朝餉《あさげ》の時間。
前に座る明鈴は同情的に言う。
「翠蓮、絢麗と二重唱することになったんだって? 上手くやってるの?」
「うーん……」
言葉に詰まる。
実のところ全然上手くやれていなかった。
明鈴が雑穀がゆを運んだ口を動かす。
「同じ釜の蜜をすするだっけ? 仲が深まるとか言うよね。って言っても絢麗相手じゃ手強いか……」
"同じ釜の飯を食う――"翠蓮は閃く。
「ありがとう明鈴! やってみる!」
がたんと椅子から立ち上がると、翠蓮は足早に食堂を出た。
稽古場に入ると、絢麗がすでに来ている。
「絢麗さん、おはようございます!」
彼女は切れ長の目を、ちらっとこちらに向けた。
「……おはよう。朝から元気だけはいいのね。で、歌は少しは進歩したのかしら
「……」
数日経過したが絢麗はずっとこの調子だった。
翠蓮は専門書と睨み合い、夜な夜な練習を重ねている。しかし絢麗に認めてもらうには、もう少し時間がかかるようだ。
(やっぱり同じ釜のご飯を……)
考えていると、香蘭が一つ結びを揺らし入ってきた。
発声練習などの肩慣らしをしっかりしてから合わせに入る。
歌を聞いた香蘭は眉をひそめる。
「翠蓮。柔らかい声が持ち味なのは分かるけどね、絢麗に遠慮しちゃ駄目。
ただ、楽譜への理解は深まっていて結構よ」
「はい!」
次に香蘭は絢麗に向く。
「絢麗、あなた技術は流石だけど……二重唱は二人でハーモニーを奏でるのだから、独りよがりに歌わないで」
「……はい」
絢麗の顔は憮然としているが、香蘭は無視して手を叩いた。
「はい! じゃあ二人とも今の点を意識して個人で練習して!」
◇ ◆
昼休みに入るや否や、絢麗はさっさと歩き出してしまう。
遅れを取らないように翠蓮もあとに続く。
(ここでめげちゃ駄目。少しでも距離を縮めたい……)
食堂では温かいお粥と、根菜たっぷりの煮物が並ぶ。淡い緑の菜の花やフキが、春の気配をそっと告げていた。
翠蓮は絢麗の正面に座り、手を合わせる。湯気が出ているお粥を食べ始めると、絢麗は肩をすくめた。
「あなた、意外と図々しいのね……。どういうつもり?」
翠蓮は笑顔で言う。
「いえ、ただお話できたらなって……絢麗さんはどんな歌が、好きですか?」
「は? ええ……そうね。歌自体好きとか嫌いとか、特に考えたことないわ」
「じゃあ、なぜ歌を?」
絢麗の箸がピタッと止まる。美しい所作で箸を置くと、茶を口に含んだ。
「教養よ。それだけ」
教養――名家に生まれた女性なら礼儀作法は一通り叩き込まれる。絢麗にとって歌は、その一部ということだった。
翠蓮は煮物に手をつける。人参が花形に切られていて可愛いらしい。
「好きだから、歌人になったんですよね?」
「だから……好きというか、気づいたらこうなっていたのよ。才能があったということ」
「なるほど」
好きこそものの上手なれと言うが、下手の横好きと言うこともある。
絢麗はそのどちらでもなく、たまたま才能に恵まれた。ということなのだろうか。
絢麗は遠い目をした。
「あなたが思うほど、楽しいことばかりじゃないのよ。才能があるって言うのは、妬まれるということなの――」
苦い過去でもあるのだろうか。
絢麗は一瞬寂しそうな顔をしたが、直ぐにいつもの勝ち気な雰囲気に戻った。
「特にね、あなたみたいにニコニコして"人畜無害です"って顔をしてる人の方が、裏では分からないのよ」
そう言えば、翠蓮は初めて会ったときから、絢麗に敵意を向けられていたような気がする。
「何か……あったんですか?」
絢麗はうっとおしそうに、手で翠蓮を追い払う仕草をする。
「色々よ――……あなた」
「はい?」
お粥のお代わりをよそう翠蓮を見て、絢爛は驚いた顔だ。
「意外と……しっかり食べるのね」
本日二回目の "意外と" だ。
「はい、よく言われます」
育ての父は『食は身体の基本』と言っては、貧しいながらに工夫し料理を作ってくれた。そのせいか、翠蓮は好き嫌いなく何でも食べられる。
