羽化する背中に、消えない光を編んでいく

「文化祭、何する? コンカフェ? お化け屋敷?」
「脱出ゲームもいいんじゃない?」
 文化祭と聞いただけで、心の奥がきゅっと縮まる。
 高校生にもなれば、忘れたい思い出の一つぐらいあるだろう。
 僕にとってのそれが『文化祭』だった。
 
「ねぇ、結城君は何かやりたいことないの?」
 突然名前を呼ばれて、びくっと肩を跳ねさせる。
 輪に入ろうとしない僕の所に、クラス委員の田辺さんが声をかけに来てくれていた。
 高校生活最後の文化祭。
 クラスメイトは浮き足立っていたけど、僕はそれを「やり過ごす行事」だと思っていた。
「あっ、いや……、僕はなんでもいいよ」
「そっか。うん、わかった」
 彼女は案の定といった表情を滲ませ、それ以上掘り下げようとはしない。振り返って肩をすくめ、元居たクラスメイトの輪に戻っていく。
 盛り上がっている雰囲気を壊しているのは分かっていた。だけど僕だって、強要される団結力や協調性に、うんざりしているんだ。
 モヤモヤした感情をため息に変えて吐き出し、気持ちを落ち着けるために机の下で隠れて指を動かす。
 何も持っていなくても癖みたいに動く指が、何もない空気を編んでいた──。

「なんでもいいって」
「だから言ったじゃん。声掛けたって意味ないって」
「それでもさ、無視する訳にいかないじゃん……」
 クラスメイトの会話が、嫌でも耳に入ってくる。
 やりたいことのある人が、責任を持って発言すればいいじゃないか。
 ふつふつと湧き上がる憤りが、指先に伝わり微かに震えた。
 すると次の瞬間、ガラガラっと勢いよく教室のドアが開いて、みんなの視線が一斉に集まる。
「注目~!」
 ハイトーンに染められた頭髪と、自分のものと同じとは思えないほどアレンジされた制服。腰にぶら下がったチェーンが、チャリチャリと効果音を足している。
 被服科の有名人、千嵐奏斗(ちあらしかなと)
 教室の空気を支配するような存在感に、思わず視線を奪われる。
「今年も被服科は、文化祭でコンテスト形式のファッションショーをやります! 絶賛、モデル募集中!」
「被服科のショーって、審査員も来るんでしょ?」
「そう! 今年の審査員はOBが来るって、先生が言ってたんだよね。だから、目に留まる為にも絶対大賞取りたくてさ」
「千嵐ならいけんじゃね? その派手な恰好、校外でも有名だぞ」
「派手ってなんだよ! 今日だってちゃんと、パンクってテーマがあるのに!」
 くるっと回った千嵐君は、羽織っているワイシャツを自慢げに見せびらかす。被服科の生徒達は特例で、授業の一環として制服のアレンジが許可されていた。
 ワイシャツには爆弾のワッペンやスタッズがバランスよく配置され、ベルトの装飾にはチェーンやチャームがぶら下がっているのが見えた。
「このドクロの刺繍、俺がちゃんと一針一針自分で刺したんだ!」
 僕が座っているところから遮るものが何もなくて、その背中の刺繍が良く見えた。
 カラフルな花に囲まれたメキシカンスカルが、笑うようにデザインされている。多色使いはその分工程が多く、時間がかかるだろう。ドクロの顔の中には植物が配置され、それも細かく繊細で、デザイン性にも驚かされた。
 すると、腰のチェーンと一緒にぶら下がっているチャームに視線を奪われて、僕は一気に血の気が引いた。
 ──なっ、なんであれが千嵐君の所に?!
