桜の散らない街で 僕は君の夢を見る

第2章



 家と学校の往復は、一週間ほど続いた。
 日が暮れては登って。日付だけがめくり替わっていく。
 何も変わらない俺と、ただただ進んでいく時間。
 彼女がいた世界を失った俺にとっては、猶更早く感じた。
「ヒロト」
 一日の授業が終わり、ホームルームの後。いつものように、帰り支度をしている俺に向かってあいつが歩み寄ってくる。
「……何だ」
 俺の様子を見て、光幸はぎょっとした顔をした。
「どうした? 眼の下のクマやべえぞ」
「最近なかなか寝られねえんだよ」
 彼女に会えなくなったのは、俺の方に原因があるのかもしれない。あんなことを言われた手前、どの面下げてまた会えばいいのか分からないから。
「そっか。それなら仕方ねえな」
「……何がだ?」
 光幸は待ってましたとばかりに、俺に目配せをした。
「お前、トマト好きか?」
「いや、やめとくよ」
「最後まで聞けって。実は、調合に成功したんだ。スポーツドリンクの粉と、トマトジュースの融合。生のトマトをわざわざ素手で潰した本格的な仕上がりだぜ。みんなに無理やり飲ませたが、旨いと言っている奴はひとりもいなかった」
「それ、もう失敗してるだろ」
 おかしいなあと唸る光幸をよそに、俺は鞄を背負ってそそくさと教室を出ていく。
「おい、ちょっと待てって」
 いつもはそれっきり干渉してこないのに。光幸は慌てて俺を追いかけてきて、廊下で横に並んで歩いた。
「お前、ここのところおかしいぞ。いつにもまして、心ここにあらずというか」
 スルー出来ないほど心配されている。どうやら、そんなに俺の顔色は悪いらしい。
「別に……おかしくねえよ」
 すると光幸は俺の前に回り込んで、真剣な表情で俺を見つめた。
「何かあったんだろ。話なら聞くぜ。だって俺たち、仲間だろ?」
「……もういい。ほっといてくれ」
 それでも脇をすり抜けようとすると、光幸は俺の手をがっしりと捕まえた。
「俺はマネージャーだぞ。仲間が本当にやばいときくらいわかる」
 廊下の窓際で、西日が目を刺す。俺は意地になって、何も見えなくなっていたことに気が付いた。
 いつだって俺のことを見放さなかった。ずっと期待していてくれた。
「仲間か……」
 それなら、と俺は光幸の方へと向き直った。
「俺が何を話しても、笑わないで聞いてくれるか?」
 光幸はがっちりと俺の肩を掴んで、何度も頷いた。
「あたりめえだろ。どんなに面白い話でも、真顔で聞いてやるさ」
 そういうことじゃねえ、と思わず笑みが零れた。