身体が丈夫なのもこのおかげだろう。
しばらくの沈黙のあと、絢麗がぽつりと口を開く。
「あなたは……好きなんでしょうね。歌が……」
「好きです」
「じゃあ聞くけど、なんで好きなの?」
その質問に、翠蓮は首をひねる。
育ての父は音楽を生業にしていた。翠蓮にとって、歌は常に傍にあるものだった。
――村で差別に遭っても、自分を庇った父が死に、悲しみのどん底にいた時も、歌がいつも救ってくれた。
歌っていれば、辛いことも忘れられた。
父は普段は優しいが歌に厳しく、失敗すると、太鼓のバチが飛んでくるような環境だった。
だけど、歌をやめたいと思ったことは一度だってなかった。
(何で? 何でなんだろう――)
「色んな人の、人生に関わるうちに――
歌で誰かを支えることが、幸せだと感じるようになったからです」
絢麗はその答えを聞くと、俯き、動かなくなった。
翠蓮は食事を終え、手を合わせる。
(絢麗さんは……あんまり歌が好きじゃないのかな……)
「あの……」
声をかけようとすると、絢麗は袖を揺らしすっと立ち上がる。
「これ以上、馴れ合う気はないわ」
「絢麗さん――」
「なによ」
「ご飯、全然食べていなれけど、大丈夫ですか?」
「……」
「もし私と一緒が嫌なら、もう出ますので。しっかり食べてくださいね」
そう言い残し、翠蓮は先に食堂を出て行ってしまった。
「なんなのよあの子……」
絢麗は仕方なく、もう一度腰を下ろす。しぶしぶ、冷めてしまったお粥を口に運ぶ。
「誰かのための歌? 幸せに生きてきた人には分からないのよ。
凡庸な……取るに足らない歌よ」
そう言い聞かせるのに、胸の中に苦々しい気持ちが広がっていく。
「フキ、苦いから嫌いなのよね……」
流し込むように茶を飲む。
最近残しがちだった食事は、翠蓮に釣られたのか綺麗に完食していた。
絢麗は静かに立ち上がり、稽古場に足を向けた。
前に座る明鈴は同情的に言う。
「翠蓮、絢麗と二重唱することになったんだって? 上手くやってるの?」
「うーん……」
言葉に詰まる。
実のところ全然上手くやれていなかった。
明鈴が雑穀がゆを運んだ口を動かす。
「同じ釜の蜜をすするだっけ? 仲が深まるとか言うよね。って言っても絢麗相手じゃ手強いか……」
"同じ釜の飯を食う――"翠蓮は閃く。
「ありがとう明鈴! やってみる!」
がたんと椅子から立ち上がると、翠蓮は足早に食堂を出た。
稽古場に入ると、絢麗がすでに来ている。
「絢麗さん、おはようございます!」
彼女は切れ長の目を、ちらっとこちらに向けた。
「……おはよう。朝から元気だけはいいのね。で、歌は少しは進歩したのかしら
「……」
数日経過したが絢麗はずっとこの調子だった。
翠蓮は専門書と睨み合い、夜な夜な練習を重ねている。しかし絢麗に認めてもらうには、もう少し時間がかかるようだ。
(やっぱり同じ釜のご飯を……)
考えていると、香蘭が一つ結びを揺らし入ってきた。
発声練習などの肩慣らしをしっかりしてから合わせに入る。
歌を聞いた香蘭は眉をひそめる。
「翠蓮。柔らかい声が持ち味なのは分かるけどね、絢麗に遠慮しちゃ駄目。
ただ、楽譜への理解は深まっていて結構よ」
「はい!」
次に香蘭は絢麗に向く。
「絢麗、あなた技術は流石だけど……二重唱は二人でハーモニーを奏でるのだから、独りよがりに歌わないで」
「……はい」
絢麗の顔は憮然としているが、香蘭は無視して手を叩いた。
「はい! じゃあ二人とも今の点を意識して個人で練習して!」
◇ ◆
昼休みに入るや否や、絢麗はさっさと歩き出してしまう。
遅れを取らないように翠蓮もあとに続く。
(ここでめげちゃ駄目。少しでも距離を縮めたい……)
食堂では温かいお粥と、根菜たっぷりの煮物が並ぶ。淡い緑の菜の花やフキが、春の気配をそっと告げていた。
