陳偉の計らいで、町人の変装で二人っきりになってしまった翠蓮と蒼瑛。
「じゃあ……何から食べましょう? せっかくなので普段食べられないものがいいかな? ですよね?」
翠蓮は、敬語ともタメ口とも区別がつかない口調で尋ねる。周りを確認すると、村の祭りで見たような食べ物もある。これなら多少は案内できそうだ。
(蒼瑛さまに少しでも楽しんでもらえたらいいな)
とりあえず揚げ小籠包と串焼きを買ってみる。香ばしい匂いが食欲を誘う。
「どうぞ……」
差し出すが、このような食べ物は初めて見たのだろう。蒼瑛は珍しいものを見る目をしている
「これは……箸がないがどうやって食べるんだ?」
「手で、です。串焼きはそのまま……熱いからお気を付けて」
蒼瑛は、恐る恐る揚げ小籠包を手でつまみ、口に運んでいる。
「あっつ……」
「大丈夫ですか!?」
「あぁ、うまいな……」
人々の笑い声や屋台のざわめきに囲まれても、蒼瑛は少し距離を置くように歩いている。
周囲の光景に溶け込めない姿は、蒼瑛の孤独を表すように見えた。
(……私が戸惑ってたら、蒼瑛さまも楽しめないよね)
翠蓮は、ぎゅっと手を握り、息を深く吸う。
「そ、蒼瑛! 串焼きもあるよ……」
名前を一息に口に出すと、一瞬、翠蓮は説明のできない気持ちになった。皇子を呼び捨てにした罪悪感だろうか。
ちらっと蒼瑛を見ると、目を見開いて微動だにしない。やり過ぎたかと心配になり、翠蓮は謝った。
「すみません……」
「いや、名前で呼んでくれたのが嬉しくて……」
怒ってはいないようだ。むしろ、口元には笑みが浮かんでいる。
翠蓮は、少しだけ距離が近づいたように感じ、嬉しくなる。
『全部食べたい』と言った蒼瑛の願いを叶えるように、目についたものを買っては食べた。
子どものように無邪気に笑う顔が可愛いくて、なんだか胸が熱くなる。
(この気持ちはなんだろう……尊敬? 憧れ?……ううん――)
今は余計なことは考えずに楽しんでもらおう。
はたと顔を上げると、蒼瑛が見当たらない。まさか、はぐれてしまったのだろうか。
捜しに駆け出そうとすると、すぐ背後から声をかけられる。焦った顔をした蒼瑛だった。
道を聞かれ、呼び止められていたようだ。
「そんなに不安そうな顔をするな。勝手にいなくなったりしない」
「すみません」
「全く、お姫様は目が離せないな」
先ほどの異国の衣装のことを言われているのだろうか。お姫様だなんて。自分に似つかわしくない言葉に、頬が熱くなる。
「ごめんなさい……」
蒼瑛はふっと笑う。町人の衣装を着ていても、その美しさは隠せていない。
「祭がやっているみたいだから、行ってみよう」
祭の通りは、少しずつ沈む準備を始めた陽に合わせて、提灯がちらほら揺れている。
射的、金魚すくい、輪投げ、羽子板、なんでもあるようだ。
「わー、私もお祭りなんて久しぶり! 蒼瑛、どれがやりたい?」
「射的がいいな」
意外にも、蒼瑛は迷わず答えた。
射的の屋台は弾のはじける音や、客の声で賑わっている。段には、菓子や人形が置いてあった。
屋台のおじさんが寄ってくる。
「あの上に小さな輪があるだろう。あれを打ち抜けたら、ここにある物持ってっていいよ!」
見せてくれた景品の中には、扇子やくし、かんざしなどが入っていた。屋台の景品にしたら上等だ。
「当たるかなぁ……」
翠蓮は銃を構える。小さな時にやった記憶があるが、果たして今はどうだろうか。ゆっくり引き金に指をかける。
パンッ――
大きな音が鳴り、思わず目をつむる。
どうやら弾は見当違いの方に飛んでいったようだ。屋台のおじさんに豪快に笑われてしまった。
「ははっ! お嬢ちゃん、わしには当てんでくれよ、後二回ね!」
「……うぅ……すみません」
もう一度構えようとすると、蒼瑛が後ろから、支えるように手を重ねた。
