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「その写真の人って、どんな人なんですか」
鞄を肩掛けして三人並んでつり革に掴まる。あいにく、電車内は帰宅ラッシュで混雑していた。
「うーん……」
俺が返答に困っていると、光幸が「可愛いらしいぞ」と茶々を入れる。
「それは写真見ればわかります。先輩がわざわざ探すくらいですから。よっぽど……」
「よっぽど?」
光幸がまた茶化すように相槌を打つと、本山さやかは口ごもりながら視線を逸らした。
「み、魅力的なのかなと」
「そうなのか?」
「……会ったことすらないからな。だから探しているんだろ」
夢で逢った人を探しにわざわざこうして出向いているなんて、言えるわけがない。
「え? さっきは街で偶然見かけたって言ってたじゃないですか。矛盾しませんか?」
「あー、えーと。それは……」
やばい。その場しのぎで嘘をついたもんだから、すぐにボロが出てしまう。ばつが悪そうに窓の外に視線をそらしていると、光幸が俺の肩を肘でこつんと小突いた。
「もう本当のことを言ったらどうだ? 俺だって知りてえもん。その子と何があったのか」
本山さやかが俺の顔をじろじろと見つめる。もう誤魔化しは効かないと、俺は腹をくくった。
「……夢の中に出てきたんだよ」
聞き取れるかどうか分からないくらいの声でぼそっと呟く。本山さやかは、「え?」と驚嘆の声をあげた。
「それって、実在するかどうか分からないってことですか? じゃあこの写真は?」
「こいつが記憶を頼りにイラストにして、俺がAIで実写化した」
光幸が隣で胸を張る。対照的に、本山さやかは片手で頭を抱えながら「えええ……」と固く目を瞑った。
「ごめん。だから正直に言うのは嫌だったんだ……」
「ちょっと待ってください。整理します。先輩が探しているのは、夢の中に出てきた人物で、その人は、実在するかどうか分からない。それでも探そうとしているってことは、その人が実在するかもしれないって根拠があったんですか?」
眉間にしわを寄せて慎重に言葉を並べる彼女は、俺に訴えかけているようにも、自分に言い聞かせているようにも見えた。
俺はつり革を掴む手をぎゅっと握り直し、電車の車窓から見える見慣れない街の風景を見つめた。
「……森内咲良」
その名前に、本山さやかが眉をぴくりと動かす。
「知っているのか?」
「いいえ。その人とはどうやって知り合った……というか、夢の中に出てきたんですか?」
「同じクラスに、転校生としてやってきたんだ」
本山さやかは、真剣な目で俺の表情を伺っている。
「……それくらいならありそうですよね」
「そうなんだが。その夢が、現実との境目が分からなくなるほどに、リアルすぎてな」
「ふーん……それで、その人って結局どんな人だったんですか? 何でその人にそんなに会いたいんですか?」
「じれってえなあ。恋しちゃったに決まってんだろ」
光幸が不敵に笑う。その一言に、本山さやかが顔を紅潮させる。
「そうなんですか」
「違うって」
「じゃあ何でそこまで執着するんですか」
せっかく曖昧な感じにしていたのに。あっさりと警戒線を取っ払ってしまう光幸の無頓着さに、頭を抱えたくなる。
「執着じゃねえよ。きっと違う」
感情的になっていた本山さやかが、俺の顔を見つめながら、息を呑むように口を噤んだ。
「この前、山下先生に聞いたんだ。森内咲良って子を知っているかって。そしたら、知っているとも知らないとも答えずに、濁されてな」
「それ。絶対何か知ってる感じじゃないですか。どうしてもっと先生に食い下がらなかったんですか」
「そりゃ……夢の中に出てきたなんて言えるかよ。他に彼女に関する手掛かりはないんだから」
「まあ……確かに」
最後の夢の中で見た、森内咲良の顔を思い出す。
泣いていた。自分のことを押し付けてしまったみたいでって言いながら――悔しそうに。
