二人でソファーに腰かける、という行為が、これほどまでに不釣り合いな静けさを生むとは、私はその時まで知らなかった。
先刻まで、物理法則と哲学が正面衝突していたこの部屋である。空き缶が散乱し、香水と安酒が手を取り合って人類の嗅覚に挑戦状を叩きつけていた戦場が、今や湯気の立つ紅茶と、皿に並んだ市販のクッキーによって、あっさりと制圧されている。
私はソファーに浅く腰かけ、小野的女史との間に、座布団一枚分ほどの微妙な距離を保っていた。
この距離は、人類史上もっとも多くの誤解と空想を生み出してきた距離である。近すぎず、遠すぎず、しかし精神的には無限に拡張可能な、非常に危険な間隔だ。
「いいソファーだろう」
小野的女史は、紅茶を一口すすりながら、まるで自分がこの家具の創造主であるかのような口ぶりで言った。
「……ええ。昨日、天井から落ちてきたとは思えないほど」
「物というのはね、一度死にかけると、妙に落ち着くものなのだよ」
私はその理屈が一ミリも理解できなかったが、理解できないという事実自体が、この人の正しさを証明しているような気もしたので、黙って頷くにとどめた。
紅茶は、特別高級というわけでもなく、かといって学食で出てくるような無慈悲な味でもない、きわめて中庸な味だった。
しかし、この中庸さがよい。人生の多くは、傑作でも失敗作でもなく、「まあ、こんなものか」という温度で構成されている。
「で、君は映画を撮るんだって?」
唐突に核心を突かれ、私は危うく紅茶を噴き出すところだった。
映画を撮る、という言葉は、私にとって「来週から運動する」「今度こそ早起きする」と同系列の、実現率の低い呪文である。
「い、いえ……撮る、というより、撮らないまま終わる未来が見えすぎてしまって……」
「なるほど」
小野的女史は満足そうに頷いた。
「それは立派な動機だ。人は希望よりも、失敗の具体像に突き動かされる」
この人は、どうしてこうも、私の逃げ腰を肯定する言葉だけは的確なのだろう。
「だが安心したまえ」
そう言って、彼女はクッキーを一枚、私の皿にそっと置いた。
「映画というのはね、完成しなくても撮れるのだよ」
「……意味が分かりません」
「撮影を始めた瞬間に、もう“撮った側の人間”になる。完成は、ただの後処理だ」
私はその暴論に反論しようとしたが、紅茶の湯気の向こうで、小野的女史の表情があまりにも穏やかだったため、言葉を失った。
この人は、本気でそう思っている。だからこそ、ソファーを吊るすという愚行にも、寸分の迷いがなかったのだ。
私はソファーの感触を確かめるように、背中を預けた。
昨日まで、この家具は私の隣人を物理的に裏切っていた存在である。にもかかわらず、今は妙に頼もしい。
「……じゃあ、とりあえず」
私は、人生で数少ない勇気をかき集めて言った。
「とりあえず、一本、撮ってみます」
小野的女史は、にやりと笑った。
「それでいい。失敗は、あとからいくらでも磨けばいいのだ」
二人で紅茶を飲み干す。
優雅なティータイムである。
世界は何一つ解決していない。前髪も切れていないし、映画もまだ存在しない。
それでも私は、その瞬間だけは、「まあ、悪くない午前だ」と思ってしまったのだ。
クッキーを食べ尽くし、レモンティーの残骸めいた酸味が口内から消え失せた頃合いを見計らったかのように、隣室から軽快にして無邪気、しかして人の平穏を平気で破壊する類のノック音が響き渡った。小鳥が鳴くよう、などと詩的に形容してみせたいところだが、実際のところそれは私の堕落した午前を断罪するための警鐘であった。
言うまでもなく、隣は私の部屋である。
「せんぱーい。塚原せんぱーい。映画作るんじゃなかったんですかー?」
この、可憐にして無邪気、しかし油断ならぬ破壊力を秘めた声の主は篠崎である。自らの記憶装置をいちいち確認するまでもなく断言できる。感想が我ながら気色悪いのは承知しているが、かつて淡く、しかし執拗に恋をした女性が、朝っぱらから私の扉を叩いているという事実は、人生という物語が時折見せる悪趣味な演出の一つに他ならない。心の奥がくすぐられる、などという生易しい話ではなかった。