「森内咲良……か」
 購買の自販機の前で。俺の為に部活をサボった光幸は、オレンジジュースをストローで吸い込みながら悩まし気に頭を掻いた。
「いくら顔の広い俺でも、ちょっと聞き覚えがない名前だな」
「そうか。それなら……」
 俺は躊躇いながらも、スマホを取り出して一枚の画像を光幸に見せた。
「これは……」
 光幸は咥えていたストローを口から離して、食い入るようにスマホの画面に見入った。
「……見覚えがあるのか」
「いや、あまりに下手くそ過ぎてびっくりした。誰が書いたん……」
 俺はスマホを閉じて素早くポケットにしまい、見せるんじゃなかったと激しく後悔した。
「やっぱりいるわけねえよな」
「……どういうことだ?」
 それっきり黙り込んでしまった俺に、光幸は茶化す様子もなく尋ねた。
「言いにくいことなら言わなくてもいいよ。その似顔絵の人物を探せばいいんだろ」
「夢だ」
 目を丸くする光幸。それもそうだ。俺はいきなりそういう切り口の話をするような人間ではないだろうから。
「……それって、夢で出会ったってことか?」
「ああ。でも最近、出てこなくなった」
「その人と、現実で会ったことは?」
「ない。でも、どこかに実在している気がするんだ。変だろ?」
「いや……面白い」
「え?」
「面白えじゃん。いいからすぐにさっきの絵ラインで俺に送れよ」
「……嫌だろ」
「何で?」
「拡散する気じゃねえだろうな」
「当たり前だろ。少しでも知ってる人に当たるには、たくさんの人に見てもらうのが一番だろ?」
「マジか……」
 それはそうだが……と俺は大きくため息をつく。
「心配すんなって。とりあえず送れ。俺を信じろ」
 スマホを取り出した俺は、渋々センスのかけらもない似顔絵をラインで光幸に送信した。
「よし。その子の年齢は?」
「俺らと同じくらいかな」
「そうか。ちょっと待ってろ」
 光幸はしばらく黙ってスマホを操作して、やがて「出来た」と言って俺に十枚くらいの画像を一気に送信してきた。
「何が……っておい、これ」
 驚いた。そこにはリアルな高校生くらいの女の子の顔が並んでいた。
「すげえだろ。AIでさっきの絵から変換したんだ。いくつかパターンを分けてみたんだけど、その中に似た雰囲気の子はいるか?」
 俺は目を皿にした。すると、その中に――森内咲良の容姿に近いものを一つ見つけて、「これだ」と光幸に送り返した。
「へえ。すっげえ可愛いじゃん」
「……お前もそう言ってたよ」
「え? 夢の中でか?」
 俺は夢の中で、クラスに転校生として森内咲良という女の子がやってきたこと。現実と区別がつかないくらいにリアルな夢だということなどを、素直に光幸に打ち明けた。
「なるほどな。それで、その子と何があったんだ?」
「ん?」
「何かあったんだろ。それで、出てこなくなった、と」
「別に……」
「怪しいな。まあとにかく、その子のことを探せばいいんだな」
 俺の言ってることは、どれも想像の域を出なかった。それでも、全く茶化すことなく付き合ってくれる光幸には、感謝の気持ちしかない。
「よし。とりあえずさっき生成した画像を陸上部のライングループと、友達全員に送っといたから」
「……なに?」
「それならいいだろ。別に元が絵だなんてバレやしねえよ」
 そう言って笑う。まさかそこまでするとは思ってなかったが、その方法が一番手っ取り早いのは確かだった。
 すると、雑談をしている間にどんどん返信が来る。最初は「部活サボって何やってんだ」という声ばかりだったが……知らない、見たことがない……という返信が次々とついた。
「そりゃそっか。ひょっとして、この学校に関係ない人なのかもしれないなあ」
 光幸がため息をつく。しかしそのとき、陸上部のライングループに、「知ってますよ」という返信がついた。
「……本山さやか。あの子が?」
 驚いた俺は、すぐさま詳細を尋ねるように光幸に頼んだ。
「そんなことするより、直接本人に当たった方が早そうだな」
 すると光幸は「購買の前にいる」と本山さやかにラインを送り、間もなくジャージ姿の彼女が小走りでこちらにやってきた。
「え……大崎先輩」
 彼女は驚いた顔をしていた。俺がいるとはひとことも書いていないから、それはそうか。
「悪いね、部活中にわざわざ。さっきの件だけど、写真の女の子について知ってること教えてくんない?」
 本山さやかは、何かを察したのか。俺の方だけを訝し気にじろじろと見つめながら答えた。
「中学の先輩が隣町の高校に通ってて。そこの文化祭に遊びに行ったときに、会ったことがあります」
「え? 会ったことがある?」
 光幸もだが、俺はもっと驚いていた。まさか……夢の中でしか会ったことがない人物が、実在する? いや、よく似ている人物だという可能性も捨てきれない。というか、現時点ではまだその線が濃厚だろう。
「はい。その写真の人、先輩とは中学の部活が同じで。高校は別々になったみたいなんですけど。たまたま文化祭に来ていて。背が高くて、すっごい美人だったから覚えてます。写真の人、今はもう高校やめちゃったらしいですけど」
「やめた?」
「そうです。退学しちゃったとか」
 俺は光幸と顔を見合わせた。そしてすぐに俺は、本山さやかを問い詰めていた。
「その中学の先輩……会わせてもらうことってできないか」
「え……別にいいですけど。ちょ、ちょっと待ってください!」
 手をぶんぶんと振って、やがて落ち着いたところで、本山さやかはまじまじと俺の顔を見つめながら眉を寄せた。
「よく事情が呑み込めないんですが。どうしてその先輩に会いたいんですか? さっきの画像の女の子って……一体先輩の何なんですか?」
「ああ……ええと、話すと長くなるからな」
「長くなってもいいです。教えてください」
 まさか夢の中で会った女の子だなんて言えるわけがない。
「ぐ……偶然街で見かけたんだ」
「……はい?」
 本山さやかの表情がみるみる険しくなる。誤解……でもない気がするが、ややこしいことになりそうなので、嘘を嘘で塗り固めるしかない。
「いや、見かけたというか。親切にしてもらったから。ひとこと会ってお礼を言いたいって思ってて」
「ふーん……」
 明らかに信用していない様子だが、渋々といった感じでスマホを操作し始める。どうやらその子と連絡を取ってくれるようだ。
「良かったな、ヒロト。一歩前進じゃねえか。無意味かもしれなかったけど、やってよかったな」
 得意げに笑う光幸だが、それに関してはその通りだと思った。こいつの人脈と行動力には頭が下がる。
「あ、ダメみたいです」
「え?」
「その写真の子は知ってるけど。見ず知らずの人には話したくないって」
 微かに差した光明は、あっけなく消えてしまった。そりゃそうか。と肩を落とした俺の様子を見て、本山さやかはおずおずと切り出した。
「先輩が……どうしてもって言うなら。私、説得しに行きますよ」
「……本当か?」
 隣で光幸が目を輝かせる。
「その代わり」
 彼女が俺の顔を凝視した。
「一緒に来てください。それが条件です」
「……俺が?」
「そうです。探してるんでしょ。会いたいんでしょ」
「いいのか、本山。だってその子こいつの……」
「黙れ」
 つい口が悪くなってしまった。しかし本山は呆れたように息をついて、ふんとそっぽを向いた。
「いいんですよ。何となく分かってますから。でも、先輩の役に立てるなら……それで充分です」
「へえ~」
「なんですか」
 茶々を入れたそうな顔をしている光幸を、本山さやかがじろりと睨む。
「分かった。そうしてくれたら嬉しいよ」
 素直に感謝の気持ちを伝えると、本山は今度は照れくさそうに眼を逸らした。
「そうと決まったら、今から行こう。善は急げだ」
 光幸が手を鳴らす。本山さやかは「高橋先輩もついてくるんですか」と不満そうだ。
「当たり前だろ。言い出しっぺは俺だ。最後まで責任を持って見届けないとな」
「……面白がってるだけだろ」
「っていうか、今からですか? 私部活が……」
「今すぐ風邪をひけ。熱を出せ」
「そんな無茶な……」
「バイトじゃねえんだから。別に誰も困らないだろ。今日に限っては、部活で汗を流すより、ヒロトの為に行動する方が君にとってはよっぽど有意義な時間じゃないか?」
「そ……そうですけど」
 そうやって本山さやかは丸め込まれてしまった。素直な子だな……。
 もちろん仮病は使わないが、急に用事が出来たからと言って彼女は部活を抜けてきた。そうして俺たちは、三人でその子が通う高校まで電車で向かった。