放課後タイムカプセル

Scene 1:陽向の選択
 7月中旬。梅雨が明けて、夏の日差しが眩しい季節。
 私は自室で、絵本の下書きを見つめていた。
 机の上には、ノート。『うさぎのミミと、忘れられた森』の下書き。第1章から第8章まで書き進めた物語。約束を立ててから一ヶ月以上、毎日少しずつ書き続けてきた物語。
 でも、今日は、ペンが進まない。
 スマホの画面を見つめる。「放課後タイムカプセル」のサイト。私の活動記録に、心無いコメントがついていた。
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【活動記録へのコメント】
「絵本作家とか、無理でしょ」
「趣味レベルじゃん」
「プロになれるわけない」
「時間の無駄」
「夢見すぎ」
「現実見た方がいいよ」
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 指が震える。コメントを何度も読み返してしまう。
 そうだよね……趣味だよね。所詮、私の絵なんて。プロになれるわけない。出版されるわけない。
 私はノートを閉じようとした。もう、やめようか。絵本なんて、子供の頃の夢。現実を見なきゃ。大学受験も控えてるし、こんなことやってる場合じゃない。
 でも——
 私は、十年前の手紙を取り出した。引き出しから、あの日開封した手紙。七歳の私が書いた手紙。ピンク色の便箋に、丸い字で書かれた文字。
 わたしのゆめは、えほんをかくひとになることです。
 えをかくのがだいすきだから。
 おはなしをつくるのもだいすきだから。
 17さいのわたしは、えほんをかいていますか?
 七歳の私は、こんなにも純粋に夢を語っていた。「無理かもしれない」なんて、考えもしなかった。ただ、「好き」だから、「やりたい」から。それだけで、夢を語っていた。
 そして、十年後の自分への約束。私が書いた約束。
【約束1:創作】
十年後までに、絵本を一冊、完成させること。
物語も絵も、全て自分で作り上げること。
 私は……どうしたい?
 本当は、どうしたいの?
 ネットの知らない人が何と言おうと、プロになれなくても、私は……描きたい?
 私はスマホを開いて、「放課後タイムカプセル」のサイトを見た。
 URL: https://houkago-timecapsule.jp
 他の人たちの投稿。みんな、それぞれの約束に向かって頑張っている。挫折したり、反対されたり、失敗したり。でも、続けている。
 私はタイムラインをスクロールした。様々な投稿が流れている。
 その中に、一つのコメントが目に留まった。長文のコメント。
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【ユーザー名:元夢追い人・35歳】
投稿日:今日
私、十年前に「毎週、漫画を描き続ける」って約束しました。
当時25歳。会社員をしながら、漫画家を目指していました。
新人賞に応募して、落選して、また描いて、また応募して。
その繰り返しでした。
でも、「漫画家になる」という結果は、叶いませんでした。
今は普通の会社員。
結婚もして、子供もいます。
毎朝満員電車に揺られて、会社に行って、
普通の仕事をして、家に帰ります。
でも、後悔してません。
なぜなら——
私が約束したのは「漫画家になる」ことじゃなかったからです。
「毎週、漫画を描き続ける」ことでした。
結果は、叶わなかった。
デビューもできなかった。
賞も取れなかった。
担当編集者もつかなかった。
「才能がない」と言われたこともありました。
でも、行動は、守りました。
十年間、週に一本は必ず描きました。
疲れてる時も、忙しい時も、描きました。
投稿サイトで連載もしました。
読者は少なかったけど、続けました。
「いつか諦めるだろう」と思われていたと思います。
でも、諦めませんでした。
なぜなら、約束したから。
「漫画家になる」は約束してない。
でも「描き続ける」は約束した。
だから、描き続けました。
毎週毎週、必ず描きました。
どんなに忙しくても、どんなに疲れていても。
そして、今も描いています。
今は週末に趣味で漫画描いてます。
