前髪の切れない男の話。


行きつけの床屋が閉店していたことには驚いた。いや、驚きというより、心の中で小さな警笛が鳴り響き、空気の分子が震えるのを感じるほどだった。だが、それよりもさらに強烈に驚いたのは、軒下には、雨に濡れながら立つ女性がいた。濡れた髪は暗い絹のように肩に落ち、静止した姿勢のまま雨粒と一体化している。私の頭の中で、テレビでしか見たことのない女優、来栖栗鼠の顔がふと重なった。私、塚原裕二はおそらく、人生の中で最もアホな顔をしていたに違いない。にもかかわらず、アホは恐ろしくも礼を失した質問を口から吐き出してしまったのだ。

「あのー…来栖さん、ですか?」

言葉にした瞬間、私の舌は自ら火を噴くかのような罪悪感に包まれ、閻魔様に引き渡したい衝動に駆られた。女性は一瞬だけ瞳を大きく開き、それから小さく首を傾げ、そして確かにため息をつく。雨音が軒下で弾くリズムと、彼女のため息のリズムが、奇妙に重なった。

「……よく言われます」

その一言だけで、彼女は私から視線をそらした。否定も肯定もしない。だがその曖昧さが、私の心の中で爆竹のように弾け、逆撫でされる感覚を生む。私はもう、一歩踏み出すだけで取り返しのつかない領域に足を踏み入れてしまっていると直感した。

「す、すみません。失礼でした。あまりにも似ていたので……」

言い訳としては、歴史に残る赤点級である。似ているから声をかけてよい理由など、この世に存在しない。女性は一瞬黙り込み、軒下の暗がりから一歩だけ前に出る。雨粒が彼女の肩先を撫でるように濡らし、すぐに引き返す。

「閉店、しちゃったんですね」

床屋のシャッターを見つめながら、彼女は言った。まるで私ではなく、建物そのものに語りかけるかのように。雨がその声をかすかに揺らし、軒下の空気に溶け込んでいく。

「ええ……ええ、そうみたいです」

会話が成立していること自体が、すでに奇跡のように感じられた。来栖栗鼠に瓜二つの女性と、潰れた床屋の軒下で雨宿りしている――まるで、世界の設計者がたまたまペンを滑らせて生まれた筋の悪い短編小説のワンシーンに、自分だけ投げ込まれてしまったかのようだった。

「ここ、よく来てたんですか?」

彼女はそう言いながら、初めて私のほうをじっと見た。テレビの画面越しに何度も見たはずの顔なのに、その目元には画面では決して映らない種類の疲労と、雨に濡れた微かな孤独の匂いが漂っていた。私はそれを見て、何度も頷き、口を開こうとしては止める。次に言葉を発すれば、また取り返しのつかない何かを吐き出してしまいそうで、胸がカステラのようにふわふわと震えた。
差し出すべき瞬間なのだろう。理性はそう告げていた。しかし同時に、余計な親切が余計な誤解を生むことも、骨の髄まで知っている。そんな思考の迷路をくぐり抜け、私は半歩だけ彼女のほうに傘を傾ける――差し出すというより、「こちらに入りますか」と問いかける程度の、逃げ道をわざと残した微妙な動作。

「もしよければ……駅まで、同じ方向でしたら」

自分でも驚くほど平坦な声だった。雨粒が傘の布に弾ける音と、心臓の鼓動が、奇妙に同期している。彼女は私の手元と傘を見て、次に空を見上げた。低く垂れ込める重たい雲が、まるでこの会話の行方に聞き耳を立てているかのように低く漂う。

「……助かります」

短く、しかし確かに発せられたその言葉が、軒下の空気の中でゆっくりと、まるで緩やかに溶けるガラス細工のように揺れた。私は傘を握る手の力をほんのわずか緩め、胸の中で、雨と会話と沈黙がひとつの不思議な時間の粒になっていることを感じた。

