※閲覧注意
この話には生死をさまようような場面や 命の判断をする場面が出てきます。
―――――――
しばらくして目の前の処置室の扉が開く。蒼瑛は反射的に立ち上がった。
「蒼瑛殿下、夜半が山場ですがひとまず落ち着いています。……いかがなさいますか?」
「顔を見ても?」
処置室に入る。かすかに薬草や軟膏の匂いがする。
中央の寝台に仰向けに寝かされた翠蓮は、太医や助手に忙しく処置を施されている。
恐る恐る寝台に近づき様子を伺うと、相変わらず血の気はないが、呼吸がいくらか楽になったように見える。
蒼瑛は心からほっとした。
勧められ、寝台横の椅子に腰掛ける。
「快方に向かっているのか……?」
その声には、そうであってほしいという希望がこもるが、返事はない。
「そうか……まだ夜半前だったな……」
蒼瑛は独り言のように呟く。
時が異常に遅く感じ、蒼瑛は水時計を何度も確かめる。
時々、太医が翠蓮の脈や顔色を確認しては、煎じ薬を飲ませる。
その度に「もし悪化していたら……」と生きた心地がせず、何事もないと分かると、胸をなで下ろした。
(苦しいのは翠蓮だというのに……)
何もできず、ただ隣に座っているだけの自分が情けなかった。
俯いた顔を上げると、籠に畳まれた衣服の上にある、蒼い首飾りが目に入る。
「いずれ、翠蓮も声の力に気づく……」
あの皇后が、翠蓮の歌に涙した。翠蓮が声を持つ者だと、周囲が気付き出すのも時間の問題かもしれない。
もう立場や身分にこだわっている場合ではない。今後絶対に翠蓮を危険な目に合わせないと、蒼瑛は心に誓っていた。
その時、翠蓮がわずかに目を開けた。
「翠蓮――」
思わず手を取りかけて、迂闊に動かしてはいけないと、必死に堪える。
「意識が戻って良かった……」
だが、なんだか様子がおかしい。
虚ろな瞳は空を彷徨う。
喉のあたりで、ひゅーっというような異音がする。
その音を聞いた御医の顔色が、一瞬で変わる。
「喘鳴だ……呼吸が喉で滞っている……吸引を強めろ!」
「殿下、失礼します!」
太医が蒼瑛を押し出すように翠蓮に駆け寄る。突然周囲が慌ただしくなった。
(何が起きた――)
蒼瑛は呆然と立ちつくした。
翠蓮の容態は急激に悪化していく。
先程の喘鳴は、胸で何かが絡んだような音に変わっていた。
身体が衝撃し、まぶたは返りそうなほどぴくぴくと揺れている。
「気を確かに!」
太医の言葉は届いているのだろうか。
肩を数回大きく上下させ、翠蓮は激しく咳き込んだ。
見ているこちらまで息が詰まりそうだ。
何分か経った頃、太医が口を開く。御医への報告に聞こえるが、その視線は蒼瑛に向いていた。
「……手は尽くしました。これ以上はいたずらに苦しめるだけです。殿下……ご決断を……」
蒼瑛は胸がさぁっと冷たくなる。
「何とかならないのか……」
動かない御医を見て、蒼瑛は決断の時にきていることを悟った。
翠蓮はぐったりとしている。それに相反するように苦しみ方は増していた。
まるで身体全体で、終わりのない辛さを訴えているようだ。
あまりの苦しみように、いっそ楽にしてやりたいとすら思う。
走馬灯のように、幼い頃と、再び出会った後の思い出が記憶を駆け巡る。
彼女の命を、自分が終わらせることなど出来るだろうか。
生か死――いや、生かすか殺すか
その重みが、両の掌にのしかかっていた。
蒼瑛は身体の感覚がなくなり、遠くから自分を見つめているような錯覚を起こした。
視界の端で蒼い光がちらついたようで、蒼瑛は翠蓮に視線を向ける。
彼女の唇は微かに動き、何か言おうとしているように見える。
そんなはずはないのに、蒼瑛の耳に、翠蓮の揺りかごの唄の旋律が響く。
「すまない、翠蓮……」
苦痛を与えてしまうかもしれない。それでも蒼瑛は覚悟を決めた。
「御意、頼む。命を繋ぐことを最優先に」
御医は目でそれに応え、再び翠蓮の治療に集中する。
――空が白む頃、やっと翠蓮の頬に血色が戻ってきた。眠るように安らかな呼吸だ。
汗を拭い、御医は穏やかな口調で言う。
「もう大丈夫です」
「ありがとう……どんな礼をもっても足り得ない……」
蒼瑛は、御医と固く手を握りあった。
