『今日ヒマ? シール交換しない?』
スマホがチカチカしてる。掃除が終わったら、真野からのメッセージだった。
え、ホントに? シール交換ってホントにできるんだ。
授業が始まって一週間。板書を写すのにも少し慣れた。隣と後ろの席の子とは「おはよう」くらいなら言える。真野は約束を守ってくれて、クラスでは一切オレに話しかけてこない。
「プリント、前から回して」
「あ、うん」
そのときだけ、一回しゃべった。でも、それだけ。真野はもうクラスの中心にいる。昼休みも誰かしらに話しかけられている。
「真野、現代文のノート見せて」
「委員長、次のホームルームってなに話し合うの」
「今日の小テスト、勉強した?」
前からも後ろからも声をかけられていて、真野はその全部にしっかり返している。開けた第一ボタンに少し緩いネクタイ。ていねいにまくった袖からは筋肉のついた腕が見える。真面目な顔でみんなの相談に乗って、輪の中心になって笑っている。学校に溶け込んでいる様子は間違いなく一軍男子。オレだったら、三人に話しかけられた時点で脳の処理が止まる。
女子が遠巻きにしてるのも分かる。イケメンオーラがすごい。完璧すぎて近寄れない。住む世界が違う。
それなのに、真野から来たメッセージにはシール交換と書かれている。周りに見られていないか心配で、慌てて鞄にスマホを突っ込んだ。中でポチポチと返事を打つ。
『部活入ってないからもう帰るだけ』
『今職員室に呼ばれてんだけど、ちょっとしたら教室に戻る。待ってて』
バイバーイ。そう言って出て行くクラスメイトを目で見送り、自席に座ってそわそわする。
放課後に待ち合わせなんて何年ぶりだろう。シール帳を開いて見せても恥ずかしくないか確認したいけど、誰かに見られたら嫌だから大人しく待つ。
真野、早く来い。
「あ」
真野が教室に帰ってきたのは十分後だった。ちらと教室を見回し、誰もいないのを確認してから笑顔になる。
「聞けよ! 金曜の帰りに新しいシールをゲットしたんだよ。日向に見せたくて」
日向に見せたくて。そんなふうに名指ししてくるの、なんかずるい。
真野はいつも話しかけていないのが嘘のようにオレの隣の席にどさっと座った。その近さにどきっとしておずおずと言う。
「すごいじゃん。店頭で買うの、簡単じゃない、よな」
「だろー? 電車に乗ってシール巡りしてたら奇跡的に一枚買えたから。あ、教室じゃないほうがいいか」
真野は立ち上がって自分の鞄を取った。そして親指を立てて上を指す。
「階段の一番上に行こうぜ。屋上の手前。そこなら誰も来ねえだろ。早く見せてえ」
誰も来ねえだろ、なんて女の子に言ったらイチコロだぞ。……男子のオレでも嬉しいけど。
「お、オーケー」
人生で初めてのシール交換だ。しかも相手は真野。記録としてはかなり特別。真野、ちょいちょい人を喜ばしてくる。
階段を四階の上までのぼると、錆びたドアの前は静かだった。真野が床にどかっと座り、鞄からいそいそとシール帳を取り出す。
やっぱり真野のシール帳は宝石箱みたい。横から見てもぷっくりした厚みのシールがたくさん詰め込まれているのが分かる。真野の情熱がたっぷりだ。
「日向はシール帳持ってきたか?」
「あ、うん。家にあったシールも……全部貼ってみた」
当然のように聞かれて、そっとシール帳を開いてみせる。
コレクションしていたのが恥ずかしくて、声が小さくなった。でも、真野は「マジかよ!」と目を輝かせた。隣に座った真野が、肩が触れそうなくらい近くでシール帳を覗き込んでくる。
近い。シールよりそっちが気になる。いや、気にするな。シールを見ろ。
「うわっ、これもう廃盤になったやつじゃん! レアシール! あっ、こっちも!」
「そうなの? そういうの、よく分かんないや」
「いやいや、お宝だぞ。でも、俺はシールは平等に扱うのが好き。こっちがレートが高いとか、比較するのは好きじゃねえんだ」
「あー分かる。愛情ないのかって思う」
つい本音が出たが、真野は「だよな」と頷いてくれた。
「これも一緒にあげちゃう、みたいな扱い、かわいそうだよな」
