夜に君としたい5つのこと

 夕闇真宵との出会いは最悪だった。
「あんたがおれん家壊したくせに」
 インナーに赤を入れた髪はぼさぼさなのかウルフカットなのかわからない。サイズの大きな黒のパーカーを着ていて、初対面の小春朝陽を下から睨みつけてくる仕草は端的にガラが悪い。つまり、関わりたくない。そっと一歩引いた。

 最終の大学の講義を受講する日のそのあとの時間は中途半端だと思う。遊びに行くには時間が短い。バイトなら居酒屋かコンビニか十時閉店のカフェのレジ閉めくらいしか見つからない。
 朝陽は運よくカフェのバイトにありつけた。しかも個人経営のカフェで、客の入りもとても多いわけではない。カフェと言ってもアルコールを頼む客はほとんどいないので、酔っ払いがグラスを割ったりトイレを詰まらせることもない。時給は最低賃金に毛が生えた程度だけれど、暇な時間にスマホを開いていても文句を言われないのでとてもいいように思う。
 今日の地域のニュースは「夕闇地区の共同墓地を整備。緑豊かな公園がオープン!」というものだった。夕闇地区はこの辺りで開発の進んでいる地域だ。昔からある土地だけれど、坂が多かったりと不便だった。そこにコミュニティバスを通して、薄暗い雑木林には手を入れて、街灯を設置し、明るくて開放的な住宅街にしようという計画が、朝陽が小学生の頃にはあった。
 そういえばあそこ、墓地があったな。坂を下ったいちばん底に雑木林に囲まれた共同墓地があった。同じ敷地に建つお寺や作業員の休憩所を兼ねているような小振りな戸建ては古くて、どこか寂れているように見えた。雑草も多い。だから肝試し感覚で訪れる人も多かった。
 治安、悪かったからなぁ。
 肝試しに来たやつらがペットボトルやアルコールの缶を捨てていく。駄菓子のごみや食べかけのチータラが落ちているところをよく見かけた。花火をしたらしい跡もあった。地域としても、小火騒ぎなんかの起こる前に整備したい気持ちはわかる。それがついに整備され、計画的に樹が植えられた公園になった。以前下に骨が埋まっていたと考えるとぞっとしなさそうだが、そういうものは全部移動してあるはずなので、ただきれいな公園ができただけだ。
「あそこ公園になったんですね」
 スマホ片手に奥にいる店長に声をかけると、還暦を過ぎたばかりの店長はあくび混じりの声で「そうだよぉ」と返事をしてきた。
「まだ樹は細いけどね。ベンチも四阿もあるし、芝生もあるから小さな子供もたくさん遊んでたよ。週末はキッチンカーも来るんだって」
 賑やかだねぇとのんきな返事をしているけれど、朝陽は彼がキッチンカーの出店を「面倒じゃない? 小春くん、行ってくれるの?」と一蹴したことを覚えている。やる気のなさそうなのに客足の途絶えない理由がわからない。
 カラン、と「あると可愛いよね」という理由で設置されたドアベルが鳴り、また客が来た。反射的に「いらっしゃいませ」と声が出て、注文をとる。
 その客がその日最後の客で、夜九時半に店長は看板を片づけて店の扉を閉めた。
「今日はもう上がろうか」
 早上がりでも給料は十時閉店のときと変わらないので、大歓迎だ。
「はいっ」
 返事をして、そそくさと洗い物を済ませてエプロンを脱いだ。トイレの掃除は先に済ませてあるし、大して広くないフロアの掃除は店長がやってくれる。朝陽は洗い物と狭い調理場の後片づけだけだ。レジ閉めをしている店長に「お疲れさまでした」と声をかけて、いつの間にか明かりが落ちたカフェを出る。
 空は夜で大体暗いけれど、たまにビルや居酒屋の明かりが見える。マンションの廊下とエントランスも明るい。昼間ほど人が密集していないだけで、無人ではない。でも人口密度が低くなったことと、日差しのないことで、体感涼しい。
 さてどうしようか、となる。これから帰っても、中途半端な掃除しかしていないアパートがあるだけだ。恋人も、これから一緒に夕版を食べてくれる友人もいない。呼び出すにしても遅い時間だ。
 冷蔵庫には何があったかと思い出そうとする。チーズは、多分あった。食パンも二枚くらいはあった。肉、なし。牛乳あり。野菜、なし。奥の方には記憶にない何かが詰まっていたと思う。
 今から自炊をするのも気乗りしないけれど、外食が続くのは出費だ。かといってこの時間に営業しているスーパーに行くには遠回りで、結局今日もコンビニを選んだ。それが本当に節約になるのかはわからない。
