放課後のシール交換は、委員長とふたりだけのひみつ


 梅雨に入った。シール交換がクラスで定着して、オレの周りにも人が増えた。それと同時に、真野との間に小さな変化が生まれていることに気づいた。
 クラスで目が合う回数が増えた。真野が頬杖をついてこちらを見ていることがある。プリントを渡そうと後ろを振り返るたび、一秒だけ目が合う。そのたびに、なんか胸の奥がざわつく。言葉がなくても分かる気がするのに、なんて言葉にすればいいのかが分からない。
 放課後、屋上前で落ち合う。真野が膨れ上がったシール帳を持ってきていた。オレが近づくと、真野はなにも言わずにページを開く。新しいシールが増えている。オレもシール帳を開く。
「これ、オレのシールと交換しない?」
「いいぜ。俺はこっちがほしい」
 そう言って顔を見合わせてふふと笑う。
 以前は真野のゴーイングマイウェイに流されていたけど、今は自分から話すことができる。
 シール帳を開くたびに、真野との仲もここまで来られたんだなと思う。真野がオレのシール帳を楽しそうに見ているとき、心がときめく。真野の笑顔、最近はちょっとどきどきする。別の意味で眩しい。
 昼休み、弁当を食べ終わって鞄にしまうと、見計らったように女子が「一ノ瀬」と話しかけてきた。
「このシールあげる」
「え?」
 差し出されたのは黄色い傘と赤いランドセルだった。特に傘のほうはつやつやしているのもあって濡れているように見える。
「この間紫陽花のシールを見せてくれたじゃん。あれと合いそうだなと思って」
 最初にシール帳を持ってると言ったこの子が話しかけてくれる。
「一ページに物語を作るとそれっぽくて楽しくなるよ」
「え、いいの?」
「うん。あたし、同じの持ってるし」
 思わず受け取る。ホントに紫陽花の横に貼ったら似合いそう。赤いランドセルと黄色い傘というのが小学生らしくて妹を連想させる。
「ありがと!」
「一ノ瀬のおかげであたしも楽しくなったし、お礼」
 彼女はにこっとそれだけ言って去っていく。思わずシール帳を出した。二日がかりで見つけた紫陽花のシール。そこの斜め下に貼るとたしかにかわいい。こういう発想はなかった。 誰かにもらったものを足すと、こんなに景色が変わるんだ。シールを交換するごとにオレのシール帳も色とりどりになっていく。
 ちらっと真野を見ると、真野と目が合った。シール帳を少しあげてみせると、真野が分かったとでも言うように目をふいと逸らす。
 あとで見せてやろう。真野もきっとこの図が気に入るはず。真野を喜ばせたい。このページを見せたとき、どんな顔をするか想像してしまう。それだけで楽しくなる。
 今日の放課後は、秘密基地でジュースを飲みながらシール交換をする約束だった。やはりあそこでふたりでいるのは特別だ。教室で堂々とシールの話をできるのもいいが、真野と話せるのはもっといい。最近のオレ、真野がどうしたら嬉しいか、そればっかり考えてる。
 だが、放課後に荷物を片づけていたら今度は隣の席の男子が「おい」とスマホを見せてきた。
「なあ、この駅の駅ビルの文具コーナーにこのシールが今日入荷したって」
 そこにあったのは真野が好きそうな和柄のシールだった。かわいい。見たら真野が喜びそう。
 真野との約束はあとでいいかと思った。少し引っかかったけど、秘密基地の約束はまた今度にしてもらうことにした。
『和柄が入ってるって。今日はそっち行ってくる。今度見せるから』
 真野にそう送ってオレはクラスメイトと駅ビルに向かった。
 教えてもらった駅ビルではシールが一枚買えた。またおひとり様一点のお店でふたつに分け合えるタイプのシートじゃなかったけど、真野の趣味に近い。好きなのもありそうだ。見せてあげたい。
『真野の好きそうな和柄が買えたよ!』
 再びメッセージを送ると、「よかったな」と返ってきた。あれ、と思った。なんかちょっと噛み合ってない気がする。
 でも、最初に交換すべきなのは今日傘とランドセルをくれた子だろう。和柄が好きかは分からなかったけど、翌日頑張って話しかけた。喜んでくれて、無事に二枚渡す。
 最近、真野の他に友達フォルダが増えた感じがする。クラスメイトと放課後の寄り道もするようになった。真野との『また今度』が増えて少しずつ予定が後ろにズレる。ちょっと変な感じもする。胸のどこかが引っかかる。でも、友達が増えることは嬉しい。
 交換日記に書ける内容も増えた。クラスメイトの名前が書けて、どんなシールがよかったかとか話すことができる。日記の内容が充実してきた。
 シールって、日付のない日記みたいなもの。今は誰と交換したとか、なんの話をしたとか、クラスの思い出まで一緒についてくる。コレクションっていうよりバックアップを取っている感じ。
