羽化する背中に、消えない光を編んでいく

 控室に戻った僕は、糸の切れた操り人形のように、椅子に深く沈み込んでいた。
 指先一つ動かす気力が湧かない。
 頭の中は、真っ白な霧が立ち込めたようだった。
 大賞の発表で、奏斗の名前が呼ばれることはなかった。
 規約違反ではなかったものの、既製品を用いたリメイクという手法が「基礎工程からの逃げ」と見なされ、減点対象になったのだという。

『手編みの造形には、既製品の概念を覆すほどの圧倒的な熱量があった。だが、既製品を選んだ時点で、それはアレンジの域を出ない。デザイナーを志すなら、その熱量を支えるための「骨組み」から逃げてはいけない』

 審査員から告げられた言葉が、呪詛のように耳にこびりついて離れない。
 時間が足りない中での、あれは最善の選択だったはずだ。
 けれど、「もし初めからこのデザインで、一から作ることができていたら」という仮定が、鋭いナイフとなって胸を突き刺す。
 観客投票による「観客賞」を断トツの数で獲得したことさえ、今の僕には空虚な慰めにしか聞こえなかった。
 涙すら出ないのは、泣いてしまえばこの残酷な現実を「確定」させてしまうと、心が拒絶しているからだろうか。
 周囲の喧騒が遠のいていく。
 他の出場者たちが片付けを終え、華やかな文化祭の続きへと戻っていく中、僕だけが色を失った世界に取り残されていた。
「尚、そろそろ着替えようか」
 奏斗の声が降ってきた。
 けれど、僕は返事どころか、彼の顔を見ることさえできなかった。
「ほら、尚もクラス戻らなくていいの? みんな頑張ってるんじゃない?」
 何事もなかったように、片付けを進める奏斗が信じられなかった。
 賞を取れなかったこと、奏斗の将来が決まってしまった事への落胆が、僕だけの感情なのかと思うと憤りを隠せない。
「……なんで、そんなに平然としてられるの? 悔しくないの?! 僕は……、僕は悔しくて死にそうなのにっ!」
 僕は思わず声を荒げて、自分の感情を爆発させてしまった。
「悔しいに決まってるだろっ! でも、この結果を嘆いていたって、何も変わらないじゃないかっ!!」
 机を叩いた音と初めて荒げた奏斗の残響が、埃の舞う控室に虚しく消えていった。
 奏斗は、諦めてはいない。
 あぁ、僕はいつもそうだ。
 与えられた現状に嘆くだけで、打開策を考えようとしない。
「……ごめん」
 奏斗は大きく深呼吸して、気持ちを落ち着けているようだった。
 そんな奏斗に申し訳なくなってしまって、僕は再び視線を床に落とす。
 重い沈黙が、辺りに落ちる。
 僕はもう、何も言えない。
 項垂れるように椅子に腰かけ、大きく息を吐きだした。
 