子供に見せたり、投稿サイトに上げたり。
読者は相変わらず少ないです。
「いいね」も数十個程度。
でも、それで十分幸せです。
先週、5歳の息子が言いました。
「お父さんの描く漫画、面白いね!」
その言葉が、どんな賞よりも嬉しかった。
大事なのは、「結果」が叶ったかどうかじゃなくて、
「行動」を守り続けたこと。
十年間、約束を守り続けたこと。
それが、私の誇りです。
今、私の人生を振り返って思います。
「漫画家になれなかった」という後悔はありません。
でも「描くのをやめた」という後悔は、
絶対にあったと思います。
だから、今の高校生たちにも言いたい。
「結果」が叶わなくても、「行動」を守れば、
人生は豊かになります。
プロになれなくても、続けることに意味がある。
続けること自体が、幸せなんです。
十年後、「やめなくてよかった」と思える日が来ます。
約束を守り続けてください。
「結果」じゃなく「行動」を。
#放課後タイムカプセル
#結果じゃなく行動を
#十年間の約束
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 私は、涙が溢れた。止まらない。
 そっか……
 大事なのは「絵本作家になる」ことじゃない。「絵本を完成させる」こと。「絵を描き続ける」こと。「結果」じゃなく「行動」を守ること。
 プロになれなくても、出版されなくても、認められなくても。ただ、描き続ける。それが約束。
 この人は、十年間、約束を守り続けた。「漫画家になる」は叶わなかった。でも「描き続ける」は守った。
 そして、後悔していない。
 私は、コメント欄を見た。たくさんのコメントが並んでいる。
「泣きました」
「私も同じです。続けることに意味がある」
「結果じゃなく行動、本当にそうですね」
「勇気もらいました」
 私は、もう一度ノートを開いた。
 私は、絵本を完成させる。プロになれなくても、出版されなくても。七歳の私と、十七歳の私の約束を、守る。
 「結果」は約束してない。でも「行動」は約束した。
 私はペンを握った。物語の続きを書き始める。
【うさぎのミミと、忘れられた森】
第9章:試練の時
ミミは、旅を続けていました。
でも、道は険しくなっていきました。
ある日、大きな川に出会いました。
渡ることができません。
「どうしよう……」
ミミは不安になりました。
「やっぱり、森に帰った方がいいのかな」
「ここまで来たけど、無理なのかな」
でも——
リスのチロが言いました。
「ミミ、諦めちゃダメだよ」
キツネのアカネが言いました。
「一緒に、方法を探そう」
フクロウのホー先生が言いました。
「諦めなければ、道は必ず見つかる」
ミミは思いました。
「そうだ。一人じゃない」
「みんながいる」
ミミは、諦めませんでした。
 ペンが止まらない。物語が、頭の中から溢れ出してくる。ミミが困難を乗り越える場面。友達の支えで、前に進む場面。
 第9章では、ミミが大きな困難に直面する。第10章では、友達と協力して乗り越える。第11章では、ミミが成長を実感する場面。
 私は微笑んだ。
 ミミも、頑張ってる。「完璧な旅」は約束してない。でも「旅を続ける」ことは約束した。困難があっても、進み続けることが大事。
 気づけば、三時間が経っていた。第9章、第10章まで書き上げた。物語は、クライマックスに向かっている。
 私は窓の外を見た。夕日が沈みかけている。オレンジ色の空。
 私、続けよう。この物語、完成させよう。
Scene 2:楓の葛藤と決意
 7月中旬。期末試験が終わって、夏休みが近づいている。
 楓は、音楽室でピアノを弾いていた。
 約束を立ててから、週に二回、必ず弾くようにしている。でも、それは全て親に内緒だった。
 放課後、誰もいない時間を狙って音楽室に来る。音が漏れないように、窓を閉めて。誰にも見つからないように、こっそりと。
 指が、少しずつ思い出してきた。最初はぎこちなかったけど、今は滑らかに動く。音も、綺麗になってきた。
 でも——
 楓は、ふと手を止めた。
 これでいいのかな。
 隠れて弾いて、親に嘘をついて。
 期末試験の結果も、気になっていた。成績は、少し落ちた。学年1位から、3位になった。ピアノを弾く時間を作るために、勉強時間を減らしたから。