 高校って、中学と違う。もしかしたらみんな大人になって、自分と違う子がいても普通でお互いを認め合えるのかも。
 そう思ってふふと笑う。
「一ノ瀬、シール帳見せて」
「一ノ瀬、食べ物のシール持ってねえ?」
 話しかけられることが増える。休み時間や放課後の時間の過ごし方が変わる。家でも最近明るくなったと言われるようになった。交換日記でそのことを報告すると、「たしかにそう見える」と真野にも言われた。嬉しい。
 昔コレクションしてたシール。真野と分け合ったり交換したりしたシール。紫陽花や水族館限定のオレが買ったシール。そこにクラスメイトと交換したシールが増えていく。
「一ノ瀬、限定のシール持ってるんだって?」
 どこで知ったのか、朝から女子が興奮した様子で話しかけてきた。
「わざわざ行ったんだ!?」
「あ、えと、うん。調べたら、水族館に売ってるっていうから」
 真野の名前は出さずに言うと、彼女は「えーすごい!」と目をきらきらさせた。
「いくつか交換して! 水族館、遠いし、ほしい!」
 彼女が顔の前で手を合わせる。
「なんなら一枚につき三枚で交換するから」
「あ、いや、レートは気にしないで」
「でも、限定一枚と通常一枚じゃ悪いし」
――俺はシールは平等に扱うのが好き。こっちがレートが高いとか、比較するのは好きじゃねえんだ。
 真野の言葉が一瞬蘇った。少し迷った。でも、シールは交換するものだし、誰かを笑顔にするものだ。一緒にもらったシールも大切にすればいい。真野のセリフも思い出すけど、結局押し切られる。
 シール帳を開く。相手が嬉しそうな顔をする。よかった、と思う。イルカとペンギンを二枚あげて、六枚に変わった。オレ、魔法使いになったらしい。ちょっともやもやしたけど、相手が喜ぶならこれでいいと納得する。
 その日はようやく真野と放課後の約束ができて、オレはぶどうジュースを買って階段の上にのぼった。先に真野がついていた。
「ごめん、待たせた」
「いや、来たばっかだし」
 真野のジュースはりんごジュース。なんかちょっとかわいい。真野の隣に座り、早速シール帳を広げて見せた。
「こんなに増えたよ。真野がほしいものがあったら教えて。この和柄、好きなんじゃない?」
 真野はオレとは目を合わせず、オレのシール帳を一ページ一ページゆっくりめくる。ふと、イルカのページで手が止まった。シールを剥がした白い跡が残っていて、そこだけぽっかり穴が開いている。
「あ、そこ、並べ直さなきゃ」
 オレが言うと、真野が「誰かにあげたのか?」と言う。ちょっととがった声に聞こえて、一瞬首をすくめる。魔法使いになったのは言わないほうがよさそうだ。
「うん。限定がほしいって言うから」
 すると真野はふいと目を逸らし、横顔が少し陰った。
「日向って、押しに弱い」
「……それは、そうかも」
「まあ、シール帳買えって押した俺が言うことじゃねえけど」
「あのときは真野のおしゃべりにちょっとびっくりした」
 思い出してちょっと笑う。あのとき真野が話しかけてくれなかったら、シールや交換日記も、こんなときめきも知らなかった。
「シールの楽しさを改めて教えてくれたのは真野だから。すごく感謝してる」
 だが、真野は「そっか」と言っただけで自分のシール帳に目を落とした。だが、表紙を触っているだけで、中を開かない。
 なんか変だ。今日はすごく暗い。元気づけたくて急いで鞄からノートを取り出す。
「真野、これ、今日の交換日記」
 オレが鞄からノートを出して渡すと、真野が黙ったまま目の前で開いた。ちょっと恥ずかしい。シール交換は公になったけど、交換日記はまだ秘密。これがふたりきりの空間。誤解が解けてから交換日記はオレの中でもっと特別になった。
 ダメだ、真野が交換日記を手にしているのを見るとどきどきする。家に帰ってあの自分の部屋で書くのかな。鞄にしまう前に一度読み返したりして。紙面がちょっと寂しいからシールを足そう、そう思ってシール帳を開く。そんなことまで空想してしまう。
 なんだか見ていられなくなって、また自分のシール帳を広げる。
「ほら、ここの紫陽花のシール。傘とランドセルをくれた子がいるんだ。物語みたいでちょうどいいって。絵本みたいだよな」
 真野がこちらのシール帳を見て手をぴたっと止めた。
「……そのページ、俺と分け合ったシール専用ページかと思ってた」
「えっ? あ、そうか。真野にもらった雨粒のページに貼るのがよかったかな」
「……そっちは俺があげたシール専用ページかと思った」
 ちょっとだけ戸惑う。真野、少し子供っぽい。でも、こういう拗ねる感じ、嫌いじゃない。イケメンとのギャップがかわいい。
「そっか。じゃあ改めて混ぜるページを作ろうかな。真野専用は真野専用のままで」