 産業道路沿いのコンビニだ。この時間でもワゴン車やトラックが走っている。たまにタクシーも飛ばしていて、金持ちだなと思う。
 それを横目に、コンビニ前の駐車場を歩く。道路にはあんなに車が走っているのに、ここのコンビニの駐車場はいつも空だ。たまに一台か二台停まっているときもあるけれど、社員っぽいし、二台のときの片方は品出しのトラックだ。ロゴが入っている。
 今日も五台停められる設定の駐車場を横断していると、車止めに座る影があった。真黒だったのだ。妖怪かなと思った。昨日見たオカルト動画の所為だ。
 なるべく見ないように、でもその横を通らないとコンビニの入り口は潜れないので、何でもないふうを装って店内に入った。
 明るい電子音が鳴って、来店を告げる。店内には商品かキャンペーンのアナウンスが流れている。へぇ、レトルトハンバーグのフェアなんだ、と思いながらその売り場まで歩く。値段を見て正気に返るまで、流れ作業のように運ばれていたことに気づかなかった。
 手近なところにあったかごを持って、卵、ソーセージ、ハム、と入れていく。本当ならハムよりベーコン派だが値段を見て変えた。ベーコンは近所の格安スーパーに行ったときに買おう。
 それから野菜売り場には、値引きの黄色いシールの貼られた野菜がいくつもあった。トマトがあるのは大きい。カット野菜のキャベツはしなっている気がするけれど、元からこんなだったようにも思う。
 会計を済ませて気持ちよくコンビニを出ると、さっきの影はまだいた。妖怪だ。行きよりも大きめの半径を描いて妖怪から距離をとる。
 しかし妖怪の方が動いた。むくりと立ち上がり、朝陽の方へ大股で近づいてくる。
「は?」
 俺、何か悪いことしましたっけ。顔も見ていない。蹴ってもいない。そういうことをしないように細心の注意を払ったのに。最近の若者ってわからない、なんて自分のことを棚に上げて震えてしまう。
 実際朝陽の前に立ったのは、よくて高校生くらいの子供だ。つい数年前までは朝陽も制服を着ていたのに、いつの間にか彼らを子供だと思うようになってしまった。制服は着ておらず、随分と大きい黒のパーカーを着ている。その年代によくあるファッションデザインとして、装飾された髑髏のプリントもあった。それを見ると朝陽の方が何かを思い出しそうで恥ずかしい。
「おにーさん、おれ、お腹空いたんだけど」
 上目遣いというよりも下から睨みつけるというふうなものが近い。そんな絡み方があるか、と理不尽な仕打ちに震える。
「コンビニなら、ありますが」
 さっきまで朝陽が買い物をしていたコンビニを指さす。コンビニなので二十四時間営業だ。現に店内も煌々と明るい。憎むべきところは、今の時間帯にいるのはバイトだけで、奴らは店の外のトラブルに目も向けないところだ。助けて、と何度心の中で声を上げたか。
 けれど目の前の目つきの悪い妖怪は、きょとんとした顔をして、首を傾げた。
「あそこは、おにーさんのお店?」
 何を言っているのかわからない。大抵のコンビニはフランチャイズだと思う。ここのコンビニも厳密にはそのコンビニの店長ではないけれど、実質的な店長、みたいな仕組みだと思う。それとも土地の所有者みたいな話だろうか。どちらも違うけれど。
「んなわけあるか」
 思わず呆れた声が出た。揶揄われているのだと思った。でも妖怪は朝陽の返事にがっくりと肩を落とした。
「それじゃあ、入れない」
 とても悲しい、この世の終わりを迎えたような悲哀に満ちた声だった。朝陽がコンビニの所有者でないことでこれだけ落胆する人が他にいるだろうか。
「え、なんかごめん」
 思わず謝罪の言葉を口にしてしまったことがいけなかった。
「おれ、お腹空いてるんだけど」
 また謎のうざ辛みが繰り返されようとしていた。だからコンビニに行けばいいだろうに、と思ったが、もしかして所持金がないのだろうか。つまりこれは、カツアゲというやつなのだろうか。はじめて遭った。
「おれ、吸血鬼なんだ」
 でも話の流れは単純なカツアゲじゃないようだ。妖怪改め自称吸血鬼はしょんぼりとしたまま、身の上話をはじめた。
「吸血鬼だけど、血液アレルギーなの」
 何それ。設定盛り過ぎて事故起こしてない?