 親は何も言わない。まだ、気づいていない。でも、次の面談で成績のことを言われたら、どうしよう。
 楓は、自分の約束を読み返した。スマホで、約束のページを開く。
【約束1:継続】
十年後も、ピアノを弾き続けていること。
週に最低二回、三十分以上弾くこと。
【約束2:自分のために】
誰かのためじゃなく、自分のために弾くこと。
評価されるためじゃなく、楽しむために弾くこと。
 そうだ。私が約束したのは、「親の期待に応える」ことじゃない。「自分のためにピアノを弾く」こと。
 でも——
 このまま隠し続けていいのかな。
 親に嘘をついて、こっそり弾いて。それって、本当に「自分のため」なのかな。
 楓は目を閉じた。
 もう一度、ピアノを弾こう。考えるのは、それから。
 楓は、ショパンの「ノクターン」第2番を弾き始めた。
 最初はゆっくりと。優しく。そして、少しずつ情熱的に。
 音楽が、体を通り抜ける。心が、軽くなる。
 そして——
 楓は気づいた。
 あれ……私、隠れて弾いてる。こそこそと、誰にも見つからないように。
 でも、本当は堂々と弾きたい。
 誰に遠慮することなく、胸を張って。「これが私です」って言えるように。
 隠れて弾くんじゃなくて、自分の選択として弾きたい。
 曲が終わった。
 楓は目を開けて、深呼吸した。
 私、親にちゃんと話そう。隠すのは、もうやめよう。
 その時、音楽室のドアが開いた。
 楓は心臓が止まりそうになった。
 振り向くと——
 母親が立っていた。
「楓……」
 母の声は、いつもより低い。怒っているのか、悲しんでいるのか、わからない。
「お母さん……なんで……」
「学校から電話があったの。成績が下がってるって。心配だから、先生と面談したいって」
 楓は立ち上がった。ピアノの前から離れて、母と向き合う。
「それで、学校に来たら、音楽室からピアノの音が聞こえて……まさかと思って」
 母は、楓の方へゆっくりと歩いてきた。
「お母さんに嘘ついて、ピアノ弾いてたの?」
「……ごめんなさい」
 楓は頭を下げた。でも、涙は流さなかった。
「ごめんなさいじゃないでしょ。楓、あなた受験生なのよ。ピアノなんてやってる場合じゃないって、何度も言ったでしょ」
「わかってます」
「わかってないでしょ! 成績が下がって、それでもピアノ弾いて。お母さん、あなたのために言ってるのよ」
 楓は顔を上げた。
「お母さんの『ため』? それとも、『お母さんが思う私のため』?」
 母は言葉を失った。
 楓は続けた。
「私、ずっとお母さんの期待に応えてきました。成績も、生徒会も、進路も、全部。でも、もう疲れました」
「楓……何を言ってるの」
「私は、私の人生を生きたいんです」
 楓の声は、震えていた。でも、はっきりしていた。
 母は黙って楓を見つめた。
 楓は深呼吸して、言葉を続けた。
「私の人生は、私のものです。私が約束したのは『ピアニストになる』ことじゃありません。『ピアノを弾き続ける』ことです」
「約束? なんの約束?」
 楓は、「放課後タイムカプセル」のことを説明した。十年前の手紙、十年後への約束。そして——「結果」ではなく「行動」を約束したこと。
「私、十年後の自分に約束したんです。『ピアノを弾き続けること』って。『ピアニストになる』は約束してません。『有名になる』も約束してません。『コンクールで入賞する』も約束してません。ただ、『弾き続ける』。それだけを約束しました」
「でも、楓——」
「お母さん、お父さんは、私に期待してくれてる。それは嬉しい。でも、私は『期待に応える人生』じゃなくて、『自分の約束を守る人生』を生きたいんです」
 楓は涙を流しながら言った。
「プロになれなくてもいい。認められなくてもいい。でも、ピアノは続けたい。それが、私の約束だから。十年後の私に、『約束、守ったよ』って言いたいから」
 しばらく、沈黙が続いた。
 母は、楓の顔をじっと見つめていた。その目には、複雑な感情が渦巻いている。
 そして——
 母は、深くため息をついた。
「……そんなに、大事なの? ピアノが」
「はい。私にとって、ピアノは自分自身です。ピアノを失ったら、私じゃなくなる気がします」
