翌日は朝早く学校に行った。真野の机にノートと「ありがと」の付箋つき折りたたみ傘を突っ込み、残ってしまった宿題を朝会までに解く。
また隣の席の子が話しかけてくれた。真面目だなと言われたけれど、そうじゃない。ただ問題を解くのが遅くて、夜だけじゃ間に合わなかっただけ。でも、また普通に会話ができて、オレの高校生活に新たなファイルが保存される。
日記はやっぱり翌日返ってきた。ぷっくりしたニシキアナゴからセリフの吹き出しが出ていて、その中に「天気、曇り」と書いてある。天気予報士ニシキアナゴ。
『忙しかったら翌日に返さなくてもいい。宿題優先』
書き出しはそんな言葉で始まっていた。真野は怒っていなかった。ほっとして先を進める。
『現代文の「作者の気持ちを答えなさい」が苦手。作者に直接聞け』
真野、それは自分の考えを書いちゃダメなやつ。出題者の考える作者の気持ちを答えなきゃいけないって、通信でやってた塾の先生が言ってた。
『俺、理系寄り。将来なにになりたいかは不明。シール会社に入れたら入りたい』
真野なら本当にシールを作りそうだ。オレもシャーペンを手にする。
『今日の小テスト、11点。朝勉強したけどまだまだダメ。交換日記を渡す日は朝勉強しようと決めた』
シャーぺンを止めて考える。
『英語が苦手だと文系か理系か分からない。将来のこと、あんまり考えたことなかった。高校に来るのが精一杯だったから』
オレは高校は頑張ってみたい。とりあえずゴールデンウィークまで休まず通えたらいいと思ってる。
そこまで考えて気づいた。まるで息をするように学校に行けている。多分、楽しみがあるから。真野との約束とか、交換日記とか。
中学の三年間、朝が来るたびに布団の中で理由を探していた。学校に行く理由、外に出る理由。見つからなくて、そのまま一日が終わった。それが今は、起きたら交換日記のことを考えている。
――続くって感じがする。
その言葉を何回か頭で繰り返す。
高校生活、続く感じがする。もしかしたらオレ、高校はちゃんと続けて通えるのかもしれない。高校では勉強も人間関係もやり直せるのかもしれない。今のオレならできる気がする。
明るい気持ちになって、今日はお気に入りの犬のシールを貼った。
翌日は土曜日で学校がなかった。自分が書いた部分を見直し、漢字が下手なところを書き直す。一週間書きためたページを見返すと、顔がにやにやしてしまう。交換日記、めちゃくちゃ楽しい。
月曜日にノートを真野の引き出しに突っ込む。真野のことだから絶対に一日で返ってくる。でも、たった一日なのに、その間だけ学校の時間が長い。
火曜日は早く返事が読みたくて、放課後こっそり階段をのぼって屋上前に行った。ぺらっとめくるといつもどおり字がぎっしりだ。
小テストの結果にドンマイと書かれてあり、夕飯になにを食べたかという質問がある。
『俺、土日は久しぶりに親の作った料理を食べた。リリットの餌を買った。猫は同じ餌を毎日食べる。よく飽きないなと思う』
真野の家、すごく静かそう。犬と違って猫ってそんなに大きな声で鳴かないだろうし、真野はひとりでシールを作っているのかもしれない。
その場でシャーペンを取り出し、返事を書く。夕飯は簡単に書くだけにして、好きなマンガについて詳しく書いた。真野はマンガの貸し借りも約束してくれたし、重なっているマンガがあったらそれで盛り上がれる。
すぐに一ページ全部埋めて、そっと教室に戻った。誰もいない教室。掃除が終わり、どこからか部活の音が響いてくる。真野の机にノートを押し込み、鼻歌を歌って帰る。真野、明日びっくりするかな。
翌朝、真野が登校するのをまだかまだかと待ち構えていたが、真野は女子と一緒に教室に入ってきた。
「真野はよー」
「なんだよ、カップルで登校か?」
女子が「やめてよー」なんて言いながら、「ね?」と真野を見上げる。
もやっとした。
……いや、別にいいんだけど。真野がいろんな子と話すのは知ってるし、それが真野だし。オレには関係ない。でも、この流れは真野がいろんな子に囲まれて話が盛り上がる流れだ。交換日記には気づいてくれないかもしれない。