真野が「これ、超いい」と指さしてきた。その爪の先がきれいに切られている。
真野、ちょっと距離が近い。ぐいぐい来るの、コミュ障には眩しすぎる。こんなふうに、シールを好きって堂々と言えるの、本当にすごい。
「俺が買ったの、これ! 和柄。筆文字、渋くね?」
笑顔の真野が見せてくれたページには、筆の絵のシールや和物の提灯や掛け軸などの他にぎっしりと文字が敷き詰められていた。感謝とか、桜とか、星座とか、きれいな言葉ばっかり。
いい。文字ってあんまり見てこなかったけど、こうやって見るとすごくいい。
「すごい……文字もいいな」
「ラメは裏切らねえよな。黒い文字でも、キラキラしてると気分があがる」
「オレ、書道嫌いじゃない。こういうのも好き」
「筆文字ってのがポイント高いよな。糸扁の下が点々になってるやつとか」
「あ、だよな! そこ大事!」
気づいたらテンション高くしゃべっていた。
今日、オレが教室でしゃべったの、出欠確認で「はい」って言っただけ。なのにシールの前では言葉がするすると出てくる。
「で、どれか交換しねえ? 取っておくのもいいけど、シール帳に種類が増えるのも楽しいし」
「いいよ。オレのでほしいのある? あんまり和柄って持ってないけど」
真野はオレのシール帳をじっくりと眺め、ゆっくりとめくった。一ページ一ページ見られるのはすごく恥ずかしい。見せたいくせに、見られると逃げたくなる。だが、真野は「すげえコレクションで迷う」と笑いながらシールを指さした。
「この猫がいい! 茶トラもいいし三毛も……ああでも、白黒もいいかも。シャムもかわいいな。猫は正義だろ」
「いいよ、全種類あげる。ほしい人が持ってるのが一番いいし」
「日向、甘過ぎだろ。他人にごそっと持っていかれるなよ」
ぽん。頭の後ろを小さくはたかれた。一瞬遅れて、触られたところが熱くなる。
マジでこいつなに。距離感バグってない? でも、もう一回やられても怒れない。真野の距離の近さ、だんだんくせになってくる。
「いや、シール交換なんて、する相手なんていないし……」
猫を渡すと、真野がちまっちまっと新しいページに貼りながら言う。
「妹とは交換しねえの?」
「妹はオレがシール帳を買ったって知らないから。妹のコレクションは女の子っぽいファンシーな感じで……ちょっといいなって思う……」
「いいよな、ゆめかわ。ピンクとか紫とか水色とか、淡い色もいい。しんどいときに癒される。家にあるから今度持ってくる」
今度、なんて次の約束までしてしまった。継続予定のイベント発生。信じられない。本当にオレに起こっている出来事か。少しだけ気分が軽い。
真野はオレにも好きなのを選ばせてくれた。「感謝」を含めて四つもらい、新しいページに貼っていく。
すごい、人生初のシール交換が「感謝」。本当に真野には感謝しかない。
自分の手で貼ったシールを見つめ、不覚にもうるっとした。今まで集めてきたどんなシールより輝いて見える。誰かと交換したシールって、こんなにも違うんだ。ひとりで買ったシールには、誰の顔もついてこない。このシールには、真野の笑顔がついている。
真野は座ってもオレより頭がずっと上の位置にある。オレの顔を覗き込みながら笑った。
「なあ、今度放課後にシール巡りしねえ? 平日が狙い目らしいぜ」
「土日の開店時間とかすごそう」
「棚に並べるタイミングに出くわすと奇跡の出会いって感じがする」
それには曖昧に濁して笑った。真野には引きこもりだったなんて言いたくない。オレが店頭でシールを買っていたのなんて、小学校と中学の最初だけだ。
「ここ、いい場所を見つけたよな」
帰り際、真野がそう言って口に人差し指を当てた。
「誰にも言うなよ? 今度はジュース買ってきて、飲みながら交換しようぜ」
まるで秘密基地みたいな言い方をする。わくわくしてきた。ふたりだけの内緒の遊び場。周りには関係性を隠して宝物を見せ合って交換する。
放課後の約束。友達との会話。シール交換。ここ数年の生活にはなかった項目が、少しずつ増えていく。
オレの毎日もちゃんと更新されている気がした。