 最近の高校生の中二病ってそういう感じなの、と数年前の自分と比較してしまいそうになる。
「だから人の血は吸わない」
 じっと朝陽を睨んできているが、これは雰囲気から察するに背の低い自称吸血鬼の目つきが元々悪くて、上目遣いが睨みつける行為に異常に似ているのではないだろうか。つまり、と朝陽は頭の中を整理する。
 今朝陽は自称吸血鬼の推定高校生から、上目遣いで「自分はあなたに危害を加えるつもりはありません」と前置きをされたカツアゲをされているのだろうか。カツアゲだって立派な危害だが?
「あの、ですね」
 一体どこから説明をすればいいのだろう。人を噛んではいけません。カツアゲをしてはいけません。高校生といえど未成年はそろそろ帰らないと警察に補導されます。ざっと数えただけでもたくさんある。
 朝陽の躊躇っている様子を疑いだと思ったのか、自称吸血鬼はぐ、と顔を上げてきた。爪先立ちでもしたのだろうか。朝陽との距離が近づく。そのまま自分の口角を横にぐーと引っ張り、口内を見せてきた。
「ほら、牙」
 虫歯のないきれいな白い歯が多少がたがたに並んでいて、歯茎は健康的なピンク色だ。急にはじまった虫歯ゼロ自慢かと思ったら、一般的よりも尖った犬歯を見ろ、ということらしい。確かに人よりも犬っぽい。けれど犬よりも断然人の歯だ。
「はぁ」
 どう返していいのかわからなくて曖昧に返事をしたら、それが気に食わないようだ。
「吸血鬼だろう?」
 どうにも自分が吸血鬼であることに誇りに近いものを持っているらしい。話が長くなりそうで、朝陽はとっとと帰って夕飯を食べて昨日の動画の続きを観ながら寝たいので、ここは手っとり早く切り上げることにした。
「そうですね」
 露骨に感情のこもっていない平坦な声色だったけれど、自称吸血鬼は満足したようだ。
「だろう」
 オーバーサイズのパーカーのお陰でよくわからないが、胸を張っているように見えるのは気の所為だろうか。
「そして吸血鬼は、住人の許可なく他人の家へ入らない」
 紳士なんだ、と言いたげな様子に「そうっすか」と返す。話の行方が見えないし、見知らぬ人の中二病の相手をしたくない。
「だからあのコンビニの所有者の許可がないと、おれは入ることができない」
 さて帰るかと思っていたら、急に話が繋がってしまった。
「ああ、なるほど」
 思わず感心の声を上げたのもよくなかった。自称吸血鬼は朝陽から同意や理解を得られたと誤解したようだ。
「そうっ。だからおにーさんが美味しいものを頂戴」
 ほくほくとした笑顔で三回めのカツアゲをされた。
「え、いやですけど」
 即答だ。どんなによくできた中二病設定でも、もう相手にできない。早く帰って夕飯を食べたいし、風呂にも入りたいし、動画を観ないといけない。
「なんでっ」
 自称吸血鬼はなおも食い下がってくるけれど、だからなぜ朝陽が初対面の中二病患者に食べ物をあげないといけないのだ。
 そういう気持ちがそのまま顔に出ていたのだと思う。途端に自称吸血鬼は恨みがましい目になった。
「あんたがおれん家壊したくせに」
 地の底を這うような低くて恨みのこもった声だ。ぞっとした。
 しかしそんなことをした記憶はない。他人の家に無断で侵入したことさえない。壊したことがあるのは、小学生のときの蟻の巣くらいだ。
「人違いです」
 なのに自称吸血鬼は認めない。
「嘘吐きっ。もう忘れたのかっ」
 身に覚えのないことで責められても、申し訳ないが他人事だ。でも自称吸血鬼の方はさらに悲痛な声を上げた。
「お前らが勝手に公園なんかにしたくせにっ」
 何かを思い出した。さっき店長と話したばかりだ。スマホで地域のニュースも見た。夕闇地区の共同墓地だ。