 思わず机の脇に掛けていた自分の鞄に視線を落とす。
「これなに? 可愛いー!」
「この編みぐるみも作ったの?」
「拾ったんだよ。目立つとこに付けてたら、持ち主が気付くかと思ったんだけど……。まだ誰も名乗り出てくんないんだよなぁ」
 会話を盗み聞いていた僕は、千嵐君のその言葉に息を呑む。
 あれは僕が鞄に忍ばせていた、世界でたった一つの僕のもの。
 ──見間違いじゃない。返してもらわなきゃ……。
 混乱と焦りからか、背中に汗が滲む。
「めっちゃ可愛いんですけど。これは作れないの?」
「俺の力作の刺繍より、拾った編みぐるみかよ!」
 みんなが盛り上がっている中、僕は千嵐君の腰にぶら下がったチャームから目を離せない。
 じっと見つめて、どう言葉を掛ければいいか頭を巡らせていると、ふと喧騒が止まった。
「ん? これ、お前の?」
 聞こえてきた声に思わず顔を上げてしまい、一番避けたかった相手と視線がぶつかる。
 僕は目を見開いたまま、答えることが出来ない。
 緊張が頂点に達して、気持ちを落ち着ける為の指が無意識に動いた。
「その手、何してんの? なんの動き?」
 そう言って、どんどん近づいてくる。
 僕だけに定められた視線が、ヒリヒリとした緊張感を連れてきて、時間の流れがひどくゆっくりに感じられた。
 そして、上手く呼吸できなかった苦しさに、目を逸らしたその瞬間だった。
「さなぎ……、羽化しそうな……」
 熱を帯びた千嵐君の低い声が、妙にはっきりと耳に響く。
 思わず彼の方を見ると、何かを思いついたように表情を変え、そのまま勢いよく教室の外へ出ていってしまった。
 一瞬にして静かになった教室は、嵐が過ぎ去ったようにしんと静まり返る。
「相変わらずわけわかんねぇ奴だな」
 一人の男子がそう言うと、今までの談笑が苦笑いに変わっている事に気付いた。
 目立てば、陰で何を言われているか分かったもんじゃない。だから僕は、気配を消して静かに過ごすことに決めていたんだ。
 ──好きな事、自信持って好きって言えるのって羨ましいな……。
 交わしたあの瞳が、僕の脳裏に焼き付いて離れない。
 そう思った瞬間、ぶわっと全身に熱が走り、熱くなった頬を両手でパタパタと仰いで冷ます。
「じゃぁ、うちのクラスの第一希望はコンカフェね! それで申請出してきます」
 田辺さんがようやくまとまったクラスの意見を、申請用紙に書き込んでいた。
 僕はもはやそんなことに気を回せず、乱れた鼓動を落ち着かせようとするだけだった。
 
 暫くすると、廊下から慌てた様子の足音が響いて、教室の前で止まった。さっきと同じように勢いよくドアが開かれ、またしても千嵐君が立っている。教室をぐるっと見渡し僕の事を見つけると、ぱぁっと花開くように表情が変わった。
 嫌な予感しかしないのに、期待を含んだ胸の高鳴りがうるさい。
 ずかずかと教室に入ってきた千嵐君は、迷う様子もなく僕の方向へ歩いてきて、目の前で止まる。
「あんた、俺のモデルやってくんない?」
「えっ?!」
 その声には、冗談ではない必死さが混じっていた。
 急に見せた真剣な表情に、僕は息をするのも忘れ魅入ってしまった。
「まぁいいや、ちょっと来て!」
「ちょっ、ちょっと!」
 わけもわからず引っ張られ、転びそうになりながら席を立つ。
 がっちりと掴まれた腕から千嵐君の熱を感じて、逃げ出したいのに止まれない。
 逃がさないと言われているようで、身体の奥で警笛が鳴り響いていた。
「俺のモデル、あんたに決めたから!」
「えぇ?!」
 僕の困惑などお構いなしに、千嵐君はどんどん自分のペースで進んでいってしまう。
 何事かと、廊下にいた生徒たちが振り返るのも、目に入っていないようだった。
「あっ! 名前聞いてなかった。俺、被服科三年の千嵐奏斗。あんたは?」
「えっ、結城尚(ゆうきなお)です」
「尚か、いい名前だな。俺の事は奏斗って呼んで!」
 ──いきなり呼び捨て?!