早速翌週に三つ隣の駅で待ち合わせた。高校生活の記録としては初の出来事。友達と寄り道って項目はこの三年間の履歴に存在しない。
春先の放課後は心地いい。オレはネイビーのカーディガンを着ていった。雲間から覗く日差しの温度がちょうどいい。
「日向、もしかして改札迷った?」
改札を抜けるとコンコースに目立つイケメンが立って待っていた。
人混みでもすぐ分かる。笑顔が眩しい。白いシャツが涼しげ。なんか目立つ。待ち合わせの目印として優秀。
手をあげてこっちを見る。その仕草だけで周りの女子がちらっと見た。
オレ、こんな人の隣に立っていいんだろうか。やっぱりオレとは別世界の人だ。なのに自然な笑顔にオレも自然な言葉が口から出た。
「南口改札に行っちゃった。待たせてごめん!」
「気にすんなよ。ここからは歩くし、ゆっくり行こうぜ」
「ローファーって歩きにくいよな。靴まで校則に縛られたくない」
軽くしゃべりながら歩きだす。こうして誰かと並んで遊びに行くのも久しぶりだ。今日はこの駅の駅ビルや近くの文具コーナーがあるビル、そしてさらに二駅乗って別の駅まで足を伸ばす予定だった。
春のシール遠足だ。友達と遊びに行くなんて何年ぶりだろう。……隣にいるのが真野なの、まだちょっと現実味がない。
駅ビル方面に歩いていく。すると隣の真野がちらちらとこちらを見下ろし、頭にぽんと手をのせてきた。
「日向、小さくね? 見失う。目立つシールを貼っとくか?」
ぽんぽん。何度もタップされる。恥ずかしくなって手を払う。
「ちょっ、失礼! 160センチ以上あるし!」
「俺、四捨五入したら180センチ」
「……179センチくらい?」
そこで真野がドヤ顔でピースサインをしてきた。
「181センチ! 繰り下げた!」
「なんで自慢の一センチ捨てたの!?」
真野ってたまにおかしい。テンションとしゃべる内容がズレる。思わず吹き出すと真野も楽しそうに笑った。
駅ビルの文具屋は空振りで、二件目も棚は空だった。
「最近マジで入荷しねえよな」
「見つけたら奇跡だから」
「シールは一期一会」
「なんの格言?」
でも、途中のウィンドウショッピングは楽しかった。ふたりでシールのあれこれを話していると会話が途切れない。これも初めての経験。高校生活、記録更新。
「真野ってぷっくりシールはいつから集め始めた?」
「中一のとき。一目惚れ。三秒見ちまったんだよ。正確には三秒以上」
「いいの見ると目が離せなくなるよな」
電車に乗る前のホームでペットボトルを方向けながらしゃべる。
ガタンガタンとホームの反対側の電車が通り過ぎる。風が舞い上がって真野の髪が揺れた。乱れた髪を耳にかけようとする仕草がイケメン度を増している。男のオレでも惚れ惚れする。
真野、本当にスタイルがいい。捨てた身長一センチ、オレに回してほしい。
「日向はどうだった?」
「小学校のとき、隣の席の女子に誕生日にもらったって柴犬のシールを見せてもらって。ぷくってしてるのが生き生きしてるように見えた」
「俺、猫派。日向は犬派か」
「小四のときに飼ってたコーギーが死んじゃって、それ以来悲しくて飼ってない」
「それはつらい」
真野が少しだけ声のトーンを落とした。
「俺ん家、今猫一匹いるんだけど、昔は三匹いてさ。一匹少なくなると家ががらんってするんだよ」
がらん。真野がちょっとだけ寂しそうな顔をした。オレの心臓がちりっと音を立てる。
「……猫、名前なんて言うの?」
「死んじゃった猫は豆福とラテ。今いる猫はリリット」
名前、かわいい。全部系統が違う。
「今度三匹の写真見せろよ」
「あ、今見せる。かわいいだろ?」
笑顔で見せてきたスマホ内の猫たちは、のんびりとソファでくつろいでいる。オフホワイトのソファで丸まる黒猫と茶トラとベージュの後ろ姿。写真の隅にマグカップが写り込んでいる。真野の生活に少し触れた気がした。
「オレ、気づくと犬のシールを探してる。真野は?」
「俺は……買わねえ」
「え、好きなのに?」
「今は日向からもらったのがあるし」
びっくりするくらい普通のことをしゃべってる。ペットとか、子供の頃の話とか。こういうの、友達フォルダに入れていいやつだ。
