放課後のシール交換は、委員長とふたりだけのひみつ


「お邪魔しまーす……」
 土曜日、オレはポテトチップスとジュース持参で真野の家に行った。でも、建物が見えてきたところでちょっと後悔。
 どう見てもお金持ちのマンション。ベランダは広く、もう散っていたけれどエントランス前には桜の木があった。
「適当に座って。今紅茶いれるから」
 通されたリビングもめちゃくちゃ広い。テレビCMに出てきそうなおしゃれな家具で統一されていて、床にあるのは丸いラグとルンバだけ。でも、窓辺にキャットタワーがあった。
「リリット、どこにいるの?」
 部屋着でもイケメンに見える真野は、「んー」と言いながらケトルを沸かした。
「多分、キャットタワーの一番下。隠れてねえ?」
「……あ、ホントだ。かわいい」
 リリットは顔の中央が焦げ茶のシャム猫だった。狭い部屋の中でちんまり座っている。オレが近づいてもちらっと見ただけで無視を決め込んだ。多分、ツンデレ。
 オレは広いソファの端っこに座った。紅茶のカップふたつを持ってきた真野が「なんでそんな端に座んの」と怪訝そうな顔をする。
 だって、オレ、場違いすぎる。友達の家に行くのも小学校ぶり。
「ごめん、たいしたものを持ってきてなくて……お菓子とジュース。よかったらあとで食べよ」
「おっ、コンソメ味! 分かってる! 俺、コンソメが一番好き」
「ならよかった」
 ちょっとだけほっとする。真野はオレの前にティーカップを置いた。……細い取っ手もおしゃれな形をしている。なに、このお金持ち感。真野の部屋に行くのが怖い。
 だが、家は妙に静かだった。どこからか空気清浄機の音がする。ただ、それだけ。人のいる気配がない。
「今日は家族はお休みじゃないの?」
「ああ、うち、父親は単身赴任だし、母親も忙しいから」
 真野はなんでもないふうに言った。
「母親は今日も仕事だし」
 イケメンの真野はこのきれいな部屋に馴染んでいる。でも、その横顔はどこか寂しそうで。妹が小さくていつもわいわいしているうちとは大違いだ。
 ふと銀色の冷蔵庫に目が行った。メモが貼ってある。「夕飯はこの中」。あっさりとした文章が黒いボールペンで書かれている。
「お母さん、今日も夜まで帰ってこないの?」
「泊まりがけの出張。帰ってくるのは月曜日。でも、いつものことだし」
 真野があっけらかんと言って「あのさ」と話題を変えようとした。だけどすぐに尋ねる。
「寂しくないの?」
「慣れた」
 また真野があっけらかんと言う。でも、なんか違う。慣れたから気にしてないって顔じゃない。だからそっと言った。
「慣れたっていうのと、寂しくないのは違うと思う」
 すると真野が少し驚いたように目を見開いた。それからふっと小さく笑う。
「日向ってそういうところに気がつく」
 そんな、特別なことじゃない。オレだってずっと家に閉じこもってるのには慣れたけど、朝になれば外を行く小学生たちの声が聞こえて羨ましかった。みんなができることを自分ができないと寂しい。それを誰とも分かち合えないともっと寂しい。
「……真野はシールのこと、親に言ってる? なにか言われない?」
 すると真野は無表情で紅茶を飲んだ。
「特に言ってないし、気づいてるかも分かんねえ。お小遣いもぽんって渡されて終わりだし」
「そ、そっか。オレ、また集め始めたってまだ親に言えなくて」
「理解を得るのが難しいよな、男子のシール集めって。きれいなものに男女なんて関係ねえのに」
 少し真野に表情が戻った。
 真野はきっと家でもいい子なんだと思う。だから、ひとりでも平気って思われているのかもしれない。
「日向は親に言ったら反対されそう?」
「どうだろう。うちの親、あんまり動じないから『そう』で終わるかも」
 でも、今朝友達の家に行くと言ったら驚いた親の表情を思い出した。思わずくすっと笑う。
「今日、友達の家に行くって言ったら驚いてた。オレ、友達とか多いほうじゃないから」
 すると真野が「そっか」となんだか嬉しそうに笑った。
「俺も高校に入ってから友達を呼んだのなんて初めて」
「意外。教室じゃいろんな子としゃべってるのに」
