後宮の歌姫は声を隠す―特殊な目を持つ歌姫が、後宮で2人の皇子と出会って、陰謀に巻き込まれながら王家の隠した真実に迫る―【中華×サスペンス】

 翠蓮(スイレン)は、太鼓の音と共に、しっかり前を見据え南門をくぐった。
 後に近衛兵と緊張した楽府員達が続く。

 石畳の御道の両側には、位階順に人が並び、誰一人として顔を上げる者はいなかった。
 ただ玉座の上からの視線だけが、先頭に立つ翠蓮に注がれていた。

 得も言われぬ緊張感の中、一行は太華殿の前で一礼する。
 楽府員は立ち位置につく。

 太鼓の音が一斉に止み、静寂が訪れる。

 翠蓮は太華殿への階段を、一段一段踏みしめるように足を進める。
 衣擦れの音と、自身の足音だけが聞こえる中、翠蓮は玉座の下に進み出た。

「顔を上げよ」

 低い声。
 顔を上げた視線の先――
 皇帝の姿を直接見るのは、翠蓮は初めてのことだった。

 許可なしには瞬き一つ許されないような、独特の空気を纏っている。陽国を統べるその人は、龍の紋章を背後に背負う玉座に、悠然と構えていた。
 右側には皇后と炎辰が、左側には貴妃と蒼瑛が玉座から一段下がった場所に座していた。
 周りには高位の宰相や武官など、選ばれし者のみが背筋を伸ばして立っている。

 翠蓮は喉の奥でごくりと音を鳴らすと、口上を述べた。

「皇帝陛下。
この度はご生誕、誠におめでとうございます。
ささやかではございますが、楽府を代表し、
歌をもって祝意を捧げさせていただきます」

 右側から皇后の視線を感じる。それは品定めするようなねっとりと絡みつく空気を纏っている。
 左側では、蒼瑛が目で安心させてくれる。
 
 皇帝は、冠の珠飾りを揺らしてかすかに頷いた。

 いよいよだ。翠蓮は『何者にも縛られない歌声』を願い、唇を開いた。

 それは、祈りとも嘆きともつかない旋律だった。
 
 翠玉が拡声器の役割を果たすのか、歌は内殿の外の広大な広場の隅々まで響き渡った。 



(なんだか事前の話と違う……?)
 翠蓮は直感的に、翠玉を危険なものだと感じた。
 「人を操ることはできない」と書物にはあったが、今目の前にいる人々は目の色が変わり、魂が抜けたようになっている。
 翠蓮が良くないことを念じれば、皆を洗脳できそうだ。


(歌うのが、止められない)
 翠玉が暴走している。初めて力を使う翠蓮には、制御できないようだ。
 このままでは、"自分の歌が人に危害を及ぼすかも"という恐怖が走る。
 
 

「素晴らしい……」
 皇后は魅入られたように目をらんらんと輝かせ、顔には恍惚とした笑みを浮かべている。


 翠蓮が歌を止められないまま、翠玉を手で押さえると発熱していた。
(どうしよう……恐い)
 その時、背中に温もりを感じる。
 気付けばいつの間に傍に来ていた蒼瑛に、後から支えられている。
 
"大丈夫"そう耳元で聞こえた。


「炎華の龍、蒼月の龍――ひとつに集え」
 蒼瑛はそう叫ぶと、赤と蒼を合わせた円を、翠玉の光の前に差し出した。

「光声差すとき、陽――(いずる)!」
 翠玉が刺すように鋭く輝いた。
 光線は、照準を定めたように玉座の上に向かう。

 刹那、ぱあっと龍の紋章が鮮やかに色づき、真ん中に煌々と輝く太陽が現れた。

 内殿からどよめきが上がる。
 眩しさに目を覆うもの、口を開き唖然とするもの。誰もが息を潜め、畏怖が連鎖していく。

 皇帝ですら立ち上がり、光を目で追っていた。
 
 不意に翠蓮の身体に、ぶわっと光が跳ね返ってきたような感覚がした。
 そのまま後方に弾け飛びそうになる翠蓮を、蒼瑛が全身で受け止める。
 蒼瑛は短剣で、素早く翠玉の紐を引きちぎった。

 歌は止まり、光も熱も消えた――

 静寂が満ちる。誰も、何も言わなかった。


 皆の視線が、蒼瑛が掲げた翠玉に集まる。
「これが声を持つ者の証だ!」


 蒼瑛に向かい、皇后が立ち上がる。
「それを渡しなさい!」
 権力を渇望しているその目は、普段の冷静な皇后ではなかった。
 やはり翠玉が、悪い心を増幅させているのだろうか。


「……翡翠の歌姫を、誰にも利用はさせない!」
 蒼瑛は一瞬、翠蓮を見た。翠蓮は目で頷く。

 それを合図に、蒼瑛は翠玉を床に叩きつけた――

 鈍い音と共に翠玉は粉々に砕け散った。


 皇后も、他の者も、徐々に通常の表情に戻っていく。

 
 蒼瑛は翠蓮の両手をとり、正面から向かい合った。
「すまない。やはり、翠玉を守ることはできなかった」


 事前に、翠蓮が蒼瑛にお願いしたことだ。
 "もしもの時は翠玉を破壊してくれ"と。

 今回身をもって危険を感じた。こうするのがきっと最善だった。


「もう、声を隠す必要はない」
 蒼瑛は優しく言って、翠蓮の涙を拭った。

 翠蓮は、呪縛から解放された思いがした。喉の奥が軽くなる。
 やっと、本当の意味で父の死や、今までの孤独と区切りを付けられる。
 そして、蒼瑛に伝えたい想いも――


 急に、蒼瑛はすっとその場に片膝をついた。

「蒼瑛さま?」
 彼は、不思議そうな顔をする翠蓮の右手を取った。

 周囲の者たちは、蒼瑛の行動の意味するところを察し、息を潜めて見守っている。誰も声を発せず、二人の呼吸だけが静かに聞こえた。


「翠蓮」
 その名を呼んだ唇が、翠蓮の右手に口づける。ぬくもりが手を伝い、ゆっくりと翠蓮の身体を満たしていった。

「愛している。出会った時から、ずっと」

 翠蓮は、驚きでしばらく動けなかった。
 自分が望んだことが今、目の前で起きていた。

 まるで夢のような感覚に溺れていたが、はっと気づいた。
 想いは、口にしなければ伝わらない――


 翠蓮は蒼瑛を引き上げた。
 彼の蒼い双眼には、翠蓮の姿だけが映る。
 
 きゅっと目を閉じて、翠蓮はかかとを上げた。
 そして"求婚の儀"に対する答え――
 蒼瑛の右頬に、そっと口づけを返した。


 零れる滴にも構わず微笑むと、十年越しの思いをやっと胸の外に出した。
 
「ずっと逢いたかったよ、蒼瑛――」


 それ以上の言葉はいらない。
 翠蓮が全てを思い出したことを理解した蒼瑛の目からも、一筋涙が伝っていた。


――END ――