スマホがチカチカしてる。掃除が終わったら、真野からのメッセージだった。
え、ホントに? シール交換ってホントにできるんだ。
授業が始まって一週間。板書を写すのにも少し慣れた。隣と後ろの席の子とは「おはよう」くらいなら言える。真野は約束を守ってくれて、クラスでは一切オレに話しかけてこない。
「プリント、前から回して」
「あ、うん」
そのときだけ、一回しゃべった。でも、それだけ。真野はもうクラスの中心にいる。昼休みも誰かしらに話しかけられている。
「真野、現代文のノート見せて」
「委員長、次のホームルームってなに話し合うの」
「今日の小テスト、勉強した?」
前からも後ろからも声をかけられていて、真野はその全部にしっかり返している。開けた第一ボタンに少し緩いネクタイ。ていねいにまくった袖からは筋肉のついた腕が見える。真面目な顔でみんなの相談に乗って、輪の中心になって笑っている。学校に溶け込んでいる様子は間違いなく一軍男子。オレだったら、三人に話しかけられた時点で脳の処理が止まる。
女子が遠巻きにしてるのも分かる。イケメンオーラがすごい。完璧すぎて近寄れない。住む世界が違う。
それなのに、真野から来たメッセージにはシール交換と書かれている。周りに見られていないか心配で、慌てて鞄にスマホを突っ込んだ。中でポチポチと返事を打つ。
『部活入ってないからもう帰るだけ』
『今職員室に呼ばれてんだけど、ちょっとしたら教室に戻る。待ってて』
バイバーイ。そう言って出て行くクラスメイトを目で見送り、自席に座ってそわそわする。
放課後に待ち合わせなんて何年ぶりだろう。シール帳を開いて見せても恥ずかしくないか確認したいけど、誰かに見られたら嫌だから大人しく待つ。
真野、早く来い。
「あ」
真野が教室に帰ってきたのは十分後だった。ちらと教室を見回し、誰もいないのを確認してから笑顔になる。
「聞けよ! 金曜の帰りに新しいシールをゲットしたんだよ。日向に見せたくて」
日向に見せたくて。そんなふうに名指ししてくるの、なんかずるい。
真野はいつも話しかけていないのが嘘のようにオレの隣の席にどさっと座った。その近さにどきっとしておずおずと言う。
「すごいじゃん。店頭で買うの、簡単じゃない、よな」
「だろー? 電車に乗ってシール巡りしてたら奇跡的に一枚買えたから。あ、教室じゃないほうがいいか」
真野は立ち上がって自分の鞄を取った。そして親指を立てて上を指す。
「階段の一番上に行こうぜ。屋上の手前。そこなら誰も来ねえだろ。早く見せてえ」
誰も来ねえだろ、なんて女の子に言ったらイチコロだぞ。……男子のオレでも嬉しいけど。
「お、オーケー」
人生で初めてのシール交換だ。しかも相手は真野。記録としてはかなり特別。真野、ちょいちょい人を喜ばしてくる。
階段を四階の上までのぼると、錆びたドアの前は静かだった。真野が床にどかっと座り、鞄からいそいそとシール帳を取り出す。
やっぱり真野のシール帳は宝石箱みたい。横から見てもぷっくりした厚みのシールがたくさん詰め込まれているのが分かる。真野の情熱がたっぷりだ。
「日向はシール帳持ってきたか?」
「あ、うん。家にあったシールも……全部貼ってみた」
当然のように聞かれて、そっとシール帳を開いてみせる。
コレクションしていたのが恥ずかしくて、声が小さくなった。でも、真野は「マジかよ!」と目を輝かせた。隣に座った真野が、肩が触れそうなくらい近くでシール帳を覗き込んでくる。
近い。シールよりそっちが気になる。いや、気にするな。シールを見ろ。
「うわっ、これもう廃盤になったやつじゃん! レアシール! あっ、こっちも!」
「そうなの? そういうの、よく分かんないや」
「いやいや、お宝だぞ。でも、俺はシールは平等に扱うのが好き。こっちがレートが高いとか、比較するのは好きじゃねえんだ」
「あー分かる。愛情ないのかって思う」
つい本音が出たが、真野は「だよな」と頷いてくれた。
「これも一緒にあげちゃう、みたいな扱い、かわいそうだよな」
真野が「これ、超いい」と指さしてきた。その爪の先がきれいに切られている。
