放課後のシール交換は、委員長とふたりだけのひみつ

 それからはテンションもあがってきてどんどん作っていった。真野はやっぱり上手い。でも、失敗しているのもある。真野も間違えるんだな。そう思うと体が楽になって、作るスピードが速くなる。
 固める時間を取って、次はレジンにチャレンジ。
「ゆっくり気泡が入らないようにシリコンカップに入れて……そうそう、上手い」
 先端で気泡を潰す。集中し始めると、真野もただオレに教えるだけになった。
 ふたりとも真剣。息を詰めてキャラものの型に流し込む。でも、全然居心地は悪くない。黙っていても楽しい。
 液体を入れては硬化を繰り返す。
「これ、固まったら表に色を塗るんだ」
 そう言って真野が出してきたのはマニキュアだった。
「マニキュア?」
「そう。これも光を当てると固まる」
 それを真野が真剣に棚から買っているところを想像した。
「……買うの、恥ずかしくない?」
「そうか? 誰も見てねえよ」
 堂々とした返しにすごいなと思う。
 シールを教室の床に落としたときに浴びせられた声が、まだ怖い。好きなものを好きって、真野の前でしか言えない。なのに真野は誰も見てねえよって笑う。その差がどこから来るのか、オレにはまだ分からない。
「できたー!」
「やったな!」
 最後の一個を固め終わると、ふたりでハイタッチする。マニキュアの刷毛で色を塗るのは難しかったけれど、途中から慣れた。緊張より楽しさが勝って、ふたりで歌を歌いながらやっていた。
 真野がわくわくしたようにできたシールをテーブルの中央に寄せる。窓はレースカーテンだけが閉められていて、やわらかな日差しがラメをキラキラさせる。シートの上に出した色とりどりのシールが丸く並んでいる。
 明らかに失敗したやつはゴミ箱に入った。それでも相当な数が残る。
「でも、本番はここから、だろ?」
 オレが言うと真野がにやりとする。
「もちろん。シールは貼るから楽しい」
「いざ、シール帳!」
「よっしゃ!」
 真野がシール帳を広げた。半透明なレフィルが何枚も重なっていて、ページごとにきれいに種類が分けられている。
 食べ物、海の生き物、キラキラ系、キャラもの。几帳面な真野らしい並び方だった。そこに、今日作ったシールを並べていく。
「どれ貼る?」
「あ、真野が作ったこれがほしい。すごく上手。売られてるやつみたい」
「日向のも味があるだろ。俺はまずは約束のこれ」
 真野は迷わず、オレが最初に作ったちょっといびつな水色のラメのシールを指さした。
「本当にそれでいいの? もっと上手くできたやつもあるよ?」
「これがいい」
「なんで」
「一番初めに作ったやつだから。保存用にする」
 さらっと言われて、ちょっと言葉に詰まる。真野は本当に嬉しそうに、そのシールをシートから剥がして、ページをめくった。そこで気づく。
「……真野、シリーズごとにページを分けてるのに、ここ、ごちゃ混ぜじゃん」
 タイルシール、夏のアイスとゼリー、今日作ったやつ。統一感のないページ。
 真野は少しだけ肩をすくめた。
「ごちゃ混ぜじゃねえよ」
「え?」
「ここは日向と分け合ったやつ。で、こっちのページが日向と交換したやつ」
 特別扱い、やめろ。シールはシールだぞ。
 でも、ちょっとだけ嬉しいのも事実で、なにも言えなくなる。
「俺、数集めるのも好きだけどさ」
 真野がレフィルの縁を指でなぞる。
「思い出がついてるやつのほうが、あとで見返したとき楽しいんだよな」
 そう言って、水族館で交換したイルカのシールを指でつるつると撫でた。
「これを見たら、あのとき混んでて肩がぶつかったのとか思い出すし」
「そんな細かいとこまで覚えてんの?」
「覚えてる」
 即答だった。
 このページ、全部覚えてるんだろうな。どこで手に入れたとか、どこで交換したとか、どんな日だったとか。なんと言うか、細かい真野らしい。
「だから今日のも、ここ」
 そう言って真野は、オレが作ったシールをそのページの真ん中に貼った。真野のシール帳の中に、オレの作ったシールが増えていく。
 ちょっと恥ずかしかったけど、気持ちは分かる。オレも真野からもらったやつは保存用として別のレフィルに貼っている。
 オレも自分のシール帳を開いて、新しいページに今日のシールを貼った。レジンで少し厚くなったシールが、ページを閉じると少しだけ膨らむ。ジーッとチャックを閉めると、中がもこっとした。
「すごい、一気にシールが増えた」
「な、自分で作るのもいいだろ?」
「うん。コレクションが増えるの、やっぱり楽しい」
 そう言うと、真野が嬉しそうに付け加えた。
「しかも、日向と作ったやつだしな」
 またそういうことを平気で言う。オレがどれだけその一言が嬉しいか、全然分かってない。オレが作った歪な水色のシール。きっとオレひとりで作ったらゴミとして捨ててしまったかもしれない。それが今、真野の保存用になろうとしている。オレが作った、最初の一個として。
 なんか、上手く言葉にできないけど、すごく嬉しい。
