辺境貴族に転生した僕は、追放されてしまった悪役令嬢を守り抜く

 私ことユリィア・ラ・レーロンスにとって、目前の光景はあまりに信じがたかった。

 すべてにおいて平均以上の能力を誇る強敵――ブラウンゴーレム。
 戦闘経験を積んできた兵士や冒険者でさえ苦戦する相手ゆえに、もし仮に相対することがあっても、絶対に逃げなさいと教わったことがある。

 私は今年十五歳になったばかり。
 これから学園に通って、人生の進路を考え始めるような頃合いだ。

 そして彼――アディオ・フィ・ルクサーも現在十五歳だったと記憶している。
 戦闘経験は当然ろくにないはずなのに、彼はブラウンゴーレムをあっさりと倒してみせたのだ。しかも呪文を詠唱することもなく、見たこともないような術を使って。
 アディオ本人は「魔力がないから」と謙遜しているが、まったくそうは感じない。
 まだ学生にもなっていないのに、ブラウンゴーレムに太刀打ちできる者がいるはずないからだ。

 もっといえば、研鑽を積んだ冒険者たちでさえ、一撃で倒すことは難しいだろう。

 冒険者たちには、戦闘能力に応じて、上からS、A、B、C、D、Eのランク付けがなされている。もちろん、最下位のEランク冒険者とて、私たちに比べればはるかに強いはずだ。

 あのブラウンゴーレムは、Cランク冒険者でやっと勝利できる相手。
 それもアディオのように一撃で倒せるわけではなく、激闘の末にようやく倒せる強敵だったはずだ。
 そんなブラウンゴーレムを、まさか学生にもなっていない子どもがいとも簡単に倒すなんて……王都の者が見たら、まず間違いなく卒倒するだろう。

 ――正直なことを言えば、私は彼との縁談が本当に嫌だった。

 名高きレーロンス公爵家と比べれば明らかに格下だし、しかも相手は長男ですらない男。なんの学もなく、さりとて突出した才能も持ち合わせておらず、ひたすら魔法実験に打ち込んでいる変人。
 それがアディオ・フィ・ルクサーという男だ。
 そんな男との縁談を喜ぶ貴族など、世界広しといえどもどこにもいないだろう。

 もっと言ってしまうと、アディオ本人も私にとって好きなタイプではない。
 冴えない風貌も去ることながら、自分の世界に入り込んでしまうとまわりが見えなくなる男。そこに気品やスマートさは一切感じられず、私の憧れる〝王子様〟とは明らかにかけ離れた人だった。

 最初出会った時も、何やらモゴモゴと言い淀んでいたし……。
 オブラートに包まず言えば、正真正銘、タイプではない男だった。
 けれど。
 
 ――僕はあなたのように、強い魔法を扱うことはできません。けれど……こうやって自分の好きなことを突き詰める毎日は嫌いじゃないんです。公爵令嬢様から見れば、滑稽に見えるかもしれませんけど――
 ――でも、僕はこの実験結果を満足に思ってるよ。魔法の才能がなくたって、ある程度は戦えることがわかったからね――
 
 周囲の評判を気にすることもなく、貴族としての在り方に縛られることもなく――。
 自由気ままに生きている彼の姿を見て、少し心が揺れているのも事実だ。
 世間の期待に応えるのに精一杯だった私にとって、それはある意味で新鮮な在り方だったから。

 ――わかっているだろう? おまえは栄えあるレーロンス公爵家の長女。それに見合った振る舞いを心がけなさい――
 ――はは、さすがはレーロンス公爵家の令嬢様だ。気品があってお淑やかで……君なら隣にいても恥ずかしくないよ――

 かつて王太子と婚約していた時、まわりに投げかけられた言葉が思い起こされる。

 おまえは公爵家なんだから。
 おまえは王太子の婚約者なんだから。
 そんなふうに勝手に期待されて、勝手に役割を押し付けられて。彼らの望む通りに生きることが〝当たり前〟だと思っていた私にとって、アディオの在り方はたしかに斬新だった。