「俺は付き合いは広く浅くみてえなとこあるから。なにが好きなのかとか聞かれて適当にスポーツとか答えてる。本当は体育そんなに好きじゃない」
「それも意外。この間バスケで活躍してたじゃん」
「あれは身長で有利なだけ。バスケ部には勝てねえし、ただの物理の問題」
「オレに分けてよ、物理」
「日向は太陽に当たれ。それからよく寝ろ」
「身長を伸ばすのは地道な作業だよな」
 そこでははっと笑い声が揃った。身長も全然違うし、タイプも違う。でも、真野と一緒にいると笑うことが増える。中学生のときは知らなかった心地よさだ。
「じゃあシール作り、やるか!」
「真野先生、お願いします」
 真野の部屋に案内してもらう。案の定大きくてびっくりなきれいな部屋だった。でも、端にマンガが少し棚から出てる。少年マンガだ。
「あ、恥ずい」
 真野が焦ったようにマンガを棚に戻し始めた。
「ごめん、散らかってる」
「いや、それ、オレも好き。小学校の頃流行ったよな」
 すると照れていた真野がぱっと顔を明るくさせてこちらを見た。
「マジで! これ、四巻からの展開がすごく好きでさ。昨日読み始めたら止まらなくて。でも子供っぽいかなと思って人には言ってなくて」
「分かる。マンガってもろに趣味が出るし。本当は人と貸し借りとかしてみたいけど」
「じゃあ今度やろうぜ。オススメ、めっちゃある」
 次の約束が追加された。オレのスケジュール帳、最近アップデートが多すぎる。
 真野、案外普通の男子だ。こいつ、こんな面があるんだな。そう思うと急に親近感が湧いてくる。好きなものの前ではオレと同じ顔をする。
 部屋の中央にはどんと丸いローテーブルがあって、いろんなボトルや機械などが置いてある。そして真野が左側の座布団を「こっち座って」と指さした。
「日向君、危険だからビニール手袋をしたまえ」
「ははっ、ありがたき配慮に感謝いたしまする」
「日向、それ何時代?」
「真野が始めたんだろ」
 わちゃわちゃ言いながらテーブルの前に座り、ひととおり説明を受けた。レジンという液体を使うらしい。特殊な光を当てると固くなって、クリアな質感が出ると言う。
 動画を検索すればすぐ出てくるのに。真野は簡単に言ったけど、シールから離れていたオレはなにも知らない。好きなシールを手作りできるなんて、真野はやっぱりすごい。
「これが俺がこれまで作ったやつ」
「キャラものじゃん。どうやんの?」
「普通のシールを買ってきて中に閉じ込めた」
「じゃあこっちは?」
「こっちはもっと簡単。色つきののりを買ってきてシールを上にのせただけ」
「こういう素材ってどこに売ってるの?」
「百均にあるやつも多いぜ」
 真野は簡単に言ったけど、自分でシールを作るなんて目から鱗のオレはただただびっくり。やり方を全部脳内保存したい。家でやってみたい。
 真野が手袋をした手をぎゅっぎゅっと指に馴染ませて、「さて」と言う。
「まずは簡単なやつからな。こっちののり。日向、こういう色好きだろ」
 真野がテーブルの上から小さいチューブをオレのほうへ滑らせてきた。中にラメが入った水色が、光に当たってきらきらしている。
「え、なんで分かったの」
「この間買ったシール帳、青だっただろ。あと、水族館でも青っぽい魚見てるときちょっとテンションあがってた」
 そんなとこまで見てるのか。オレが見てるものなんて、誰も気にしないのに。
「で、こっちはパール多めのやつ。日向、パール調もいいって前に言ってたもんな」
 真野がもう一本、今度は白いパールを寄せてきた。ラメが細かく入っていて、光を受けると貝殻のように光る。
「……これ、オレ用にわざわざ買ったの?」
「そう。お前、こういうの好きそうだし」
 好きそうだったし、って。そんな軽い言い方で特別扱いするの、ずるい。オレが水族館で何を見ていたか、シール帳が何色かまで覚えていて、そこから好みを読んで買ってきてくれた。それってつまり、オレのことをずっと見ていたってことじゃないか。そんな友達、今までいなかった。
「失敗してもいいから、好きにやれよ。最初から完璧にできるやつなんていねえし」
