あれよあれよという間にトレーを片づけられ、さっきの文具コーナーに引き返していた。真野が棚を見ながら言う。
「どんなのが好み? 俺は一枚目が見える透明な表紙が好き。気分で入れ替えれば見た目が変わるだろ。でも、キャラものが好きなやつもいるし」
棚を見るオレの心臓がとんと音を立てた。
かわいくって、分厚くて、キラキラしてるシール帳。……ずっとオレの憧れだった。
「……女子がシール帳を持ってるの、見る」
「小学校のときとか特にそうだったよな」
「公園でシール交換してた」
「参加した?」
「するわけないじゃん……」
声が小さくなる。だが、真野は棚を指さしながら見た。
「サイズはこれくらい? 一シートを収めるには小さいけど、これくらいが標準」
真野はためらいもなくピンクのドット柄の手帳を手にして見せてきた。完全に女子向け。いや、今どきピンクが女子って決まりはないけど。と言うか、シール帳全体が女子向け。
「大人っぽいほうが好み? シックに黒? 俺も二冊目は黒にしたんだけど、やっぱり暗いっていうか。テンションがあがらねえんだよ」
「……シール帳、何冊持ってんの」
「今六冊目! 保存用とかお気に入りとか持ち運び用とか使い分けると増えるだろ? しかも俺、ぷっくりは分厚いほうが好みでさ、すぐパンパンになるから」
「……すごい本格的」
「好きなものには本腰を入れるだろ」
「……初対面で好きなものしゃべって恥ずかしくないの?」
すると真野は怪訝そうにこちらを見下ろした。
「友達になるなら趣味の話くらいするだろ。普通じゃね?」
友達。オレ、友達になるなんて言ったっけ? 一軍男子の友達なんて、オレじゃ釣り合わない。なのに、なんでこんな普通に話しかけてくるんだよ。
でも真野はそんなこと気にしていないようだった。すぐに隣の棚を見る。
「レフィルも大事! 透明、不透明、柄とか好みが出るだろ。オレは半透明が好き。次のページがなにかな、くらい分かるとめくりたくならねえ?」
「分かる分かる! ……あ」
しまった、思わず本音が出た。やっちゃった。
真野が案の定満足そうににんまりとする。
「だよな! やっぱシール帳の主役はシール! シールがかわいく見えるのが一番だろ!」
真野の白い歯がにかっと笑う。
イケメンの口からかわいいなんて言葉が飛び出した。オレ、三年間引きこもってたから知らないのか。今やこんな大人っぽい男子がかわいいものが好きなんて、普通のことなのか。私服とかモノトーンでまとめてそうなのに、こいつはかわいいものがいいらしい。
意外だな。オレは棚を見る一軍男子の横顔をちらちらと見た。見た目からお堅いタイプなのかと思ったのに笑顔が多くて明るい。
どうしてこいつは、こんなに迷いなく好きって言えるんだろう。シールが好き、かわいいものが好き。人に笑われるかもとか、そういうこと全部飛ばして、ただ好きだから好きって言える。羨ましい。オレにはずっとできなかったことだ。
「……レフィルはこれじゃない?」
気づいたら透明なシートに手を伸ばしていた。
「オレもシンプルなほうがいい。どんなシールでも似合う柄って難しいだろうし」
「ドットとかかわいいいけど、シールを貼るときに微妙にはみ出ると気になるよな」
「……キャラものなら、妹が持ってる」
「妹、いるんだ? 俺はキャラにシールがかぶるのが嫌で買わねえんだよ」
「妹、まだ小三だし。好きなキャラクターがいいみたい。キャラに合わせて貼るんだって。かわいいシートにはリボンとかハートとかがいいって」
「センスいいやつには負けるよな。ネットで貼り方とか並べ方とか検索するんだけど、凝ってるやつには適わねえ」
真野は真剣にレフィルを手にして見比べた。
「何枚買う? いや、まず手帳からだよな。始めからレフィルが入ってるのもあるし」
気づいたらふたりで真剣に棚を眺めていた。オレは数分迷ってから、オーロラふうの手帳を手にした。さっき真野のシール帳がきれいだったからだ。
でも、シールが落ちたら嫌だから、留め具じゃなくてチャックで周りが閉まるものがいい。
「お、いいな、チャックつき。結局一回も買ったことねえんだよな」
「シールなくしたくない。落ちるかハラハラするの嫌だから」
「たまにレフィルと相性が悪いのもあるぞ。最初の頃の手帳とか、粘着力が落ちてきてる」
