6時にサイカイ橋で。





「教室まで送る」
「いや、送るの意味わからんし」

 そんな押し問答の末、ついてきたシバを追い返せず、結局送られる形となった。

「明日も昼飯一緒に食べていい?」

 教室に入る直前に言われ、俺は足を止めた。
 昼食後、シュート練習にも付き合ってもらったから、また明日も付き合ってもらえるのは俺としてはありがたい。ただ、中学の頃のシバを思い出し、一抹の不安が胸をよぎる。

「別にいいけど……。お前……、もしかして一緒に昼飯食う友達いねーの?」

 中学の三年間、俺とシバは同じクラスだった。誰かが話しかければ応じるし、人の輪にも溶け込める奴だが、自分から積極的に友達を作る姿は見たことがない。声をかけられなければ延々一人でいるタイプだ。もしかしてまた受け身を貫いて、昼飯を一緒に食べる友達がいないんじゃないかと思った。

 一瞬、答えを考える間があって。

「そうそう。俺、人見知りだから。まだクラスに友達一人もいねーの」

 うちのクラスの女子たちに見せたような、へらっと気の抜けた笑みを浮かべる。
 返事を待たず、「じゃ、明日も迎えに来るから」と言って引き返していく背中に慌てて声をかけた。

「迎えはいらない。お前が来ると騒ぎになるから、体育館直で!」


 教室に入った瞬間から女子たちのぎらついた視線を感じていた。
 なるべく身を縮こませて壁際を歩いたが、意味はなかったようだ。席に着くなり女子たちから取り囲まれた。

「小田君! 長谷川君が今フリーって本当?」
「やっぱり付き合う相手は顔重視な感じ?」
「合コンにも参加するのかな?」

 女子たちの隙間から、井筒と久我山が憐みの眼差しを向けてくる。

「い、いや……。俺も知らない……」

 頬を引き攣らせて即答したあとで、改めて質問について考えた。
 会いたい人がいると言ってたけど、彼女とは言ってなかったから、嘘はついていない。中学のとき、仲のいい男女のグループでカラオケに行ったこともあるけど、あれは合コンに入るのだろうか……。
 付き合う相手が顔重視かどうかは……。まぁ少なくとも「好きな人」は美人だったな。

 そこまで考えて、胸のあたりになんだか苦しくなるようなモヤモヤを覚え、思い出しそうになった光景を頭から振り払った。

「中学の頃は何人くらい彼女いたの?」
「あいつ、今はちょっとチャラそうに見えるけど、中学の頃はあんな感じじゃなかったよ。俺が知る限り彼女もいなかった」
「えー。でも周りの女子がほっとかないんじゃないの? 誰か好きな人でもいたの?」

 女子たちの追及が核心に迫りつつあり、一瞬ドキッとする。

「えっと……。どうだろう……」

 俺はぎらつく視線に耐えきれず、目を泳がせた。

「いたかもしれないけど……。中体連まではバスケ一筋だったから。引退すると同時に転校して行ったから、そのあとのことは知らないんだ」
「まさかの一途系?」
「部活引退するまで付き合うの待って、とか言ってて急に転校することになったら、切なすぎない?」
「告白したのかなー? 今彼女がいないってことは別れたってことだよね?」

 女子たちは勝手にシバに好きな人がいた(てい)で盛り上がっている。
 彼女たちの想像はそれほど的外れではない。実際、シバには好きな人がいた。
 歯磨きを理由に席を離れ、ようやくミーハー女子たちの群れから解放された。


 恋バナ……とは少し違うが、男子だってそれ系の話題で盛り上がることはある。

『いいかげん、お前誰かと付き合えよ。お前がフリーだといつまでも女子があぶれねーんだよ』
 
 練習後のロッカールームで誰かがシバに苦情をぶつけたのは、二年のバレンタイン前だった。本気で文句を言いたいわけではない、自虐の混じる軽口。『誰クラスならいいの?』とか『実は親の決めた許婚がいるとか?』と周りが勝手に盛り上がり、シバは困り顔で一瞬俺を見て、言った。
『好きな子はいる。中体連終わったら告白するつもり』
 それに対して、『中体連終わるの半年近く先じゃん!』と、周りはまた大ブーイングだった。

 だから中体連の最終戦後、いつのまにか女子マネージャーとシバが消えていたことで、皆、シバの『好きな子』についてすぐに察しがついた。
『バスケ部のアイドルもついにシバの手に落ちるのか~』とわざとらしく嘆く部員らの軽口に笑えなくて、俺はシバを待たずに一人で先に帰った。
 
 試合の翌日がシバと約束していた花火の日だった。『マネージャーと付き合い始めたら花火もマネージャーと行くよな……』と考えながら歩いていたら、なんか色々込み上げてきて……。

 中学最後の試合に一度も出られなかったこともすげー悔しかったし、シバみたいな人気者が四六時中、俺みたいな平凡な人間と一緒にいてくれたのは、バスケという共通の居場所があったからだと突きつけられた気がした。それがなくなってしまったら、これから卒業までの間、奴の傍にいるのは俺ではなく彼女になるのだろう。
 バスケとシバ。大切なものを同時に失くしてしまった気分だった。

 そんな悔しいのか寂しいのか、よくわからないぐちゃぐちゃの感情で激しく泣きながら歩いていたことだけは覚えている。その帰り道で事故にあったらしく、目が覚めたときには病室にいた。歩道に車が突っ込んできたことも、自分が跳ね飛ばされたことも、病室で母親に泣きながら説明されても、全く思い出せなかった。

 目の前の鏡に映るのは、いつのまにか歯ブラシを動かす手を止めてぼんやりしている間抜け面の自分。
 シバと再会したせいか、意図的に思い出さないようにしていた記憶が、気を抜けば勝手に頭の中に溢れて来る。
 先ほどの奴の話によれば、最終戦の日にはすでに両親の離婚が決まっていたはずだ。
 転校するとわかっていて、シバはマネージャーに告白したのだろうか……。
 でも、マネージャーはこの学校ではないから、彼の言う「会いたい人」がマネージャーでないことは確かだ。だとしたら、マネージャーとは付き合わなかったか、あるいは付き合って別れたということだろうか……。
 
 ――あ~~~もうっ。

 心の中で叫び、口に溜めていた歯磨き粉を洗面台に吐き出した。うがいをして、ついでに乱暴に顔も洗う。
 歯ブラシセットと一緒に持ってきていたハンドタオルで顔を拭き、鏡を見れば、ごしごし擦ったせいか頬が少し赤くなっていた。

 ――何であいつのことで俺がこんなに悩まなくちゃいけないんだ!?

 シバと再会できたことはもちろん嬉しい。
 けれど、中学最後の試合に出場できず、泣きながら帰ったことは、俺にとっては忘れたい黒歴史だ。
 一年近く封印していた記憶を掘り起こすことは、捨て去ったはずの感情まで呼び覚まされるようで、戸惑う以上に怖くもあった。