎゅっと拳を握った。
「自信もあるみたいだし、僕より……」
「モデルは尚にやってもらいたい!」
僕の言葉を遮るように、食い気味で千嵐君が被せる。
余りの勢いに、僕は少し仰け反ってしまった。
「尚じゃなきゃ完成しないって思ってる。でも、無理強いはしたくない。むしろ俺が作った服を『着たい』って思って欲しい。俺がイメージしてるモデルは、尚なんだ。それに、尚の編み物の技術も借りたい」
その言葉に、息をひそめていた僕の作品たちが騒ぎ出し、背中を押してくれるような気がした。
僕が作ったものが、さっきのスカーフのように、誰かの目に触れることができるだろうか。
「……本当に、僕でいいのかな」
「尚がいいっ!!」
千嵐君はそう言って、僕の両手を包むように握った。
その情熱が手のひらから流れてくる。千嵐君から希望の光が差し込むようで、僕の胸の奥に小さな火が灯った。
千嵐君の力になりたいと思う気持ちは、日に日に大きくなっているのは事実だった。
今、返事をしなければ、僕に用意された椅子に他の人が座るかもしれない。
そんな危機感が、僕の背中を押す。
「そこまで言ってくれるなら……、わかったよ」
「本当に?! 良かった! ありがとう!!」
ほっとしたようなくしゃりとした笑顔が、僕の心を掴む。
きっとこの夏、僕は変わってしまう。
そんな予感が怖くて、でも少しだけ楽しみだった。