「じゃあシートも買っておくのがいいのかな。やっぱり透明なやつがいい」
すると真野がさっきオレが選んだやつを手にして渡してくれた。
胸がどきどきと高鳴ってくる。紛れもない憧れのシール帳だ。オレも今日から持てる。
はっとして真野の顔を盗み見た。変なやつだと思われてないか。おかしなやつだと軽蔑されてないか。背中がひやりとする。
でも、真野は全く気にしてないみたいだった。ちょいちょいと手招きされて、シールコーナーに行く。
「なんのシール買う? これ、今買わねえと、夕方には小学生に持ってかれて在庫なくなるぞ」
「……このパンがかわいい。ドーナッツとか、種類があってカラフルだし」
「パン、いいな! 俺、寿司持ってる。食いもんは定番だろ」
「でも、こっちのパール調の星もいいな……大人っぽいっていうか」
「ラメ入りもいいけどパール系も好き。案外小さいハートもいいぜ。隙間を埋めるのにちょうどいいし」
結局パンのシールをカゴに入れた。オーロラのシール帳、透明なレフィル、かわいいシール。カゴを見たら急に顔が熱くなった。
ただノートを買いに来ただけなのに。こんなすてきなものに出会えるなんて思わなかった。嬉しい。宝物を発見して手に入れた気分だ。ずっと憧れていたものが、今日やっと手の中にある。
お会計を済ませて店の外に出ると、ガサゴソとビニール袋が音を立てた。それを見た笑顔の真野が小さく拍手する。
「シール帳デビューおめでとう!」
――シール帳デビューおめでとう。
小学校の頃、女子たちがそう言って拍手しているのを見ていた。デビューした子は照れながらもどこか誇らしげで。みんな大人の仲間入りしたみたいな顔をしていた。
かあああと顔がまた熱くなる。まさか、自分が言われる側になるなんて思ってなかった。信じられない。オレ、夢でも見てる? でも、ビニール袋の重さが現実だって言っている。
「一ノ瀬、連絡先教えて。今度シール交換しようぜ」
「えっと、スマホ……どうやって登録するの?」
恥ずかしい。家族の連絡先しか入ってない新品のスマホが、ぴかぴかに蛍光灯に輝いている。
真野は自分で登録してくれた。名前のイチは一なのかと思っていたが、漢字は壱弥だった。凝った名前からして一軍男子。オレ、いまさらだけど場違いじゃない?
「あの……真野さん」
「なんでさんづけ?」
「オレの小……中学校、男子でも君じゃなくてさんだったから」
「そうじゃなくて。ここは呼び捨てだろ。友達なんだし。あ、てか俺、日向って呼ぶわ。そっちも壱弥でいいぜ」
いつの間にか友達に昇格している。
それだけでまた心臓が大きく跳ねる。連絡を取る友達なんてもういない。三年ぶりにできたくすぐったい存在に胸がそわそわする。
「えと、あの、下の名前を呼び捨ては、難しいから……真野で」
「ふーん? 俺は日向って呼ぶ」
一軍男子、距離の詰め方がすごい。こうなったら嵐に流されるだけ。
「えと、それは、それでいいから……あの、真野、シールを持ってるって、学校で言わないでほしい……」
「理解あるやつ、少ねえよな。レートがどうのってうるさいやつもいるし」
「あと、オレと、と、友達……なのも言わないで。オレ、目立ちたくない」
「静かに過ごしたいタイプ? 人間関係、たまにめんどくせえもんな」
「えっと、そ、そう。あんまり、しゃべるの得意じゃないし、真野は、委員長とかできるかもしれないけど、オレは、無理」
「さっきから俺と普通にしゃべってる気がするけど」
言われて気づいた。たしかに自然にしゃべってる。
真野の嵐に巻き込まれたせい。それだけだ。脳が追いつかない。ちょっと今日は情報量が多すぎる。
真野は最寄り駅が同じだった。バスに乗るというので改札前で別れる。
とんとん歩きだした足が気づいたら駆け足になっていた。手の中のビニール袋の中で宝物がガサゴソ跳ねる。オレの宝物が心臓と同じリズムで跳ねている。
家に帰って早速シール帳を取り出した。真野が半分くれたタイルシールとパンのシール。机の上で宝物が輝いている。それから、ずっと引き出しの奥にしまっていたシールたちを取り出して机に並べた。
嫌な思い出になって、集めるのをやめていた。そのシールが今は息を吹き返したみたいに見える。
突然、涙が出てきた。