 母は窓の外を見た。夕日が、音楽室を照らしている。
「お母さんはね、楓に苦労してほしくないの。だから、安定した道を歩いてほしかった」
「わかってます」
「でも……」
 母は楓の方を向いた。
「お母さんも、若い頃、夢があったの」
「え?」
「ダンサーになりたかった。でも、諦めた。それから、ずっと後悔してる」
 楓は驚いて母を見つめた。
「今でも、ダンスの番組を見ると、『あの時、諦めなければ』って思うの。プロになれたかどうかは、わからない。でも、続けていれば、今とは違う人生だったかもしれない」
 母の目が、少し潤んでいた。
「でも、お母さんは……ダンサーになれなかった。プロにもなれず、結局諦めて、普通の人生を歩んで。それでも、今でも『無駄だったのかな』って思うことがある」
 母は楓を見つめた。
「だから、楓には同じ思いをしてほしくなかった。夢を追って、叶わなくて、後悔する人生を。お母さんは……楓に確実な道を歩いてほしかった。夢を追って失敗するより、安定した道で成功してほしかった」
「お母さん……」
「でも、それは間違ってたわ」
 母は涙を拭った。
「お母さんが後悔してるのは『夢を追ったこと』じゃない。『途中で諦めたこと』なの。もし最後まで続けていたら、プロになれなくても、きっと後悔はしなかった。でも、お母さんは諦めた。だから、今も『もっと続けていれば』って思ってる」
 母は楓の手を握った。
「楓、お母さんは自分の後悔を、楓に押し付けてたのかもしれない。『夢は叶わない』って。『だから最初から追わない方がいい』って。でも、それは違ったわ」
 母は、ピアノに歩み寄った。鍵盤に軽く触れる。
「弾いてみせて。お母さんに」
「え?」
「楓が、どんな風にピアノを弾くのか、聴かせて」
 楓は、ピアノの前に座った。母は、少し離れた場所に立って、楓を見つめている。
 楓は、もう一度ショパンの「ノクターン」を弾き始めた。
 でも、今度は違った。隠れて弾いていた時とは、違った。
 堂々と。自由に。心を込めて。
 音楽が、音楽室に響く。楓の指が、鍵盤を滑るように動く。左手が和音を奏でて、右手がメロディを歌う。
 曲が終わった。
 楓は母を見た。
 母は、涙を流していた。
「綺麗だったわ、楓」
「お母さん……」
「お母さん、間違ってたわ。楓のピアノ、止めるべきじゃなかった」
 母は楓に近づいて、抱きしめた。
「続けなさい。ピアノ。楓が本当にやりたいことを、やりなさい」
「いいの?」
「ただし、条件がある」
 母は楓から離れて、真剣な顔で言った。
「成績は、ちゃんと維持すること。トップじゃなくてもいい。でも、極端に下げないこと」
「はい!」
「それと、週に二回まで。それ以上は、受験勉強に支障が出る」
「わかりました!」
 楓は涙が溢れた。
「ありがとう、お母さん」
 母は優しく微笑んだ。
「お母さんも、楓から教わったわ。『結果じゃなく行動を』って。いい言葉ね」
 家に帰って、楓は父にも同じことを話した。
 父は、最初は難しい顔をしていたけれど、最後には頷いてくれた。
「楓、お前がそこまで考えてるとは思わなかった。少し、反省してる」
「お父さん……」
「自分の人生は、自分で決めろ。私たちは、お前を応援する」
 楓は、両親に抱きついた。
 部屋に戻って、楓は「放課後タイムカプセル」に投稿した。
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【活動記録】
ユーザー名:水瀬楓
日付:7月15日
今日、親にピアノのことがバレました。
隠れて弾いていたのが、見つかりました。
最初は怒られました。
でも、ちゃんと説明しました。
「ピアニストになる」は約束してない。
でも「自分のためにピアノを弾く」は約束した。
『結果』じゃなく『行動』を約束したことを。
親も、最後は理解してくれました。
お母さんも、若い頃夢があったって。
でも諦めて、今も後悔してるって。
だから、私には後悔してほしくないって。
初めて、自分の意見を親に言えました。
初めて、自分の人生を主張できました。
すごく怖かったけど、言ってよかった。
これからは、堂々とピアノを弾けます。
十年後の私、まだピアノ弾いてるよね?
