この世には、指先に星を宿した人間がいる。
俺の喉にはきっと、ずっと彼のリズムが踊っている。そんな気がする。瞼を閉じれば、電気屋の前を通れば、いつだってそこに、俺の中心に“彼”はいた。
ステップ、クイック、そこでターン。遠い遠い海の向こうで、小さな画面のその中で、軽やかに舞い踊り風を切り、空へと高く指を伸ばす。
十年間、ダンスコンクールの頂点に立ち続けてきた男。
星を流して願いを見せる、俺のダンスの天使様。
俺はこいつの隣に立ちたくて、ずっと——
楽屋のボロいソファで肩をぶつけ合いながら、そんな幻想を思い返していた数分前の自分を殴りたい。
「だから僕はこんなアイドルなんてしけた仕事やめてイギリスに来いとずっと言ってるんだ! 本当にお前は“歌だけ”だなこのバカ陸!」
「はぁ〜〜〜!? 俺だってお前みたいな性格クソ野郎とアイドルなんてしたくないですけど〜!? 俺が好きなのはお前の“ダンスだけ”だよアホ雪路!」
世界で一番嫌いな相手が、世界で一番好きなダンスをするやつ、なんて——勘弁してくれよ、神様。
「……おい、それ。僕のペットボトルだろう」
「……は? いや、なんでもいいだろ。どーせ水なんだし」
俺の相方はいつも仏頂面だ。
500mlのペットボトルを指さして、お綺麗な眉ひとつ動かさず地を這うような声を出す雪路に、俺は生返事を返しながら、キャップも閉めずにもう一口あおった。
「ふ…ふざけるんじゃないこの猿が! 間接キスとかそういう問題じゃなくてだな、お前は気遣いっていうものが——」
「論点そこ!? 潔癖かよ!」
「まず水の種類が違う。硬度が違うんだ、硬度が」 「知らねえよそんなの!」
「だからお前は馬鹿だと言っている!」 「お前に言われたくねえよ!?」
こんなくだらないことで、俺たちは毎度言い合っている。
陸の声のでかいところが嫌い、雪路のこだわりの強いところが嫌い。領収書もらってこないところが嫌い、ライブの舞台割りが遅いところが嫌い、ナポリタンに卵を乗せるところが嫌い。
結局、互いの全てが気に入らないところだらけだ。
俺たちはいわゆる、犬猿の仲の相棒だ。
アイドルユニットを組む上で、こいつほど相性の悪いやつは世界のどこにもいないと思う。
「だから、僕は何度も言ってるだろ。お前はずっと“歌だけ”なんだよ」
「その“だけ”で今ここに立ってるんですけど〜!? それはどう説明するんですかねぇ、天才ダンサーさんはよ!」
「偶然」
「便利な2文字だなそれ!」
それでも俺たちは、お互いの歌とダンスに恋をして、気づけば同じステージに立っていた。
「そもそもだな……アイドルなんて向いてないんだ、お前は」
「は? どこが」
「全部だ。計画性がない。危機感がない。将来設計が甘い。」
「三つも悪口並べる必要ある!?」
大声で繰り広げられる軽口の応酬に混じって、ソファの軋む音がやたら大きくなってくる。安物だからだ。たぶん。地下アイドルの楽屋なんて、相場はこんなもの。
ガラスの隙間から届くネオンが、今夜はいやに眩しかった。
この街の若者は、太陽が昇るまで眠りにつかない。こいつが浴びてきた、本物の太陽とは違う。この安っぽいピンク色が、今の俺たちの太陽だ。……情けない話だけど。
「……お前は、いつも、自分の声を安売りしすぎだ」
「…別に、してねえよ。話を聞け、雪路。俺は――」
「してる」
そこで、言葉が途切れた。
雪路は小さくため息をついて、俺を見ないままかぶりを振った。薄い唇が苛立たしげにチッと音を鳴らす。
握り込んでいたこぶしに爪が食い込み、手入れをしていた指先がじんと痛んだ。
お揃いのハードナーが、じわりとにじむ。
「今日で終わっていいって顔、いつも、してる」
ああ、イライラする。世界に置いて行かれた時、ずっと一人だった時、歌うのがどうしようもなく怖かった時、声を上げる勇気をくれていたのは、彼だったのに。
「だから、“こんな場所”で満足できるんだろう」
胸の奥が、きしっと音を鳴らした気がした。
「……っゆき」
「リバリバさん、入り五分前でーす。……リバースリバースさん?え、大丈夫そうっすか?」
