翡翠の歌姫は後宮で声を隠す


◇ ◆


 蒼瑛(ソウエイ)が何回目かに会った翠蓮は、冷たい雪の中で凍えるように小さくなっていた。

「どうしたの?」

「お母さん、死んじゃうかも……」

 翠蓮は歌人のお母さんが病気なこと。元気づけるために歌っていることを教えてくれた。


「大丈夫……きっと治るよ……」

「うそ! 私の歌じゃ だめなんだ……」

 目からこぼれ落ちた涙が雪を溶かしていく。

 蒼瑛は居ても立ってもいられなかった。
 たった一人の母親が死んでしまうかもしれない恐怖――蒼瑛には想像もつかなかった。
 どうにかしてあげたい。そのことで頭がいっぱいになる。 

「翠蓮の歌は駄目なんかじゃない!」

 翠蓮は涙でいっぱいの目で蒼瑛を見た。

「……僕も友達いなくてさみしかったけど、翠蓮の歌聞いて元気出たんだ! だから、そんなふうに言わないで!」
 
 自信がなさそうに、翠蓮は顔を伏せてしまった。

 蒼瑛は襟元から蒼玉の首飾りを取り出す。
 それは、皇帝である父から「皇子の証」として、兄とともに譲り受けたものだった。

 一瞬迷ったが、どうしても翠蓮を元気づけたい――その思いが蒼瑛を突き動かす。
 大きく息を吸うと、翠蓮の首にふわっと首飾りを掛けた。

「僕、皇子なんだ。だから嘘はつかない」

 そんな馬鹿なと言うように、翠蓮は受け取った首飾りをしげしげと見つめる。

「きれいだけど……ただの石に見える……」

「う……兄さんのと合わせると龍が浮かび上がるんだ! それを見たら翠蓮だって信じてくれる!」

 一度止まったはずの翠蓮の涙が、再びあふれ出す。おろおろし、どうしたのかと尋ねると、翠蓮はのどを詰まらせた。

「だって……蒼瑛……皇子さまなんでしょ? お城に帰っちゃうんだよね?」

 その通りだった。蒼瑛の胸は、雪の冷気に満たされ、冷たくなっていく。
 この子は、自分が皇子だと知っても離れたくないと泣いてくれる。

(別れたくない。ずっと一緒にいたい……)


「僕が大きくなったら宮廷に音楽団つくる。
だから、いつか僕のために歌ってくれる?」

 翠蓮はその言葉に、じっと蒼瑛を見た。

「それって約束?」

「うん、約束」

 すると翠蓮は袖元から、茶色の革袋に包まれた翡翠の首飾りを差し出した。お母さんからもらったお守りだという。

「大事なものだから、革袋から出しちゃ駄目って言われてるんだ」

 そんなものを受け取っていいのかと戸惑う蒼瑛に、翠蓮は泣きながらもにこっと笑った。

「いいの、わたし大きくなったら蒼瑛のために歌う。それは約束の印ね」

 初めて女の子から物をもらった。それに、子供同士で約束したのも初めてだった。
 翠蓮は少し元気が出たようだったが、不意に不安げな顔に戻った。

「お母さんが心配だから帰るね。また、明日くるから……」

 そう言って、翠蓮は小さな背を向けて雪の中を歩いていく――



◇ ◆ 


――(待って)

 声を出そうとして蒼瑛は目が覚めた。

(そうだ。あの後……)
 あの後、翠蓮は三日間姿を現さなかった。
 ようやく会えた彼女は母親を亡くし、泣きじゃくっていた。

 何もしてあげられず、逃げるように宮廷へ帰ってきてしまった。宮廷に帰ってから、翡翠の瞳への差別があることを知り、ますます後悔は大きくなった。

 翠蓮はあの後、どのようにして生きてきたのだろうか。


 蒼瑛は、まだ寝ている翠蓮を見つめる。
 長いまつ毛に縁取られたまぶたが、ゆっくりと開く。

「ん……」

「起こしてしまったか」


 翠蓮が状況を把握しきれないでいると、蒼瑛は苦しそうに微笑んだ。

「謝らなければいけないことがあるんだ」

「……なんでしょうか」

「辛い時になんの力にもなれず……避けるような態度をとってしまった」

 翠蓮はその言葉を聞くと、その時の痛みを思い出したように一瞬顔を歪めたが、すぐに首を振った。

「決して君を傷つけるつもりではなかった。」

「なにも謝っていただくことはありません……どうか、そんな顔をなさらないでください。
そのような蒼瑛さまを見ることの方が辛いです……」
 翠蓮は今にも泣き出しそうだった。


「……悲しませてばかりなのに、優しいな翠蓮は。昔から、ずっと」

 
 十年前のあの日、孤独だった蒼瑛にとって、翠蓮は光そのものだった。
 そしてそれは今もかわらない。

「これから先、何があっても離れない。私のことを信じてほしい」

 蒼瑛の決意に応えるように、翠蓮の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。


 二章完▶三章へ続く