「それでね、聞いてよ。さっきの話の続きなんだけどさ、いわゆる〝普通の魔法〟っていうのはね……」

 今もなお楽しそうに語り続けるアディオを見て、私は思わず苦笑する。
 私の人生、完全に終わってしまったと思ったけれど。
 彼のような生き方も、実は悪くないのかもしれない。

 ――こんなに長々としゃべり続けられると、さすがにうざったいけれどね。

「あ。いま笑ったかな? ユリィア」

「へ…………?」
 言われてはっとする。
「し、知らないわよ。気のせいじゃない?」

「へ~? 実は魔法の魅力に気づき始めたんじゃない?」

「な、なに言ってんのよ! それは絶対ないわ!」

「……そう」

 なぜこんなことで絶望するのかわからないが、露骨に肩を落とすアディオ。

 本当、調子が狂うったらない。
 私は王国でも名高いレーロンス公爵家の長女。
 こんな態度で接してくる人なんて、老若男女問わずいなかったから。

 ――――いや。
 なに気を緩めているんだ、私は。
 私は王太子毒殺の濡れ衣を着せられてしまった身。
 世間体を考えてとりあえずは釈放されたけれど、ただひとり真実を知る私は、彼らにとって邪魔な存在でしかない。

 そう。
 私を陥れたレーロンス公爵家の次女、ニーナ・ラ・レーロンス。
 そして彼女と結託して私を罠に嵌めた、ユーガント・ファ・エルドーア。

 彼ら二人は、私を一刻も早く始末しようと機会を窺っているはずだ。

 私に汚名を着させられている今のうちに、誰にも気づかれず、極秘裏に消し去ってしまおうと。

 ルクサー家に来る時も、何度か怪しげな気配を感じ取った。
 このまま彼と一緒にいては、アディオまでをも巻き込んでしまうかもしれない。
 彼はかなり変な男だけれど、だからといって嫌いにはなれない。余計なトラブルに巻き込まないためにも、あまり一緒にいすぎないほうがいいだろう。

 彼の願いは魔法実験に打ち込み続けること。
 貴族たちのくだらない痴話喧嘩に巻き込むわけにはいかない。

「ねえ。ここまで来て悪いけれど、いったん解散しない?」

 だから私は、隣を歩くアディオにそう提案した。

「へ? なんで?」

「だって当然でしょう? 忘れてるかもしれないけれど、私はレーロンス公爵家の長女よ。こんな汚いところをずっと歩くなんて……ちょっとは気を遣ってほしいわ」

「…………」

 さすがに言いすぎてしまったかもしれないが、彼はストレートに言わないと理解してくれないだろう。
 今や私は悪女と呼ばれる女。
 これくらいズバっと言ってしまっても、もはや違和感などないはずだ。

「……そうか。やっぱり、僕の予想通りだったみたいだね」

「へ……?」

 なんだ。
 何を言っているんだ?
 不思議に思って顔をあげたが、アディオは私を見てはいなかった。

 私の背後――はるか遠くの地を見上げて、厳しい表情を浮かべていたのである。

「グワァォオオオオオオオオオオオン‼」

「…………っ!」

 瞬間、あたりにおぞましい咆哮が響き渡り、私は思わず肩を竦ませる。
 おそるおそるそちらに視線を向けると――そこには見るもおぞましい複数の巨大蛇がいた。

 いや。
 よく見てみると、あれでひとつの個体か。
 およそ九つの〝蛇の頭〟が見られるが、それはすべて同一の胴体から伸びている。
 周囲の木々すら圧倒するほどの巨体に、黒紫に染められた禍々しい鱗。それぞれの蛇の目は妖しげな光を放っており、否が応でも、あれが普通じゃない魔獣であることが伝わってくる。

 死蛇ヒュドラー――。
 先ほどまで戦っていたブラウンゴーレムなどまるで比較にならない、冒険者ランクで例えるならS相当の怪物だ。
 当然、街の近くにあんな魔獣が住んでいるはずがない。