自分のために。
#放課後タイムカプセル
#ピアノ
#結果じゃなく行動を
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 すぐに、たくさんのコメントが届いた。
「おめでとう!」
「親と話し合えたの、すごい!」
「勇気もらった」
「応援してます!」
「私も親に言ってみようと思った」
 楓は微笑んだ。ありがとう、みんな。
Scene 3:蒼のコンクール
 7月中旬。コンクールの結果発表日。
 蒼は、美術室で結果を待っていた。放課後、一人で。窓の外は曇り空。今にも雨が降りそうな空。
 約束を立ててから一ヶ月以上。6月初旬に応募したコンクール。523作品が応募された。審査には時間がかかった。
 スマホが震えた。メールが届く。
 蒼は、震える手でスマホを取った。
《高校生絵画コンクール選考結果のお知らせ》
 蒼は、深呼吸した。そして、メールを開いた。
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神崎蒼様
この度は、高校生絵画コンクールにご応募いただき、
誠にありがとうございました。
厳正なる審査の結果、
残念ながら、今回は入賞には至りませんでした。
しかしながら、あなたの作品『走り出す朝』は、
審査員から高い評価を受けました。
特に、色使いと構図について、
審査員からのコメントがございます。
「力強い作品。色彩感覚が優れている。
ただし、技術面でまだ粗さが見られる。
今後の成長に期待」
応募総数:523作品
入賞作品:30作品
今後の活動を期待しております。
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……そっか。
 蒼は、スマホを置いた。自分の絵を見つめる。『走り出す朝』。人々が朝日に向かって走る絵。何日もかけて描いた絵。
 落ちた。入賞できなかった。523作品の中から選ばれたのは30作品。俺の絵は、選ばれなかった。
 蒼は椅子に座り込んだ。
 やっぱり、ダメだったんだ。才能ないのかな。親の言う通り、諦めた方がいいのかな。
 この一ヶ月、毎日描いてきた。放課後は必ず美術室に来て、絵を描いた。新しい作品も描いた。技術書も読んだ。
 でも、落ちた。
 蒼は拳を握りしめた。
 悔しい。めちゃくちゃ悔しい。
 でも——
 蒼は自分の約束を読み返した。スマホで、約束のページを開く。
【約束3:挑戦】
毎年、最低一回はコンクールか展示会に応募すること。
入賞するかどうかは約束しない。
でも、挑戦し続けることは約束する。
 そうだ。俺が約束したのは「入賞する」ことじゃない。「応募する」ことだ。
 落ちたけど、約束は守った。挑戦したこと自体が、約束を守ったことだ。
 蒼は、もう一度メールを読んだ。
「色彩感覚が優れている」
「力強い作品」
「今後の成長に期待」
……評価してくれてる。落ちたけど、ちゃんと見てくれてる。
 不思議と、悔しさの中に、別の感情が混ざっていた。
 もっと、描きたい。
 もっと上手くなりたい。来年は、もっといい作品を作りたい。「技術面で粗さが見られる」って言われた。じゃあ、技術を磨こう。
 蒼は立ち上がった。新しいキャンバスを準備する。真っ白なキャンバス。次の作品のために。
 落選しても、いい。「入賞する」は結果。約束してない。でも「挑戦し続ける」は行動。これは約束した。
 俺は、描き続ける。来年も、再来年も。十年後も。
 田村先生が美術室に入ってきた。
「神崎、結果は?」
「ダメでした」
「そうか……」
 田村先生は、蒼の隣に立った。『走り出す朝』を見つめる。