まるで抱きしめられたような気になり、落ち着かない。
「ち……近いよ」
「よく見て」
耳元で低く囁かれる。心なしか響きが甘い。
(だめっ……)
――パンッ
緊張の余り、狙いを定める前に引き金を引いてしまった。すっと蒼瑛が離れる。
翠蓮は名残惜しいような、ほっとするような気分だった。
「ごめん、外れちゃった……」
「くくっ……謝らなくてもいい。もう一回やるか?」
喉の奥でおかしそうに、小さく笑う蒼瑛。なんだかからかわれている気がするが、その笑顔を見ていると、何でも許せてしまう。
「もう終わりでいい……」
(蒼瑛さまは何でもないんだろうけど、私にとったら、あの距離は一大事なんだから……)
また銃の補助をされたら困ってしまう。
銃を手渡すと、蒼瑛は身を乗り出して構える。片目で照準を合わせるその横顔は、普段見せる絹のような顔とは違う。
はっきり男性らしさを感じてしまい、翠蓮はまた鼓動が早くなる。
――パンッ
弾は迷いなく標的に向かい、輪の真ん中を撃ち抜いた。翠蓮は小さく歓声をあげ、飛び跳ねる。
おじさんの悔しそうな声が響いた。
「おぉ、お兄ちゃん上手いねぇ……! ほら好きなの持っていきな!」
祭の通りの終わりには川があり、灯籠流しが行われていた。すっかり夜になり、ぼんやりとした灯りが美しい。
二人は近くの椅子に、隣り合わせに腰を下ろした。
翠蓮は、足をぶらぶらさせながら言う。
「射的上手でびっくりしちゃった」
「ん……実は、武術の稽古で銃は結構やってたから……」
蒼瑛は何か言いかけて、外套を被り直す。軽く咳払いをすると、小さな声で言った。
「だから、射的ならいいところ見せられるかなって……」
照れながら言う顔を見ていると、翠蓮にわずかに悪戯心が湧いてくる。
「いいところ、見せたかったの?」
「……うん」
「私に?」
「うん、そう」
「…………」
急に真っ直ぐ言われ、今度は翠蓮が照れてしまう。話題を変えようとして、二胡のキーホルダーを思いだす。
「……そうだ」
手渡すと、蒼瑛は嬉しそうに角度を変えては眺めている。
「覚えててくれたんだな、土産」
「じゃあ」と蒼瑛はかんざしを手に取った。先ほどの射的の景品だ。蓮の花に、翡翠色の珠飾りが付いている。
「挿してもいいか?」
翠蓮が頷くと、蒼瑛は竹笠を取り、愛おしそうに翠蓮の髪に触れる。
そんな風にされるとくすぐったくて、翠蓮は首をわずかに引いた。
かんざしを挿すと、蒼瑛は目を細めて呟く。
「綺麗だな」
その言葉は、揺れる珠飾りに対してか、きらめく川の灯りに向けたものなのか。それとも――
真意がわからず戸惑っていると、蒼瑛はじっと、射抜くような目で翠蓮をみた。
そして、肩に柔らかくかかる黒髪をそっと一筋掬い上げ、自身の口元に――
翠蓮は思わず息を止める。
(唇が――)
触れるかと思ったが、蒼瑛は寸でのところでぱっと髪から手を離した。
「――っ」
翠蓮は動けなかった。鼓動がうるさい。きっと、今の顔は見せられない。
そう思ったが、当の蒼瑛は、顔を隠すように背を向けていた。
「悪い……今の無し……」
(……あれ?)
翠蓮が回り込んで顔を覗き込むと、思った通り、蒼瑛は耳まで赤くなっている。
自分から距離を詰めたくせに、どうして蒼瑛が照れるのだろうか。
「ふ……ふふっ……変なのっ……」
翠蓮は、笑ったら悪いと思いつつ声が漏れた。蒼瑛は不服そうな顔をしている。
「ごめん……怒った……?」
蒼瑛は黙って首を振った。
少し寂しそうな微笑みが懐かしくて、翠蓮は息をするのも忘れて、その瞳を見た。
冷たい夜風がさぁっと吹く。この時間の終わりを告げているようで、二人の熱も静かに解けていく。
翠蓮はゆらめく灯籠に目をやる。
「帰りましょうか……」
「……あぁ」
途切れることなく流れ行く人々の願い。その灯りに自身の願いを重ねるように、二人はいつまでも光を眺めていた。