短く、しかし澄んだ水面のようにはっきりとした返事だった。彼女は傘の下に入ると、わずかに距離を保ちながら立つ。近いのに、触れない。触れてはいけない。まるで世界の掟が私たちの間に降りてきて、雨よりもずっと重く、濃密に、二人の間に沈殿しているかのようだった。
歩き出すと、雨音は傘に吸い込まれ、外界が少しずつ遠ざかる。肩が触れそうで触れないその曖昧な隙間に、彼女の声がふわりと落ちてきた。

「さっきのこと、気にしないでくださいね。慣れてますから」

その一言が、なぜだか胸の中で小石のように引っかかる。私は曖昧に笑い、頷いた。

「……それでも、すみません」

謝罪は、雨の粒と一緒に空気の中へ溶けていった。だが、この数分間だけは、彼女が“誰かに似ている人”ではなく、ただ隣を歩く一人の女性であってほしい。時間が永遠に続けばいいのに、と、胸の奥で小さな懇願が震える。
しかし、床屋から駅までの道程は、やけに短い。走れば五分ともかからない距離だ。その短さが、むしろ残酷に思える。永遠には続かないと知りつつ、私たちはつい余計な意味をその瞬間に与えてしまう。
横断歩道が見え、駅前の安っぽいネオンが雨に滲んで揺れる。傘の下で共有していた沈黙も、そろそろ行き場を失い始めている。

「この先、右です」

彼女が言う。その一言に、私は軽く頷いた。案内されているふりをするために、ほんのわずかだけ背筋を伸ばす。

「……今日は、ありがとうございました」

駅の屋根が見えたところで、彼女は足を止めた。傘の外側に、きっぱりと半歩下がる。その動作は、まるで長年の稽古を経て完成した舞の一瞬の型のように整っていて、私の頭の中ではどうでもいいことに「練習したことがあるのでは」と勝手な妄想が膨らむ。

「いえ。こちらこそ」

それ以上、言葉は続かない。名前も知らない。来栖栗鼠に瓜二つのその女性が、本物かどうかも、結局わからないままだ。彼女は軽く会釈すると、雨の中に溶けるように戻っていった。駅の明かりに照らされ、その横顔が、一瞬だけ、どうしようもなく“本物”に見えた気がしたのは、私の心が勝手に作った幻なのか、それとも現実なのか。

「髪、切った方がいいですよ。長い男はモテませんから」

不意打ちのような言葉だった。振り返ると、幼女のような笑顔で、雨の向こうに投げ捨てるように言い放った。それだけで、世界の湿った空気が微かに揺れ、私の髪先まで雨粒と忠告が入り混じったかのようだった。
私は反射的に前髪に触れる。確かに少し伸びている。目にかかるほどではないが、閉まった床屋のシャッターを思い出させるには十分すぎる長さだ。

「……ご忠告、どうも」

声は届かないとわかっているのに、自然と出た。雑踏の中に溶けて、すぐに消えた。彼女は改札の向こうに消え、もう二度と交わらない軌道に乗った背中だけが残る。名も知らぬ女性。来栖栗鼠かもしれず、そうでないかもしれない誰か。それでも、あの言葉だけは妙に生々しく胸に残った。テレビの中の女優なら、あんな俗っぽい言い方はしない。雑誌のインタビューやドラマの台詞では絶対に発せられない。あれは、雨宿りの軒下で出会った、ただ一人の女性の言葉だった。
私は傘をたたみ、濡れた歩道を見下ろす。雨は相変わらず降り続けているのに、不思議と、さっきよりも冷たくは感じなかった。心の奥で、また別の床屋を探す決意と、もしあの顔に再び会うことがあっても、今度は何も聞かないという覚悟が、そっと芽吹いていた。



「お前、髪切るんじゃなかったのかよ」
その声には、野生の熊が木々の間で咆哮するような威圧感があった。振り返ると、山部慎介――同じ大学の映画サークルで出会った、筋肉と不機嫌が同居する奇妙な存在――が、私を見下ろしている。