「あいつ、何か隠してる。俺の夢の中に出てきたってことも、きっと意味があるんだよ。だから、俺があいつを探さなくちゃ。今度は俺があいつの力にならなくちゃいけない」
俺がその言葉を口にしたとき、どんな顔をしていたのか。本山さやかの反応を見る限り、想像はついた。
今動かないと、きっと後悔する。
その予感という点が、光幸と、本山さやかにという点につながって。今線路の上に乗って、俺たちは走り出している。
彼女のいるかもしれない、街に向かって。
「結構大きな学校だな」
本山さやかに案内された場所には、赤い煉瓦造りの門柱と黒い冊子の大型門扉の向こう側に、私立というだけあってお洒落なガラス張りの校舎が聳え立っている。下校する生徒たちが、見慣れない制服姿の俺たちを不思議そうに横目で見ながら通り過ぎていく。
「県内では最大の女子高ですからね。生徒数も千人以上いるらしいですよ」
制服も可愛らしいし、俺たちの高校とは雰囲気も違う。部活をしているグラウンドの方からは、威勢のいい声が聞こえてくる。
「それで、さくらちゃんって子の友達はどこにいるんだい?」
光幸が掌を望遠鏡のように丸めて校舎の方を見つめる。
「たぶん図書室にいます。図書部員らしいので」
「入って行っていいのか?」
「ダメですよ。終わるまでここで待ってるしかないです」
「えー。めんどくせえ」
「仕方ないですよ。私もすごく親しいってわけじゃないですし。それに、写真の人に会いたいってお願いしたら、無理だって言われたきり返事も何も来なくなっちゃったので」
俺と光幸が顔を見合わせる。
「やっぱり退学しちゃったってことは、何かあったんだろうな」
悩まし気に腕組みをする光幸。
昔の自分に戻りたいけど、今の自分は嫌いだ――。
夢の中で彼女が呟いた言葉を思い出して、胸が痛くなる。
「彼女が通りかかったら、君だけが声を掛けに行ってくれないか。みんなでいきなり囲んだら警戒するかもしれないからな」
「分かりました」
本山さやかは力強く返事をして、校門前を通る生徒たちを見つめる。
そのまま十分、二十分と時間は経過し、徐々に辺りも暗くなってきた。門の近くには見送りの女の先生が立ったので、俺たちは怪しまれないようにもう少し離れた場所に移動した。
三人の間に焦りの空気が流れつつある中、ついに下校の音楽が流れ始めて、ジャージ姿の部活終りの生徒たちで校門前の人通りも増えてきた。
「おいおい。閉まっちゃうぞ」
光幸が心配そうに本山さやかを見つめる。すると突然彼女が校門の傍まで歩み寄って、手を振って声を上げた。
「先輩。こっちです!」
視線の先にいたのは、眼鏡を掛けて髪を結んだ、小柄で大人しそうな女の子だった。
しかし彼女は本山さやかの存在に気が付くと、驚いた顔をして踵を返し、校舎の方へと戻っていく。
「待ってください、先輩!」
すると本山さやかは校門の前の人波を掻き分け、見送りの先生が目を丸くする前を横切って、敷地内に入って彼女を追いかけていく。
「おいおい、いいのかよ」
苦笑いする光幸。俺もはらはらしながらその光景を遠くから見つめていると、校舎の前あたりで本山さやかが彼女を捕まえて、必死に説得している姿が目に映った。
閉門の時刻は間もなくだ。やがて観念したのか、二人は並んで校門の方へと歩いてきた。
本山さやかは、見送りの先生に何か声を掛けられて頭を下げている。
「怒られちゃいました」
そう言って笑う彼女の横には、俺たち二人を怪訝そうにじろじろと見つめる彼女の先輩がいた。
「はじめまして。急に押しかけて申し訳ないです」
軽く自己紹介をした俺と光幸は、まったく目を合わそうとしない彼女に恐る恐る話を聞いた。
「ラインで送ってもらった画像の女の子。知り合いだって聞いたので。もしよかったら何か教えてもらいたくて来ました」
「……何が知りたいんですか」
警戒心を纏った声が帰ってくる。俺はどう切り出すのか迷いながら、慎重に言葉を選んだ。