なんでだろう。交換日記を真野の机に入れてからずっと真野のことだけを考えていたのに、真野は別の子と普通に登校する。当たり前のことなのに、なんかちょっと悔しい。いや、なんで悔しいんだ、オレ。
真野は「ああ」とか適当な返事をしてマイペースに自分の席に着いた。さすがゴーイングマイウェイ。一軍男子はそれが許される。
真野は机にノートなどを入れようとして、一瞬驚いたように机の中を見た。こっちを見てくるのが分かって、自分は一時間目のノートを開く。
やった、驚かせられた。真野め、交換日記は待ち遠しいんだぞ。
翌日の返事は「びっくりした」が最初の文だった。にんまりする。
オレ、作戦成功。これは勝利のフォルダに入れるべき案件。
でも、書いてある内容はちょっと返事がしにくかった。昔の話だ。軽く中学校の話にも触れてある。ため息をつき、ぼかして書く。
『中学はあんまり好きじゃなかった。美術部だった。ちゃんと活動してなかった』
そういや、オレ、中二と中三は何部に入ったことになってるんだろう。成績表は多分捨てた。何組だったかも覚えてない。
『シール集めもやめてた。また始めて楽しいって思い出した←次いつ放課後にシール巡りする? ←その前にテストになるかも』
その日はシールをたくさん貼って行数を埋めた。
でも、シールが増えると明るい気持ちになるし、ノートが膨らんで厚みが出てくる。シール帳もノートもパンパンくらいがテンションがあがる。真野の気持ち、ちょっと分かる。
次に返事が返ってきたときは驚いた。つやつやの水色の雨粒と傘のシール。一シートまるごとマスキングテープで留められていた。
『昨日の放課後に発見。二枚あったから一枚やる』
マスキングテープはパンダの絵柄で、それもかわいかった。オレが尋ねると思ったのか、『マステは百均で購入』と先回りして書いてある。
お返ししないと。
その日の夜、百均で材料を買ってきてシールを作った。猫の肉球、色を三種類。透明な袋に入れてマスキングテープで留める。
『下手でごめん。でも猫派の真野に渡したくて』
もう一行書いて、消した。言い訳がましいのはなんか嫌だ。
『明日のホームルームは席替え。楽しみにしてる』
パタンとノートを閉じると、作ったシールを貼りつけたページが浮く。横から見てみると、ぷっくり具合が分かる。
多分、真野が喜ぶくらいは厚めに作れているはず。ふふっと笑ってノートを鞄にしまう。
真野にもらったシールのお返しに、自分でシールを作る。そんなことをオレがするなんて、一ヶ月前には想像もしなかった。誰かを喜ばせたくてなにかを作るなんて、ずっとやってこなかったことだ。真野と話すようになって、オレの中でやりたいことが増えている。
翌日はいつもより早く目が覚めた。一時間目のホームルームにどきどきしたというのもある。やっと一番前の席から解放される。そんな思いで教卓のくじを引く。
――19番。教卓の真ん前。結局一番前。
マジか、またかよ。ため息をつきながら移動する。するとオレの席の後ろに真野が座っていた。ぎくっとして足が止まる。
「何番だった?」
足を止めたオレに真野が平然と話しかけてくる。一気にオレに視線が集まった。首をすくめて教卓の前の席を差す。
「……ここ。19番」
「また一番前なんだ。ラッキー? アンラッキー?」
「……両方。黒板は見やすいから」
すると真野の後ろの子がひょいと真野の後ろから顔を覗かせた。
「いいなあ。俺、真野が前にいるから見にくい」
すると教室がどっと沸き返った。教室がわいわいと明るくなって、ほっとして椅子に腰かける。
だが、背中に視線がぐさぐさ刺さる。一番前の席が失敗なんじゃない。真野の前の席が失敗だ。授業に集中できない。
配られたプリントを回すと、必ず真野に渡すことになる。そのたびに目がちらっと合って、すぐさま前に向き直る。
五時間目、日本史でうつらうつらする。すると後ろからノートでドスッと背中をやられて目が覚めた。
やばい、これ、四六時中観察される席じゃん。
そのあとは緊張して終礼までを過ごした。終礼で「さようなら」を言ってぐったりする。明日から登校したくないとかじゃない。そういう気持ちとは違う。だけど、なんかいろいろやりづらい。