「ああ、そのつもりだったんだけどな」

そう答えながら、無意識に前髪を指で梳く。ささやかな仕草だが、山部の目には岩に触れるかのように映ったのかもしれない。彼は、講義室に一人いるだけで空気の密度が変わる人間だ。背が高く、肩幅が異様に広く、常に機嫌が悪そうなのに、周囲の人間は吸い寄せられるように集まる。

「その“つもり”ってやつ、だいたいロクな理由じゃねえ顔してるぞ」

図書館前のベンチにどかっと腰を下ろす。その動作だけで、世界の重力が微かに歪む。缶コーヒーを差し出され、受け取るとまだ温かい。温度と圧力が同時に伝わってくる。

「行きつけが潰れてた」
「それだけで二週間も放置するか?」
「……他にもあってな」

眉をひそめる彼の顔は、熊が匂いを嗅ぐときの形相にそっくりだった。

「女だな」

即断即決。怖いほど正確だ。

「女“みたいな人”だ」

「ややこしい言い方すんな。芸能人?」

私は一瞬迷ったが、結局この前に起きた事柄のすべて話した。雨、閉店した床屋、来栖栗鼠に瓜二つの女性、五分間の相合い傘、そして最後の一言。山部は黙って聞き、話が終わると鼻で笑った。

「なるほどな。そりゃ切れねえわ」

「笑うな」

「笑うだろ。で、その女は言ったんだろ? 長い男はモテないって」

「……ああ」

立ち上がると、私の頭を乱暴に掴む。反射的に抵抗するが、岩に触れるようで無駄だった。

「じゃあ切れ。今すぐ」

「今すぐって、ここ大学だぞ」

「関係ねえ。男が決断を先延ばしにするときは、大抵ロクなこと考えてねえ」

スマホを取り出し、何かを操作するその手つきは、地図を読む猫のように正確で、同時に無慈悲だった。

「なあ、どこ連れてく気だ」

「俺の知り合いの床屋」

「そんな急に——」

「潰れねえ店だ。少なくとも、雨宿りの女は出てこねえよ」

最後の一言に、胸を鋭く突かれた。図星だったのかもしれない。
歩き出す山部の背中は、相変わらず威圧的で、しかし、なぜか心の奥底に安心感まで撒き散らしている。

「お疲れ様でーす。先輩たち何してるんですか?」

観念して山部の後ろをついて歩いていたところ、ふと耳の奥でカチリと小さな鐘が鳴ったかと思うと、振り返れば篠崎一葉が、まるで私の心の中にそっと忍び込む幽霊のように、いつもの笑顔で手を振っていた。私はその瞬間、心の中で「おお…今日もかわいいな…」とつぶやいたが、その直後、胸の奥で小さな爆弾が爆発して砂糖菓子のように溶ける思いがして、ああ自分はやっぱりバカだと、自分のバカさ加減に軽く溺れそうになった。

篠崎は映画サークルの太陽のような存在で、毎日を生き生きと楽しむ。だがその裏には、腐女子脳という名の不思議な魔力が潜んでおり、彼女の話題一つでサークルの女性たちは瞬時に虜になるらしい。その手の話題に詳しくなかったあのおしとやかな真奈美ちゃんですら、身を乗り出すほど食い気味になっていたほどだ。
歓迎会の夜のことも今でも鮮明に思い出す。篠崎は私を見て、あの、まるで世界が静止した瞬間に破裂するような声で言ったのだ。

「塚原先輩と仁王立先輩のカップリング、最高ですね!」

その一言が、脳内で花火のように炸裂し、私の初恋はわずか三十秒で粉々に砕け散った。仁王立先輩は、私より一つ上で、顔は彫刻のよう、運動神経はチーターとイルカを混ぜたように抜群、まさに理想の彼氏像だ。そんな隣に選ばれた私は、どうやら篠崎の目には「ダメ男」の烙印を押されているらしい。