 ちょっと疲れたと言って、リビングに戻ってポテトチップスを食べた。するとキャットタワーからリリットが出てきて伸びをした。ためらいもなくオレの側へやって来て、当たり前のようにオレの膝の上にのる。
「リリット、あんまり人に懐かないのに」
「触って平気? 嫌じゃないかな?」
「嫌だったら逃げるって」
 そっと触ると、毛並みがやわらかで温かかった。太ももにリリットの体温が伝わってくる。生き物が家にいるという感覚を思い出す。
「リリット、オレのこと気に入ってくれた?」
「……多分、ポテチのにおいがするから」
「懐いたんじゃなくてポテチ目当てか!」
「リリット、食い意地はってる」
「こういうのって飼い主に似るんじゃない?」
「俺かよ」
 リリットはすぐに真野の膝の上に移動した。真野が優しく背中を撫でる。
 もしかしたら、真野が学校で人に囲まれているのは、家のがらんとした空気を忘れるためなのかもしれない。オレは逆だった。怖くて外に出られなくて、家の中だけが安全だった。でも、真野は外に出て人の声で埋めている。方向は違うけど、同じだと思った。
 リリットがキャットタワーに戻る。シール帳を出して、ふたりでしばらくシールを眺めた。
「今日、結構作ったな」
「だな」
「でもさ」
 真野がぽつりと言う。
「あとで見返してると、今日どれが一番よかったとか、また言いたくならね?」
「あー、分かる」
 もう今だって、帰ってからシール帳を開いて、今日のこと思い出すんだろうなと思う。
 そこでもう一度冷蔵を見た。「夕飯はこの中」のきれいな字。
「……オレ、書いてみようかな」
「えっ?」
「日記とか。そうすればそのときの気持ちもあとから思い出せるし」
 この気持ちはシールだけじゃ足りない気がした。すると真野も少し首を傾げて「俺もそうしようかな」と呟いた。そこでひらめく。
「真野さ……交換日記しない?」
「交換日記? 小学校の頃流行ってたやつ?」
 興奮で急に頭が回り始めた。真野と交換日記。絶対楽しい。
「そう! ふたりでシールのことも話せて一緒に思い出に残せるじゃん。普通のおしゃべりだってできるし」
 すると真野もぱっと顔を明るくさせた。
「やる! 普通のノートに書こうぜ。学校で手渡すのも不自然じゃなくなる!」
「ナイスアイディア! じゃあ今日帰り道にノート買ってくるから」
「俺、まだ新しいノート余ってる。俺から書いて渡す」
 真野は少しだけ考えてから、立ち上がって自分の部屋に戻った。戻ってきた手には、学校で使うような普通のノート。
「今俺が書いてもいい? 善は急げ」
「いいよ。書き終わるの待つし」
「恥ずかしいから部屋で書いてくる。日向にはマンガを貸す」
「ホント!? 読んで待ってる!」
 真野はそそくさと部屋に戻り、「これが今のオススメ」と少年マンガの一巻と二巻を持ってきた。読んだことのないやつだ。でも題名は知っている。中学のとき、外に出られるなら買いに行きたいと思ってたやつだ。
「ありがと! 帰りに続きも貸して」
「オッケー」
 真野が部屋にこもっている間、ソファでマンガを広げた。すぐに没頭する。オレ、新しいマンガを読むのも小学校ぶり。こんなふうにマンガの貸し借りをするなんて、もうオレと真野は完全に仲が良いと思う。嬉しい。高校でそんな人ができるなんて思ってなかった。
 真野は小一時間たってから戻ってきた。はいと渡された黄色のキャンパスノートをもらって顔を見合わせて笑う。
「交換日記なんてちょっと照れるな。でも、楽しいことが続くって感じがする」
 続く感じ。
 真野の言葉が、妙に頭に残った。シールも、今日作ったやつも、このノートも。全部、今日で終わりじゃなくて、続いていくもの。真野となら楽しいことが続く気がする。
 オレはノートの最初のページをもう一度見た。真野の字、筆で書いたみたいにきれいだ。
 改めての自己紹介はなんだかおかしかった。血液型とか、誕生日とか。でも、たしかに知らなかった情報だ。
「ありがと。続きを書いて学校で渡す」
 オレが言うと、真野が「待ってる」とぱっと明るい笑顔を咲かせた。
 交換日記だって、小学生の女子がやるようなこと。でも真野の嬉しそうな顔を見ると、思い切って言ってよかったと思う。
「今日来てくれてサンキュ」
 帰り、玄関で靴を履いていると真野がそう言って口端をあげた。
「久しぶりに家が明るくなった気がした」
「こちらこそお邪魔させてくれてありがと」
 帰り道は分かるのでそこでバイバイする。きれいな玄関ホールを抜けてから、一度振り返った。
 真野はいつも引っ張ってくる側だと思ってた。でも、引っ張ってるんじゃなくて、一緒にいてほしかっただけなんだ。オレでいいならふたりで楽しいことを続けたい。
 続く感じ、か。
 頭の中で反芻する。
 オレに続く感じがすることなんて、ずっとなかった。真野のおかげで、オレの毎日に続きができた。
 ふふっと笑う。散ってしまった桜の木の葉が優しく風に揺れていた。