 真野はそう言って、自分の材料にはまだ触らずにオレの前のシートを指した。
「まず日向から。どんなの作るか見たい」
「オレから?」
「うん。せっかく来たんだし」
 自分の家に呼んで、材料まで出して、しかも先に作れと言う。オレが楽しめるように順番まで考えてるみたいで、妙に落ち着かない。
「ここにそっと出して。丸くする感じで」
 言われたとおりにチューブを握る。でも、力の入れ方が分からなくて、ぷにっと変な形になった。
「あー、惜しい。もうちょいゆっくり」
「むずい」
 もう一回やったら今度は出すぎた。真野が「ちょ」と笑いをこらえている。
「笑うな!」
「笑ってねえし」
「口元が緩んでる」
「……ちょっとだけ」
「正直か!」
 思わずツッコむと、真野がリラックスしたように肩を下げた。
「そんな緊張すんなって。失敗しても捨てればいいし」
「真野、捨てたりするの?」
「する。いっぱい捨てた。けど、残してる失敗作もある」
「どうして?」
「日向なら見せてもいっか」
 さらっと言ってから、真野は棚の端に置いてあった小さなケースを取った。気泡が入ったものや、端が欠けたもの、色がにじんだものがいくつか入っている。
「これ、失敗記録」
「記録まで取ってんの?」
「そう。なにで失敗したか分かったほうが次が楽だろ」
 向上心の塊。やっぱり真野って几帳面。
「だから日向も失敗していいぜ。最初のやつってあとで見返すとおもしろいし」
 そして真野がスマホをタップした。途端に流れてくる明るいJ-POP。思わず笑うと、真野も笑顔になった。肩の力が抜けてリラックスする。
「じゃあ、もう一回やる」
「よし」
 もう一回やってみようとチューブを持ち直したら、真野が横からぐっと体を寄せてきた。
「持ち方はこう」
 後ろから腕が伸びてきて、オレの手の上に真野の手が重なる。ビニール手袋越しなのに、体温が分かる。
 手、大きい。指が長い。骨が浮いててちょっとごつい。男の手だ。急に指の力の入れ方が分からなくなる。
「力入れすぎ。もうちょい抜いて」
 耳の近くで声がする。
 近い。近いって。距離感どうなってんだこいつ。
「そう、そのまま。ゆっくり出して」
 真野の手に包まれたまま、チューブを押す。透明な水色が丸く広がっていく。
「ほら、いい感じ」
 そう言ってから、真野はやっと手を離した。離れた瞬間、急に空気が冷たくなった気がした。……いや、オレの体温がおかしくなってただけか。
 真野の呼吸音が近くに聞こえて、急に心臓が変な音を立てた。息の仕方が分からない。オレの頭、オーバーヒートしそう。
 他に誰もいない静かな家で、息を詰めてチューブを搾る。広がったのりの上に真野が用意してくれたシールを一枚のせた。爪楊枝でつんつんつつき、真ん中に位置を決める。でも、ちょっとズレた。
「日向、やっぱ色の選び方いいな」
「え?」
「最初に水色を選んだの正解。ラメの出方がきれい」
 真野は自分の作業を止めたまま、オレのシートを覗き込んでいる。
「俺、水色にそのシールの組み合わせは思いつかなかった」
 めちゃくちゃ褒められている。真野、褒めるの上手い。
 真野もシートにチューブで丸を作った。しかも、自分の作品のことになるとかなり本気だ。そんなやつが、オレの作ったものをちゃんと見て言ってくれる。
「真野、最初の一個、真野にやる」
「マジで?」
「うん。今日教えてもらったし」
 すると真野は、ちょっとだけ目を丸くしたあと、すぐに笑った。
「じゃあ俺、それ保存用にする」
「え、まだ完成もしてないのに?」
「日向の初作品だろ。記念」
 記念、って、なんでそこまで。こいつ、自分が言ってることの重さ、多分分かってない。オレがどれだけ喜んでるか、きっと分かってない。
「ひとりで作るより、ふたりでやるほうが楽しいな」
 真野は全然気にした様子もなく、爪楊枝でシールの位置を調整している。きっと深い意味なんてない。ただ楽しいから言ってるだけ。
 でも、こっちは違う。さっき手を重ねられたときの感覚も、保存用にするって言われた一言も、まだ手と胸の奥に残っている。
――こいつ、無自覚でずるい。嬉しいのに困る。