チカチカ。スマホがメッセージを受信している。相手はもう分かってる。どこで待ち合わせかも分かる。そそくさと帰り支度をすると、ため息をついて屋上への階段をあがった。
「よ」
真野は先に来ていて、もうそこに座っていた。その顔がにやにやしていてちょっとムカつく。
「席替え、最悪」
座るオレの言葉に真野がむっとした顔になった。
「なんでだよ。席が近いのいいだろ」
「どこがだよ。出席番号順に戻りたい」
「ノートを渡すの楽だろ」
「机に入れればいいからどこでも同じ」
すると真野が鞄からノートを取り出して笑顔になった。
「シール、ひとりで作ったんだ? サンキュ。すげえ嬉しい!」
話題がシールに移った。喜んでくれたみたいだ。よかった。安堵に胸を撫で下ろす。
「こっちこそシールありがと。雨粒、かわいい。梅雨が来るって感じ」
「ピンクがかったのと水色がかったのがあったから、ちょうどいいやって買っちまった」
「真野、シールに遭遇する率、高いよな」
「あちこち行ってるから。どこの文房具屋にシール置き場があるかメモしてるし」
真野がスマホのメモアプリを見せてきた。ずらっと場所が書かれたリスト。
「中学からずっと書き留めてきたぜ」
「すごいな。どんなSNS情報より確かな情報じゃん」
「最近は前は売ってなかった店も入荷してるから、回るのが大変。でも新しいのに出会えると嬉しくて疲れが飛ぶ」
「オレ、たくさんあると一気に買いたくなる。次いつ来られるか分かんないって思っちゃう」
「それは俺も同じ。でも、一気に買ったら次の楽しみがなくなるんだよな」
「そっか。ちょっとずつ集めるから長く楽しめるのかも」
すると真野が「あー」と頭を抱えた。
「やべえ、席もそれと同じか。ちょっとずつ近くなっていくのがいいんだよ。いきなり前後の席はやっぱり失敗かも」
いや、オレは一軍男子の側には近寄りたくない。真野も、いつもしゃべってる男子たちが席が近いほうがいいに決まってるのに。
「席替えって一ヶ月ごとなんだろ。オレは一ヶ月我慢する。それに、ゴールデンウィークがあるから五月は短いし」
「我慢ってなんだよ。失礼だな」
「オレは注目されたくない。真野の側にいると目立つじゃん」
すると真野がじっとこちらを見た。その目が真剣で、言い過ぎたかなと背中がひやっとする。だが、真野はまっすぐな口調で言った。
「日向は周りの目を気にしすぎ。日向、悪口言われるタイプじゃねえだろ」
……真野は、なんでオレに恥ずかしげもなくシールを好きなんて言えるんだろう。屈託なく好きなことを好きって言えるのが眩しい。真野はオレにない勇気を持っている。
「人の心なんて分かんないじゃん。なにがきっかけで印象が変わるか分かんないし」
「いいふうに変わることだってあるだろ」
「そんな要素、オレにはないよ。ただ平和に過ごしたい」
「……平和に過ごしたって、楽しくなきゃ意味ねえだろ」
真野の呟きが妙に胸に引っかかった。
遠くから聞こえるボールの音とかけ声。放課後はみんな楽しいことをやっている。それはオレも同じ。
「……楽しくないとは言ってない。シール交換も、交換日記も、楽しくやってるし」
「じゃ、シール交換しようぜ。雨のシール、ちょっと水色もほしい」
真野がとりなすようにシール帳を出してきて、少し雰囲気が和らいだ。オレも出して雨粒を貼ったページを広げる。
「あ、ピンクもかわいい」
「雨って水色のイメージが強いけど、ピンクもいいだろ。一目惚れした。あとてるてる坊主がよかった」
「そう言えば、真野の長い傘、ピンクじゃなかった。好きな色を持ってるのかと思った」
「あれは父親のお下がり。紺色とか、渋すぎて本当は嫌」
そこからは軽やかに会話が転がって、気づけば四時半を過ぎていた。バイバイして家に帰る。家には保存用のシール帳がある。真野からもらったシールを集めたページを出した。今日もらったピンクの雨粒のシールをそこへ貼り直す。
一瞬、手が止まった。
……シールが好きって、周りを気にせず言えたらいいのに。どうしてオレは真野みたいに堂々とできないんだろう。