「でも、先生」
 蒼は微笑んだ。
「俺、もっと描きたくなりました。落ちたことは悔しい。すごく悔しい。でも、俺が約束したのは『入賞する』ことじゃない。『描き続ける』ことです。だから、描きます。来年も、再来年も」
 田村先生は頷いた。
「それが、才能だよ。結果に関係なく、続けたいと思えること。それが、本当の才能だ。入賞する人は何人もいる。でも、入賞できなくても続けられる人は、ほんの一握りだ」
「先生……」
「神崎、お前はいい絵を描く。今回は入賞しなかったけど、いつか必ず評価される日が来る。でも、それよりも大事なのは、お前が描き続けることだ」
「はい。描き続けます」
 蒼は「放課後タイムカプセル」に投稿した。
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【活動記録】
ユーザー名:神崎蒼
日付:7月15日
コンクール、落ちました。
正直、めちゃくちゃ悔しい。
でも、約束は守りました。
「入賞する」は約束してない。
「応募する」「挑戦し続ける」は約束した。
審査員からのコメントで、
「技術面で粗さが見られる」と言われました。
だから、もっと練習します。
技術を磨きます。
来年もまた応募します。
再来年も、その次の年も。
『結果』じゃなく『行動』を約束したから、
落ちても約束は守れてる。
もっと上手くなって、また挑戦します。
十年後の俺、もっと上手くなってるよな?
もっといい絵、描いてるよな?
#放課後タイムカプセル
#絵画
#結果じゃなく行動を
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 すぐに、たくさんのコメントが届いた。
「お疲れ様! 次は入賞できるよ!」
「『挑戦し続ける』を約束したの、すごくいい!」
「結果じゃなく行動、その考え方好き!」
「応援してます!」
「一緒に頑張りましょう!」
「落ちても続ける、それが本当の強さ」
 蒼は微笑んだ。ありがとう、みんな。
Scene 4:隼人の決断
 7月中旬。夏の日差しが眩しい午後。
 隼人は、病院で医者と話していた。
 約束を立ててから一ヶ月以上。隼人はコーチアシスタントとして、後輩たちを指導してきた。毎日練習に参加して、一年生の基礎練習を手伝って、声をかけて。
 でも、膝の痛みは、日に日に増していた。
 診察室。白い壁、消毒液の匂い。レントゲン写真が、ライトボックスに映し出されている。
「早川くん、これを見てくれ」
 医者は、レントゲン写真を指差した。
「前回の診察から一ヶ月。悪化してる。膝の軟骨が、さらにすり減ってる」
「…………」
「君、まだ選手として練習してるのか?」
「いえ、コーチアシスタントとして、指導だけです」
「それでも、グラウンドに立ってるんだろ?」
「はい……」
 医者は厳しい表情で言った。
「早川くん、もう限界だ。このまま続けると、本当に歩けなくなる。二十代で人工関節になる可能性が高い」
「……わかってます」
「グラウンドに立つのも、やめなさい。完全に、サッカーから離れなさい。選手としてだけじゃない。コーチとしても、審判としても、全部だ」
 隼人は息を呑んだ。
「全部……ですか?」
「そうだ。サッカーに関わること全てが、君の膝に負担をかけてる。グラウンドを歩くだけでも、ダメだ」
「でも……」
「早川くん、これは君の将来のためだ。今すぐやめれば、普通の生活は送れる。でも、続ければ、一生車椅子になる」
 隼人は、拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込む。
 サッカーから……完全に離れる?
