あぜ道を一台の馬車が進んでいく。周囲は見晴らしがよすぎるくらいの草原で、お世辞でも都会とは言えない風景が広がっていた。
「お客さん、もうじきシンファの街に到着だよー」
御者の声かけで、唯一の乗客である少女の耳がぴくりと動いた。そして、眠い目をこすって小さく唸る。
「うーん……」
「お嬢さん、王都までだっけ? 少し休憩していくかい?」
御者の男性の魅力的な提案に、少女――ルーチェは小さく頷いた。
ほどなくして馬車はシンファの街に到着した。
厩舎のある宿屋の前に馬車を停めると、御者の男性はルーチェに手を差し伸べた。
「あっしはこの宿屋で休憩してるんで、お嬢さんは好きなところに行っといで。シンファの街から王都まではそう遠くないから、日が暮れる前に出発できれば大丈夫さ」
「わかりました、ありがとうございます」
礼を言って御者の手を握り返し、馬車から降りる。
(優しい御者さんでよかった。けど、何をしようかしら……?)
革製のリュックを背負いなおし、ルーチェはひとまず大通りのあるほうへと歩き出した。
シンファの街を訪れるのはおよそ一年ぶりだった。街で一番の大通りは市場になっており、出店が並んでいる。ルーチェが興味を引くような真新しいものはないか、と少し遠目に物色しつつ歩いていた、そのときだった。
「きゃっ……くしゅっ!」
急に何かに鼻をくすぐられ、道のど真ん中でルーチェは盛大にくしゃみをしてしまった。
「なっ何なの?」
「ごめんなさああああい!」
戸惑う彼女のもとに、少年が大慌てで走ってきた。
「お姉ちゃん、怪我しなかった?」
半泣きで尋ねる少年に、ルーチェは大丈夫だよ、と頭を撫でる。
「ところで、何があったの?」
「その少年が僕にイタズラしてきたのさ」
男性の声とともに、ひゅう、と冷たい風が吹き抜けた。
ルーチェと少年の背後に、いつの間にか深緑色の外套をまとった青年が立っていた。
「少年、他人の尻尾を踏んづけた挙句に逃げ出すのはさすがにダメだぞ?」
よく見ると、青年の目尻に涙を拭いた痕が残っている。
「えっ、あれお兄ちゃんだったの? でも……お兄ちゃん、人間だよね? それとも獣人……?」
「おーい、僕はれっきとした人間だぞー」
困惑する少年と、彼をなだめようとする青年のちぐはぐなやりとりに、ルーチェは思わず口をはさんだ。
「あの……そもそもさっきのは何だったの?」
そこで初めてルーチェの存在に気がついたらしく、青年はふう、とため息をついた。
「散歩をしていただけさ」
「散歩……?」
それとこの状況にどんな関係があるのか、さっぱりわからない。
首をかしげるルーチェに、青年は言葉を続けた。
「そうさ。公園で小休憩していたら、この少年に尻尾を踏んづけられたんだよ。痛くて悲鳴を上げるだろ? そしたら、少年がびっくりしたのか走って逃げたのさ。それを追いかけてきた、それだけのことだよ」
「尻尾……追い、かけて……?」
「彼の逃げ足が速すぎて、僕が走るよりも飛んだほうがずっとよかった。それで、キミの鼻に翼が触れただけのことさ」
大真面目に語る青年の言葉がまったく理解できず、ルーチェは頭を抱えたくなった。
「まあ……キミたちが見たものはすべて幻さ」
青年は小さく呟き、ぱちん、と指を鳴らした。
ルーチェ、少年、青年の周囲が濃霧に包まれる。
「さあ、今起きたことは忘れてゆっくり寝るんだ、いいね?」
低い声で甘くささやく。
少年とルーチェはきょとんとして顔を見合わせた。直後、ひどい眠気が二人を襲う。
少年は瞬く間に眠りに落ちて体勢を崩し、青年に担がれた。
「あなた、何者なの……?」
問いかけを残し、ルーチェの意識はそこでぷつっと途切れた。
「魔術師の端くれ、さ」
青年が再び指を鳴らすと濃霧はすーっと掻き消える。人々は何事もなかったかのように大通りを行き来しており、その様子を見た青年は安堵のため息をついた。
そして、ルーチェたちを担ぎ、彼は静かに大通りをあとにした。
「お客さん、もうじきシンファの街に到着だよー」
御者の声かけで、唯一の乗客である少女の耳がぴくりと動いた。そして、眠い目をこすって小さく唸る。
「うーん……」
「お嬢さん、王都までだっけ? 少し休憩していくかい?」
御者の男性の魅力的な提案に、少女――ルーチェは小さく頷いた。
ほどなくして馬車はシンファの街に到着した。
厩舎のある宿屋の前に馬車を停めると、御者の男性はルーチェに手を差し伸べた。
「あっしはこの宿屋で休憩してるんで、お嬢さんは好きなところに行っといで。シンファの街から王都まではそう遠くないから、日が暮れる前に出発できれば大丈夫さ」
「わかりました、ありがとうございます」
礼を言って御者の手を握り返し、馬車から降りる。
(優しい御者さんでよかった。けど、何をしようかしら……?)
