翌日がゴールデンウィーク前日で、真野から交換日記が返ってきた。家で広げてため息をつく。
『今日は席替え。日向の髪のつむじは左巻き。後ろからよく見える』
やっぱり観察されてるし。自分のつむじの方向なんて初めて知った。でも、そんなどうでもいいことを書けるのが交換日記のいいところだ。
『日向、プリントを渡すたびに「はい」と言う。今日は三回言った』
自覚なかった。普通って言わないものだっけ。中学の最初どうやってたかなんて覚えてない。
ピンクと水色のシールがノートの端に雨を降らせていた。ゴールデンウィークの予報は雨と書いてある。また頭痛か? それはちょっとかわいそう。
実際、その日の午後から雨が降りだした。スマホで天気予報を確認したけれど、明日も雨。でも、雨粒のシールを見ていたらシールを買いに行きたくなった。
今の季節ならそろそろ紫陽花が発売される。紫陽花はコレクションしていないから、ゴールデンウィーク中にゲットしたい。そして、真野にピンクの入った紫陽花をあげたい。
翌日、雨の日は人出が少ないと予想してスニーカーを履いた。ぼつぼつ傘を叩く雨の音を聞いて、文房具屋を回る。
電車に乗って隣の中心部まで行ったけど、収穫はゼロ。都会のほうが逆に在庫は少ないのかもしれない。
その次の日は少し郊外へ。午前中は空振りだった。
でも、水溜まりを蹴って歩くのは楽しい。雨の日にわざわざ出歩くなんて、前のオレならしなかった。今は、渡したときに真野がどんな顔をするか、それだけで動ける。
ファーストフードで腹を満たし、一店一店探して回る。
「あっ」
紫陽花のシールを見つけたのは三軒目の店だった。一気に顔が熱くなる。
紫陽花の青、紫、ピンク、カタツムリとカエル。特にカエルがかわいい。葉の傘を差している。
ふたつ買ってひとつは真野にあげよう。そう思って手を伸ばしたが、手書きの文字が目に入った。
『おひとり様一点まで』
ぴたっと手が止まる。でも、すぐに一枚手にした。真野なら半分こしようと言ってくれるはず。
その日半日使って買えたのは一枚だけだった。だが、その一枚が一日の努力の結晶だ。輝いて見える。
夜、シールを半分に切ろうとしてはさみを持った。シートを切るのはちょっとためらわれる。でも、分け合いたい。ていねいに切って、百均で買ってきたマスキングテープで交換日記に留めた。その横に「半分だけどあげる」と書き入れる。
『紫陽花の季節が来ると思って探しに行ったら見つけた。ラッキー』
マステは真野が好きそうなピンクのチェック。早くこれを真野に渡したい。ゴールデンウィーク明けが楽しみだ。
学校が楽しみだなんて、なんか変な感じ。
オレは自分の分を貼るためにシール帳を広げた。
ゴールデンウィーク明けは朝から体育だった。HP使いすぎ。お腹が空いた。
真野が購買のオススメは焼きそばパンだったと思い出す。休み時間に焼きそばパンを求めに購買へ行く。入荷前なのか、一度売り切れたのか、売っていなかった。残念。
だが、放課後になるとスマホがチカチカとメッセージを受信した。また鞄の中でスマホを見ると、今真後ろにいる真野から呼び出した。
『階段上集合』
あ、シールに気づいたな。内心にやにやしながら鞄を肩にかける。
真野が誰かと話しているのを尻目に教室を出る。キュッと上履きが軽い音を立てて、さっさと屋上前までのぼった。薄暗い踊り場に午後の光が斜めに入って、オレのオーロラの手帳が少し光る。
しばらくするとタンタンと階段を駆け上る足音が近づいてきて、ひょいと真野が顔を出す。
「日向、すげえ!」
真野が目をきらきらさせて大きな声を出した。慌てて口の前に人差し指をさすと、真野も慌てたようにしゃがんでオレの隣に座る。だが、嬉しそうに鞄を開けて日記を取り出した。
「紫陽花、すげえ嬉しい! つやつやしててちょっと雨に濡れてる感じがする!」
「久しぶりにひとりで見つけたシールに興奮した。カエルがかわいい」
オレが真野の持っているシールを指さすと、真野が嬉しそうにカエルを指でなぞった。
「お礼に紅茶を買ってきた。普通の紅茶とレモンティー、どっちがいい?」
「えっありがとう。じゃあ普通の紅茶で」
真野が紙パックの紅茶にストローを差したので、オレも差す。
「日向、シール帳に貼っていい?」
「オレはもう貼った」