 コーチも、審判も、全部ダメ?
 グラウンドに立つことも、できない?
「……わかりました」
「早川くん、辛いだろうが、これは医学的な判断だ。君のためだ」
「……はい」
 病院を出て、隼人は公園のベンチに座り込んだ。空を見上げる。青い空。雲が流れている。綺麗な空。
 でも、隼人の心は真っ暗だった。
 サッカーから、完全に離れる……
 十年前の手紙を思い出す。七歳の俺が書いた手紙。
 ぼくは、プロサッカーせんしゅになりたい。
 ワールドカップにでたい。
 にほんだいひょうになりたい。
 ごめん、七歳の俺。その夢、叶えられなかった。
 それどころか、サッカーそのものから、離れなきゃいけない。
 隼人は顔を手で覆った。涙が溢れる。止まらない。公園で、一人で、泣いた。
 サッカーが全てだった。朝から晩まで、サッカーのことばかり考えてた。プロになるために、どれだけ練習したか。どれだけ努力したか。
 選手としてダメになっても、コーチとして関われると思ってた。でも、それもダメだって。
 全部、終わった。
 隼人は、ベンチに横たわった。空を見上げる。
 どうすればいい?これから、何をすればいい?
 しばらく、そうしていた。
 そして——
 隼人は自分の約束を読み返した。スマホで、約束のページを開く。
【約束1:関わり続ける】
十年後も、サッカーに関わり続けていること。
選手として、コーチとして、審判として、
あるいは別の形でも。
……あるいは別の形でも。
 そうだ。
 グラウンドに立てない。でも、サッカーに関わる方法は、他にもある。
 サッカーライター。スポーツトレーナー。戦術アナリスト。スポーツ記者。サッカー解説者。
 グラウンドに立たなくても、サッカーに関わることはできる。
 俺が約束したのは「プロ選手になる」ことじゃない。「グラウンドに立つ」ことでもない。「サッカーに関わり続ける」ことだ。
 形は変わる。でも、約束は守れる。
 隼人は立ち上がった。涙を拭って、深呼吸した。
 選手もダメ、コーチもダメ、審判もダメ。でも、サッカーは終わらない。別の形で、関わり続ける。
 隼人は家に帰って、パソコンを開いた。
 検索する。「サッカー ライター なり方」「スポーツ 記者 資格」「戦術 アナリスト 仕事」。
 様々な記事が出てくる。グラウンドに立たなくても、サッカーに関わる仕事はたくさんある。
 隼人は一つ一つ読んでいく。
 そして、決めた。
 サッカーライターを目指そう。試合を観て、分析して、記事を書く。グラウンドに立たなくても、サッカーに関われる。
 隼人は、ブログを開設した。「隼人のサッカー分析ノート」。
 最初の記事を書く。
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【ブログ記事】
タイトル:僕がサッカーライターを目指す理由
こんにちは。早川隼人です。
僕は、選手としてのサッカー人生を終えました。
怪我のため、グラウンドに立つこともできなくなりました。
でも、サッカーは終わりません。
僕が十年後の自分に約束したのは、
「プロ選手になる」ことじゃありません。
「サッカーに関わり続ける」ことです。
形は変わりました。
でも、約束は変わりません。
これから、サッカーライターとして、
試合を分析し、記事を書いていきます。
グラウンドには立てない。
でも、サッカーを愛し続けます。
サッカーに関わり続けます。
それが、僕の約束だから。
これから、このブログで、
Jリーグ、海外サッカー、高校サッカーの分析を
書いていきます。
読んでくれたら嬉しいです。
#放課後タイムカプセル
#サッカー
#結果じゃなく行動を
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 隼人は「放課後タイムカプセル」にも投稿した。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【活動記録】
ユーザー名:早川隼人
日付:7月16日
医者から、完全にサッカーから離れるよう言われました。
選手だけじゃなく、コーチも、審判も、全部ダメだと。
グラウンドに立つことも、できません。
正直、めちゃくちゃ辛いです。
泣きました。
でも、約束は守ります。
「サッカーに関わり続ける」。
これが私の約束でした。
グラウンドに立てなくても、
サッカーライターとして関わり続けます。
形は大きく変わったけど、約束は変わらない。
『結果』は叶わなかったけど、
『行動』は守り続けます。
今日、ブログを開設しました。
「隼人のサッカー分析ノート」
十年後の俺、いい記事書いてるよな?