 すると真野が複雑そうな顔をして、シール帳から目を逸らした。
「……日向にとって、シールってなに?」
「えっ、コレクションするものかな?」
「いや……一枚にどんな意味があるのか、みたいな意味で」
「前に真野が言ってたのと同じかも。思い出のトリガーになるっていうか。クラスの誰と交換したかって思い出せる。雨のものだったら六月に交換したって季節も感じられるよな。楽しい思い出が増える気がする」
「……そっか」
 やっぱり暗い。でも、なんでか理由は聞けなかった。
 その日はあんまり盛り上がれなくて、ちょっと消化不良のまま家に帰った。でも、家でシール帳を整理すると少し落ち着いた。真野と分け合った専用ページ、真野からもらった専用ページ、クラスメイトにもらったページ。真野の専用ページを見ると心が温かくなる。
 シールの雨粒が予言していたかのように梅雨の季節が本格化する。しとしと音が聞こえてくる教室で真野が突っ伏して頭を押さえる日が増える。
「真野、調子悪そうだな」
 クラスメイトが話しかけて真野がはあと息をつく。
「毎年この季節は最悪」
 昼休み、斜め後ろでそんな会話が聞こえた。ちょっと心配で振り返る。
「真野……保健室行く?」
 思わず話しかけてしまった。あんまり話しかけないでってお願いしたのはオレのほうなのに、やっぱり恋には勝てない。真野がため息をついて立ち上がる。
「そうする。付き合って」
 これはよっぽどだな。そう思って一緒に教室を出る。だが、真野は階段を下りようとせず上に向かってのぼり始めた。
「真野、どこ行くの」
「……屋上前」
 それでいいの。聞こうとしたが、真野はずんずんオレを置き去りにするスピードでのぼっていく。少し駆け足で追いかけると、真野は定位置にどさっと座った。
「日向」
 オレが隣に座ると真野がいつかのように頭をこちらに寄せてきた。
「肩、貸して」
 真野の顔が近づいてきて、顔にぱっと熱が散る。真野は具合が悪いのに、そんな邪な気持ちはダメだと思う。でも、ふたりきりの空間で肩と頭がぶつかっていると、どきどきして顔が火照ってくる。
「……日向」
 しばらくして真野がぽつりと言った。
「なに?」
「……なんでもねえ」
 ぽつぽつぽつ。屋上を叩く雨音が聞こえてくる。じめじめした踊り場はちょっとお尻が冷たい。でも、体は熱かった。
 翌日、返ってきた交換日記は雨の日は憂鬱という話だった。シールを貼る元気もないらしい。かわいい雨粒のシールもない。
 つらそうだし、梅雨の間の晴れ間になりますように。
 祈りを込めててるてる坊主を貼って返す。だが、翌日は雨だった。てるてる坊主が効かないと返ってきた。頭を抱えてうなる。
 ぎっしり書いてあった日記の文字数が減っていき、シールが消える。文字でもシールの話題が消えた。最近は食べた夕飯のメニューとか、授業のこととか、短い文字が並んでいるだけ。読んでてちょっと寂しい。
 そんなに頭が痛いのか。いや、忙しいのかな。委員長だし。他の一軍男子ともっと仲良くなって遊びに行くようになったとか。最近はオレも他の子と遊んだりするし、真野も仲良い誰かができたのかも。
 ちょっと複雑だったけど、真野が寂しそうな顔をしないならいい。きっと家にひとりでいるよりそっちがいいに違いない。
 ……そう思うのに、教室での真野は突っ伏して、増して近寄りづらくなった。オーラが強くなったというより、弱くなった。周りが「大丈夫?」と話しかけても、手がひらっとあがるだけ。
「真野、大丈夫かな」
 朝登校すると、クラスメイトがひそひそと話していた。
「雨で頭痛ってあんなにつらいんだ。かわいそうだよね」
「痛み止めって効かないのかな。そっとしておいてあげよ」
 真野の周りから人が少なくなっていく。一方のオレはクラスメイトとのシール交換だけは順調で、真野とはシール帳を見ることが少なくなった。
 真野、大丈夫? 交換日記でそう書こうとしたけど、なんか怖かった。もしかしたらうざったがられるかもしれない。恋するとたまに臆病になる。でも、真野のことは気になる。
『真野、明日はヒマ? 明日の天気は曇りで雨降らないって』
 夜、そうメッセージを送った。
『久しぶりにふたりでシール交換しない? 秘密基地集合で』
 じっとスマホを見つめる。すぐに既読の印がついた。一分、二分、五分。
 十分たって「りょ」という短い文字が返ってきた。
 どうしたんだろう。これ、本当に雨のせい? ……オレ、もしかして嫌われた? 理由が分からないと怖い。
 体がひやっとする。ため息を振り払って、机の上にレジンの道具を並べた。真野に元気になってほしい。肉球のシールを作っておこう。これで少しでも笑ってくれたらいい。