ステージから聞こえる重低音が、うるさく心臓を揺らしていた。
はっ、と我に返って顔を上げると、怪訝そうな顔をしたスタッフを横目に、雪路は黙って楽屋を出て行っていた。
飾り気のない舞台裏で、雪路は足を鳴らしながら、静かに俺を待っている。
星色の瞳が輝いている。
水を飲んでからにしようと置いていたマイクの充電は、いつのまにか、100%になっていた。
「…すみません、今行きます」
ステージに向け、走り出す。会話はない。視線は交わらない。
俺たちごときが飛んだとしても、この世の誰も気に留めない。
世界は一夜じゃ変わらない。
それでも彼は、今夜も立つことを選んでくれた。それだけは、わかっていた。
ステージに一歩踏み出した瞬間、値踏みするような視線が俺たちに集まった。 安い照明がフロアに跳ねて、スモークが肺に絡む。
音が鳴る。
「宇宙一のアイドルユニット、リバースリバースだ!今夜は楽しんでいけよ、お前らー!」
俺は観客の反応なんてお構いなしに、必要以上に声を張り上げる。枯れるかどうかなんて、どうでもよかった。歌が乱れるのも全部無視して、少ないファンに手を振り応える。俺は歌手じゃなくて、アイドルだから。
俺が煽っても、雪路は一切こちらを見ない。
笑わない。手も振らない。
ただステージの中央へ、まっすぐに歩いていく。
——ああ、そうだ。
こいつは、こういうやつだった。
雪路は、完璧だった。 一歩目から、日本のアイドルとはまるで違う。重心の置き方、床の捉え方、空間の切り取り方。十年、頂点に立ち続けてきた男の身体は、嘘をつかない。思わず、一瞬見惚れてしまったのが悔しくて、いっそう無理やり、声を張り上げ続けた。
俺も、歌えた。 喉は裏切らない。音程も、ブレスも、リズムも。大丈夫、問題ない。 何十回も、何百回も歌ってきた曲だ。
ファンサで引き攣る喉を抑えて、完璧にカバーだってした。
なのに。
目が、合わない。
何度視線を投げても、雪路は振り向かない。振り付けの角度の問題じゃない。雪路が、ダンスで失敗するはずがない。 意図的に、俺を見ていないんだ。
呼吸が、噛み合わない。
本来なら、ここで一瞬、間を入れる。 歌とダンスが互いを待つ、ほんの刹那。
それが、ない。
俺が踏み込めば、雪路はもう次へ行く。 雪路が跳べば、俺は半拍遅れる。 どちらも間違っていないのに、同じ場所に立っていない。
客席は静かだった。 盛り上がっていないわけじゃない。 ただ、どこか遠慮が漂っている。
——上手い。 ——でも、それだけだ。
俺たちが、二人である理由はない。そんな空気が、肌に重く、まとわりつく。
前座にあてがわれるポップスは短い。どんよりと落ちて行く感情を尻目に、曲は勝手に盛り上がっていく。
クライマックスだ。
本来なら、雪路が先に切り上げる振りだ。 そう決まっている。何度も合わせた。
——なのに。
雪路が、ほんの一拍だけ、遅れた。
理由は分からない。 雪路が失敗するなんてありえない。
ただ、一瞬、雪路の視線が俺に引き付き、バランスを崩した。
でも俺は、それを見逃さなかった。
伸ばす予定じゃなかった音を、伸ばした。 肺の奥の奥まで息を引き込んで、声を無理やり前に押し出す。
その一瞬。
ほんの一瞬だけ、雪路が俺の目を見つめる。 歌とダンスが、同じ場所で重なった。
スポットライトが交差する。 視線が、かすかに、触れた気がした。
——偶然だ。 きっと。
でも、確かに、今。
曲が終わる。 拍手が起きる。 俺たちは、何事もなかったみたいな顔で、二人そろって礼をした。
ステージを降りると、さっきまでの音が嘘みたいに遠のいていく。 照明の熱が引いて、俺たちは他人になって、また現実が戻ってくる。
雪路は何も言わない。 俺も、何も言えない。
それでも。
楽屋へ戻る途中、ふと、思ってしまった。
——まだ、ここでは終われない。
この歌に、いつか彼の踊りが追いつくのか。 それとも、俺が彼の背中に追いつくのか。
答えは分からない。 でも、あの一拍が、嘘じゃなかったなら。
「待てよ、雪路。お前さ、最後の振りのことだけど——」
もう一度だけ、同じステージに立つ理由は、十分だった。