俯くと、雨粒が涙の形みたいに見えた。
また隣の席の子が話しかけてくれた。真面目だなと言われたけれど、そうじゃない。ただ問題を解くのが遅くて、夜だけじゃ間に合わなかっただけ。でも、また普通に会話ができて、オレの高校生活に新たなファイルが保存される。
日記はやっぱり翌日返ってきた。ぷっくりしたニシキアナゴからセリフの吹き出しが出ていて、その中に「天気、曇り」と書いてある。天気予報士ニシキアナゴ。
『忙しかったら翌日に返さなくてもいい。宿題優先』
書き出しはそんな言葉で始まっていた。真野は怒っていなかった。ほっとして先を進める。
『現代文の「作者の気持ちを答えなさい」が苦手。作者に直接聞け』
真野、それは自分の考えを書いちゃダメなやつ。出題者の考える作者の気持ちを答えなきゃいけないって、通信でやってた塾の先生が言ってた。
『俺、理系寄り。将来なにになりたいかは不明。シール会社に入れたら入りたい』
真野なら本当にシールを作りそうだ。オレもシャーペンを手にする。
『今日の小テスト、11点。朝勉強したけどまだまだダメ。交換日記を渡す日は朝勉強しようと決めた』
シャーぺンを止めて考える。
『英語が苦手だと文系か理系か分からない。将来のこと、あんまり考えたことなかった。高校に来るのが精一杯だったから』
オレは高校は頑張ってみたい。とりあえずゴールデンウィークまで休まず通えたらいいと思ってる。
そこまで考えて気づいた。まるで息をするように学校に行けている。多分、楽しみがあるから。真野との約束とか、交換日記とか。
中学の三年間、朝が来るたびに布団の中で理由を探していた。学校に行く理由、外に出る理由。見つからなくて、そのまま一日が終わった。それが今は、起きたら交換日記のことを考えている。
――続くって感じがする。
その言葉を何回か頭で繰り返す。
高校生活、続く感じがする。もしかしたらオレ、高校はちゃんと続けて通えるのかもしれない。高校では勉強も人間関係もやり直せるのかもしれない。今のオレならできる気がする。
明るい気持ちになって、今日はお気に入りの犬のシールを貼った。
翌日は土曜日で学校がなかった。自分が書いた部分を見直し、漢字が下手なところを書き直す。一週間書きためたページを見返すと、顔がにやにやしてしまう。交換日記、めちゃくちゃ楽しい。
月曜日にノートを真野の引き出しに突っ込む。真野のことだから絶対に一日で返ってくる。でも、たった一日なのに、その間だけ学校の時間が長い。
火曜日は早く返事が読みたくて、放課後こっそり階段をのぼって屋上前に行った。ぺらっとめくるといつもどおり字がぎっしりだ。
小テストの結果にドンマイと書かれてあり、夕飯になにを食べたかという質問がある。
『俺、土日は久しぶりに親の作った料理を食べた。リリットの餌を買った。猫は同じ餌を毎日食べる。よく飽きないなと思う』
真野の家、すごく静かそう。犬と違って猫ってそんなに大きな声で鳴かないだろうし、真野はひとりでシールを作っているのかもしれない。
その場でシャーペンを取り出し、返事を書く。夕飯は簡単に書くだけにして、好きなマンガについて詳しく書いた。真野はマンガの貸し借りも約束してくれたし、重なっているマンガがあったらそれで盛り上がれる。
すぐに一ページ全部埋めて、そっと教室に戻った。誰もいない教室。掃除が終わり、どこからか部活の音が響いてくる。真野の机にノートを押し込み、鼻歌を歌って帰る。真野、明日びっくりするかな。
翌朝、真野が登校するのをまだかまだかと待ち構えていたが、真野は女子と一緒に教室に入ってきた。
「真野はよー」
「なんだよ、カップルで登校か?」
女子が「やめてよー」なんて言いながら、「ね?」と真野を見上げる。
もやっとした。
……いや、別にいいんだけど。真野がいろんな子と話すのは知ってるし、それが真野だし。オレには関係ない。でも、この流れは真野がいろんな子に囲まれて話が盛り上がる流れだ。交換日記には気づいてくれないかもしれない。