いや、断じて違う。私は小説家の夢に向かって毎日努力している。出版社に落選してもくじけず、夜な夜な原稿を叩きつけるように書き続ける努力家なのだ。いや、たまに寝落ちして猫のように丸まることもあるが、それも努力の一部である。だというのに、篠崎の目には私の努力も人間性も、まるで紙くずのように見えているに違いない。

思えば、あの酔った電車の中で山部の肩を借りて泣いた黒歴史まで、透明な鎖で首に絡みつくかのように蘇る。いや、泣くのは当然だ。努力家である証拠なのだから――と、必死に自分を説得する。しかし説得力はどこか虚ろで、胸の奥で自分の鼻が小さく笑っていた。

そんな妄想の迷宮に溺れている間も、篠崎は私の隣で、まるで目の前の山部がどこかの異世界から降りてきた英雄かのように見つめ、ぱちくりと瞳を瞬かせている。

「もしかして、デートですか?塚原先輩にはもっと清楚で誠実な人の方がお似合いかとー…」
「ちげーよ、バカ。見ればわかるだろ」
「いやいや、見てもわかんないから聞いたんでしょ? 脳みそまで筋肉なんですか、山部先輩は」

その瞬間、私は空気の中に溶け込むように笑った。いや、笑うしかなかった。篠崎の真剣さと、山部の無言の肩すくめの間に、私はまるで挟まれたバターサンドのように甘く、焦げた心地で立ち尽くすしかなかったのだ。

昼下がりの街は、昼の光にまだ眠たげで、歩道の石畳には木々の影が水玉模様のように揺れていた。山部の背中は無言の圧力を放ちながら前方を突き進む。その後ろを、私は小型ロボットが巨大ロボットに牽かれるように、ぎこちなくついていった。篠崎は私の隣で、ふわりと腕に触れ、笑顔を投げてくる。それはまるで、昼の街に浮かぶ風船が静かに空気を押しのけて進むような瞬間だった。

「塚原先輩、昼間の街って、夜と全然違いますね」
「……そうだな。夜より、街の影が長く見える」
「影って、伸びてるんですかね? それとも私たちの存在が引き伸ばしてるとか」
「……いや、それはただの太陽の角度だ」
「そっかー。でももっと詩的な理由かと思ったのに」

山部は横で肩をすくめるだけで、何も言わない。沈黙の中で漂う威圧感が、昼下がりの空気を微妙にねじ曲げる。私はそれに押されて、そっと訊ねた。

「山部、床屋ってどんな店?」

山部はふと立ち止まりる。影の先端が歩道の石畳に絡みつき、まるで自分たちの足取りさえ計算しようとしているかのようだった。

「普通の床屋だ」
「普通…?」
「いや、普通だ。ただな、店に入った瞬間、空気が少し重くなる」

「重いって、物理的にか?」
「空気の話だ。お前の脳みそじゃ理解しにくいかもしれんが」

篠崎がすかさず笑う。

「山部先輩、そういうとこ雑に詩的ですよね。筋肉詩人」
「詩人は否定する」

短く言い切って、山部はまた歩き出した。どうやら説明はこれ以上増えないらしい。私はその背中を見ながら、「空気が重い床屋」という、どうにも小説向きな単語の並びを頭の中で転がしていた。

「あと、椅子があるだろ。あれに座ると、天井から吊るされた風鈴が揺れる」
「風鈴?」
「ただの風鈴じゃない。客の心拍に合わせて、微妙に音程が変わる風鈴だ。ゆっくり座ると低く、緊張すると鋭く鳴る」