真野、ちょっと距離が近い。ぐいぐい来るの、コミュ障には眩しすぎる。こんなふうに、シールを好きって堂々と言えるの、本当にすごい。
「俺が買ったの、これ! 和柄。筆文字、渋くね?」
笑顔の真野が見せてくれたページには、筆の絵のシールや和物の提灯や掛け軸などの他にぎっしりと文字が敷き詰められていた。感謝とか、桜とか、星座とか、きれいな言葉ばっかり。
いい。文字ってあんまり見てこなかったけど、こうやって見るとすごくいい。
「すごい……文字もいいな」
「ラメは裏切らねえよな。黒い文字でも、キラキラしてると気分があがる」
「オレ、書道嫌いじゃない。こういうのも好き」
「筆文字ってのがポイント高いよな。糸扁の下が点々になってるやつとか」
「あ、だよな! そこ大事!」
気づいたらテンション高くしゃべっていた。
今日、オレが教室でしゃべったの、出欠確認で「はい」って言っただけ。なのにシールの前では言葉がするすると出てくる。
「で、どれか交換しねえ? 取っておくのもいいけど、シール帳に種類が増えるのも楽しいし」
「いいよ。オレのでほしいのある? あんまり和柄って持ってないけど」
真野はオレのシール帳をじっくりと眺め、ゆっくりとめくった。一ページ一ページ見られるのはすごく恥ずかしい。見せたいくせに、見られると逃げたくなる。だが、真野は「すげえコレクションで迷う」と笑いながらシールを指さした。
「この猫がいい! 茶トラもいいし三毛も……ああでも、白黒もいいかも。シャムもかわいいな。猫は正義だろ」
「いいよ、全種類あげる。ほしい人が持ってるのが一番いいし」
「日向、甘過ぎだろ。他人にごそっと持っていかれるなよ」
ぽん。頭の後ろを小さくはたかれた。一瞬遅れて、触られたところが熱くなる。
マジでこいつなに。距離感バグってない? でも、もう一回やられても怒れない。真野の距離の近さ、だんだんくせになってくる。
「いや、シール交換なんて、する相手なんていないし……」
猫を渡すと、真野がちまっちまっと新しいページに貼りながら言う。
「妹とは交換しねえの?」
「妹はオレがシール帳を買ったって知らないから。妹のコレクションは女の子っぽいファンシーな感じで……ちょっといいなって思う……」
「いいよな、ゆめかわ。ピンクとか紫とか水色とか、淡い色もいい。しんどいときに癒される。家にあるから今度持ってくる」
今度、なんて次の約束までしてしまった。継続予定のイベント発生。信じられない。本当にオレに起こっている出来事か。少しだけ気分が軽い。
真野はオレにも好きなのを選ばせてくれた。「感謝」を含めて四つもらい、新しいページに貼っていく。
すごい、人生初のシール交換が「感謝」。本当に真野には感謝しかない。
自分の手で貼ったシールを見つめ、不覚にもうるっとした。今まで集めてきたどんなシールより輝いて見える。誰かと交換したシールって、こんなにも違うんだ。ひとりで買ったシールには、誰の顔もついてこない。このシールには、真野の笑顔がついている。
真野は座ってもオレより頭がずっと上の位置にある。オレの顔を覗き込みながら笑った。
「なあ、今度放課後にシール巡りしねえ? 平日が狙い目らしいぜ」
「土日の開店時間とかすごそう」
「棚に並べるタイミングに出くわすと奇跡の出会いって感じがする」
それには曖昧に濁して笑った。真野には引きこもりだったなんて言いたくない。オレが店頭でシールを買っていたのなんて、小学校と中学の最初だけだ。
「ここ、いい場所を見つけたよな」
帰り際、真野がそう言って口に人差し指を当てた。
「誰にも言うなよ? 今度はジュース買ってきて、飲みながら交換しようぜ」
まるで秘密基地みたいな言い方をする。わくわくしてきた。ふたりだけの内緒の遊び場。周りには関係性を隠して宝物を見せ合って交換する。
放課後の約束。友達との会話。シール交換。ここ数年の生活にはなかった項目が、少しずつ増えていく。
オレの毎日もちゃんと更新されている気がした。
