翡翠の歌姫は後宮で声を隠す


 祝宴での蒼瑛の心遣いに、翠蓮は宮廷に来るまでの村の暮らしと、忌まわしいあの日を思い出していた――

 
 ◇ ◇

 ――宮廷に来る1年前―一

「つめたっ……」
 翠蓮|(スイレン)が振り返ると、雪玉を持った男の子達がいた。
 
「やーい、忌み眼|(いみめ)!」
「翡翠の目で見られたら不幸になるぞー!」

 皆飛び上がり、面白そうにはやし立てる。


「だから、そんなのただの迷信……」

 言い返そうとするも、ひゅんっと次の雪玉が飛んできた。
 少女の珍しい翡翠の目は、理由もないのに、この国では不吉を呼ぶとして嫌われる。


(いっそ黙っているほうが早く終わる……)

 翠蓮がそう思った時。



「いってー!!」「なにしやがる!!」

 少年達は、熊のような大きな体をした男性にゲンコツをくらっていた。


 翠蓮はぱっと顔を明るくする。
「お父さん!」

 父は、ギロリと少年達を睨みつけ一喝した。

「いい加減にしろ! 忌み眼なんて差別してんのは、こんな片田舎の村だけだからな!」


 翠蓮は父の胸に飛び込んだ。

「いてて……、石頭だなあいつら」
 ゲンコツした手をさする父を見て、翠蓮はふふっと笑った。



 手をつないで家へ帰る。 
 村のはずれの小さな家、ここが翠蓮の住処(すみか)だった。


 火をおこしながら翠蓮が歌うのを、父は嬉しそうに聞いていた。

「揺りかごの唄か……。出会った時も、翠蓮はその曲を歌っていたよ。もうすぐ十年だな……」


 彼は本当の父親ではない。
 たった一人の母を亡くし、途方にくれていた小さい翠蓮を拾ってくれた。


 父は目を伏せて、気まずそうに切り出した。

「宮廷歌人になる話、考えてみたか?」

 翠蓮は『聞こえない』というように耳を塞いだ。

「翠蓮……こんな田舎の村じゃ、生きにくいだろう。
都には色んな人がいるし、差別だってここよりはマシだ」


「一人で行くなんて怖いもん」

「俺は足が悪いから、付いてはいけないんだ」


 足をさする父に、翠蓮は「この話はおしまい」と、拗ねたように背を向けた。

 
 差別する者もいるが、村人の中には優しい人もいる。

 だから、翠蓮はひっそりとしたこの生活が、そんなに嫌いじゃなかった。
 母のような歌人になることは憧れるが、何よりここには、父がいる。
 大好きな歌や楽器も教えてもらえる。


 そんな毎日が、ずっと続いていくと思っていた。


 ◇ ◇

 状況が悪くなったのは、村が飢饉に見舞われてからだった。


 村人は皆殺気立ち、暴徒化した者が、盗みや暴力を振るうようになっていた。
 父は、忌み眼を持つ翠蓮の身を案じていた。

「用を済ませてくるから、家から出るなよ」

 翠蓮はこくんと頷いた。


 一人、家の中で囲炉裏(いろり)の火を見つめる。

 飢えて余裕がなくなった村人たち。翠蓮は、皆の行き場のない怒りが、激しい憎悪となって自分に向けられているのを感じていた。


 不意に、外で子供の泣き声がした。
 外に出るのはためらわれたが、なかなか泣きやまない。

(こんな村のはずれで、どうしたのかな)
 心配になって、そっと見てみた。


 四歳くらいの小さな女の子が泣いていた。
 近づいてみると、足から血が出ている。


「転んじゃった?」
 翠蓮が話しかけると、女の子は泣き止んだ。

「まいごなの……あし、いたい」


「うん、待っててね」
 翠蓮は衣を口で裂き、女の子の足に巻きつけようとした。

 がさっと背後で音がした。


 振り向くと、ギラギラと光る(おの)を持った男性がいた。狩りでもしていたのだろうか。


 ガリガリに痩せたその男は、怒りと恐怖に満ちた目で翠蓮を見ている。

「……その子に触るな」

 「手当をしていただけ」そう、言おうとした。なのに、男の異様な雰囲気に、翠蓮は声が出なかった。


「お前のせいだ……お前のせいで村がこんな目に……」
 痩せた男は斧を上げ、にじり寄ってくる。
 逃げなければ、と思うが足が凍ったように動かない。

 
「その眼で見るなあぁぁ!!!」
 男が雄叫びを上げ振りかぶってくる。
 翠蓮は、女の子に覆い被さり、目を閉じた。



(あれ……)
 来るはずの痛みがない。
 そぉっと目を開けると、父が目の前に立ちふさがっていた。

 翠蓮はほっとした。助けに来てくれたのだ。


「お父さん……?」

 父は返事をせずに、そのまま雪の上に倒れ込んだ。雪の白に、赤いものが滲んでいく。


「……お前のせいだ。お前の忌み眼のせいで、皆が不幸になるんだ!!」
 男は、翠蓮に消えない呪いを吐き捨て、逃げて行ってしまった。


「お父さん……お父さん?」
 ゆさゆさと揺すってみる。まだ息があるようだ。

 父は襟元から紙を取り出した。
 それは、宮廷音楽団への推薦状だった。

「汚れていなくて……よかった……」
「お父さん、何言ってるのこんなときに……」


 父は翠蓮の手を握りしめた。


「良いか。人を、自分を呪うんじゃない……。お前の声には、力がある」

 まるで最期の挨拶のような言い方に、翠蓮は涙をあふれさせた。
 父の声は段々小さく弱くなっていった。

「都へ行け。翠玉を――」

「すい……? なに?」

 もう父が答えることはなかった。
 
 
 どれくらい泣いただろうか。気付けば女の子もいなくなり、雪は吹雪に変わっていた。

 もう涙は凍ってしまった。

 なのに、どうしてなのだろう。

 こんな時なのに、歌が口をついて出てくる。


 揺りかごの唄――
 この歌は、父への最期のお別れだった。

 歌い終えると翠蓮は、推薦状をしっかりと胸に抱いた。
 
 都への道が歌への道に通じている。そう信じて、一歩を踏み出す。

 遠くで、村の鐘が狂ったように鳴り始めていた。



◇  ◇

 自分のせいで父が死んだ―一
 この重い事実を背負った日が、翠蓮を宮廷に行くことを決意させた日である。


 そして、無事宮廷歌人になった翠蓮の物語はここで終わらない。

 忌み眼と翠玉の真実。
 本当の試練が待ち構えているのはこれからだった―一




―一第一章完▶二章へ続く