俺の喉にはきっと、ずっと彼のリズムが踊っている。そんな気がする。瞼を閉じれば、電気屋の前を通れば、いつだってそこに、俺の中心に“彼”はいた。
ステップ、クイック、そこでターン。遠い遠い海の向こうで、小さな画面のその中で、軽やかに舞い踊り風を切り、空へと高く指を伸ばす。
十年間、ダンスコンクールの頂点に立ち続けてきた男。
星を流して願いを見せる、俺のダンスの天使様。
俺はこいつの隣に立ちたくて、ずっと——
楽屋のボロいソファで肩をぶつけ合いながら、そんな幻想を思い返していた数分前の自分を殴りたい。
「だから僕はこんなアイドルなんてしけた仕事やめてイギリスに来いとずっと言ってるんだ! 本当にお前は“歌だけ”だなこのバカ陸!」
「はぁ〜〜〜!? 俺だってお前みたいな性格クソ野郎とアイドルなんてしたくないですけど〜!? 俺が好きなのはお前の“ダンスだけ”だよアホ雪路!」
世界で一番嫌いな相手が、世界で一番好きなダンスをするやつ、なんて——勘弁してくれよ、神様。
「……おい、それ。僕のペットボトルだろう」
「……は? いや、なんでもいいだろ。どーせ水なんだし」
俺の相方はいつも仏頂面だ。
500mlのペットボトルを指さして、お綺麗な眉ひとつ動かさず地を這うような声を出す雪路に、俺は生返事を返しながら、キャップも閉めずにもう一口あおった。
「ふ…ふざけるんじゃないこの猿が! 間接キスとかそういう問題じゃなくてだな、お前は気遣いっていうものが——」
「論点そこ!? 潔癖かよ!」
「まず水の種類が違う。硬度が違うんだ、硬度が」 「知らねえよそんなの!」
「だからお前は馬鹿だと言っている!」 「お前に言われたくねえよ!?」
こんなくだらないことで、俺たちは毎度言い合っている。
陸の声のでかいところが嫌い、雪路のこだわりの強いところが嫌い。領収書もらってこないところが嫌い、ライブの舞台割りが遅いところが嫌い、ナポリタンに卵を乗せるところが嫌い。
結局、互いの全てが気に入らないところだらけだ。
俺たちはいわゆる、犬猿の仲の相棒だ。
アイドルユニットを組む上で、こいつほど相性の悪いやつは世界のどこにもいないと思う。
「だから、僕は何度も言ってるだろ。お前はずっと“歌だけ”なんだよ」
「その“だけ”で今ここに立ってるんですけど〜!? それはどう説明するんですかねぇ、天才ダンサーさんはよ!」
「偶然」
「便利な2文字だなそれ!」
それでも俺たちは、お互いの歌とダンスに恋をして、気づけば同じステージに立っていた。
「そもそもだな……アイドルなんて向いてないんだ、お前は」
「は? どこが」
「全部だ。計画性がない。危機感がない。将来設計が甘い。」
「三つも悪口並べる必要ある!?」
大声で繰り広げられる軽口の応酬に混じって、ソファの軋む音がやたら大きくなってくる。安物だからだ。たぶん。地下アイドルの楽屋なんて、相場はこんなもの。
ガラスの隙間から届くネオンが、今夜はいやに眩しかった。
この街の若者は、太陽が昇るまで眠りにつかない。こいつが浴びてきた、本物の太陽とは違う。この安っぽいピンク色が、今の俺たちの太陽だ。……情けない話だけど。
「……お前は、いつも、自分の声を安売りしすぎだ」
「…別に、してねえよ。話を聞け、雪路。俺は――」
「してる」
そこで、言葉が途切れた。
雪路は小さくため息をついて、俺を見ないままかぶりを振った。薄い唇が苛立たしげにチッと音を鳴らす。
握り込んでいたこぶしに爪が食い込み、手入れをしていた指先がじんと痛んだ。
お揃いのハードナーが、じわりとにじむ。
「今日で終わっていいって顔、いつも、してる」
ああ、イライラする。世界に置いて行かれた時、ずっと一人だった時、歌うのがどうしようもなく怖かった時、声を上げる勇気をくれていたのは、彼だったのに。
「だから、“こんな場所”で満足できるんだろう」
胸の奥が、きしっと音を鳴らした気がした。
「……っゆき」
「リバリバさん、入り五分前でーす。……リバースリバースさん?え、大丈夫そうっすか?」
