後宮の歌姫は声を隠す―特殊な目を持つ歌姫が、後宮で2人の皇子と出会って、陰謀に巻き込まれながら王家の隠した真実に迫る―【中華×サスペンス】



 夜宴の控室は、出番を待つ翠蓮のみだった。
 そっとため息をつく。

「よかったんだ、これで……」

 もう蒼瑛に自分を守らせたくはなかった。茶会で清苑(セイエン)妃たちに言われた言葉は、残酷なようだが真実でもあった。

 自分が蒼瑛に関われば、確実に良くないことが起こる。そう、強烈に理解した。

「忌み眼……」
 この目は、やはり凶を呼び込むのだろうか。
 弱くなりそうな自分を、息を吐き切り捨てた。

 翠蓮は、これから歌う「玉座に咲く花」と、女帝ユエの物語を反芻する。

――自分に理解できない気持ちでも、確かにそれは、他人には存在する

 皮肉なことに、翠蓮はあの茶会で、趙霖のこの言葉を理解してしまった。
 今まで足を踏み入れたことのない、後宮という閉ざされた世界。そこには陰謀が渦巻き、確かに翠蓮に理解出来ない思惑が絡み合っていた。

 だが、どうしても一つ理解できないものがあった。

「人を蹴落としても、陥れても守るべきもの……」

 ユエは、そこまでしても女帝になり、権力を握りたかったのだろうか。玉座に座った彼女が見たものは、本当に望んだ景色だったのだろうか――
 翠蓮にはこれという答えが見つかっていなかった。


 その時、紫雲(シーユン)が控室に入ってきた。
「失礼、楽譜を取りに来たの」
 
 紫雲は、翠蓮の背後で手荷物を開けているようだ。楽譜をぱらぱらとめくる音が聞こえる。

「さっきは緊張したわね、翠蓮。皇后さまの前で、突然詩歌を詠むなんて」

「ええ……」
 翠蓮はこれからの出番のことで頭がいっぱいだった。再び背後から紫雲に声をかけられる。

「花茶よ、喉にいいの」

 振り向くと、紫雲に差し出された花茶からは、懐かしい香りがした。

(蓮の……花茶……)
 翠蓮はいつも、芙蓉妃がこの花茶を淹れてくれたことが思い出された。優しく気高い芙蓉妃も、貴妃という地位に上り詰めるまで、どれほどの犠牲を払ったのだろう――


 紫雲はまだ夜宴の興奮が抜けきらないのか、熱っぽい視線を翠蓮へ向ける。


「翠蓮の……素敵な詩だったわ。まるで誰かを想うような……」

 そう言い紫雲は、「蓮っていい香りね」と微笑んだ。まるで、翠蓮の弱っている心に触れるような笑顔だった。


「ありがとうございます」
 蓮の香りに誘われ、茶を口に運ぶ翠蓮を、紫雲はじっと見つめる。

 飲み終わると翠蓮は、なんとなく胸が冷たいような気がした。
(緊張しているのかな……)


 立ち上がろうとすると一瞬視界が揺れた。

(なに……?)

 紫雲に腰を支えられ、転倒は避けられた。

「誰か呼んできましょうか?」
 慌てたような紫雲を目の端に入れながら、返事をする。

「いえ、いいんです。緊張が解けただけだと思います」
 翠蓮は、今回の夜宴が単なる歌を楽しむ会ではなく、政治的な場だということも薄々気づき始めていた。
 ここで舞台に出られなければ、蒼瑛がどんなことになるか――



「無理しちゃ駄目よ。翠蓮……」

 
 突然、紫雲の表情が変わり、翠蓮を支えていた手を離した。
 翠蓮はバランスを崩し倒れそうになるのを、咄嗟に机に手をついて支える。

 紫雲は、先ほどまでとはまるで別人だった。翠蓮の頬に、冷たい手を添える。

「そういうひたむきな態度が、炎辰殿下の心を捉えるのかしら……」


「……なんの話ですか……」

「ふふ……良いことを教えてあげるわ」

 紫雲は、翠蓮に顔を近づける。嫉妬、絶望、羨望が混じったその目を――なぜか翠蓮は美しいと感じてしまった。

 
「今あなたが飲んだのは、毒よ」

「毒……?」
 わずかに指先の震えを感じる。

「ええ、ただし()()()のね……悪いことは言わないから、今すぐ舞台を降りて、医官の手当を受けなさい」

 紫雲は、頷かない翠蓮から離れると、かっ、と声を荒げる。


「状況がわかっているの? このままじゃ死ぬのよ!」

 翠蓮は机から手を離し、真っ直ぐ立った。そして紫雲を見た。

「私が……死ぬのが怖いですか……」
 仄暗い水の底から手を伸ばすような声に、紫雲は黙っている。

「おかげで、大事なことが掴めそうです」
 それだけ言うと、翠蓮は迎えに来た係に伴われて控室を出て行ってしまった。

 紫雲は雷に打たれたように、しばらくそこから動かなかったが、やがて何かを決心したように控室を出て、夜宴の卓に着いた。