 そう。
 まず間違いなく、あの二人――ニーナやユーガントの差し金だろう。
 近くにはアディオがいるのに、まさかこんなにも早く動き出してくるとは――‼

「いけない! 逃げて、アディ――」

「かはぁっ……」

 慌ててアディオに避難を呼びかけようとしたが、しかし間に合わなかった。
 ヒュドラの放った、黒紫の可視放射。
 それが一瞬にして、アディオの胸部を貫いていったからだ。
 あまりに無慈悲な、即死級の一撃。

 アディオは声もなく後方に吹き飛ばされていき、今やどこにいるのかもわからない。

「……どうして」

 気づいた時、私は両の拳を握りしめていた。
 あの二人が私を狙おうとするのはわかる。
 私という女が邪魔で、一刻も早くこの世から消し去りたいのもわかる。

 けれど、アディオは関係ないではないか。
 さっきまで大好きな魔法実験に勤しんで、楽しそうに魔法について語っていて。私とさえ関わることがなければ、今でも奇妙な声をあげながら魔法実験を続けていたはずなのだ。

 なのにあの二人は――その無関係なアディオさえも巻き込んだ。

 許さない。許さない。
 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。

 あいつら、絶対に殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!

 いつの間にか、私の周囲をドス黒いオーラが取り巻いていた。

 自分自身でも感じ取ったことのないような、未知なる力。
 いったいどこにこんなエネルギーが眠っていたのか、自分でも到底わからないが――今はそれを考えてはいられない。

 目前に立ちふさがる、死蛇ヒュドラー。
 そしてこいつを極秘裏に召喚したと思われる、ユーガント第一王子に妹ニーナ。
 その二人を滅さないことには、この怒りは抑えられようもなかった。

「ゴガァァァァァァアアア……!」

 目前の死蛇ヒュドラーは、それぞれ頭部の両目を光らせながら私の前に立ちふさがる。
 そのまますべての蛇が口を開け、攻撃の体勢を取り始めているが……。


「――あはははは! 素晴らしいじゃないか‼ 今度は君が実験相手になってくれるのかい⁉」

「え……?」

 思わぬ声が周囲に響き渡り、私は思わず目を丸くする。
 この場違いなほど明るい声。
 異様なほど魔法に執着しているような会話内容。
 考えるまでもない。まさか――‼

「あなた、どうして……?」

「え? なにが?」
 さっき死蛇ヒュドラーに胸を貫通されたはずのアディオ・フィ・ルクサーが、なんと実に澄ました顔で歩み寄ってきたのである。
「ああ、そうか! 僕がなぜ生き残れたのか、魔法実験の絡繰りを知りたいんだね⁉」

「いや。そうじゃなくて……」

「簡単な話さ! 僕の体内に眠る魔力を、一時的に胸に集約させたんだよ。そうすればあんな攻撃くらい屁でもない。言ってしまえば、まあ〝魔力の糸〟を操るのと原理は同じだね。ちょっと扱いは難しいけれど」

「…………」

 信じられない。
 正直言っていることの八割はまだ理解しきれていないが、死蛇ヒュドラーの攻撃は、それこそSランク冒険者でさえ致命傷を負いかねないほどの破壊力を有しているはずだ。

 そんな即死級の攻撃を、彼はたしかに凌いでみせた――?

「それから……ようやくわかったよ。ユリィア」
 私が戸惑っていると、アディオがふいに神妙な顔つきで言葉を紡ぐ。
「さっきの反応からして、君は悪女じゃないね。おおかた、あの性格の悪いニーナに嵌められたってところかな」

「へ…………?」

「あの死蛇ヒュドラー……。あれの召喚を君の陰謀ということにして、ついでに僕らを殺そうとした。そうじゃない?」

「…………」

 どうして。
 どうして何も知らないはずの彼が、こんなことを……。

「だから、もう泣かないでよ。ユリィア」

 いつの間に涙を流してしまっていたらしい。
 アディオは私の頬に流れる雫を拭い去ると、くるりと振り返り、死蛇ヒュドラーに向き直る。

「こんな僕なんかに言われても嬉しくないかもしれないけど……。せめて君が汚名を返上するまでは、僕が守ってみせるからさ」