
前に進むべきなのは、俺とて同じはずだ。
そして、この感情のやり場にも……
水澄を美術室まで送り届けた俺は、図書委員の活動である本の補修作業へと向かった。
黙々とした作業は、余計な事を考えずに済んで良い。
何より、時間の経過が早かった。
作業を終え、昇降口へと来た俺は無意識に水澄の姿を探していたが。
しかしそこに姿は無く、まだ部活中かそれとも既に帰ったのか…
「船木少年を探しているなら、彼は少し前に帰ったぞ」
背後からの声に振り返ると、そこにいたのは美術部長の村前だった。
こいつはやけに物怖じもしない、癖が強くて変わった奴だ。
大概の奴は俺にビビるか関わりたくなくて、用もなく俺に話しかけようなんてしない。
しかし村前は誰に対してもフラットで、それは俺が相手だとしても変わらない。
「そうかよ」
「私は部長だから戸締まりや最後の確認のために残っていたのだ」
「それはご苦労なことで」
気の無い返事をすると、村前は煽るような口振りで続けた。
「それにしても、船木少年はなかなかに面白い子だな。実に興味深いとは思わないかね?」
「さぁな…」
「ふーん…君も彼には随分と肩入れしているように見えたが…気のせいだっただろうか」
「関係ねーだろ」
「いや、関係はある。彼は我が美術部の期待の部員だからな」
「だからなんだって言うんだよ?別に、普通にトモダチってやつだろ」
「ふーん…友達ねぇまぁ、少年を部活に連れてきてくれたことには感謝しよう」
いちいち遠慮が無くて癪に障る口振りだ。
俺と水澄がどう関わろうと、知ったことでは無いだろうに。
「ところで、君は案外に臆病なのだな」
「は?唐突だな」
「君が本心を隠すというのは、そういうことだろう?」
「意味がわからんな。つーか普通、誰彼構わず自分のことを喋らねーだろ」
「それもそうだが、それとは少し違ってな…まあいい、船木少年のことは私も一目を置いている。君にも心に留めておいてほしいところだな」
「なんで俺が?」
「そうだな……」
先程から何の脈絡もないような話を次々に振ってきやがる。
一体何のつもりなんだ。
「私はこういう性格故に敵も多い」
「…だろうな」
「そこはフォローしてほしいのだが?私とて、傷付くこともある」
「いや、事実だろ」
「む…そう言われると返す言葉もないが。実際、この性格が災いして今の美術部三年生部員が私と冴だけになってしまったのだからな」
「マジかよ…つーか、さっきから一体何なんだよ?結局何が言いたい?」
「私は私の信念を貫いてるだけだが、どうにも理解され難い。それでも…私がどんなに責められようとも、冴だけは私を尊重し、理解しようとしてくれた」
誰だっけか。
いつも村前と一緒にいる、地味で目立たない感じの陰キャっぽい奴だったような。
見るからに、村前とは正反対のタイプだろうに。
「ふーん、あいつか…意外っつーか、奇特な奴だな」
「そう言わんでくれ。冴は私の弱さも含め、ありのままを受け入れて傍にいて、私が一番欲する言葉ををかけてくれる。だから私も冴に対してそうありたいと思っている」
「親友ってやつか」
「そうだなぁ…平たく見ればそうとも言えるし、もっと深い関わりでもあるだろうな。君にも、そんなふうに思える存在がいるのではなかろうか?」
「…さぁな」
「ともあれ、船木少年のことは安心して我々に任せてくれるといい」
「それが一番心配な気もしなくはないけど?」
「ならば尚更だ。しっかり掴まえておくことだな。大切なものほど簡単に奪われたり、手の中からすり抜けてしまうものだからな……
では、私はここで失礼する」
意味ありげな言葉を残した村前は、俺の返事も待たずに帰っていった。
大切なもの。
まさか、こんな形で気付かされるなんて。
否、とうに気付いていたはずなのに、目を逸らせていたことを自覚したのだ。
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なんであんなことしてしまったんだろう。
例えそれが衝動的なものだったとしても……
国分さんが付き添ってくれて、僕は漸く美術室の扉を開くことができた。
そして翌日も、その翌日も…国分さんとは何事も無かったように過ごした。
顔を合わせているのに肝心な話はできないで、お互いに本心を隠したまま相手の気持ちを探るばかり。
『仕切り直す』と言ってくれたことも、『気持ちは同じ』って言葉も、無かったことになるのかな……