革製のリュックを背負いなおし、ルーチェはひとまず大通りのあるほうへと歩き出した。
シンファの街を訪れるのはおよそ一年ぶりだった。街で一番の大通りは市場になっており、出店が並んでいる。ルーチェが興味を引くような真新しいものはないか、と少し遠目に物色しつつ歩いていた、そのときだった。
「きゃっ……くしゅっ!」
急に何かに鼻をくすぐられ、道のど真ん中でルーチェは盛大にくしゃみをしてしまった。
「なっ何なの?」
「ごめんなさああああい!」
戸惑う彼女のもとに、少年が大慌てで走ってきた。
「お姉ちゃん、怪我しなかった?」
半泣きで尋ねる少年に、ルーチェは大丈夫だよ、と頭を撫でる。
「ところで、何があったの?」
「その少年が僕にイタズラしてきたのさ」
男性の声とともに、ひゅう、と冷たい風が吹き抜けた。
ルーチェと少年の背後に、いつの間にか深緑色の外套をまとった青年が立っていた。
「少年、他人の尻尾を踏んづけた挙句に逃げ出すのはさすがにダメだぞ?」
よく見ると、青年の目尻に涙を拭いた痕が残っている。
「えっ、あれお兄ちゃんだったの? でも……お兄ちゃん、人間だよね? それとも獣人……?」
「おーい、僕はれっきとした人間だぞー」
困惑する少年と、彼をなだめようとする青年のちぐはぐなやりとりに、ルーチェは思わず口をはさんだ。
「あの……そもそもさっきのは何だったの?」
そこで初めてルーチェの存在に気がついたらしく、青年はふう、とため息をついた。
「散歩をしていただけさ」
「散歩……?」
それとこの状況にどんな関係があるのか、さっぱりわからない。
首をかしげるルーチェに、青年は言葉を続けた。
「そうさ。公園で小休憩していたら、この少年に尻尾を踏んづけられたんだよ。痛くて悲鳴を上げるだろ? そしたら、少年がびっくりしたのか走って逃げたのさ。それを追いかけてきた、それだけのことだよ」
「尻尾……追い、かけて……?」
「彼の逃げ足が速すぎて、僕が走るよりも飛んだほうがずっとよかった。それで、キミの鼻に翼が触れただけのことさ」
大真面目に語る青年の言葉がまったく理解できず、ルーチェは頭を抱えたくなった。
「まあ……キミたちが見たものはすべて幻さ」
青年は小さく呟き、ぱちん、と指を鳴らした。
ルーチェ、少年、青年の周囲が濃霧に包まれる。
「さあ、今起きたことは忘れてゆっくり寝るんだ、いいね?」
低い声で甘くささやく。
少年とルーチェはきょとんとして顔を見合わせた。直後、ひどい眠気が二人を襲う。
少年は瞬く間に眠りに落ちて体勢を崩し、青年に担がれた。
「あなた、何者なの……?」
問いかけを残し、ルーチェの意識はそこでぷつっと途切れた。
「魔術師の端くれ、さ」
青年が再び指を鳴らすと濃霧はすーっと掻き消える。人々は何事もなかったかのように大通りを行き来しており、その様子を見た青年は安堵のため息をついた。
そして、ルーチェたちを担ぎ、彼は静かに大通りをあとにした。