早速翌週に三つ隣の駅で待ち合わせた。高校生活の記録としては初の出来事。友達と寄り道って項目はこの三年間の履歴に存在しない。
春先の放課後は心地いい。オレはネイビーのカーディガンを着ていった。雲間から覗く日差しの温度がちょうどいい。
「日向、もしかして改札迷った?」
改札を抜けるとコンコースに目立つイケメンが立って待っていた。
人混みでもすぐ分かる。笑顔が眩しい。白いシャツが涼しげ。なんか目立つ。待ち合わせの目印として優秀。
手をあげてこっちを見る。その仕草だけで周りの女子がちらっと見た。
オレ、こんな人の隣に立っていいんだろうか。やっぱりオレとは別世界の人だ。なのに自然な笑顔にオレも自然な言葉が口から出た。
「南口改札に行っちゃった。待たせてごめん!」
「気にすんなよ。ここからは歩くし、ゆっくり行こうぜ」
「ローファーって歩きにくいよな。靴まで校則に縛られたくない」
軽くしゃべりながら歩きだす。こうして誰かと並んで遊びに行くのも久しぶりだ。今日はこの駅の駅ビルや近くの文具コーナーがあるビル、そしてさらに二駅乗って別の駅まで足を伸ばす予定だった。
春のシール遠足だ。友達と遊びに行くなんて何年ぶりだろう。……隣にいるのが真野なの、まだちょっと現実味がない。
駅ビル方面に歩いていく。すると隣の真野がちらちらとこちらを見下ろし、頭にぽんと手をのせてきた。
「日向、小さくね? 見失う。目立つシールを貼っとくか?」
ぽんぽん。何度もタップされる。恥ずかしくなって手を払う。
「ちょっ、失礼! 160センチ以上あるし!」
「俺、四捨五入したら180センチ」
「……179センチくらい?」
そこで真野がドヤ顔でピースサインをしてきた。
「181センチ! 繰り下げた!」
「なんで自慢の一センチ捨てたの!?」
真野ってたまにおかしい。テンションとしゃべる内容がズレる。思わず吹き出すと真野も楽しそうに笑った。
駅ビルの文具屋は空振りで、二件目も棚は空だった。
「最近マジで入荷しねえよな」
「見つけたら奇跡だから」
「シールは一期一会」
「なんの格言?」
でも、途中のウィンドウショッピングは楽しかった。ふたりでシールのあれこれを話していると会話が途切れない。これも初めての経験。高校生活、記録更新。
「真野ってぷっくりシールはいつから集め始めた?」
「中一のとき。一目惚れ。三秒見ちまったんだよ。正確には三秒以上」
「いいの見ると目が離せなくなるよな」
電車に乗る前のホームでペットボトルを方向けながらしゃべる。
ガタンガタンとホームの反対側の電車が通り過ぎる。風が舞い上がって真野の髪が揺れた。乱れた髪を耳にかけようとする仕草がイケメン度を増している。男のオレでも惚れ惚れする。
真野、本当にスタイルがいい。捨てた身長一センチ、オレに回してほしい。
「日向はどうだった?」
「小学校のとき、隣の席の女子に誕生日にもらったって柴犬のシールを見せてもらって。ぷくってしてるのが生き生きしてるように見えた」
「俺、猫派。日向は犬派か」
「小四のときに飼ってたコーギーが死んじゃって、それ以来悲しくて飼ってない」
「それはつらい」
真野が少しだけ声のトーンを落とした。
「俺ん家、今猫一匹いるんだけど、昔は三匹いてさ。一匹少なくなると家ががらんってするんだよ」
がらん。真野がちょっとだけ寂しそうな顔をした。オレの心臓がちりっと音を立てる。
「……猫、名前なんて言うの?」
「死んじゃった猫は豆福とラテ。今いる猫はリリット」
名前、かわいい。全部系統が違う。
「今度三匹の写真見せろよ」
「あ、今見せる。かわいいだろ?」
笑顔で見せてきたスマホ内の猫たちは、のんびりとソファでくつろいでいる。オフホワイトのソファで丸まる黒猫と茶トラとベージュの後ろ姿。写真の隅にマグカップが写り込んでいる。真野の生活に少し触れた気がした。
「オレ、気づくと犬のシールを探してる。真野は?」
「俺は……買わねえ」
「え、好きなのに?」
「今は日向からもらったのがあるし」
びっくりするくらい普通のことをしゃべってる。ペットとか、子供の頃の話とか。こういうの、友達フォルダに入れていいやつだ。


