前髪の切れない男の話。


  居酒屋で私と山部は、反省会とは名ばかりの飲み会を開いた。
 反省する気概は、注文した生ビールと同時に蒸発していた。反省とは、腹が満たされ、酔いが回ったのちにようやく「まあ、いろいろあったな」と曖昧に回顧されるための儀式的言語に過ぎない。
 我々はまず、今日の撮影が「なぜ失敗したのか」を語ろうとしたが、三分後には「失敗したという前提がおかしいのではないか」という哲学的すり替えに成功し、さらに十分後には枝豆の塩加減について真剣な議論を始めていた。

 どうやって嗅ぎ付けたのか、途中から仁王立先輩が合流した。
 この人は、普段は撮影現場に姿を見せないくせに、酒と愚痴の匂いには異様な嗅覚を発揮する。まるで堕落を主食とする妖怪である。

「で? 今回はどんな壮大な未完成をやらかしたんだ」

 席に着くなり、仁王立先輩はそう言って、まだ自己紹介も済んでいないビールを一気に半分飲み干した。
 私は簡潔に今日の顛末を説明したつもりだったが、説明の途中で自分でも何が起きたのか分からなくなり、最終的には「まあ、だいたい、いつも通りです」という結論に落ち着いた。

「なるほどな」

 仁王立先輩は深く頷いた。

「それはもう、成功だ」

「どこがですか」

「だって大学生の映画サークルらしいだろ」

 この人は本気でそう思っている節がある。
 映画を撮らないこと。完成しないこと。次回に希望を先送りし続けること。
 それらすべてをひっくるめて「活動」と呼ぶ、極めて柔軟な価値観の持ち主なのだ。
 私は、ぬるくなったビールを一口飲み、
 鴨川の夕暮れと、篠崎のぎこちない視線と、「編集で何とかなるでしょ」と言った小野的女史の横顔を思い出していた。

 ——本当に、何とかなるのだろうか。

気がつくと、私は篠崎の不在について考えていた。
 誰も話題にしていないのに、いないことだけが、やけに存在感を持って主張してくる。これは幽霊より厄介な現象である。幽霊はせいぜい脅かしてくるだけだが、不在は人間の内側を勝手に掘り返す。

「そういえば、篠崎は来ないのか」

 口に出した瞬間、私はしまったと思った。
 この問いは答えを必要としない。ただ自分の胸に小石を投げ込みたかっただけだ。

「今日は撮影で疲れたんだろ」

 山部は焼き鳥の串を回収しながら、あっさり言った。
 あっさりしすぎていて、逆に腹が立つ。世の中の多くの問題は、こうした無自覚な即答によって雑に処理されていくのだ。

「それか、塚原。お前に気を遣ってるとか」

 仁王立先輩が、にやにやしながら余計なことを言った。
 私はビールを喉に流し込み、その言葉を一緒に流そうとしたが、泡だけが消えて中身が残った。

 気を遣われる、というのは、実に都合の悪い概念である。
 好意とも敵意とも断定できず、しかし確実に距離だけが生まれる。
 しかもその距離は、相手の優しさによって形成されるため、文句を言う先もない。

「別に、何もないですよ」

 私は言った。
 この「別に」は、これまでの人生で何度も使用してきたが、一度として真実だった試しがない。

 篠崎の視線。
 朝の扉。
 誤解という言葉の無力さ。

 それらが、脳内で勝手に編集され、意味ありげなモンタージュを形成していく。
 私は映画を完成させたことはないが、脳内映画だけは無駄に長編大作である。

「塚原、お前さ」

 山部が、珍しく真面目な声を出した。

「映画より先に、ちゃんと人と喋れ」

 私は返す言葉を失った。
 人と喋る、という行為が、ここまで高難度の技術だとは思わなかったのである。
 脚本より難しく、編集より面倒で、しかもやり直しがきかない。

 仁王立先輩は、その様子を見て満足そうに頷いた。

「いいじゃないか。青春だ」

「先輩、それ便利な言葉すぎませんか」

「便利だから使うんだ」

 そう言って、先輩は唐揚げにレモンを搾った。
 誰の許可も取らずに。

 私は、空になったグラスを眺めながら思った。
 映画はまだない。
 前髪も切れていない。
 篠崎とは、ちゃんと話せていない。

 それでも、こうして居酒屋で愚痴を言い、
 明日こそは、などという言葉をまた使っている。

 これはもう。失敗ではなく、私という人間の、通常運転なのではないか。