私は肩をすくめた。想像するだけで、頭の中に小さな嵐が吹き荒れる。

「でな、店主も少し変わっている」
「変わってるって、どんな?」
「顔は普通だ。ただ、手の動きが時間軸を無視する」

山部は腕を組み、私の反応を待つ。私は頭の中で、理髪椅子に座った自分が、店主の指先に導かれ、過去と未来を行き来する映像を思い描く。

「椅子に座ると、店主は突然こう言う」
「何を?」
「『ああ、今日の君の前髪は、まだ切られるのを待っている』ってな」

私は前髪に触れる。ほんの少し伸びているだけなのに、心の奥がざわつく。店主の言葉には、ハサミの刃よりも鋭い重力があり、空気の密度まで変える力がある。

「しかも、店内には金魚鉢があるんだ」
「金魚鉢?」
「泳ぐ金魚は、客の運命を反射する鏡のような存在だ。尾ひれが揺れるたび、過去の決断が微かに震える」

私は歩道の濡れた石畳に目を落とす。普通の床屋のはずなのに、店内に足を踏み入れる瞬間、現実の輪郭が少し溶ける感覚がする。

「塚原、そこに行くなら覚悟しろよ。前髪ひとつで、今日の感情が微妙に傾く」
「じゃあ、私の前髪も切ってくれますか?」
「俺が切るわけじゃねえ。店主の思考回路に従うんだ」
「そこ、重要ポイントですよ。女の子は前髪で人間性が決まりますから」

篠崎は目を輝かせて、私の肩を軽く叩いた。私は軽く頷き、笑うしかなかった。だって別に女の子じゃないし。

「塚原先輩って、そんなに髪にこだわりありましたっけ?」
「いや、別にこだわりってほどでも……」
「でもこの間、髪型のことで悩んでたでしょ?」

篠崎の声は、まるで小鳥が枝から枝へと飛び移るように軽やかだった。私は瞬間、頭の中で「え、そんなこと言ったっけ…?」と慌てて思い返す。しかし、その“思い返す”という行為自体が、頭の中で小さな渦を巻き、どんどん自分の過去の言動を怪しく美化していく。

「あ、いや…その、ちょっとね…」
言葉を濁すと、篠崎はふんわり眉を寄せて、あの太陽みたいな笑顔のまま首を傾げる。彼女の眉間の影に、なぜか昼下がりの街の長い影が混ざるようで、私は思わず息を呑む。

「ふーん、でも男の人ってさ、髪切るタイミングで性格も変わるって言うじゃないですか」

その言葉に、私は背中のあたりで微かに電流のようなものを感じた。性格と髪型、そんなに簡単に直結するわけがないのに、なぜか心の奥で「いや、変わるかもしれない…」という微かな予感が芽生える。昼下がりの街の空気が、傘の下の雨の残り香みたいに、わずかに湿って漂っている。

「変わるか…まあ、確かに気分は変わるかもな」

そう答えると、篠崎は「なるほどねー」と口を尖らせ、指先で私の肩にそっと触れた。触れた瞬間、私は一瞬、重力を忘れたようにふわりと浮いた気分になった。いや、浮いた気分というより、まるで自分が小さな船で昼下がりの街の水面に浮かんでいるような、不思議な感覚だった。

「じゃあ、今日髪切ったら、塚原先輩も少し変わるかもですね」
「変わる…かもしれないな」

私が答えると、篠崎は小さく頷き、遠くの空を見上げる。その目が、昼光に照らされて一瞬だけ金色に光ったように見え、私は思わずその瞬間を写真に撮りたくなる衝動に駆られた。しかし、スマホを取り出すわけにもいかず、結局その光景は、頭の中の一枚の絵として刻まれるしかなかった。

「でも塚原先輩、私…ちょっと楽しみにしてますね」
「楽しみに…?」
「うん、髪切ったら、どんな風に変わるか」

篠崎は笑顔を残して一歩後ろに下がる。その動きが、まるで昼下がりの影が少しずつ伸びるみたいに柔らかく、しかし確実に私の心に触れてくる。
私は小さく息をつき、ふと目線を下げると、石畳に映る自分の影が、いつの間にかいつもより長く伸びていた。長い影の先で、篠崎の影も少しだけ重なっている。

「…ま、まあ、髪切ったら…少し変わるかもな」