後宮の歌姫は声を隠す―特殊な目を持つ歌姫が、後宮で2人の皇子と出会って、陰謀に巻き込まれながら王家の隠した真実に迫る―【中華×サスペンス】


 翠蓮は、芙蓉妃の侍女が迎えに来ると聞いていたが、時間になっても会えなかった。
「行き違っちゃったかな……?」

 そう思い、翠蓮は貴妃宮への夜道をひとり歩いていた。

 向かいから、薄暗い中でもはっきり見える赤い髪が見える。皇后宮にいたのだろうか、炎辰だった。
 
 翠蓮が頭を下げたのを見ると、炎辰は思いもよらぬ言葉を投げた。

「芙蓉妃の寵愛を受けていると噂になっているようだが、一体どんな手を使ったんだ?」

 喉がきゅっと鳴る。そんな風に言われているだなんて知らなかった。

「そんな……良くしていただいていますが……
私はお役に立てればと思っているだけです」
 
 一拍。夜気に蝉の声が混じる。
 炎辰は、声を落とした。
 
「俺に付かないか? 北方の饗宴を聞いて確信した。お前の声には力がある」

「……お断りします」
 力が何のことか分からないが、そもそも翠蓮は炎辰を信用できなかった。
 北方の饗宴で炎辰は、彼が知らないはずの衣装のことを口にした。
 "あの衣装で良く歌ったな"と――

 断った翠蓮に、炎辰は余裕を見せる。

「"また"痛い目を見るぞ」

(やっぱり――)
「不正受験も、衣装も、あなたが差し向けたことなのですか?」

「だったら何か?」
 即答された。なんでもないことのように認められ、翠蓮は(おのの)いた。
 翠蓮にとっては、そんな簡単な問題ではない。蒼瑛にだって被害が及んでいるのだ。


 彼は、困惑する翠蓮の反応を、楽しむように口を開く。

「蒼瑛は――」 

 その名を聞いて、翠蓮は思わずぴくりと反応する。

「あいつは、いつも正しい。だが、それだけでは大事なものを守れないだろう?」
 炎辰は、ぞっとするほど美しく微笑む。
 
「俺なら、くだらない誹謗中傷をする者はねじ伏せてやる。地位も名誉も欲しいままだ」

(何を――)
 この人は何を言っているのだろうか。
 人に踏みにじられる側である翠蓮に、"こちら側"に来いと言っているのか。


 だが、誘惑する側にしてはどこか余裕なく見える。
 炎辰は微笑んでいる顔とは対照的に、蒼瑛の事を話す瞳は、怒りに燃えていた。


「なぜ蒼瑛さまを憎むのですか?」

 翠蓮は、言ってしまってから しまった、と思ったが遅かった。
 伸びてくる炎辰の手をかわす暇もなく、肩を強く後ろに押し付けられる。

 背中に壁のひやっとした感覚が伝わり、鼓動が跳ね上がる。
 逃れようと彼の両腕を掴む。精一杯力を込めているというのに、しなやかな腕はびくとも動かなかった。


「俺は皇位を取るためだけに生きてきた。そうでなければ……」
 その続きは言わなかったが、炎辰は何かに苦しんでいるように見えた。
 
 それは、まるで――

 翠蓮はすっ、と恐怖と怒りが引いていった。


「皇位をとらなければ、価値がないとおっしゃるのですか?」

「わかったふうな口を聞くな」

 炎辰の瞳が揺れる。それは、翠蓮の言葉が真実であることを告げていた。

 翠蓮は、忌み眼と蔑まれ、自分でない誰かになりたいと願った日々を思い出した。
 炎辰が画策したことを赦すわけではないが、翠蓮は自分の孤独を、炎辰の瞳に重ねて見てしまった。


「私は、人を陥れてまで皇位を争う考えは理解できません。
……ですが、炎辰殿下が孤独に苦しんでらっしゃるのはわかります」

 ふっと肩を掴む手が緩む気配を感じた時、後方から声がした。


「兄上……何をされているのですか」

(蒼瑛さま……?)

 炎辰は翠蓮から手を離し、後ろを振り向く。すでにいつもの彼に戻っていた。

「お前か。間の悪いやつだな」


「今はそんな話はしていません。何をしているのかと聞いているのです……」

 蒼瑛は声こそ冷静さを保っていたが、その目は不安と怒りが見える。
 二人は鋭い目で睨み合う。

 翠蓮は、炎辰が蒼瑛に何かしでかすのではと恐怖が走った。
 自身の片腕をぎゅっと掴むと、口を開く。


「蒼瑛さま、なにもございません。少し……立ち話をしていただけです」

 その言葉に驚いた顔をしたのは、炎辰の方だった。
 不愉快そうに翠蓮を一瞥し、蒼瑛に向き直る。


「……命拾いしたな」
 低く吐き捨てるように言い残し、闇夜に消えて行った。