一匹狼と妖精さん


 言えた。
やっと言えた。

 貸し出しの延長を…なんていうのは口実でしかなかった。
ただ、どうしてもこのままではいられなかったんだ。
だからってこれは僕の問題であって、僕の自己満足でしかない。
 図書室から戻り席に着く。
予鈴が鳴るまでまだ少し時間がある。
手にしていた本を開こうとした時、隣の席の石山君が声を掛けてきた。
彼は僕とは真逆なタイプのイケメンで、なんだかキラキラしていていつも皆の中心にいるような存在だ。

「もしかして、図書室行ってた?」
「え?…あー、うん」
「マジか……じゃあ、あの人いたでしょ?」
「…あの人?」
「ほら、三年の…髪染めててガラ悪い感じの…」
「あー…うん、いた…けど……」
「大丈夫?…恐くなかった?絡まれたりとか…」
「うーん…割と普通に…仕事してた、かも」

珍しく僕に声を掛けるなんてと思ったら、そういうことか…
あの人、見た目からして怖いもんなぁ。
実際、僕もビビりまくってたし。
でも案外普通っていうか、優しいところもあるかもっていうか。
とはいえ、怖いと言えば怖い。
怖い人独特の…なんというか、ヤバいスイッチがある感じ。

「知ってる?あの人、入学早々に暴力騒動起こして謹慎になったらしいよ」
「そ…そうなんだ……」
「この学校じゃ珍しいし、結構有名な話だよ。だから…」

その続きは予鈴によって阻まれた。
とりあえず苦笑いでその場を濁して午後からの授業の準備をした。

 放課後。
教室を出て僕の進む先は美術室。
扉の前まで来て、扉に手を掛けようとして手が止まる。
一旦手を握り締めてもう一度手を伸ばすも、扉に触る事はできずその場を離れた。
 美術部への入部届けを提出してからもうすぐ一ヶ月が経とうとしている。
ところが僕は、まだ一度もこの部屋の扉を開けられずにいる。
部屋の前まで来てはみるものの、扉に手を掛けようとして手が止まる。
何度か手を伸ばしてみるも扉に触る事すらできずにその場を離れる……
そんなことをずっと繰り返しているのだ。
ここはあの時とは違うということは分かっているはずなのに……
今日もまた同じことを繰り返した末に、昇降口へと向かうのだった。
 廊下を進み、職員室の前に差し掛かった時だった。
誰かが言い争う声が聞こえた。
一人は体育会系な感じの男性教師のようだ。
そしてもう一人は…なんだか聞き覚えのある声…
その時『もういいって言ってるだろ!』と言ったときのあの人の声と重なった。

「何度言ったら分かるんだ!?」
「うるせーな!!俺の勝手だろ!!」
「だいたい入学早々に謹慎食らった奴が、いまだに進路も決めかねてる上にそんな格好で!
全く、西岡先生も甘いからなぁ…だからお前みたいな奴が調子こくんだろうけど……」
「はぁ!?
担任は関係ねーだろ!?
つーか、俺がどうしようとアンタには関係ねーだろ!!」
「俺は生徒指導だ。
お前みたいな奴を見過ごすわけにはいかないんだよ!」
「だからそういうのがウゼェっつーの!」
「なんだと!?やっぱりお前はこの学校始まっての汚点なんだな!!」
「…テメー……」

 あわや殴りかかるのではと思うほどの剣幕での言い争いの末、「話にならねー!!」と言い捨てて一人の生徒が職員室から飛び出し早足で去っていった。
あの髪の色。
やっぱりあの人だったんだ。
扉の前では先ほどの教師が、「コラ!待て!話はまだ終わってないぞ!!」などと怒鳴っているが、全く聞く耳を持つ様子もなく去ってしまった。
僕はとばっちりを受けるまいと、そそくさとその場を通りすぎる。
そして昇降口までたどり着くと、靴を履き替えながら先ほどの様子にぼんやりと思いを馳せた。
あの話…昼休みの終わりに石山君が言ってた話、本当だったんだ……
 染めた髪、着崩した制服にピアス。
そして暴力騒動で謹慎。
それだけで充分に不良とかヤンキーだと言われてもおかしくないし、僕なんかが関わり合いになることはないタイプの人だとわかる。
実際、初めて屋上で会った時は怖いと思った。
次に会ってもきっと、話すことはおろか目も合わさないだろうと思った。
それなのに図書室であの人の意外な一面を知って、あろうことか勝手に距離が縮まったようなつもりでいた。
あの話が本当だとしても、僕と接する時のあの人は面倒見が良さそうで優しいところこそあっても、意味もなく他人を攻撃するようには感じられなかった。
そして、人を寄せ付けないような出で立ちも…
何か事情があったのかもしれない。
だけど僕は、あの人のことなんて何も知らない。
 『また来いよ』なんて言葉、真に受けるわけじゃないし、そもそも図書室はまだしも、屋上まで行ったって何を話せば良いのかわからない。
ただただ気まずいだけだろうし。
それでも、建前無しで関わってみなければわからない事もある。
ただ、そのきっかけが見いだせないだけで……
 傷付かない為に人との距離を保ってきたことで、今更ながら自覚する。
僕はすっかり人との関わり方がわからなくなっていたんだ。