 返せよ、おれの家、という声はほとんど泣いているように聞こえた。

 自称吸血鬼の名前は夕闇真宵というようだ。見た目はよくて高校生、下手したら中学生だけれど、明治の頃から生きているという。
「すっごいお爺さんじゃん」
 朝陽が思わず感嘆の声を上げると、真宵は「そうかな?」と首を傾げつつもまんざらでもない様子だ。
「でも吸血鬼の中ではまだまだ若い」
 そういうものの類似形として「このチワワ可愛いですね」「この子、もう六歳だからおっさんよ」という会話をこの間カフェの客とした。
 真宵は設定を改めるつもりもないらしいし、朝陽を気に入ったのかあの時間にあそこを徒歩で通る人間が珍しかっただけか、ひたすらついて歩いてきた。
「どこまでついて来るんだよ」
 不気味さもあってきいたら、「他に行くあてもないんだ」と寂しそうに答えるので、仕方なく連れてきた。というより引き離すより前にアパートに着いた。
 あれだけ朝陽の隣や後ろをついて歩いていたのに、敷地の入り口でぴたりと立ち止った真宵の姿に驚く。
「どうした?」
 思わずきくと、真宵は当然だという表情で「ここはおにーさんの家?」と首を傾げてきいてきた。
 そういえば吸血鬼は住人の許可がないと家には入れないのだと、さっき真宵自身が言っていた。引き剥がすなら今しかない。何でもないように朝陽が一歩敷地の中へ入る。もう一歩進む。それから振り返ると、真宵は困ったようにさっきと同じ位置に立ち尽くしていた。
 たった一歩だろう、と思うけれど、吸血鬼としては越えられない一線なのだろう。朝陽は真宵に背中を向けて、アパートの階段を上り、階段から三番めのドアに鍵を差した。ちら、と階段の下、アパートの入り口を見ると、まだ真宵はそこにいた。
 急いで薄いドアを開ける。狭い三和土にはスニーカーとゴム製の爪先まで覆うタイプのサンダルが転がっている。それを足で隅に追いやって、もどかしそうに足を動かしてスニーカーを脱ぐ。
 玄関からは狭い室内のほとんど全部が見渡せる。ベッドは朝起きたままだ。シーツは皺になって、夏掛けのタオルケットは丸まっている。そこにパジャマ代わりのTシャツとスウェットが丸まって載っている。小さなローテーブルの上には空のペットボトルとコーヒーを淹れた跡の残るマグカップ、その他使用済みの割り箸とスーパーの総菜のトレイがいくつか。朝食べた総菜パンの包装も丸めて置かれていた。
 床には洗濯済みと未洗濯の衣類が朝陽にしかわからない方法で積まれていて、雑誌も教科書もパソコンもある。めまいを感じながらそれらを手当たり次第ごみを入れる用の大きなビニール袋に突っ込んでいった。ごみはなるべく分別をする。は、と気づいて急いで窓も開ける。換気は大切だ。
 トイレと風呂も、掃除したてではないけれど、不潔と言われるほどではない。
 急いで片づけたつもりだけれど、それなりに時間は経っているはずだ。もう諦めて帰ったのかも、とドアから出て階段下を覗いてみる。果たして真宵はいた。
 ドアの開く音に顔を上げたところだった。目が合うと、ばつの悪い気分になる。
「入っていいよ」
 階段の上から声をかけてみたけれど、もしかして失礼にあたるだろうか。すぐに頭を引っ込めて階段を下りる。コンクリート製の階段は慌てて下りても音が鳴らないのがいいところだ。
 改めて、真宵の正面に立って、彼にきちんと声をかけた。
「片づけてた。まだ汚いけど。
 入っていいよ、俺の部屋に招待する」
 そう言うと、真宵は見るからにほっとした表情をした。相変わらず目つきは悪いけれど、今にも泣き出しそうなくらい潤んでいる。頬も緩んで、肩のちからが抜けた。
