後宮の歌姫は声を隠す―特殊な目を持つ歌姫が、後宮で2人の皇子と出会って、陰謀に巻き込まれながら王家の隠した真実に迫る―【中華×サスペンス】



「ここは……」

 陳偉に連れてこられたのは、衣装が数多くある店だった。村娘が着るようなものから、異国の衣装まで揃っている。

 驚いて棒立ちになる二人をよそに、陳偉はいそいそと服を選び、個室へ移動した。


「さてさて、こちらにお召し替えください。ここにいる者は口は堅いゆえ、ご安心を」

 戸惑う二人は、それぞれ陳偉に帳の奥へ押し込まれた。翠蓮は手渡された衣に目を落とす。

(こ……これに着替えるの?)
 よく分からないが、仕方がない。思い切って袖を通す。

 翠蓮がそーっと帳から顔だけ出すと、既に蒼瑛が支度を整えていた。

 
 蒼瑛は粗末な衣を身にまとい、髪を薄布で巻いている。さらに顔には(すす)があちこちに付けられていた。
 宮廷から距離があるとは言え、念には念を入れたようだ。


 陳偉は翠蓮に気付き、控えていた女性の侍者に何かを促す。
 侍者は帳の中へ入ると、手早く化粧と髪結いを施した。
「あらまぁ。我ながら仕上がってしまいましたわ……」

「……?」
 何のことか分からず、不思議な顔をする翠蓮を、彼女は「さぁさぁ」と外へ連れ出した。


 帳の外が、しん……と、静まった。周りの従者達はため息を漏らしている。


「あの……これは?」
 おずおずと進み出る翠蓮に、陳偉は満足げに言う。


「異国の王女のお忍び風です」


 異国の王女――言われてみればその通りだった。淡い薄紫の衣は、光を受けるたびに色を変え、重ねられた薄絹が揺れる。
 髪は下ろされ、編み込まれた一筋が頬に沿い、動くたびに影を落とす。
 顔の白粉(おしろい)は控えめで、唇には色ではなく艶だけが与えられていた。そのせいで、目元の陰影がはっきりと浮かび上がり、翡翠の瞳が、異国情緒を引き立たせていた。


 翠蓮は落ち着かず、スカートを指先でつまんだ。
「……変では、ありませんか」


 返事がないことに気づいて顔を上げる。
 目の前の蒼瑛は一瞬、言葉を失ったように見えた。すぐに視線を逸らし、しかしまた戻してくる。

「……目立つな」
 それだけ言って、理由は続かなかった。声が、わずかに低い。
 陳偉は二人の様子を一瞥し、満足そうに口髭をなぞった。

「やりすぎましたかな」
 
 蒼瑛は拗ねたような顔で、小声で文句を言っている。
「……これでは外に出られないだろう」


「はは、確かにお忍びどころか、街中の視線を一身に集めてしまいますな」


 翠蓮は不安になった。
「……やはり変ですよね」
(歩きにくいし……)

「いや……変ではない。絶対に」
 蒼瑛は、そこは即答する。しかし相変わらず翠蓮をまっすぐ見ない。
 陳偉はにやにやと蒼瑛を見ていたが、満足したのか、別の衣を翠蓮へ手渡す。

「少しの遊び心でございました故、お許しください」

「いえ……」



 翠蓮は再び着替えて、姿を現した。

「終わりました」

 今度は町娘風らしい。色あせしたような藍の質素な服に、上には泥で薄汚れた外套を羽織っている。腰には巾着といった出で立ちだ。
 髪は緩く低い位置で、お団子に結われていた。
  
「そのままでは目立ちますから、恐れ入りますがこちらを……」
 言いながら陳偉は竹笠を被せる。


 竹笠が大きくて前が見えない。直そうと焦ると、スッと視界がひらける。すぐの距離に、蒼瑛の顔が飛び込んでくる。


「あ……」
 不意のことに、思わず顔が赤くなってしまう。釣られたように蒼瑛も顔を赤くし、二人はそのまま見つめ合う。どちらからも、すぐには視線を逸らせなかった。


 一歩離れると、蒼瑛は小さく評を口にした。

「それも……似合うな」
 
 翠蓮はうるさい鼓動を落ち着かせるように、胸を押さえる。
「……はい、こちらの方が落ち着きます」


 とにかく、お互い皇子と宮廷歌人だとは気づかれなさそうだ。


「翠蓮殿、よければ蒼瑛様にお付き合いください。ああ見えて孤独なのです」
 陳偉はそっと耳打ちすると、「夜にお迎えにあがります」と大きく手を振り、嬉しそうに二人を街の喧騒に送り出した。