ルーズさが売りの俺が、生真面目クラスメイトに懐かれています


 昼休み。別に自分のクラスで食べてもいいが、あえて度会のいる一組に来て食べている。

 正直、どこで食べても一緒とは思っていたものだが、今の俺にとっては癒やしを感じる唯一の場になっていた。

「はー……」

 なんてったって、目の端には、あの青木さんがいるのだ。
 彼女のささやき声も、俺の耳にはよく響く。
 きっと普段からおしとやかだから、そう聞こえているのだろう。

 その合間に、ノイズのように聞こえるバリバリむしゃむしゃの咀嚼音。
 目の前の度会は、俺のことなんか何にも気にしていないように、購買で買ったパリパリのからあげ弁当を貪っている。

 この状況に、ため息をついてしまうのも、仕方のないことだろう。

「なんで度会は一組なんだよ」
「しらねえよ」

 メシを食いながら話しているが、同じクラスだったときと違って、別にそこまで話題はない。
 前までは帰宅部同士だし、一緒に帰ることもあった。けれど、クラスの変わった今、あえて時間を調整してまで帰ろうとも思えない。
 薄く疎遠になったはずの度会と飯を食う必要はないわけだが、俺は己のメリットのために、ここに来ていることになる。

 ここに来れば青木さんを見られる。ただそれだけ。

 たぶん、度会もそれは了承してくれていると思う。たぶん。

「こっち、マジ癒やし。うちのクラス、本当きつい」
「三組の担任って」
「……また、真中センセー」
「あー……ご愁傷様」

 天井の何かを探るように、目線を上げた度会は言った。
 去年も真中先生のクラスだったから、その空気感もお互いに知ってる。

 普通に穏やかそうに見えて、宿題や提出物を忘れたら、なにかにつけて仕事的なものを倍増させてくるタイプの鬼だ。

 だいたいバカな奴らでも一回それを食らってからは慎重になった。「ここまでしかできませんでした」は割と言い訳にならないと知り、真面目に宿題に取り組むえらいクラス、なんて評判が出てたらしい。

 けど、それは単純に「これから先、一生宿題漬けになりたくない」というみんなの執念のおかげなわけで。

「まじで一組当たりすぎだろ。青木さんもいるし、稲葉センセーとか」
「いや。真中センセーでも普通に宿題忘れなきゃなんもねーだろ。お前が悪い」
「知ってる」

 そして、早くも俺は、去年以上に宿題の倍増フラグが立っている。

 出されている課題の設問の意味がそもそもわかっていないのだから仕方がないと、半ば投げやりに思っている。

 連立するので思いつくのは政党くらいしかわかんないし。というか、選挙ですらもよくわかっていないし、これでもうすぐ投票とか恐すぎる自覚はある。

「おう、じゃあちゃんとしろ」
「うっせ。俺がそういうの向いてないの知ってんだろ」
「知ってるけど」

 できないものは仕方がない、と本音そのままを言ったらきっと親は泣くんだろう。
 別に、俺は中卒でもいいかもって言ったけど、金は払うから高校は出て、と文字通り泣かれたので通わせてもらっている。
 が、それでどうなるというのか。

 暗い想像に、ぴた、と食事の手が止まった俺を見て、度会は言った。

「いっそ、アレに聞いたらいんじゃね?」
「アレ?」
「お前の前にいるやつ」
「……あー、ね」

 度会の言うアレ、は五十嵐のことだろう。
 一応、想像した。俺が頭を下げて、目の前の五十嵐に相談するところを。

 背が高くてガタイもよくて、俺が少し見上げるくらいの奴に向かって、九十度腰を折り、そして――。

「……」

 しかし、その想像は五秒ももたなかった。

 うん、無理。
 秒で断られて終わる未来しか見えない。「宿題は自分でやるもの」みたいに言われる気がする。「アホか」みたいな目で蔑まれることもあるだろう。
 だったら、素直に「忘れました」でいい。なんとなく、俺はそう思っていた。

 わからないものが増えたところで答えられるわけがないし、倍々に増えたところで結局わかりませんを積むだけなら変わらないだろう。
 そうしたほうがいい。

 そんなことを思いながら、購買のふわふわパンを口に含んで咀嚼する。
 近所のパン屋さんが作る惣菜パンのうまさはピカイチで、俺はここの野菜サンドが好きだ。
 自分でやると具材がべちゃべちゃになるし、パンもパサついている気がする。
 
 俺は、これを青木さんのささやきとともに食べるために学校に来てると言ってもいい。
 いや、ちゃんと、勉強する気はある。多分。ちょっとだけ。

「どうせなら」
「うん?」
「……賢くなりてー」
「無理だろ」

 さっぱりとした度会の声とともに、予鈴が鳴った。
 口からは「よくなりたい」と出せるのに、実行に移せないのだからタチが悪い。

 きっと、今のダラダラしたい俺のままでいたいだけなんだと思う。
 去年一年でそれを知られているのか、どうでもいいだけなのか、度会は軽快に話をしてくれるので、俺としては本当に助かっている。

「なら賭けろよ。今年中に俺の順位半分くらいになったら、ちゃんと奢れよおまえ」
「ええー。どうせ無理だろうから別にいいけど、昼メシしか奢らねえからな」

 話半分で相槌を打つ度会に文句を言おうと思ったら、予鈴が鳴ってしまった。
 とにかく言いたいことは言わねばと俺は巻いて言い放った。

「じゃあ、昼メシにレンガの最高級からあげドッグ大人買いさせてやるからな! じゃあな!」

 自分の教室に戻る一瞬の間に、俺の頭の中は、ご褒美でいっぱいになっていた。

 レンガは、件のパン屋さんの名前だ。
 ノーマルからあげと違って、ちゃんとからあげ屋さんで揚げられた揚げたてからあげに、シャキシャキキャベツとレタスが挟まれた、一週間前から店舗で予約しないと食べられない高級品。
 高価すぎるせいか、いつもラミネートされた商品写真とともに「予約受付中」のポップが立っていて、一回だけ、それを持って出ていく年配のおじさんとすれ違ったことがあった。
 そのおじさんも、めちゃくちゃ嬉しそうな顔をしていたのだから、それ相応の価値があるに違いない。

 もちろん、実店舗に行かないと買えないそれを、俺は「一生のどこかのご褒美で」と思っていた。
 不意に口から出たのは、きっと先ほど食べていたのがノーマル唐揚げドッグだったからに違いない。

 仕方がない。ずっと言い聞かせている。

 俺だって、少しくらいは賢くなりたいし、飛び交うXやY、点Pと和解したいとは思っている。
 しかし、俺の頭に浮かぶものは、いっそほかの記号に変わってくれたら少しはわかりやすいのに、と考えて、Xの代わりに二つ並ぶ絵文字を想像したところで数学の先生にしばかれたくらい、適当な男だ。

 誰に聞いたところで、きっとなにも変わらない。
 目の前にそびえる逞しい背中をにらんだところで、その高みへ至ることはできないだろう。

 さらさらと滑るシャープペンシルの音だけが、自分の前から響くのに、俺の机の上では板書ですら追いつけないほどのへにょへにょの文字がのたうち回っている。

 ――こいつ、わかっててノート取れるんだろうな。

 そう考えているうちに、連立方程式は平面のグラフに変わったらしい。教科書を追いかけてもその過程がわからない。

 ――また、宿題増えそう。

 脳内で俺は、あっけなく諦めの境地に達したのだった。