なんでだろう。交換日記を真野の机に入れてからずっと真野のことだけを考えていたのに、真野は別の子と普通に登校する。当たり前のことなのに、なんかちょっと悔しい。いや、なんで悔しいんだ、オレ。
真野は「ああ」とか適当な返事をしてマイペースに自分の席に着いた。さすがゴーイングマイウェイ。一軍男子はそれが許される。
真野は机にノートなどを入れようとして、一瞬驚いたように机の中を見た。こっちを見てくるのが分かって、自分は一時間目のノートを開く。
やった、驚かせられた。真野め、交換日記は待ち遠しいんだぞ。
翌日の返事は「びっくりした」が最初の文だった。にんまりする。
オレ、作戦成功。これは勝利のフォルダに入れるべき案件。
でも、書いてある内容はちょっと返事がしにくかった。昔の話だ。軽く中学校の話にも触れてある。ため息をつき、ぼかして書く。
『中学はあんまり好きじゃなかった。美術部だった。ちゃんと活動してなかった』
そういや、オレ、中二と中三は何部に入ったことになってるんだろう。成績表は多分捨てた。何組だったかも覚えてない。
『シール集めもやめてた。また始めて楽しいって思い出した←次いつ放課後にシール巡りする? ←その前にテストになるかも』
その日はシールをたくさん貼って行数を埋めた。
でも、シールが増えると明るい気持ちになるし、ノートが膨らんで厚みが出てくる。シール帳もノートもパンパンくらいがテンションがあがる。真野の気持ち、ちょっと分かる。
次に返事が返ってきたときは驚いた。つやつやの水色の雨粒と傘のシール。一シートまるごとマスキングテープで留められていた。
『昨日の放課後に発見。二枚あったから一枚やる』
マスキングテープはパンダの絵柄で、それもかわいかった。オレが尋ねると思ったのか、『マステは百均で購入』と先回りして書いてある。
お返ししないと。
その日の夜、百均で材料を買ってきてシールを作った。猫の肉球、色を三種類。透明な袋に入れてマスキングテープで留める。
『下手でごめん。でも猫派の真野に渡したくて』
もう一行書いて、消した。言い訳がましいのはなんか嫌だ。
『明日のホームルームは席替え。楽しみにしてる』
パタンとノートを閉じると、作ったシールを貼りつけたページが浮く。横から見てみると、ぷっくり具合が分かる。
多分、真野が喜ぶくらいは厚めに作れているはず。ふふっと笑ってノートを鞄にしまう。
真野にもらったシールのお返しに、自分でシールを作る。そんなことをオレがするなんて、一ヶ月前には想像もしなかった。誰かを喜ばせたくてなにかを作るなんて、ずっとやってこなかったことだ。真野と話すようになって、オレの中でやりたいことが増えている。
翌日はいつもより早く目が覚めた。一時間目のホームルームにどきどきしたというのもある。やっと一番前の席から解放される。そんな思いで教卓のくじを引く。
――19番。教卓の真ん前。結局一番前。
マジか、またかよ。ため息をつきながら移動する。するとオレの席の後ろに真野が座っていた。ぎくっとして足が止まる。
「何番だった?」
足を止めたオレに真野が平然と話しかけてくる。一気にオレに視線が集まった。首をすくめて教卓の前の席を差す。
「……ここ。19番」
「また一番前なんだ。ラッキー? アンラッキー?」
「……両方。黒板は見やすいから」
すると真野の後ろの子がひょいと真野の後ろから顔を覗かせた。
「いいなあ。俺、真野が前にいるから見にくい」
すると教室がどっと沸き返った。教室がわいわいと明るくなって、ほっとして椅子に腰かける。
だが、背中に視線がぐさぐさ刺さる。一番前の席が失敗なんじゃない。真野の前の席が失敗だ。授業に集中できない。
配られたプリントを回すと、必ず真野に渡すことになる。そのたびに目がちらっと合って、すぐさま前に向き直る。
五時間目、日本史でうつらうつらする。すると後ろからノートでドスッと背中をやられて目が覚めた。
やばい、これ、四六時中観察される席じゃん。
そのあとは緊張して終礼までを過ごした。終礼で「さようなら」を言ってぐったりする。明日から登校したくないとかじゃない。そういう気持ちとは違う。だけど、なんかいろいろやりづらい。
