6時にサイカイ橋で。



 シバと再会して以来、他に用がない日は体育館のピロティで一緒に昼飯を食べるのが日課になった。
 ただ、気になっていることについては踏み込めないままだ。漫画やゲームの話だとか、妹の愚痴とか、その場で思いついた当たり障りのない話題に終始していた。
 そうこうしているうちに再会してから三週間が経ち、体育祭が行われる五月最終土曜日となった。

 高校に入学して初めての体育祭。
 正門には『青葉ヶ丘高等学校 体育祭』のアーチが掲げられ、朝から軽快な音楽がグラウンドに鳴り響いていた。

 各学年10組あるクラスは5つの団に分けられ、男女比が偏らないよう毎年組み合わせが変わる。俺たち10組は5組との合同で、緑団に編成された。
 中学のときと比べて倍近く生徒数がいるため、全員参加の競技は各学年一種目で、あとは全て代表選手が出場する形だった。

 1時間の昼休憩を挟んで午後になり、競技の進行がプログラムから遅れ始めているせいか、どこかしこで実行委員や体育委員の声が響いている。競技とは別のところでも人が慌ただしく駆け回っていた。忙しそうだなと思いつつ、俺にできることと言えば、せいぜい迷惑をかけないよう早めに行動することくらいだ。

 グラウンドでは最後の徒競走である三年生の徒競走が行われていて、生徒たちが駆けだすたびに土埃が舞っている。テントの前で応援団が演舞を披露し、俺もバスケ部の先輩の名前を叫んで応援する中、男子の体育委員がプログラムを片手に声を張り上げた。

「二人三脚に出る人はそろそろ召集所に移動してー」

 直後、音楽が途切れ、ピンポンパンと放送を知らせるチャイムが流れる。

『各学年の体育委員は本部にビブスを取りに来てください』

 体育委員の野村が苦い顔をする。

「ヤベー。リレーのビブスだ。白石さんは……」

 テントの中を見回し、女子の体育委員である白石さんを探しているようだが、姿がなかった。

「美咲ちんなら、気分悪くなった子がいてさっき救護所に連れてったよ」

 代わりに返事をしたのは御前崎だ。

「ビブスなら俺取りに行こうか? リレーメンバーだし」

 俺も声をかけた。
 野村は助かったとばかりにぱあっと顔を輝かせる。

「悪い。頼んでいい?」

 両手を合わせて拝まれ、俺はその肩をぽんと軽く叩いた。

「気にすんなって。それより体育委員働きすぎだからさ。適当に仕事振ってちゃんと休んでよ」



 体育祭の執行部のいる本部テントは生徒たちのいるテントとは反対側の、メインストレートの裏側に並んでいる。グラウンドを半周回ったところでこの辺りかなとキョロキョロしていると、背の高い3人組が歩いて来るのが目に入った。全員がビブスを手にしているから、ビブスを取りに来た体育委員のようだ。体育館でよく見かける顔で、全員バレー部だったことを思い出した。

「長谷川って、何で執行部にいるんだ?」

 聞こえてきた声に思わず耳をそばだてる。
 シバのことかと思い、一瞬、シバと執行部が結びつかなかったが、すぐに「俺、執行部で音響係やるから、競技には出ない」と前に彼が言っていたことを思い出した。

「さあ。生徒会の女でも狙ってんじゃねーの」
「あいつ、体育もいつも保健室でサボってるだろ。運動できない理由でもあんのかね?」
「同中だったやつの話では、中学のときはバスケ部で、中体連の県予選で決勝まで行ったらしいぞ」
「保健室で何やってるんだか」
「ずりーよなー。あんだけ顔がよかったらやり放題だろ」

 会話の途中ですれ違い、嘲笑まじりの声が背後に遠ざかっていく。
 俺は唇を引き結び、再びテントの方へと意識を集中させた。

 来賓席らしい、長テーブルが置かれ、スーツを着たおじさんたちが並んでいるエリアを過ぎると、テントの支柱に『執行部』と書かれたポップが提げられているのを見つけた。同時にビブスを手にそこに立っている人も目に入り、思わず「ゲッ」と顔を顰めそうになる。
 それを表には出さぬようぐっと堪えて、足を止めて声をかけた。
 