「ありがとう」
 たった一言にそんなに喜ぶ人をはじめて見た。人じゃないからかな。
 朝陽のあとについて階段を上り、三番めのドアを潜る。そのときも真宵は緊張している様子だったので、朝陽が扉を開けたままにした。狭い玄関先でそんなことをしても通りづらいだけなのだけれど、真宵は喜んで潜った。三和土を「狭い」と言いながらも、脱いだ靴はきちんとそろえる。
「お邪魔します」
 狭い部屋に上がる際もそう言って頭を下げる。断じてそういうことをされるような部屋ではないのだけれど、真宵の律儀さは伝わった。
「お腹、空いてるんでしょ?」
 粘着面のあるカーペットクリーナーを転がして、薄いカーペットの表面を何度もコロコロと撫でる。何でこんなにごみがとれるんだ、と真顔になる。そして真宵の視界に入らないところで新しい粘着面に交換した。
「空いてるけど、血液はいらない」
 真宵に向けた背中の裏で朝陽が何をしているのか不思議そうな顔をしている。真宵は血液アレルギーであることを強調したいようだけれど、生憎と朝陽の方も血液を提供したい気分ではない。
 利害が一致しているように見えたので、冷蔵庫からぱさぱさになった食パンをとり出した。フライパン一枚につき、食パン一枚らしいので、この際豪快に使う。カットしたトマト、袋から出したキャベツの千切り、ハムは二枚、その上に卵を落とし入れて、蒸し焼きにする。透明だった白身が白くなり、黄身にも白っぽい膜が張った頃合いで、皿に移す。最後に上にスライスチーズを載せた。チーズは食パンその他の熱ですぐにとろり、と柔らかくなっていく。それを真宵の前に出してやる。
「美味しくはないかもだけど」
 一応断っておく。一人暮らしの男子大学生の自炊なんて、腹が膨れればいいのだ。
 でも真宵は目を輝かせて、「ありがとうっ」とお礼の声も跳ねている。遅れて彼の腹の辺りからぐぅぅという音も鳴った。本当に腹が空いていたらしい。
 朝陽の方はすぐに折り返して、自分の分も作る。ポットでお湯を沸かして、それでコーヒーを淹れようとペーパードリップもふたつ用意した。カフェで働いているので、さすがにインスタントコーヒーは飲めない。バイト先から格安で仕入れてもらったコーヒー豆は、そのままバイト先で挽いてもらっている。それを一杯用のペーパードリップに入れるだけだ。さすがにハンドドリップ用の口の細長いポットは持っていないが、飲めないほど不味くはないと思う。
 一杯はブラックコーヒーで、もう一杯は一応牛乳を入れたカフェオレ風にした。両方を持って、先にローテーブルについている真宵の前に出す。
「どっちがいい?」
 あれだけ空腹を訴えていたのに、温かなトーストもどきに手をつけていないことを不思議に思いながらきく。真宵はちょっと迷ってから、「こっち」とカフェオレ風を選んだ。
 すぐに朝陽の分のトーストもどきの用意も整って、真宵の向かい側に座る。そうするとようやく真宵は安心したふうになった。
「いただきます」
 もしかして、と思って朝陽が食事の前の決まり文句を口にすると、真宵もあとに続く。
「いただきます」
 言ってすぐにトーストを口に運ぶので、随分待っていたらしい。律儀だな、と感心していたら、口の中いっぱいにでき立てのトーストを詰め込んだ真宵が声にならない悲鳴を上げた。
「……っっっ」
 口を両手で押さえて、涙目になっている。
「いや、熱いだろ。猫舌なの?」
 熱さよりも空腹が優先されたのかと思ったら、どうやらそうではないらしい。長い時間をかけて咀嚼した真宵は、ようやく口の中が空になると悲鳴を上げた。
「人間の食べ物がこんなに熱いなんて知らなかったんだっ」