翠蓮は絢麗の正面に座り、手を合わせる。湯気が出ているお粥を食べ始めると、絢麗は肩をすくめた。
「あなた、意外と図々しいのね……。どういうつもり?」
翠蓮は笑顔で言う。
「いえ、ただお話できたらなって……絢麗さんはどんな歌が、好きですか?」
「は? ええ……そうね。歌自体好きとか嫌いとか、特に考えたことないわ」
「じゃあ、なぜ歌を?」
絢麗の箸がピタッと止まる。美しい所作で箸を置くと、茶を口に含んだ。
「教養よ。それだけ」
教養――名家に生まれた女性なら礼儀作法は一通り叩き込まれる。絢麗にとって歌は、その一部ということだった。
翠蓮は煮物に手をつける。人参が花形に切られていて可愛いらしい。
「好きだから、歌人になったんですよね?」
「だから……好きというか、気づいたらこうなっていたのよ。才能があったということ」
「なるほど」
好きこそものの上手なれと言うが、下手の横好きと言うこともある。
絢麗はそのどちらでもなく、たまたま才能に恵まれた。ということなのだろうか。
絢麗は遠い目をした。
「あなたが思うほど、楽しいことばかりじゃないのよ。才能があるって言うのは、妬まれるということなの――」
苦い過去でもあるのだろうか。
絢麗は一瞬寂しそうな顔をしたが、直ぐにいつもの勝ち気な雰囲気に戻った。
「特にね、あなたみたいにニコニコして"人畜無害です"って顔をしてる人の方が、裏では分からないのよ」
そう言えば、翠蓮は初めて会ったときから、絢麗に敵意を向けられていたような気がする。
「何か……あったんですか?」
絢麗はうっとおしそうに、手で翠蓮を追い払う仕草をする。
「色々よ――……あなた」
「はい?」
お粥のお代わりをよそう翠蓮を見て、絢爛は驚いた顔だ。
「意外と……しっかり食べるのね」
本日二回目の "意外と" だ。
「はい、よく言われます」
育ての父は『食は身体の基本』と言っては、貧しいながらに工夫し料理を作ってくれた。そのせいか、翠蓮は好き嫌いなく何でも食べられる。
身体が丈夫なのもこのおかげだろう。
しばらくの沈黙のあと、絢麗がぽつりと口を開く。
「あなたは……好きなんでしょうね。歌が……」
「好きです」
「じゃあ聞くけど、なんで好きなの?」
その質問に、翠蓮は首をひねる。
育ての父は音楽を生業にしていた。翠蓮にとって、歌は常に傍にあるものだった。
――村で差別に遭っても、自分を庇った父が死に、悲しみのどん底にいた時も、歌がいつも救ってくれた。
歌っていれば、辛いことも忘れられた。
父は普段は優しいが歌に厳しく、失敗すると、太鼓のバチが飛んでくるような環境だった。
だけど、歌をやめたいと思ったことは一度だってなかった。
(何で? 何でなんだろう――)
「色んな人の、人生に関わるうちに――
歌で誰かを支えることが、幸せだと感じるようになったからです」
絢麗はその答えを聞くと、俯き、動かなくなった。
翠蓮は食事を終え、手を合わせる。
(絢麗さんは……あんまり歌が好きじゃないのかな……)
「あの……」
声をかけようとすると、絢麗は袖を揺らしすっと立ち上がる。
「これ以上、馴れ合う気はないわ」
「絢麗さん――」
「なによ」
「ご飯、全然食べていなれけど、大丈夫ですか?」
「……」
「もし私と一緒が嫌なら、もう出ますので。しっかり食べてくださいね」
そう言い残し、翠蓮は先に食堂を出て行ってしまった。
「なんなのよあの子……」
絢麗は仕方なく、もう一度腰を下ろす。しぶしぶ、冷めてしまったお粥を口に運ぶ。
「誰かのための歌? 幸せに生きてきた人には分からないのよ。
凡庸な……取るに足らない歌よ」
そう言い聞かせるのに、胸の中に苦々しい気持ちが広がっていく。
「フキ、苦いから嫌いなのよね……」
流し込むように茶を飲む。
最近残しがちだった食事は、翠蓮に釣られたのか綺麗に完食していた。
絢麗は静かに立ち上がり、稽古場に足を向けた。