チカチカ。スマホがメッセージを受信している。相手はもう分かってる。どこで待ち合わせかも分かる。そそくさと帰り支度をすると、ため息をついて屋上への階段をあがった。
「よ」
真野は先に来ていて、もうそこに座っていた。その顔がにやにやしていてちょっとムカつく。
「席替え、最悪」
座るオレの言葉に真野がむっとした顔になった。
「なんでだよ。席が近いのいいだろ」
「どこがだよ。出席番号順に戻りたい」
「ノートを渡すの楽だろ」
「机に入れればいいからどこでも同じ」
すると真野が鞄からノートを取り出して笑顔になった。
「シール、ひとりで作ったんだ? サンキュ。すげえ嬉しい!」
話題がシールに移った。喜んでくれたみたいだ。よかった。安堵に胸を撫で下ろす。
「こっちこそシールありがと。雨粒、かわいい。梅雨が来るって感じ」
「ピンクがかったのと水色がかったのがあったから、ちょうどいいやって買っちまった」
「真野、シールに遭遇する率、高いよな」
「あちこち行ってるから。どこの文房具屋にシール置き場があるかメモしてるし」
真野がスマホのメモアプリを見せてきた。ずらっと場所が書かれたリスト。
「中学からずっと書き留めてきたぜ」
「すごいな。どんなSNS情報より確かな情報じゃん」
「最近は前は売ってなかった店も入荷してるから、回るのが大変。でも新しいのに出会えると嬉しくて疲れが飛ぶ」
「オレ、たくさんあると一気に買いたくなる。次いつ来られるか分かんないって思っちゃう」
「それは俺も同じ。でも、一気に買ったら次の楽しみがなくなるんだよな」
「そっか。ちょっとずつ集めるから長く楽しめるのかも」
すると真野が「あー」と頭を抱えた。
「やべえ、席もそれと同じか。ちょっとずつ近くなっていくのがいいんだよ。いきなり前後の席はやっぱり失敗かも」
いや、オレは一軍男子の側には近寄りたくない。真野も、いつもしゃべってる男子たちが席が近いほうがいいに決まってるのに。
「席替えって一ヶ月ごとなんだろ。オレは一ヶ月我慢する。それに、ゴールデンウィークがあるから五月は短いし」
「我慢ってなんだよ。失礼だな」
「オレは注目されたくない。真野の側にいると目立つじゃん」
すると真野がじっとこちらを見た。その目が真剣で、言い過ぎたかなと背中がひやっとする。だが、真野はまっすぐな口調で言った。
「日向は周りの目を気にしすぎ。日向、悪口言われるタイプじゃねえだろ」
……真野は、なんでオレに恥ずかしげもなくシールを好きなんて言えるんだろう。屈託なく好きなことを好きって言えるのが眩しい。真野はオレにない勇気を持っている。
「人の心なんて分かんないじゃん。なにがきっかけで印象が変わるか分かんないし」
「いいふうに変わることだってあるだろ」
「そんな要素、オレにはないよ。ただ平和に過ごしたい」
「……平和に過ごしたって、楽しくなきゃ意味ねえだろ」
真野の呟きが妙に胸に引っかかった。
遠くから聞こえるボールの音とかけ声。放課後はみんな楽しいことをやっている。それはオレも同じ。
「……楽しくないとは言ってない。シール交換も、交換日記も、楽しくやってるし」
「じゃ、シール交換しようぜ。雨のシール、ちょっと水色もほしい」
真野がとりなすようにシール帳を出してきて、少し雰囲気が和らいだ。オレも出して雨粒を貼ったページを広げる。
「あ、ピンクもかわいい」
「雨って水色のイメージが強いけど、ピンクもいいだろ。一目惚れした。あとてるてる坊主がよかった」
「そう言えば、真野の長い傘、ピンクじゃなかった。好きな色を持ってるのかと思った」
「あれは父親のお下がり。紺色とか、渋すぎて本当は嫌」
そこからは軽やかに会話が転がって、気づけば四時半を過ぎていた。バイバイして家に帰る。家には保存用のシール帳がある。真野からもらったシールを集めたページを出した。今日もらったピンクの雨粒のシールをそこへ貼り直す。
一瞬、手が止まった。
……シールが好きって、周りを気にせず言えたらいいのに。どうしてオレは真野みたいに堂々とできないんだろう。
俯くと、雨粒が涙の形みたいに見えた。