ステージから聞こえる重低音が、うるさく心臓を揺らしていた。
はっ、と我に返って顔を上げると、怪訝そうな顔をしたスタッフを横目に、雪路は黙って楽屋を出て行っていた。
飾り気のない舞台裏で、雪路は足を鳴らしながら、静かに俺を待っている。
星色の瞳が輝いている。
水を飲んでからにしようと置いていたマイクの充電は、いつのまにか、100%になっていた。
「…すみません、今行きます」
ステージに向け、走り出す。会話はない。視線は交わらない。
俺たちごときが飛んだとしても、この世の誰も気に留めない。
世界は一夜じゃ変わらない。
それでも彼は、今夜も立つことを選んでくれた。それだけは、わかっていた。
ステージに一歩踏み出した瞬間、値踏みするような視線が俺たちに集まった。 安い照明がフロアに跳ねて、スモークが肺に絡む。
音が鳴る。
「宇宙一のアイドルユニット、リバースリバースだ!今夜は楽しんでいけよ、お前らー!」
俺は観客の反応なんてお構いなしに、必要以上に声を張り上げる。枯れるかどうかなんて、どうでもよかった。歌が乱れるのも全部無視して、少ないファンに手を振り応える。俺は歌手じゃなくて、アイドルだから。
俺が煽っても、雪路は一切こちらを見ない。
笑わない。手も振らない。
ただステージの中央へ、まっすぐに歩いていく。
——ああ、そうだ。
こいつは、こういうやつだった。
雪路は、完璧だった。 一歩目から、日本のアイドルとはまるで違う。重心の置き方、床の捉え方、空間の切り取り方。十年、頂点に立ち続けてきた男の身体は、嘘をつかない。思わず、一瞬見惚れてしまったのが悔しくて、いっそう無理やり、声を張り上げ続けた。
俺も、歌えた。 喉は裏切らない。音程も、ブレスも、リズムも。大丈夫、問題ない。 何十回も、何百回も歌ってきた曲だ。
ファンサで引き攣る喉を抑えて、完璧にカバーだってした。
なのに。
目が、合わない。
何度視線を投げても、雪路は振り向かない。振り付けの角度の問題じゃない。雪路が、ダンスで失敗するはずがない。 意図的に、俺を見ていないんだ。
呼吸が、噛み合わない。
本来なら、ここで一瞬、間を入れる。 歌とダンスが互いを待つ、ほんの刹那。
それが、ない。
俺が踏み込めば、雪路はもう次へ行く。 雪路が跳べば、俺は半拍遅れる。 どちらも間違っていないのに、同じ場所に立っていない。
客席は静かだった。 盛り上がっていないわけじゃない。 ただ、どこか遠慮が漂っている。
——上手い。 ——でも、それだけだ。
俺たちが、二人である理由はない。そんな空気が、肌に重く、まとわりつく。
前座にあてがわれるポップスは短い。どんよりと落ちて行く感情を尻目に、曲は勝手に盛り上がっていく。
クライマックスだ。
本来なら、雪路が先に切り上げる振りだ。 そう決まっている。何度も合わせた。
——なのに。
雪路が、ほんの一拍だけ、遅れた。
理由は分からない。 雪路が失敗するなんてありえない。
ただ、一瞬、雪路の視線が俺に引き付き、バランスを崩した。
でも俺は、それを見逃さなかった。
伸ばす予定じゃなかった音を、伸ばした。 肺の奥の奥まで息を引き込んで、声を無理やり前に押し出す。
その一瞬。
ほんの一瞬だけ、雪路が俺の目を見つめる。 歌とダンスが、同じ場所で重なった。
スポットライトが交差する。 視線が、かすかに、触れた気がした。
——偶然だ。 きっと。
でも、確かに、今。
曲が終わる。 拍手が起きる。 俺たちは、何事もなかったみたいな顔で、二人そろって礼をした。
ステージを降りると、さっきまでの音が嘘みたいに遠のいていく。 照明の熱が引いて、俺たちは他人になって、また現実が戻ってくる。
雪路は何も言わない。 俺も、何も言えない。
それでも。
楽屋へ戻る途中、ふと、思ってしまった。
——まだ、ここでは終われない。
この歌に、いつか彼の踊りが追いつくのか。 それとも、俺が彼の背中に追いつくのか。
答えは分からない。 でも、あの一拍が、嘘じゃなかったなら。
「待てよ、雪路。お前さ、最後の振りのことだけど——」
もう一度だけ、同じステージに立つ理由は、十分だった。