「採寸、すぐ済ませるから!」
 千嵐君のハイペースに、僕はついて行くことしか出来なかった。

 
 被服準備室に連れてこられた僕は、千嵐君と対峙していた。
「ち、近くない?!」
「服の上からだと、俺の服を着せるイメージが薄いんだよなぁ……」
 メジャーを首からかけ、真面目に作業をしようとしているのは伝わってくる。
 でもその視線は、僕を通り抜け制服越しの線を追っていた。
「採寸だよね? 服の上からでも測れるよね? そもそも僕、OKしてないんだけどっ?!」
「ねぇ、着痩せする? やっぱりちゃんと身体見ないとわからないかな……」
「ま、待って、どういうこと? ちょっ、ちょっと千嵐君?」
 千嵐君は僕の言葉なんて耳に入っていないように、ぶつぶつ呟きながら考え込んでいる。被服準備室に来てから目は合わないまま、千嵐君のペースに振り回されていた。
 部屋に二人しかいない空間というだけで、あらぬ妄想が加速する。緊張が全身に回り、手のひらにじっとりと汗をかいていた。
 すると、おもむろに千嵐くんの腕がすっと上がって、ビクッと身体を跳ねさせる。
「やめてっ!」
 僕はワイシャツを胸の前でぎゅっと握りしめ、逃げるように身体を仰け反らせた。
 千嵐君は首にかけていたメジャーを手に取っただけで、二人で顔を見合わせ見つめ合う。
「ん? どうした?」
 ──勝手に一人で暴走しただけじゃないかっ!
 僕は暴走した妄想に気づき、恥ずかしさの余り全身の毛穴から火を噴きそうになる。
「あ……、いや、ごめん。なんでもない……」
「えぇ? なに?」
 ニヤリとからかうような彼の表情に思わず叫びそうになったが、ここで捲し立てても分が悪いことは分っている。
 僕は深呼吸をして気持ちを押し込み、少しだけ冷ややかな目線を千嵐君に送った。
「モデル、他の人にお願いして」
 からかわれた悔しさも相まって、僕は千嵐君と関わりたくない気持ちがどんどん溢れてきてしまった。
「ご、ごめんっ! 気に障ったなら謝るよ」
「コンテストで大賞取りたいんでしょ? だったら余計に、他の人が良いと思う」
 改めて考えると、審査員もくるコンテストだし、そんな大役は僕には荷が重すぎる。
 僕は、ランウェイでスポットライトを浴びるような人間じゃない。
 千嵐君は、少し考えたように黙ってしまった。
 そしてしばらくすると、すっと姿勢を正し真っ直ぐにこちらを向く。
「教室で尚を見たとき、丸めた肩が羽化を待っているさなぎみたいに見えたんだ。それがなんのきっかけで破られるのか、破ろうとするのか気になって……」
「なにそれ。僕が、殻に閉じこもっているように見えたってこと?」
 僕が、何かを主張するなんてことはない。
 そんなことは永遠に起こらないんだ。
 千嵐君にそう伝えようと思ったけど、彼の真剣な表情が僕の口を閉じさせた。
「イメージが降りてきた瞬間、すぐデッサンしたくて教室に戻ったんだけど、いざ書こうと思ったら何もまとまらなくて……」
 千嵐君の表情が本当に悔しそうで、思わず息を呑んでしまう。
 それは、さっきまでの陽気な彼から想像できない、洋服づくりに真剣に取り組んでいる証拠のようだった。
「だから、尚のこと教えて欲しいし、俺の作品に協力して欲しいんだ」
 その懇願するような必死さに、僕はたじろいでしまう。
 ここまで彼を突き動かす『何か』に、心が揺らぎそうになった。
 だけど──。
「僕は、羽化なんて望んでない。このままでいいんだ」
「俺には、何か糸口を探しているように見えた」
「……今日初めて会話するのに、なんでそんなこと言えるの?」
 少しずつ、心に棘を持った感情が沸いてくる。
 僕には変わろうと思える強さはない。
「せっかくの青春なのに勿体ないじゃん」
「だからっ! 才能のある千嵐君に何が分かるっていうの?!」