「……尚、顔を上げて」
 気付けば、奏斗が僕の目の前に立っていた。
 その低く、けれど拒絶を許さない声に弾かれるように顔を上げた。
 彼は僕の肩を掴み、その指先が震えている。
「お前が隣にいたから、俺はここまで来られた。この服は、俺一人じゃ絶対に作れなかった」
 奏斗の瞳に、消えることのない情熱の火が灯っていた。
「俺が一番悔しいのは、賞を逃したことだけじゃない。今まで誰にも見せなかった、俺が見つけた最高の技術を、最高の結果で証明してやれなかったことだ」
 僕の胸の奥で、何かが音を立てて弾ける。
 一度溢れ出した感情は、もう止めようがなかった。視界が滲み、奏斗の姿が歪んで見える。
「ごめん、奏斗……。やっぱり僕、悔しいよっ……!」
 そう言葉にした瞬間、今まで堪えていたものが一気に押し寄せて、涙となって流れていく。
「奏斗がどれだけ……どれだけこの服に、命を削って向き合ってきたか知ってるから……。あんな、あんな中途半端な結果で終わらせていいはずがないのにっ……!」
 自分の指先を見つめる。
 レースを編み上げ、布を繋ぎ、必死に奏斗の背中を追いかけた日々。その全てが、審査員の冷徹な一言で否定されたような気がした。
 賞が欲しかったんじゃない。
 ただ、奏斗の描いた世界が「正解」だと、世界に証明したかった。
 膝に置いた拳を握りしめると、爪が手のひらに食い込んで痛い。けれど、その痛みさえ、胸を引き裂くようなこの情熱には到底及ばなかった。
 泣きじゃくる僕の喉の奥から、言葉にならない嗚咽が漏れる。
「……悔しいよ、奏斗……。次は……次は絶対に、誰にも文句なんて言わせない……っ。一から、骨組みから、僕が全部……奏斗の隣で編み上げてやるんだから……!」
 恐怖も、トラウマも、もうどうでもいい。
 この人が僕を必要としてくれるなら、この人が前を向くなら、僕はその影に隠れるのをやめる。
「奏斗が信じてくれたから、僕は僕になれた。……君の進む道がどんなに険しくても、僕は一番近くで、君を支える糸になる」
 溢れ出す感情に、視界が滲む。
 奏斗は何も言わず、ただ僕を優しく、壊れ物を扱うような手つきで抱きしめた。
 腕の中から伝わる体温が、心地いい。

 僕たちはまだ、大人になる途中の、不完全なさなぎだ。
 羽化の痛みは続くかもしれない。広い世界へ羽ばたく翼は、まだ弱く、震えているかもしれない。
 けれど、二人でこの痛みを分かち合えるなら。
 編み上げられた絆があるなら。
 どんな未来も、恐れるに足らない気がした。

