「桜子ちゃん、絶対小田に気があるだろ」
ジュースで喉を潤していると、井筒がそんなことを言い出した。
「それはないよ。電車で助けたから、お菓子はそのお礼だよ。ID交換を言い出したのも、本人じゃなく朱里さんだし」
「いや、あれはいける」
何を根拠にか、久我山まで悪乗りする。
「俺、ちょっと電話してくる」
会話には加わらずスマホを眺めていたシバが部屋を出ていった。
「……はぁ」
井筒と久我山が、何故か同時にため息を吐いた。
前の曲の後奏が終わり、新たな曲のイントロが流れてくる。タイミングが悪いことに、シバと一緒に歌おうと思っていたティップオフのアニメ1期のオープニングだった。
「あ、ティップオフ来た。一時停止していい?」
リモコンで止めたところで、井筒と久我山から物言いたげな目を向けられた。
「桜子ちゃん以外、全員長谷川狙いじゃん」
「お前、よくあんなやつと友達やれてんな」
「……あんなやつって、シバのことか?」
俺は少しムッとした。
「あいつと一緒にいたら、女子はみんなあいつに持っていかれるじゃん。桜子ちゃん狙ってるっぽいから、お前もうかうかしてるとあぶねーぞ」
井筒の言葉は、これまでにも何度か、似たようなことをシバのいないところで他の友達から聞かされたことがある。
「あいつ、自分でも言ってたけど、意外と一途なやつなんだよ。中学の頃も告白されまくってたけど、中体連が終わったら好きな人に告白するつって誰ともつきあってなくて。それに持っていかれるなんて言い方、女子にも失礼だろ。あいつがいいやつだからみんな好きになるんだよ」
俺の話と本人の雰囲気にギャップがあり過ぎたからか、二人とも納得のいかなそうな様子で顔を見合わせている。
「つーかお前ら、これ以上、俺の親友の悪口言うなら、絶好だかんな!」
とどめを刺すように力説すると、二人はようやく悪びれた顔をした。
「ご、ごめん」
「悪口っつーかただの僻みだから」
ほどなくしてシバが戻って来て、続いて女子も戻って来た。
「せっかくだから席替えしたの」
そう言った琴音さんは勝ち誇ったようにシバの前に座り、そして俺の前は変わらず桜子さんだった。琴音さんの逆側の隣が美鈴さん、悔しげな表情の朱里さんが一番端で、井筒の前という配置。
飲み物のお代わりをオーダーし、止めていた曲を再開する。
シバを無理やり付き合わせてアニソンを歌い終わると、俺は次の人にマイクを渡して席を立った。
「俺、ちょっとトイレ行ってくる」
顔を振り向かせてそう言いながら、部屋を出ようとした、そのとき――。
「失礼しま――」
声と共に目の前でドアが開き、入ってきた店員とぶつかりそうになった。
俺も向こうも咄嗟に避けたが、お盆が傾き、載っていたグラスがぐらりと揺れる。
「あっ――!」
撥ねた中身が入口に一番近い桜子さんのほうに飛び散ることを予想し、咄嗟に間に体を滑り込ませた。
胸元でバチャッという音がし、冷たい感触がじわじわと広がっていく。
「す、すみません!」
店員が青ざめて頭を下げる。
「あ、いえ。ちゃんと前見てなかった俺が悪いんで」
そう答えながら、胸元を見下ろす。オレンジジュースだ。思ったより派手にかかってる。
「桜子ちゃん、大丈夫だった?」
「あ、私は大丈夫。あの、おしぼり……」
桜子さんがおしぼりを取って立ち上がろうとした。その前にシバが腰を上げ、俺を出口側へと押し出す。
「これ、おしぼりじゃどうにもならんから、着替えさせてくる」
えっ? 着替えさせてくるって、俺、着替え持ってきてねーんだけど?
