後宮の歌姫は声を隠す―特殊な目を持つ歌姫が、後宮で2人の皇子と出会って、陰謀に巻き込まれながら王家の隠した真実に迫る―【中華×サスペンス】

 翠蓮は夢を見ていた。 


  真っ白な雪の中
  泣いているのは小さい私?

    ――かなしい

    ――つめたい

    ――さみしい

  大丈夫だよ、泣かないで?

    ――はやく
    ――……だして

  何?


  『早く思いだして』









「……レン!……イレン!!」

「翠蓮!!」

「あれ……太凱(タオガイ)……」

 翠蓮が目を開くと目の前には太凱がいた。
机の木の冷たさに、段々意識がはっきりしてくる。
(寝てたんだ……今のは夢?)

 翠蓮は机から頭を起こした。


「どうしたんだよ。うなされてたぞ」

「……大丈夫」

「お前最近変だぞ……あの日やっぱり、なんかあったんだろ?」

 あの日――太凱が言っているのは翠蓮と蒼瑛が祭りに行った日のことだ。
 太凱には「自分も陳偉たちとすぐに帰った」と嘘をついた。


 翠蓮はなぜか、あの日から不思議な夢を見るようになっていた。毎回、雪の中で小さな女の子が泣いている。
 まるで、翠蓮を責めるような泣き顔――

 

「おい……顔色悪いぞ」

「うん……ごめん、ちょっと……」

 頭痛がする。夢の記憶を辿ろうとすると、いつも頭がズキズキして、その先には行けなくなる。

「まだ時間あるから、少し寝るか?」

 翠蓮は返事をする代わりに、再び机に頭を付ける。

「……私、何を忘れてるんだろう」

「何だって?」

「……」

「おまえ本当に変だぞ……?」

「うん……私もそう思う」

 太凱は猫のような目を下げて、いよいよ心配そうな顔をする。
 心配をかけていると思うと、いたたまれなくなった。翠蓮は気合を入れて机に手をつき、立ち上がる。
 ふっと笑顔を作った。

「良くなったみたい……心配かけてごめん」

「おう……明鈴の誕生日会も無理すんなよ?」

 不安そうな太凱に返事をし、翠蓮が書庫を出ると、外はすっかり夏の日差しだ。
 きらめく陽が、まぶしく降り注ぐ。

 蒼瑛と祭りに行ってから一週間が経っていた。楽府で見かけた蒼瑛は、その物腰や周りの接し方から、やはり皇子なのだと思い知らされる。
 一度近づいてしまっただけに、余計に距離が遠く感じてしまう。

 
(なぜ蒼瑛さまを呼び捨てにして、祭なんて回れたのだろう……)


 胸に手をやって、自分の大胆な行動を思い返していると、蒼瑛が前から来るのが見えた。
 彼はこちらに気づくと、ふわりと袖を揺らし、隙のない身のこなしで近寄ってきた。


「翠蓮……二人で会うのは久しぶりだな」

「はい……お久しぶりです。蒼瑛さま」
 翠蓮はすっと頭を下げる。意外と普段通り対応できていた。
 ふと、蒼瑛が、自分のかんざしを見ていることに気づく。

「それ……付けてくれているんだな」
 蒼瑛が射的で取ってくれた、景品だ。心なしか、かんざしを見る蒼瑛の顔が明るくなった。


 翠蓮は、このかんざしを身につけるか迷っていた。だけど、このかんざしだけが、あの日を現実だと証明してくれる。
 少しでも蒼瑛と繋がっていたい――そんな気持ちが、かんざしを身につけることを翠蓮に促したのだろうか。


「やっぱり似合うな」


(そんな顔をされると……)
 翠蓮は、日の暖かさのような蒼瑛の笑顔を、もっと見ていたいと思った。すぐに思い直し、あの日と今日を線引きするように、頭を振った。



◇ ◆

 皇后宮の広間には、龍涎香(りゅうぜんこう)の細い煙が揺れていた。暗く重たい香りが、壁や柱に絡みつくように漂っている。

 その場にいるだけで、空気を支配するような存在感を纏うのは、皇后、()瑾華(キンカ)
 他者を寄せ付けない、光のない目、眉間に深く刻まれた皺。
 それらは、長年この後宮の頂に立ち続けてきた重圧を物語っている。
 衰えを知らぬ美貌と、容赦のない冷酷な態度から、“氷の女王”と密かに揶揄されているのも無理はなかった。


 その側で、侍女たちはひそひそと視線を交わしていた。
「……皇后さま」
 古参の女官が、慎重に歩み寄り、声を潜める。
「お耳に入れておきたいことがございます」

「言ってみよ」

芙蓉(フヨウ)妃さまが、また"例の眼"の歌人をお呼び寄せになっているご様子にございます。
宮中ではすでに、一歌人の域を超え、“特別な寵愛を受けている”と噂になっておりまして……」

 皇后の指先が、机の上をとん、と軽く叩いた。それだけで、広間の空気が一段冷える。

 後ろに控える若い妃、清苑(セイエン)は、扇をかすかに揺らした。

「まあ……最近は“余計者の庶子”が楽府に勢いをつけているそうですね。
そのおかげで、母君である芙蓉妃さまを褒めそやす声も、ずいぶん大きくなって――」


 その言葉は文を軽んじ、武を重んじてきた皇后を煽っているようにも取れる。


 皇后は静かに眉を寄せる。
「……また芙蓉妃の、芸事遊びか。後宮を乱さぬのであれば、好きにさせればよい。
だが──噂が宮中を曇らせるのは、困りものだ」

 妃も女官も、すっと頭を下げる。

 皇后の目は何かを企てるように、遠くを見ていた。