 すると、控室のドアがガラッと開いた。
「ほらっ、おじさん! 往生際が悪いよっ!」
「……麻耶さん?」
 部屋の入り口で、押し問答をしている麻耶さんが見えた。
 誰かを連れてきているみたいだけど、その誰かが僕からは見えなかった。
「親父……?」
 驚いた表情の奏斗がそう口にして、僕はもう一度入口の方を見た。
 麻耶さんに腕を引かれ、奏斗の父親が控室に入ってくる。
「お、おう……。お疲れ……」
「あぁ……」
 罰の悪そうな二人はぎこちなく、向かい合って立っている。
 どちらからとも会話が出てこなくて、麻耶さんがしびれを切らしているのが分かった。
「おじさん! 奏斗に言うこと、もっとあるでしょ?」
「あ、あぁ。奏斗、結果はまぁ、あれだったけど……、良かったと思うぞ」
「もう、おじさん言葉足りなさすぎ! 奏斗の作品に感動してたでしょ! 奏斗の作品に投票したんでしょ! 涙目になってたの、気付いてるんだからねっ!」
「い、いや……。まぁ、そうだな……」
 言い淀む奏斗のお父さんに、麻耶さんが肘打ちをしている。
 麻耶さんに連れて来られたとはいえ、こうやって見に来てくれるという事は、奏斗の進学を頑なに反対している訳じゃないのかもしれない。
 そう思ったら、僕が口を出すことじゃないってわかっているけど、湧き上がる感情を抑えられなかった。
「お願いです、奏斗の進学を認めてくださいっ!」
 その場の空気は、水面に石を投げ入れたような波紋が広がって、再び静寂が訪れる。
「そ、それはだな……」
 困ったように、奏斗のお父さんは頭をかいていた。
 はっきり否定されないことに、僕はまだ希望が持てるんじゃないかと追い打ちをかける。
「いきなり、不躾にすみません。でも……、奏斗の頑張りや真剣さを、しっかり見てください!」
 僕の勢いは、奏斗のお父さんに後ずさりまでさせていた。
 いや、僕だって必死だった。
「既製品を使ったリメイクにしなきゃいけなかったのは、僕が直前で作品を破いてしまったからなんです。減点は僕のせいで……」
「尚のせいじゃないっ! 俺が初めからこのデザインに決めていればよかっただけだ。尚のレース編みは、素材の選定から全部完ぺきだった。布をレース編みでつなぐのも、最後のギミックだって、尚のアイデアじゃないか。俺はあれに助けられたんだ!」
 奏斗が僕の事を庇ってくれるのは嬉しい。
 でも、今はそんなこと細かいこと気にしている場合じゃない。
 奏斗の進学を、何とか承諾してもらわなきゃいけないんだ。
「お取込み中、失礼するよ」
 そう言って、一人の男性が控室に入ってきた。
 僕たちはそれが誰だかわからず、反応することが出来なかった。
「君が千嵐君かな」
「あ、はい。俺ですけど……」
「コンテスト、残念だったね。既製品にしたのは、何か意味があったのかい?」
「いえ……、単に製作期間がなかっただけです」
「そうか。既製品にしたことになにか意図があったら、また結果は変わっていたかもしれなね。実に惜しかった」
「……あ、あの、あなたは?」
 奏斗が戸惑いながら尋ねると、何故か奏斗のお父さんが「あ!」と声を上げた。
「もしかして越智……、か?」
 越智と呼ばれたその男性は、驚きに目を見開く奏斗のお父さんを見て、ニヤリと不敵に笑った。
「なんだ、やっぱりお前か。珍しい苗字だったから、まさかなとは思っていたけど……。何年ぶりだ? まさかこんなところで会うとはね」
 奏斗とお父さん、そして僕と麻耶さんは、状況が飲み込めずにただ立ち尽くす。
 越智さんは、お父さんの呆然とした顔を一瞥すると、手元の審査員用パンフレットを丸めて奏斗に向けた。
「今日は君たちの審査をさせてもらった。この学校のOBで、君のお父さんとは同級生だったんだ。懐かしいなぁ。あの頃、千嵐はミュージシャンになるって意気込んでたんだけど、今じゃ立派に父親やってるんだな」
「……親父が、ミュージシャン……?」
 奏斗の震える声に、お父さんはバツが悪そうに視線を逸らした。
「ん? なんだ話した事なかったのか?」
「……夢なんて見たって、叶えられるのはほんの一握りだ。そんな過去のこと、話したって意味がないだろう……」
 奏斗のお父さんの言葉に、越智さんは何か感づいたようだった。
 奏斗の前に進み出て、そっと耳打ちする。
「進路のことでなにかあったら、相談に乗るから。あと、観客賞でも学校側が認めてくれれば特待生の候補にもなれるよ。もう一度、先生と相談してごらん」
 そう言って、奏斗に名刺を渡しているのが見えた。
 越智さんはそのまま「チャオ!」と軽やかに帰っていき、呆気に取られた僕たちは、しばらくぽかんと彼が出て行った扉を眺めてしまった。
「もうっ! 話がまとまらないじゃない!」
 口火を切ったのは麻耶さんだった。
「おじさん! もう一度、奏斗と話し合うって、ここで約束して!」
「あ、あぁ……。分かったよ。確かに、俺が無謀に抱いた夢より、奏斗の努力と才能には可能性があるかもしれない……。でもな、不確定な未来を想像するのが楽しいのは、今だけだ。それだけは忘れるなよ」
 そう言って、奏斗のお父さんと麻耶さんは控室を後にした。
 部屋を出る直前、麻耶さんは一枚のメモを渡してきた。
「これ、美咲から聞いてきた。私も、あの子にちゃんと釘刺しておいたから、もう同じことはしないと思う。反省してたからね」
 メモには、例のサイトのURLとアカウント情報が書いてあった。
 少しだけ怖さが蘇ったけど、今は隣にいる奏斗の存在が、僕の背中を支えてくれる。