後宮の歌姫は声を隠す―特殊な目を持つ歌姫が、後宮で2人の皇子と出会って、陰謀に巻き込まれながら王家の隠した真実に迫る―【中華×サスペンス】

 蒼瑛の提案は、皇帝の生誕祭で翠玉を身に着けて歌うというものだった。
 翠蓮は、蒼瑛が見つけた書物を開いてみる。

(む……難しい……)
 書物は漢語や崩した字でかかれており、かなり難解だった。蒼瑛はこれを一人で読んだというのか。

 だが、翠蓮はもう蒼瑛に任せきりにしたくないと思った。
 ずっと見て見ぬふりをして、運命に翻弄されてきた。せめてここから先だけでも、自分から動きたい。

 唸りながら書物を見る翠蓮に、蒼瑛は隣に並びそっと声をかけた。
「翠蓮、気になるところがあれば聞いてもらえれば……」

「はい……えっと、この神詩? というのは?」

 翠蓮が指さしたところにはこう書いてあった。
炎華(えんか)の龍、蒼月(そうげつ)の龍、ひとつに集え。光声(こうせい)差す時、陽(いず)る』

「あぁ、これは皇族男子にのみ伝わる詩なんだ。恐らく、兄の持つ赤い首飾りと……」

 そこまで言って、蒼瑛はちらっと翠蓮を見た。

「あ……蒼い首飾りならここに。……母の形見です」
 また嘘を重ねてしまった。今更"実は記憶を取り戻した"とは言いにくくなってしまった。
 蒼瑛は特に突っ込むこともなかった。

「兄の赤い石と、この蒼い石。
そして、翠蓮の翡翠の石。
この三つが合わさる時に、力を使えるのではないかと思う」

「力とは、具体的になんなのでしょう」

 蒼瑛は別の巻物を取り出した。
「人の心に働きかけると言っても、催眠術のように支配できるわけではない。
石が拡声器のような役割をする。声や願いを、力強く、相手の胸に響かせる」


 翠蓮は目を大きく見開いた。
「つまり普通に歌うよりも、私の感情や願いが、人の心に伝わりやすくなる、ということですね?」

「その通りだ」蒼瑛は微笑んだ。

「生誕祭には兄の赤い首飾りも揃う。
ここまで来たら、邪な者に翠玉を利用される前に、世の中に見せたほうがいい。
ただ……危険もある」

 危険――
 確かに、実際に翠玉がどう反応するかは未知数だった。

「それは、覚悟しています。蒼瑛さま、もしもの時は、翠玉を――」
 
 蒼瑛は、翠蓮の願いに一瞬迷いを見せたが、彼女の目が本気であることを見て、了承した。

「わかった……翠蓮――」
「はい?」
「いや、なんでもない。蒼い首飾りを預かってもいいか?」

 翠蓮は、何か言いたげな蒼瑛の態度がひっかかったが、彼に蒼い首飾りを託した。


 ◇ ◇



 皇帝の生誕祭。
 翠蓮たち楽府員は、控室で準備を整えていた。

 皆、生誕祭にふさわしい厳かな礼服に身を包んでいる。
 その落ち着いた姿とは裏腹に、翠蓮の胸は波打っていた。

 そっと胸に手を当てる。
 わずかに熱を感じる。
 そこに、翠玉があった――


 ぴょんっと背後から抱きつかれる。
「翠蓮、皇帝陛下の生誕祭で主演歌姫なんてすごすぎ!」

 はしゃぐ明鈴(メイリン)の横で、絢麗(ケンレイ)は未練がましく言う。
 
「まったく、玉座の前で歌うのは私だと思っていたのに。中途半端な歌唱は許さなくてよ」

 翠蓮はにこっと笑う。
「うん、任せて」
「あら、少しは頼もしくなったじゃない?」


 突如割って入ってきた太凱(タオガイ)は、ふふんと鼻で笑う。
「ついに皇帝陛下に、俺の歌唱を披露する時が来た!! もしかして陛下の専属歌人に誘われちゃうかもなー」

 周囲の醒めた目にしゅんとした太凱(タオガイ)に、明鈴(メイリン)は背中をポンポン叩いている。

「まぁまぁ、夢はでっかくって言うし。いいんじゃない? 夢見るだけなら」

「お前はいつもひと言余計なんだよっ!」
 
 翠蓮は思わずふふっと声を出す。この日常はもしかしたら最後かもしれない。

「あのね……今日なにがあっても、みんなと音楽を奏でた日を……私は忘れない」 

「え……何々? もしかして……」
 明鈴(メイリン)は何を想像しているのか、赤くなった頬を押さえていた。
 
「どういうことだよ……」
 太凱(タオガイ)が言いかける前に、翠蓮は一足早く控室を出た。


 南門へ向かうために長い廊下を一人歩いていると、

「おい」
 不意にかけられた低い声――
 沈香の香りに顔を上げると、炎辰がいた。

「こんな目立つ舞台で主演を務めるなど……何か策でもあるのか?」

 翠蓮は黙った。
 炎辰に全てを話すのが躊躇われる。


「蒼瑛には記憶が戻ったことは話したのか?」

「いえ……」
 炎辰はすっかりいつも通りで、内医局で見せた揺らぎはなかった。彼にとったら、あの口づけは、揺さぶりの一種だったのだろうか。
 そうは見えなかったが、翠蓮はいっそ、そうであってほしかった。


 炎辰はふっ、と馬鹿にしたように笑った。
  
「なぜ蒼瑛に話さない? まさか、俺に遠慮しているなどとは言うまい」

「それはっ……」

 違うとは言い切れなかった。記憶を取り戻したと蒼瑛の胸に飛び込んでいけないのは、どこかで炎辰の影がちらつくからだ。
 
「少しは蒼瑛か、俺か迷ってくれているなら……光栄だな」
 愉しんでいるようにしか見えない。

(この人は……)
 口づけされるなんて初めてだったというのに、人の心を何だと思っているのか。翠蓮は、彼のために悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

「からかわないでください」
 そう言い捨てて、炎辰の横を通り過ぎようとした時、腕を強く引かれた。

 ほの苦い香りが濃くなる――
 
 また口づけられるかもしれない。
 そう思った時、翠蓮の脳裏に蒼瑛の笑顔がよぎった。

「やめてっ!!」
 
 翠蓮は、思いっきり炎辰を突き飛ばしていた。

「それが、お前の答えだろう?」
 翠蓮は、炎辰の表情を見て力が抜けた。

 からかわれていたのではない――彼の目が、そう言っていた。


「歌を、楽しみにしている」
 炎辰は、静かに言い残す。足音はそのまま遠ざかって行った。


「私の本当に大切な人……」
 翠蓮は、はっきり蒼瑛への想いを自覚した。
 もう自分の身分を卑下するのはやめよう。
 憧れだ、尊敬だとごまかすのもやめる。
(生誕祭が終わったら、きちんと伝える)

 翠蓮は、ふたたび歩き出した。