後宮の歌姫は声を隠す―特殊な目を持つ歌姫が、後宮で2人の皇子と出会って、陰謀に巻き込まれながら王家の隠した真実に迫る―【中華×サスペンス】


「翠蓮――」
 倒れた翠蓮の名を口にし、真っ先に駆け寄ったのは、意外にも炎辰だった。

 蒼瑛は皇后を疑い、彼女の表情を盗み見るが、涙が頬を伝うだけで他には何も読み取れない。


 炎辰は翠蓮の状態を確認すると、短く言葉を発する。

「毒だな」
 その言葉に場は騒然とする。周りの妃たちは青ざめ、悲鳴が聞こえる。

 炎辰はわずかに上ずった声で、宦官へ指示をした。
「御医《ぎょい》を呼んでこい」

 御医は本来皇族に仕える官医だ。
 それを歌人に呼ぶというのは、炎辰はよほど焦っているのだろうか。

 蒼瑛は一歩遅れ、翠蓮の横に片膝を着く。脈を取る自分の手が震えていた。

(確かに……手足に痺れがあるな)
 いつか書物で読んだ毒の中に、思い当たるものがある。蒼瑛は声を絞り出した。

「水と……毛布を持ってきてくれ」

 呼吸を楽にしようと、帯に手をかける。

(いや、冷静になれ……)
 ここでは皇后や周りの目が、常に蒼瑛を監視している。
 翠蓮が自分を遠ざけた覚悟を踏み越えるわけにはいかない。

「迷っている場合か」
 炎辰が、蒼瑛の手を払いのけるように帯を緩め、襟元を開く。つと、動きを止めた。

 遅れて蒼瑛の目に飛び込んで来たのは、揺れる蒼い石の首飾り――

 その石がなんであるかを知るのは、二人の皇子だけだった。


「蒼瑛殿下! 水と毛布をお持ちしました!」


 声に応じ、蒼瑛は毛布で翠蓮をくるみ水を飲ませる。
 焦りから嫌な汗が額に滲む。

 翠蓮が小さく唇を動かし、かすかな声を漏らす。
「ん……」

 蒼瑛は咄嗟に手を取る。
「翠蓮、話さなくて良い……苦しいだろうが、もう少しだ」

 握った手は力なく、驚くほど冷たい。
 呼吸が弱々しくなっているように感じる。

(このままでは……)
 

「御医はまだか!!」
 翠蓮を永遠に失うかもしれない――蒼瑛は恐怖から思わず叫んでいた。
 
 御花園の後方から駆ける足音が聞こえ、周囲の緊張がわずかに解ける。

「いらっしゃいました!!」

 御医はさっと翠蓮のもとに駆け寄る。

「蒼瑛殿下、状況は?」

「遅効性の毒だ。すぐに処置を頼む」

 その言葉を受け、御医は素早く器具を広げる。蒼瑛はそっと翠蓮から手を離した。

 どれくらい時が経っただろうか。その場にいる者には永遠とも思える時間だった。

「ひとまず応急処置は済みましたが……」
 御医の言葉尻は暗い。



 そのまま内医局(ないいきょく)に運び込まれた翠蓮は、待ち構えていた太医(たいい)と助手に引き渡された。
 扉の前では、付き添った蒼瑛が深刻な表情で立っている。

 引継ぎを終え、処置室を出た御医が口を開いた。

「……歌唱で声を張ったことが、毒の巡りを早めています。本人も歌唱前に、身体の異変に気づいていたでしょうに…」


「助かるのか?」

「この毒は夜半にもっとも気を乱します。彼女は線が細いのでなんとも……」

 良くない状態であることがひしひしと伝わってくる。蒼瑛は御医に頭を下げる。

「御医、突然の対応礼を言う。もう十分だ。皇族以外を診たとなれば、後で問題になる可能性もある」
 御医は一瞬驚いた顔をしたが、承知の上だというように頷いた。

「命を預かったのですから、今宵は殿下にお仕えしましょう」

「すまない……」

 御医は処置室に戻って行った。


 一人になった廊下で蒼瑛は腰を下ろす。

(舞台で彼女がふらついたように見えた時に、止めるべきだった)

 自責の念が絶え間なく湧いてくる。

「命より、尊重すべき覚悟など……どこにもないと言うのに――」

 頭を抱え、ぼんやりと扉を見つめる。
 静まり返った内医局の薄暗い廊下は、これからの長い夜を示すようだった。