翠蓮が目覚めると、朝だというのに部屋が暗かった。どうやら日が陰っているようだ。
「またあの夢……」
まぶたを手で覆い、夢の詳細を思い出そうとしてみるが、濃い靄に包まれたように思考は止まってしまう。
しばらくぼうっと外を見ると、気合を入れて起き上がる。
洗い終わった顔を上げる。鏡に、夢の中の女の子が映った気がした。
「やっぱりあれは私なんだ……」
一体何を忘れているのだろう。
それともこの夢は、内面の不安を無意識に具体化したものなのか。
重い足取りで稽古場へ向かう。
今日は楽団師の趙霖に歌の指導を受ける日だ。
翠蓮が皇后から指定された曲は、「女帝」という劇の劇中歌――
権力に屈しないユエが、女帝に上り詰めると言う物語だ。
翠蓮が歌い終えると、趙霖はユエの物語の脚本をぱらぱらとめくる。
一度唸り、難しい顔で口を開く。
「翠蓮の歌には心が足りないな」
「心……?」
「そうだ、心が入っていなければどんなに上手い歌も見せかけで終わってしまうのだよ。
ユエは、玉座に座るまでに清濁併せ呑んできたんだ。
彼女にはな、人を陥れても蹴落としてでも、守るべきものがあるんだ」
師匠の一言一句を聞き逃すまいとする翠蓮を見て、趙霖は優しく言った。
「君には難しい感情かもしれない。
だが、自分に理解できない気持ちでも、確かに、他人には存在するんだ」
考え込む翠蓮に、趙霖は手をぽんと叩いて一区切りを告げる。
「さぁ、昼休憩にしよう」
昼休み中、翠蓮は庭をひたすら歩きながら、趙霖の言葉を反芻する。
(自分には理解できない気持ちでも、他人には存在する……)
朝は陰っていたはずの日は高く上り、じりじりと照りつける。
翠蓮の額には汗が光っていたが、思考を止めないよう、足を動かし続ける。
なんとなく、炎辰や紫雲が思い出された。
(確かに二人とも、私とは違う。
全然理解できないけれど、彼らにも一人一人感情がある……)
「ユエが、"そこまでして欲しかったもの"ってなに……?」
呟やいたとき、地面に誰かの影が伸びていたことに気づく。
顔を上げると見知らぬ侍女だ。
彼女は神経質そうに眉を寄せ、冷たい声で急かす。
「翠蓮さま、お時間ですので……」
「あの……なんの、でしょうか」
「本日、清苑妃さま主催の茶会でございますが、お聞きになっていませんか?」
まるで咎めるような棘を感じる。
(清苑妃?)
初めて聞く名前だった。
『見知らぬ侍女に注意してくれ――』蒼瑛に忠告されたことが頭をよぎる。
そこへ、紫雲が姿を見せ、ゆったりした調子で声を挟む。
「ごめんなさいね翠蓮。忙しそうだったので声をかけるのをすっかり失念していたわ。
私も招かれているから、一緒に行きましょう」
「……そうしましたら、留守にすると伝えてきます」
稽古場に戻ろうとする足を止めるように、紫雲は腕をするりと掴む。
「趙霖先生に伝えてあるから大丈夫よ」
紫雲のしなやかな指先は思ったより力が強い。
「さぁ、行きましょう」
その目には有無を言わせないものがあった。
侍女と紫雲二人がかりで両脇を抱えられる。
半ば引きずられるようにして茶会に出席することになってしまった。