 思わず声を荒げた僕に、千嵐君は黙ってしまった。
 僕は、わざとらしく溜息をつく。
 沈黙の中、そっと部屋を出ようと一歩踏み出した時だった。
「俺さ、我慢できなくて思いついたらすぐ身体が動くし、止まってられない。だから暴走して失敗もしてる。被服科唯一の男子ってだけでも、色物みたいに見られるのにさ」
 千嵐君でさえ、周囲の評価や見られ方を気にしていたという事実に、失礼かもしれないけど驚いてしまった。
「自分の感情だけで突っ走ってしまったことは謝るよ。でも、モデルはやっぱり尚がいい。見つけた瞬間、俺の作りたいものだって思えたんだ。それに、尚は俺のこと『異物』として見てなかった」
「異物って……?」
「俺が頑張った刺繍、尚はちゃんと見てくれてただろ? 周りにいた人は『刺繍をした』って事しか聞いていなかった」
「それは……」
 確かに、ドクロの刺繍に目を奪われた。
 たけど、すぐに腰の編みぐるみに気づいて、視線を外せなかっただけでもある。
「パートナーになるモデルは、ちゃんと俺の作品を見てくれる人にやってもらいたい。このコンテストで、結果を出さなきゃいけない」
 そう言って、空気がピタッと一瞬止まる。
 言い淀んだ千嵐君の顔が、微かに歪んだ気がした。
「それが、条件だから……」
 その声は、さっきまでの明るさとは違う影を帯びていた。
 低いトーンでぼそっと口を突いた言葉に、彼の切羽詰まった様子が伝わってくるようで、僕はそれ以上深く聞くことができなかった。
 重い空気が流れる中、僕は話を変えたくて言い訳を探す。
「あ、あのっ……。拾ったって言ってた編みぐるみ、あれ僕のなんだ」
「そうなの? だったら早く言ってくれればいいのに。もしかして手作り?」
「わ、わかるの? 下手だったとか?」
 手作りとばれていたことに驚いて、誤魔化すことにまで頭が回らなかった。
「違う違う、逆っ! タグとかなかったから、もしかしてって思っただけ。これ、売り物レベルだろ。 編み目が均一で、めっちゃ綺麗だった!」
 思いもよらず褒められて、戸惑ってしまう。
 そんな僕の様子には気付いていないのか、千嵐君は少し興奮しているようだった。
「なぁ、俺にも一つ、作ってくれない?」
 その申し出に、僕はすっと身体が冷たくなる。
 そのまま指先が震えて、誤魔化すようにぎゅっと拳を作った。
「……誰かのために作る事は、もうしないって決めてるんだ」
「なんで? 勿体ないよ。せっかくこんなに上手いのに」
 堂々と、好きなものを好きと言える千嵐君を、羨ましいと思っていたのは事実だった。
 今ここで吹っ切らなければ、今までと同じように好きなことを隠し続けることになる怖さが、頭をかすめる。
 僕が黙っていると、急に千嵐君に手を取られた。
「えっ? なに?」
 僕の手のひらをじっと見て、彼の口元がふっと緩んだように見えて、僕は鼓動を早くする。
「この手は、職人の手だな。ほら、かぎ針を持つところにタコが出来てる。相当、編んできたんだろ?」
 仲間を見つけたような喜びを感じているのか、千嵐君が嬉しそうに僕の手を見つめていた。
 そんな千嵐君の表情を目の当たりにして、僕の中に湧き上がってくる温かな感情が、堪らず視界を滲ませた。
「……中学の時、文化祭で好きなものを持ち寄って、展示しようってことになったんだ。だから僕は、自分で作ったレース編みのコースターと編みぐるみを持っていったんだ」
 僕は、胸に抱えていたものを、ぽつりぽつりと吐き出し始める。
 あの時の教室のざわめきが、まだ耳の奥に張り付いていた。
 悪意のある言葉は、棘のように心に刺さって抜ける事はない。
「そしたら、男なのに編み物なんてやってるの気持ち悪いって……」