さりとて、僕のほうから話す勇気もない。
むしろ、僕の一方的な感情に国分さんを捲き込んでしまっているにすぎないのかもしれない。
好きだと自覚すればするほど怖くなる。
はっきりと否定されるのが怖くて、話題に触れることを避けた。
せめて『友達』なんていう都合のいい関係性に縋っていたくて。
傷付かない為に他人との距離を保っていたはずなのに、誰も僕に興味を持たない世界が居心地良かったはずなのに、結局深入りしてしまったが故に招いた顛末がこれだ。
あの時の感覚を思い出せば尚更に切なくて、自分で自分を抱きしめる。
足りない…こんなんじゃ、全然足りない。
僕達が屋上で出会わなければ、こんな感情も知らないはずだったのに……
部活終わり、美術室に残っているのは画材を片付けている僕と戸締まりを確認している本庄先輩との二人だった。
「お疲れ様。そろそろ片付けも終わりそうですか?」
「あ、はい、すぐに……」
「いえいえ、急がなくて大丈夫ですよ」
「すみません……」
「それはそうと、コンクールの題材は決まりましたか?」
「えっと、大まかな構図は浮かんだところで…下描きの下描きにはいろうかなと……」
「そうですか。なんだか楽しみですね」
「…そ、そうですね」
僕は、この人が苦手かもしれない。
はっきりした物言いと圧の強い村前部長とは違って、大人しそうで人当たりは柔らかいのに、その笑顔の裏の本音がわからなくて壁がある。
踏み込ませない為の一線を引かれているような……
そうか。
どことなく僕と似ているのかもしれない。
「船木君…実はね、私と月子だけは船木君のこと聞かされてたんです」
「僕の…こと、ですか?」
「その…昨年の…中学のコンクールのこと、なんですが……」
「それは……」
「こんなこと今言ったところで、なんて声掛けたら…気の利いた事も言えないのですが…
ただ、ここは…その時とは違うはずだから、思う存分にキャンバスにぶつけて欲しいなと思って…それだけです」
「…そうですか。えっと、僕も…できる限り頑張れたらと……」
「私も月子も、船木君には期待しているんですよ?」
「え?そんな…期待だなんて…僕なんて、全然……」
なんだか話が大きくなってきた。
何より、過度な期待をされても僕だって困る。
「期待ってね、受賞する事とかそういうのだけではないんですよ。船木君がこの先どんなふうに成長していくのか、それが楽しみでもあるんです。
それに私は…船木君の気持ち、少しはわかる…かもなんで……」
「僕の気持ち、ですか?」
「だから尚更、船木君には存分に力を発揮して欲しいですし、その芽を潰されることが許せないんです」
「どうしてそこまで……」
「私、月子とは中学からの友達で同じ美術部だったんですが、月子は部の中でも抜群に上手くて、皆、月子に取り入ろうと必至な感じだったんです。だから、月子が平凡な私と仲良くしてるのが気に入らなくて…なんて言うか…色々と矛先が向けられて。作品のことまで散々に否定されて……
それなのに、新聞社の作品展で私が受賞してしまったものだから…その、私の内向的な性格も相まって、『月子の偽物』なんて言われたり、そのうちに容姿のことまでも陰口とか。陰で変なアダ名付けられたり…アプリで悪口流されたりで。
そんなだから自己肯定なんてできなくなるし、トラウマだけが残って更に内向的になっていって。こんなこと、人生の中で全く必要無い経験だと思うんです」
「…先輩……」
拳を震わせる姿に、少しだけ先輩の感情が見えた気がした。
そして、胸を締め付けられるような感覚を思い出す。
この人は、僕と同じなんだ。
「でも、月子だけは『冴は冴だ』って言ってくれて、変わらず仲良くいてくれて…。月子がいたから救われたし、今でも美術部を続けられているんです」
そうか、本庄先輩には村前先輩という味方がいた。
僕には?
今までは誰も味方なんていなかった。
けど……
「船木君にも、多分…私にとっての月子みたいな存在がいるんじゃないですか?」
「僕にとっての…味方」
「そうです。きっともう、その存在に気付いてるんじゃないでしょうか」
「それは……」
「気付いているなら、逃げないで…絶対に手放してはダメですよ?…じゃないと、大切なものほど簡単に奪われたり、手の中からすり抜けてしまいますから…ね」
とうに答えは出ているはずなんだ。
なぜなら、僕が今ここにいられる理由がそうなんだから。