オレがシール帳を見せると、真野もシール帳を鞄から出して開く。例の「日向と分け合ったやつ」のページだ。タイルシール、アイスとゼリー、手作りシール。その中に紫陽花のシールを一枚ずつ貼っていく。
真野のシールの貼り方は本当に几帳面。シートに貼ってある配置を完全に再現できている。以前雨粒のシールをマスキングテープで留めていたときも、ビシッと真横に狂いなく貼られていた。
「今日貼るのはこの半分まで」
「なんで」
「半分は家用のシール帳に貼る。大事なシールだから」
真野が当然のように言う。こいつ、そういうことを本当にさらっと軽い顔で言う。
真野は途中まで貼ると、あとはシートに貼ったままシール帳の後ろを開けた。そこにはファスナーつきの袋があって、細かいシールを入れるのに使っているらしい。家用の紫陽花もそこにしまわれた。そして改めて貼った紫陽花を指でなぞる。
「半分でごめんな。おひとり様一点の店で」
オレが言うと、真野は首を横に振った。
「半分に切ってあるのが逆によかった」
「え?」
「分け合ったって感じするだろ。俺ひとりで持ってるより、日向も同じのを持ってるほうがいい」
真野、性格よすぎない? すごく嬉しい。そんなこと言ってくれるなんて思わなかった。
階段の踊り場に急に沈黙が落ちた。空中のほこりが光できらきらしてる。遠くで鳴る金属バットの音。トランペットたちの楽器のハーモニーも少し遠い。
「……二日かかった」
つい、口からこぼれた。
「最初の日、全然なくて。次の日郊外まで行った」
「マジで? このシールの生息地、うちの市じゃねえのかよ」
「そう。こっちに引っ越してきたばっかり」
オレの言葉に真野がくくっと笑う。その顔が予想以上に楽しそうで、なんだか口がむにゃむにゃした。視線を逸らす。
照れる。イケメン、こっち見んな。ごまかすように膝の上で腕を組む。
「今の季節なら紫陽花があるかなと思って。で、ピンクが入ってるのがいいなって見てたら、あれ見つけて」
真野はしばらく黙って、その紫陽花のシールを指先で軽くなぞった。それから、少しだけ笑う。
「そういうの、ずりい」
「え?」
「嬉しくなるだろ、普通に」
低い声でそう言われて、ますます困る。嬉しいのはこっちだ。そんなふうにちゃんと喜ばれたら、またなにか探して渡したくなる。
「雨粒のシールもそうだけど」
真野がぽつりと言う。
「季節のやつって、そのときのこと思い出せるから好きなんだよな」
雨粒。紫陽花。たしかに、今この時期だけのシールだ。
「じゃあ、次は夏を探さないと」
「気が早くね?」
「ひまわりとか、金魚とか、蚊取り線香とか」
「あとはスイカとトマトときゅうりだろ」
「真野、絶対食いもんに寄るよな」
「食いもんは裏切らねえ」
そこでふたりで笑う。なんか、こういう時間が増えた。真野はイケメンで、一軍男子で、クラス委員長で、お堅そうな名前で。近寄りがたさ100パーセントなのに、今じゃ誰よりもしゃべってる。
真野といると楽しい。真野といると未来がちょっと明るくなる。家にいた三年間は季節もろくに感じていなかったけど、今はそんなことも楽しみになった。
シールのせいかもしれない。梅雨の前になれば紫陽花のシールが出て、きっと夏になればひまわりや金魚が並ぶ。季節が変わるたびに探しに行くことができる。季節が、ただ過ぎていくものじゃなくなった。
「日向、そっちの紅茶ちょうだい」
突然、真野がこっちに乗り出してきた。オレの手元にあるストローに口をつけてちゅーと吸う。そしてオレには「こっち飲む?」と紙パックを差し出してくる。
わ、飲み回しだ。えっ、これって友達でもやるのか。びっくりした。カップルがやるもんだと思ってた。
「え、えと、ありがと」
どこまで口をつけていいかわからなくて、ストローの先端でレモンティーを吸った。普通の紅茶よりちょっと甘い。
そこでチャイムが鳴った。放課後の終わりを知らせるみたいに、階段の壁に音が反響する。立ち上がろうとしたとき、真野がもう一度だけシール帳を見た。
「やっぱりこれ、好きだな」
「カエル?」
「そこもだけど」
真野がこっちを見る。
「日向が選んだやつっていうのが」
またそういうことを言う。心臓に悪いからやめてほしい。
翌日返ってきた日記には改めての紫陽花の例と、夏にほしいシール一覧が書き込まれていた。