中一の四月、学校でコレクションのシールを鞄から落としたのは、オレの黒歴史。
「男のくせに、こいつ、女みたいなシール集めてる!」
誰かの言葉に顔が真っ赤になって、床に散らばったシールをかき集めるのに必死だった。シール集めは女子の文化。そんなことは分かっていた。
だからシール帳は買わなかったし、ただ買って集めてクリアファイルに入れてこっそり鞄に入れていた。
ぷっくりしたシールを見ていると世界が明るくなる。部活でボールを追いかけるより、シールを眺めているほうが好きだった。
「マジかよ。こんな子供みてえなシールが好きなの、お前」
「小学生かよ! あり得ねえ!」
ざわざわと教室がうるさくなって、視線が四方八方から突き刺さる。震える手でシールを鞄に詰め込むと、オレは逃げるように学校から飛び出した。三時間目のあとの休み時間で帰っていい時間じゃなかったけど、先生にも言わずに家に走って帰った。
それから、一度も中学校には行っていない。親は理由を聞き出さなかった。行きたくなければ行かなくていいとだけ言った。引き出しの奥のシールはしまわれたまま、もう三年。
「――よし」
オレは一枚目のレフィルを取り出した。まずは真野がくれた水色のタイルシールを一枚貼る。ぱちん。頭の中で軽やかな音が鳴る。一瞬手が止まった。だがすぐに次々とレフィルに貼っていく。
一枚貼るごとに心が穏やかになる。静かな幸せ。そうだ、ずっとずっとこういうことをしたかった。……本当に夢みたいだ。
「日向ー! 夕飯食べないのー!」
結局親に呼ばれるまでシール帳とにらめっこをしていた。
……うん、オレのシール歴史、いい感じに再起動。いつまでも見ていられる。
その夜はぐっすり眠れた。学校に連日通うのに神経をすり減らしていたけど、翌日はアラームより先に起きた。カーテンを開けると朝日が眩しい。今日一日、なんかいいことありそう。
シール帳を鞄の底にしまう。昨日までなかったものがひとつだけ増える。ちょっと真野にシール帳を見せたい。
――シール帳デビューおめでとう。
真野の言葉が耳に蘇る。
それだけで学校が近くなった気がした。
「どんなのが好み? 俺は一枚目が見える透明な表紙が好き。気分で入れ替えれば見た目が変わるだろ。でも、キャラものが好きなやつもいるし」
棚を見るオレの心臓がとんと音を立てた。
かわいくって、分厚くて、キラキラしてるシール帳。……ずっとオレの憧れだった。
「……女子がシール帳を持ってるの、見る」
「小学校のときとか特にそうだったよな」
「公園でシール交換してた」
「参加した?」
「するわけないじゃん……」
声が小さくなる。だが、真野は棚を指さしながら見た。
「サイズはこれくらい? 一シートを収めるには小さいけど、これくらいが標準」
真野はためらいもなくピンクのドット柄の手帳を手にして見せてきた。完全に女子向け。いや、今どきピンクが女子って決まりはないけど。と言うか、シール帳全体が女子向け。
「大人っぽいほうが好み? シックに黒? 俺も二冊目は黒にしたんだけど、やっぱり暗いっていうか。テンションがあがらねえんだよ」
「……シール帳、何冊持ってんの」
「今六冊目! 保存用とかお気に入りとか持ち運び用とか使い分けると増えるだろ? しかも俺、ぷっくりは分厚いほうが好みでさ、すぐパンパンになるから」
「……すごい本格的」
「好きなものには本腰を入れるだろ」
「……初対面で好きなものしゃべって恥ずかしくないの?」
すると真野は怪訝そうにこちらを見下ろした。
「友達になるなら趣味の話くらいするだろ。普通じゃね?」
友達。オレ、友達になるなんて言ったっけ? 一軍男子の友達なんて、オレじゃ釣り合わない。なのに、なんでこんな普通に話しかけてくるんだよ。
でも真野はそんなこと気にしていないようだった。すぐに隣の棚を見る。
「レフィルも大事! 透明、不透明、柄とか好みが出るだろ。オレは半透明が好き。次のページがなにかな、くらい分かるとめくりたくならねえ?」
「分かる分かる! ……あ」
しまった、思わず本音が出た。やっちゃった。
真野が案の定満足そうににんまりとする。
「だよな! やっぱシール帳の主役はシール! シールがかわいく見えるのが一番だろ!」
真野の白い歯がにかっと笑う。