「彼女……森内咲良さんとは、仲が良かったんですか?」
その名前を口にした途端、彼女の顔色が変わった。
「何で知ってるんですか。会って話したことがあるんですか?」
逆に問い詰められる。俺は迷いながらも、「ある」とだけ答えた。
「いつですか」
答えに窮していると、彼女は背を向けて帰ろうとする。
「待ってくれ。嘘はついていない。彼女と話したことはある」
彼女が上目遣いにじろりと俺を睨む。
「そんなこと、できるわけありませんよ」
「……何でですか?」
本山さやかが尋ねる。すると、彼女の先輩は語気を強めた。
「話せる状態にないからです。もういいですか?」
帰ろうとする彼女の前に回り込んで、俺は頭を下げた。
「頼む。もう少し詳しく教えてくれないか。話せる状態にないって……どういうことなんだ?」
お互いに黙ったまま、校門前を雑談しながら行き交う生徒たちの声が通り過ぎていく。すると目の前の彼女の眼が潤んで、声を震わせた。
「……いい加減にしてください。あの子がどれだけ辛い思いをして生きて来たか、何も知らないくせに。どこで知ったのかはわかりませんが、どうせ面白半分なんでしょ? もうこれ以上彼女に関わらないでください」
本山さやかが歩み寄って、心配そうに彼女の肩に手を置く。光幸も動揺を隠せず、周囲の目を気にしてあたりをきょろきょろと見回している。
張りつめた空気の中。俺は――夢の中で森内咲良と過ごした日々。交わした言葉を思い出していた
「――桜」
ぽつりと呟く。すると、彼女ははっとして俺の顔を見つめた。
「桜の散らない街で、俺は彼女と出会ったんだ」
俺はどんな顔をしていたんだろう。きっと、ひどく思いつめた表情だったのだと思う。
そうだよな。俺の痛みも悩みも、彼女に比べたら些細なものなんだって。
きっと、そんな気がした。
――ごめんなさい。
あの言葉を口にしたとき、彼女が何を背負っていたのか。
とにかく知りたかった。そして、彼女の力になりたかった。
「檸檬の香りがした」
バスで初めて彼女とちゃんと会話を交わした時。彼女の存在を感じた香り。それは、彼女の象徴のような感覚だった。
不思議そうな顔をしている本山さやかと光幸をよそに、目の前にいる彼女だけは、信じられないという表情で俺の顔を見つめている。
「いい香りだったな。そういえば、お母さんに作ってもらってたって言ってた」
「いつですか。どこでそれを?」
今度は彼女が俺に質問を重ねる。
「バスの中で。転校して来たばっかりで、バスの定期を一緒に作って来てほしいって、先生に頼まれたんだ。おかげで打ち解けて、彼女といろいろと話せるようになった」
彼女の仕草とか、行動とか。事細かに彼女に話すと、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
「そんなはずありません。だって彼女は……」
「大丈夫ですか?」
本山さやかが心配して声を掛ける。
そしてついに俺は――彼女のいる場所へと繋がる扉の、鍵となる言葉を口にした。
「夢の中で」
光幸と、本山さやかと、彼女の先輩の視線が、同時に俺に注がれる。
もう照れくさいとか、そういうのはなかった。俺は嘘をついていない。そのことは、目の前にいる彼女の様子が、それを証明しているように感じたからだ。
「夢の中で彼女と出会った。でも、ある日突然――彼女と会えなくなったんだ。きっと、彼女が隠していること。悩んでいること、抱えていることが、俺を彼女から遠ざけたんだと思ってる。だから――教えてくれないか。彼女にいったい何があったのか。どうやったら、彼女の力になれるのか」
頼む――と頭を下げる。
彼女は暫くしゃがんで俯いたままじっくり考えこむと、やがて俺の顔を見あげた。
さっきまでの不審そうな色は剥がれ落ちて、それは縋るような色の眼をしていた。
「今度の土曜日の午後二時に。大滝総合病院のロビーに来てください」
