ルーズさが売りの俺が、生真面目クラスメイトに懐かれています

「ここでは、彼の気持ちを示す言葉に、~を使っていて」

 授業はもう始まっている。
 教科書、ノート、周りのカリカリ届く筆記音。全部、授業に必要なことだ。

 目の前に見えている文字をノートに書き写しているが、その実、ぜんぜん頭には入ってきていない。

 国語の先生が、小説の登場人物の気持ち、ということを解説していることはわかっている。

「この先を読めばわかるのですが、彼は、好意を示そうと言葉をかけていたんです」

 先生の口からあふれる丁寧な言い回しを聞きながら、俺は目の前にそびえ立つ背中を、じっと見る。

 先ほど、五十嵐と遭遇した休み時間のことを思い出していた。

 前の授業は移動教室。

「宇田将也」
「え」

 渡り廊下を歩いていたとき、珍しく、五十嵐から声をかけられた。振り向く前から彼と気づいたのは、フルネームで他人を呼ぶ男を、五十嵐しか知らなかったから、というだけで、それ以上の関心はなかった。

「……なんだよ、五十嵐」
「髪」
「はあ?」

 端的に指摘されたことばに、動揺した。しかも、ちょっと強めに、怒られているんじゃないかという勢いだった。


 いつも、座ったまま、多少の視線しか感じないから、正面に立って、同じくらいの目線でガタイのいい彼に、余計にドキドキした。たぶん、ビビっていただけだ。

 俺はそんな風に思っていたというのに、五十嵐はズンズン俺に近付いてきて、肩すら触れそうな距離まで辿り着いていた。

「あ、の、だから」

 若干見下ろされている気がしないでもないが、五十嵐は、無言で俺の頭に手を伸ばしてきた。

 一応、校則で許されている天パが、ちゃんと美容室でかけるようなオシャレ扱いされて殴られるのかも、とぎゅっと目をつぶった瞬間だった。

「……」
「ん?」

 かさり、と俺の髪の毛をすくって、何かが抜けていった。
 目を開ける。五十嵐のでかい手が、そこにある。ということは、彼が、今、俺の頭に手をかけたということか。

 先ほどの刺激の内容を理解して、気付く。
 間近にあるのは手のひらだけじゃない。

 五十嵐がこっちを覗き込んでいて、鼻だって当たりそうな距離に男の顔がある。
 こんなガタイのくせに、意外とヒゲは生えてないんだな、と思ったところで、慌てて彼を払いのけた。

「……っ、え、わ!」
「……ああ」
「んだよ。そんなじっくり見なくても、これ、地毛だっての!」

 ぶんぶん腕を振り回していた俺に、一度離れた五十嵐は、こちらにすっと近付いてきた。

 もう一度、手のひらも近づいてくる。殴られるのも怖いが、なんか目を逸らしたら負けだと思って、彼をじっと睨み付ける。

 そして、俺のぞんざいにまとまった天パに、五十嵐の手がまた絡んだ。
 動いてしまえば、どこかで毛の絡まりがあって引っぱられるかもと、動けずにいた俺を見ても、動揺の色ひとつ、五十嵐には見えなかった。

「地毛なんだな」

 すっと、毛先だけが触れたかと思うと、五十嵐の手は、ゆっくりと離れた。

「そこは否定していない」
「え」
「ついてただけだ」
「……っ、」

 見せられたのは、まごうことなきゴミ。どう見ても、ほこりの毛玉。

 ただの気遣いを、俺は、説教と勘違いした。普通に、否定されると思ったら、単純に気遣いのできるいい男なだけじゃないか。

 自意識過剰すぎて、めちゃくちゃ恥ずかしくなって、俺は、思わず顔を背けた。たぶん、さっきまでほこりっぽい準備室の片付けを手伝わされていたから、そのときに落ちてきていたのだろう。
 それはいい。が、問題はこの状況。俺の心臓。その他もろもろ。ドキドキしている。おかしい。相手は五十嵐だぞ?

 でも、一応、ここは礼儀として言うべきこともあろう。

「あ、りがと」
「ああ」

 それじゃ、という一言すらなく、五十嵐は俺を置いて去ってしまった。
 どういたしまして、もなく、ただ相づちの「ああ」しか言われなかった。周囲には幸い、誰も居なくて。

 いや、いいけど。
 それでも別に構わないけど。

 むしろ俺の方が、しょうもないことで内心わーわー言ってただけだけど。
 だが、思ってしまたのだ。

 指摘されたときに、見えた顔は穏やかそうで。
 言葉以上に、キザっぽい行動が似合っていたことに、衝撃を受けたのだ。

「なんだよ、あいつ」

 悪態は彼の背中に届くことなく、春の陽気に消え去ってしまった。

「じゃあ、今日の授業はここまでー。みんな復習しておくように!」

 え、と思ったときには、黒板に書かれた文字は、ノートの上のものとは全然違っていた。
 ちら、と隣を見れば、挿絵のイラストもなんだか違う。

 うたた寝していたと気づくには十分で。
 慌てて写した内容も、日直がさっさと消してしまって、跡形もない。

「くっそ……」

 呆けていた俺が悪いのはわかっているけれど、前に座る五十嵐を睨みつけ、俺はガシャガシャと机の上の教科書を入れ替えたのだった。