戸惑いつつも、背中を押されて廊下に出た。そのままシバに手首を掴まれ、歩き始める。
「バッグの中にタオル入ってっから、それで拭くよ」
「拭いても染みは消えんだろ」
連れて来られたのは、男子トイレだった。
「脱いで」
「え? なんで?」
「水洗いするから」
「いやでも、アンダーは体育祭のあと脱いだから、これ一枚なんだけど」
冷房が効く中、水洗いしたシャツをそのまま着るのは冷たいだろう。
シバは一瞬視線を揺らし、自身のシャツのボタンに指をかけた。
「着替えないなら、これでいい? 俺、下にTシャツ着てるから。今日は通学中しか着てないし、そんなに汗臭くないはず」
「い、いや。お前がそこまでする必要ないだろ」
「逆の立場なら、お前もそうするだろ」
そう言われると、確かにそうかなと思える。
「あ、でも、お前のシャツは俺には入らんかったわ」
直後に訂正され、俺はボタンの外れたシバの腹に軽くグーパンチした。
「悪い。じゃあ、シャツ借ります」
俺も自分のシャツのボタンを上から順に外し、肩から抜くと、生地の乾いている部分で濡れた胸元を拭う。
「おいっ! 何でここで脱ぐんだよ! 個室あんだろ!」
何故かシバはご立腹だ。
「お前もここで脱いだじゃん」
「俺は下に着てるからいいんだよ!」
「男子トイレなんだからいいだろ!」
売り言葉に買い言葉を返しつつも、俺は自分のシャツを洗面台に放り、シバから差し出されたシャツを「ありがとう」と受け取った。シバはというと、シャツの下に着ていた、スポーツブランドの白いVネックTシャツになっている。胸元にはメーカーロゴ。
「相変わらずほっせーな」
眉を顰め、相変わらずの不機嫌顔で俺の上半身を一瞥したシバは、すぐに視線を逸らせた。あまりに俺の体が貧相で、見るに堪えないといったところか。
「これでも、受験終わってからは筋トレも続けてんだぞ」
育ち盛りにしては食が細いせいか、筋トレをしても目に見えて効果は出ていない。
「お前なんかずっと運動してねーから、腹ぶよってんだろ!」
意趣返しとばかりにシバのTシャツの裾を捲り上げる。しかしそこあったのは、見事に筋肉の筋の浮き出たお腹だった。
見た目はそうでも実際は――。
往生際悪く肉を抓んでみようとしたが、期待したぷにぷに感どころか抓むこともできなかった。
「いいから、お前は早く着替えろ」
ペチっと頭をはたかれる。
「くっそー。何で部活もやってねー奴がその腹なんだよ!」
地団太を踏みつつも、俺はシバのシャツに腕を通した。予想通り、まぁ、かなりぶかぶかだ。
「俺も筋トレくらいならたまにしてるからな」
シバは洗面台に立ち、水を流して俺のシャツを洗い始める。
「自分で洗うからいいよ」
「いいよ。俺が洗ったほうが早い。それに……さっきのお礼」
「お礼?」
シャツのボタンを留めながら、鏡越しに怪訝な顔を返す。
「俺がいなくなった後、お前の友達が俺の悪口言い始めたとき、俺のことかばってくれた」
「話聞いてたのか? お前、電話しに行くって……」
「電話は繋がらなかったからすぐに戻って来たんだ。でも、俺のことが話題になってたから、入りづらくて」
「あいつらも、本気で言ってたわけじゃないからな?」
鏡越しに、シバがにやりと口角を上げた。
「わかってる。サクは人をかばってばっかだな」
「たまたまだよ」
たまたま、今日がそういう日だっただけだ。
俺はいつのまにかボタンを留めるのを中断していた指を、再び動かしはじめた。
シャツからは、制汗剤の匂いなのか、シトラス系の爽やかな香りがする。
シバの匂いなんて、嗅ぎ慣れてるはずなのに。何だか妙に気分が落ち着かなくなって、顔が熱を持つ気配がした。
オレンジジュースの染みを洗い落とし、シャツの水気を絞り落としたシバが、洗面台から離れて振り返った。
「ヤバっ」
俺を見るなり軽く目を見開き、すぐにまた視線を逸らす。
口元を手で覆った顔は、笑いを嚙み殺しているようでもあるし、心なしか顔が赤い気もする。
「身長差20センチ近くあるんだから、しょうがねーだろ!」
俺のぶかぶかぶりを笑っているのだと思った俺は、唇を尖らせた。
「サク、かわ……」
「可愛いとか言ったらコロす」
女子にはそこまで言えないが、男としては言われて嬉しい誉め言葉ではない。
「なぁ。荷物取って来るから、このまま二人でフケない?」
「なんで?」
「そんな格好で戻ったら、絶対いじられるぞ」
「ぶかぶかのシャツ着てる人なんて普通にいるだろ」
そう言ってシバから濡れたシャツを受け取り、部屋に戻ったのだが。
奴の言う通りにしていたほうがよかったのかもしれない。
俺は女子たちから、「可愛い」だけじゃなく、「彼シャツみたい」という意味不明な言葉まで浴びせられたのだった。