イケメンの口からかわいいなんて言葉が飛び出した。オレ、三年間引きこもってたから知らないのか。今やこんな大人っぽい男子がかわいいものが好きなんて、普通のことなのか。私服とかモノトーンでまとめてそうなのに、こいつはかわいいものがいいらしい。
意外だな。オレは棚を見る一軍男子の横顔をちらちらと見た。見た目からお堅いタイプなのかと思ったのに笑顔が多くて明るい。
どうしてこいつは、こんなに迷いなく好きって言えるんだろう。シールが好き、かわいいものが好き。人に笑われるかもとか、そういうこと全部飛ばして、ただ好きだから好きって言える。羨ましい。オレにはずっとできなかったことだ。
「……レフィルはこれじゃない?」
気づいたら透明なシートに手を伸ばしていた。
「オレもシンプルなほうがいい。どんなシールでも似合う柄って難しいだろうし」
「ドットとかかわいいいけど、シールを貼るときに微妙にはみ出ると気になるよな」
「……キャラものなら、妹が持ってる」
「妹、いるんだ? 俺はキャラにシールがかぶるのが嫌で買わねえんだよ」
「妹、まだ小三だし。好きなキャラクターがいいみたい。キャラに合わせて貼るんだって。かわいいシートにはリボンとかハートとかがいいって」
「センスいいやつには負けるよな。ネットで貼り方とか並べ方とか検索するんだけど、凝ってるやつには適わねえ」
真野は真剣にレフィルを手にして見比べた。
「何枚買う? いや、まず手帳からだよな。始めからレフィルが入ってるのもあるし」
気づいたらふたりで真剣に棚を眺めていた。オレは数分迷ってから、オーロラふうの手帳を手にした。さっき真野のシール帳がきれいだったからだ。
でも、シールが落ちたら嫌だから、留め具じゃなくてチャックで周りが閉まるものがいい。
「お、いいな、チャックつき。結局一回も買ったことねえんだよな」
「シールなくしたくない。落ちるかハラハラするの嫌だから」
「たまにレフィルと相性が悪いのもあるぞ。最初の頃の手帳とか、粘着力が落ちてきてる」
「じゃあシートも買っておくのがいいのかな。やっぱり透明なやつがいい」
すると真野がさっきオレが選んだやつを手にして渡してくれた。
胸がどきどきと高鳴ってくる。紛れもない憧れのシール帳だ。オレも今日から持てる。
はっとして真野の顔を盗み見た。変なやつだと思われてないか。おかしなやつだと軽蔑されてないか。背中がひやりとする。
でも、真野は全く気にしてないみたいだった。ちょいちょいと手招きされて、シールコーナーに行く。
「なんのシール買う? これ、今買わねえと、夕方には小学生に持ってかれて在庫なくなるぞ」
「……このパンがかわいい。ドーナッツとか、種類があってカラフルだし」
「パン、いいな! 俺、寿司持ってる。食いもんは定番だろ」
「でも、こっちのパール調の星もいいな……大人っぽいっていうか」
「ラメ入りもいいけどパール系も好き。案外小さいハートもいいぜ。隙間を埋めるのにちょうどいいし」
結局パンのシールをカゴに入れた。オーロラのシール帳、透明なレフィル、かわいいシール。カゴを見たら急に顔が熱くなった。
ただノートを買いに来ただけなのに。こんなすてきなものに出会えるなんて思わなかった。嬉しい。宝物を発見して手に入れた気分だ。ずっと憧れていたものが、今日やっと手の中にある。
お会計を済ませて店の外に出ると、ガサゴソとビニール袋が音を立てた。それを見た笑顔の真野が小さく拍手する。
「シール帳デビューおめでとう!」
――シール帳デビューおめでとう。
小学校の頃、女子たちがそう言って拍手しているのを見ていた。デビューした子は照れながらもどこか誇らしげで。みんな大人の仲間入りしたみたいな顔をしていた。
かあああと顔がまた熱くなる。まさか、自分が言われる側になるなんて思ってなかった。信じられない。オレ、夢でも見てる? でも、ビニール袋の重さが現実だって言っている。
「一ノ瀬、連絡先教えて。今度シール交換しようぜ」
「えっと、スマホ……どうやって登録するの?」
恥ずかしい。家族の連絡先しか入ってない新品のスマホが、ぴかぴかに蛍光灯に輝いている。
真野は自分で登録してくれた。名前のイチは一なのかと思っていたが、漢字は壱弥だった。凝った名前からして一軍男子。オレ、いまさらだけど場違いじゃない?