「1ー10です。リレーのビブスを取りに来ました」

 ビブスを配っていたのは、以前、俺にいちゃもんをつけてきた、眼鏡の先輩だった。

「君が来たのか。体育委員はどうした?」

 その表情と声からは、あのときの露骨な悪意は感じられない。ただ、意味の分からない言いがかりをつけられたことは忘れておらず、俺のほうはつっけんどんな物言いになってしまう。 

「今はちょっと忙しそうだったんで。代わりに来ました」
「頼まれたのか?」
「いや。俺から『俺が行く』って言いました」

 この質問に何か意味はあるのか?
 そう思っていたら、先輩がビブスを差し出しながら、ふっと鼻で嗤った。

「さすが八方美人」

 ――この人、こないだから一体何なんだ!?

 口には出さずに先輩を睨みつけ、ビブスを受け取る。

「美人は先輩のほうでしょう?」

 意趣返しをしたつもりだったが、逆効果だったようだ。

「あぁ。よく言われる」

 先輩は満足げに破顔した。

 ――くそっ。なんなんだよこの人!

 思わず歯噛みした、そのとき。

「サク」

 先輩の背後で声がした。
 先輩の肩越しに、こちらに背を向けパイプ椅子に座っていた生徒の一人が立ち上がるのが見える。
 テントから出てきたのはシバだった。上は半袖体操服だが、なぜか下はハーフパンツではなく冬用のジャージ。5月下旬の今、ジャージを履いている生徒は他にいない。
 
「お前、何でこのくそ暑いのにジャージ着てんだ?」

 シバが一瞬、目を泳がせる。

「……すね毛がボーボーだから」

 無愛想に返された答えに、先輩がぷっと吹き出す。

「だから剃ってやるって言ったのに」

 ただの冗談だとわかっているのに、親密な間柄でだけ許される際どい軽口が、不快だった。
 もしかしてと思っていたが、コネがあると言っていた執行部の先輩というのも、彼で間違いないだろう。そのことも、地味にショックだった。

「じゃ、俺はこれで」

 ……つーか、シバってそんなすね毛濃かったか?

 声に出せない疑問を胸の内で呟きつつ、その場からそそくさと立ち去ろうとする。
 その背中に、声がかかった。

「サク。リレー頑張れよ」
「あ……あぁ。ありがとう。お前も音響、頑張れよ」

 顔だけ振り向かせてぎこちない作り笑いを返し、今度こそ俺はその場から立ち去った。


 グラウンドでリレーの順番待ちをしていると、聞き覚えのある音楽がかかってきた。
 『ティップオフ』アニメ2期のエンディング曲だ。それまでは最近流行りの曲が続いていたから、懐かしいメロディが少し浮いた感じだった。

「これ久々に聞いたー。ティップオフの曲だよな?」
「急に選曲古くなったね」

 他のクラスの生徒が話す声が聞こえてくる。
 ティップオフのアニメソングの中で、一番俺が好きな曲――。

 スタートを知らせるピストルが鳴り、第一走者が一斉に走り出す。

「第三走者はラインに並んでください」

 係に呼ばれ、地べたから腰を上げた。
 いつだったか。遠征に行く車の中で、シバとイヤホンを共有して音楽を聴いていたときのことを思い出した。

『俺、ティップオフのテーマソングでこれが一番好き』
『でもこれラブソングだろ』
『そうなの? 君にダンクって普通にゴールにダンクする意味だと思ってたわ』
『但馬信者やべーな。そのうちお前も、彼女できない言い訳を、「俺はリングに愛された男だから」にするんじゃねーの』
『一緒にすんな! 俺は高校入ったら絶対に人間の彼女作ってやる!』

 そんなふうに笑い合ったことを思い出し、音響係のいる本部のテントへと視線を向ける。
 シバの姿は見えなかったけど、「頑張れ」という声が聞こえた気がした。

 ずり落ちそうなぶかぶかのビブスを肩に引き上げ、視線をメインストレートに入って来た第二走者へと向ける。

 君にダンク この想い叩きつけたい
 どんなに高いゴールでも 飛び越えてみせる

 大好きな歌詞が流れる中、俺はバトンを受け取り走り出した。