「なんだよそれっ! 男だとか女だとか、物づくりには関係ないだろっ!」
 すかさず千嵐君が声を荒げる。
 それは、自分の事のように受け止めてくれているような、激しい憤りだった。
 千嵐君ならこう言ってくれるだろうって、心の隅で感じていた。
 そう思った瞬間、自分の姑息な思考に気づいて顔が熱くなる。
「……違うんだ」
「違うって?」
「僕の他にも、編み物の作品を持ってきた女子がいたんだ」
「それとこれと、なんの関係がある? いいじゃん、誰が作ったって」
「そうなんだけど……。その子、多分編み物に初めて挑戦したんじゃないかな……。僕は一人遊びみたいに子供の頃から毛糸触ってたから……」
「ん? どういう事?」
 なんとなく、自分の口からいう事が憚られ、僕は言い淀んでしまった。
 脳裏に、当時の彼女たちの冷ややかな視線と悪意ある台詞が映し出される。
「……クオリティというか、僕が作ったものが良く見えてしまったみたいで……。その子、ショックを受けたのか泣いちゃって、展示しなかったんだ……」
 僕だって、誰かの目に触れるのなら、その当時の実力で最大限良いものを作りたかった。そうやって頑張って作ったのに、彼女の悲観的な感情で悪いものとされてしまった。
「そんなのしょうがなくない? 技術なんて人それぞれだし、向き不向きだってある。好きで続ければ、そのうち技術だって向上するわけだしさ」
「でも……、その子は傷ついたんだ」
「それで辞めちゃったんなら、それまででしょ。それで悔しいって思って練習しない辺り、一過性の趣味だったんじゃない?」
 千嵐君のその言葉に、少しだけ気持ちが軽くなる。
 でも、まだ全てを話したわけじゃない。
 心の奥底の罪悪感が、喉を詰まらせる。
 あの日見せられた警告文が、鼓動を早くさせた。
 ──あれはもっと最悪だ。
 そう思うと、僕はこれ以上の罪を口にすることができなかった。
 すると、千嵐君が何かつぶやいたような気配がした。
「やっぱり、モデルは尚にやってもらいたい……」
 何を言ったのか聞き取れず聞き返そうとしたけど、千嵐君の伺うような上目使いに心臓が跳ねて、言葉を飲み込んでしまった。
「なぁ、俺に編み物教えてくれない?」
「え?」
「男とか女とか、そんなこと関係ない。ほどけば何度でも形を変えられる、羽化するような服を作りたい」
 真剣な千嵐君の表情に目を奪われ、胸の中に小さな火が灯る。
 被服科でただ一人の男子生徒。
 きっと彼は、自分に向けられた悪意ある言葉や視線も力に変えて、好きなことは好きだと、自分を偽らずに生きてきたのだろう。
 その強さに、僕はトンネルの中の光を連想させた。
「尚が『着たい』って思える服をデザインしてみせる。モデルをやるかどうかは、それを見て決めてもらって構わない。だから、少しだけ俺に付き合ってくれないか」
 モデルをやりたくないと思うのは本心だった。
 それでも、やって欲しいと懇願される心地よさもあった。
 自分が何か特別なものになったような気がして、心の底から嫌だと思っていないことに、戸惑いを隠せない。逃げたいのに、逃げたくない気持ちが同じくらい強かった。
 こんなに真剣に『僕』を必要とされる状況に、指がピクリと動く。
「……編み物を教えるだけなら、いいよ。でも、モデルやる気はないから。それだけは忘れないで」
「うん! ありがとう!」
 キラキラと希望を携えた瞳に、良心がズキッと痛む。
 向日葵が咲くような笑顔が眩しくて、一瞬だけ、自分も同じ向日葵だと勘違いしてしまいそうになった。

 千嵐君と別れて教室に戻ると、クラスメイトの声がさっきより近く感じた。
 僕はまだふわふわした足取りのまま自分の席に戻り、熱で揺らぐグラウンドをぼんやりと眺め、僕は意識を遠くに飛ばす。
 腕には、まだ奏斗に掴まれた熱が残っていた。