「あの……真野さん」
「なんでさんづけ?」
「オレの小……中学校、男子でも君じゃなくてさんだったから」
「そうじゃなくて。ここは呼び捨てだろ。友達なんだし。あ、てか俺、日向って呼ぶわ。そっちも壱弥でいいぜ」
いつの間にか友達に昇格している。
それだけでまた心臓が大きく跳ねる。連絡を取る友達なんてもういない。三年ぶりにできたくすぐったい存在に胸がそわそわする。
「えと、あの、下の名前を呼び捨ては、難しいから……真野で」
「ふーん? 俺は日向って呼ぶ」
一軍男子、距離の詰め方がすごい。こうなったら嵐に流されるだけ。
「えと、それは、それでいいから……あの、真野、シールを持ってるって、学校で言わないでほしい……」
「理解あるやつ、少ねえよな。レートがどうのってうるさいやつもいるし」
「あと、オレと、と、友達……なのも言わないで。オレ、目立ちたくない」
「静かに過ごしたいタイプ? 人間関係、たまにめんどくせえもんな」
「えっと、そ、そう。あんまり、しゃべるの得意じゃないし、真野は、委員長とかできるかもしれないけど、オレは、無理」
「さっきから俺と普通にしゃべってる気がするけど」
言われて気づいた。たしかに自然にしゃべってる。
真野の嵐に巻き込まれたせい。それだけだ。脳が追いつかない。ちょっと今日は情報量が多すぎる。
真野は最寄り駅が同じだった。バスに乗るというので改札前で別れる。
とんとん歩きだした足が気づいたら駆け足になっていた。手の中のビニール袋の中で宝物がガサゴソ跳ねる。オレの宝物が心臓と同じリズムで跳ねている。
家に帰って早速シール帳を取り出した。真野が半分くれたタイルシールとパンのシール。机の上で宝物が輝いている。それから、ずっと引き出しの奥にしまっていたシールたちを取り出して机に並べた。
嫌な思い出になって、集めるのをやめていた。そのシールが今は息を吹き返したみたいに見える。
突然、涙が出てきた。
中一の四月、学校でコレクションのシールを鞄から落としたのは、オレの黒歴史。
「男のくせに、こいつ、女みたいなシール集めてる!」
誰かの言葉に顔が真っ赤になって、床に散らばったシールをかき集めるのに必死だった。シール集めは女子の文化。そんなことは分かっていた。
だからシール帳は買わなかったし、ただ買って集めてクリアファイルに入れてこっそり鞄に入れていた。
ぷっくりしたシールを見ていると世界が明るくなる。部活でボールを追いかけるより、シールを眺めているほうが好きだった。
「マジかよ。こんな子供みてえなシールが好きなの、お前」
「小学生かよ! あり得ねえ!」
ざわざわと教室がうるさくなって、視線が四方八方から突き刺さる。震える手でシールを鞄に詰め込むと、オレは逃げるように学校から飛び出した。三時間目のあとの休み時間で帰っていい時間じゃなかったけど、先生にも言わずに家に走って帰った。
それから、一度も中学校には行っていない。親は理由を聞き出さなかった。行きたくなければ行かなくていいとだけ言った。引き出しの奥のシールはしまわれたまま、もう三年。
「――よし」
オレは一枚目のレフィルを取り出した。まずは真野がくれた水色のタイルシールを一枚貼る。ぱちん。頭の中で軽やかな音が鳴る。一瞬手が止まった。だがすぐに次々とレフィルに貼っていく。
一枚貼るごとに心が穏やかになる。静かな幸せ。そうだ、ずっとずっとこういうことをしたかった。……本当に夢みたいだ。
「日向ー! 夕飯食べないのー!」
結局親に呼ばれるまでシール帳とにらめっこをしていた。
……うん、オレのシール歴史、いい感じに再起動。いつまでも見ていられる。
その夜はぐっすり眠れた。学校に連日通うのに神経をすり減らしていたけど、翌日はアラームより先に起きた。カーテンを開けると朝日が眩しい。今日一日、なんかいいことありそう。
シール帳を鞄の底にしまう。昨日までなかったものがひとつだけ増える。ちょっと真野にシール帳を見せたい。
――シール帳デビューおめでとう。
真野の言葉が耳に蘇る。
それだけで学校が近くなった気がした。