サッカー、まだ好きでいられるよな?
#放課後タイムカプセル
#サッカー
#結果じゃなく行動を
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 すぐに、たくさんのコメントが届いた。
「お疲れ様でした!」
「新しいスタート、応援してます!」
「きっといいライターになれる!」
「『結果は叶わなかったけど、行動は守る』、感動した」
「一緒に頑張りましょう」
「形は変わっても、サッカーは続く」
「ブログ、読みに行きます!」
 隼人は涙を拭った。ありがとう、みんな。
Scene 5:4人の再会
 7月下旬の土曜日、小学校の図書室。
 四人が集まった。それぞれ、この一ヶ月半で経験したことを、顔に刻んでいる。
 私が最初に口を開いた。
「みんな、この一ヶ月、色々あったね」
 全員が頷く。重い空気。でも、後ろ向きな重さじゃない。何かを乗り越えた後の、充実した重さ。
 楓が切り出した。
「それぞれ、報告しよう」
 私は深呼吸してから話し始めた。
「私、ネットで心無いコメントもらって、一度はやめようと思った。でも、『放課後タイムカプセル』である人のコメント読んで、決めた。続けるって。『絵本作家になる』は約束してないけど、『絵本を完成させる』は約束した」
 楓が続ける。少し照れくさそうに。
「私、親にピアノのことがバレた。最初は怒られたけど、ちゃんと話したら、理解してくれた。お母さんも、若い頃夢があったって。『ピアニストになる』は約束してないけど、『自分のために弾き続ける』は約束した」
 蒼が腕を組んで、少し悔しそうに、でも力強く言った。
「俺、コンクールは落ちた。523作品中、入賞は30作品。俺の絵は選ばれなかった。でも、描き続ける。『入賞する』は約束してないけど、『挑戦し続ける』は約束した」
 隼人が最後に、拳を握りしめながら語り始めた。
「俺、医者から完全にサッカーから離れろって言われた。グラウンドに立つことも、できない。正直、めちゃくちゃ辛かった」
 声が少し震えた。
「でも、サッカーライターを目指す。『プロになる』は約束してないけど、『関わり続ける』は約束した」
 四人は、しばらく沈黙した。誰も慰めない。誰も励まさない。ただ、それぞれの決意を、静かに受け止める。
 そして、私が口を開いた。
「みんな、『結果』は叶わなかったり、形が変わったり、反対されたりした。でも、『行動』は守ってる」
「うん」
 宮本先生が優しく微笑む。
「君たち、変わったな」
「そうですか?」
 私が首を傾げると、先生は窓の外を見ながら答えた。
「ああ。最初に会った時と、顔が違う。前を向いてる。そして、『結果』に囚われてない。『行動』に集中してる」
 白鳥さんがパソコンから顔を上げた。
「ねえ、もうすぐタイムカプセルを埋める日だけど、何か追加で入れたいものある?」
 ふと、アイデアが浮かんだ。
「今の私たちの写真、入れない? 十年前の写真と、今の写真。そして、十年後に開ける時、また写真を撮ろう」
「いいね!」
 楓が真っ先に賛成してくれた。
 四人は、スマホで自撮りした。
「せーの」
 パシャリ。
 写真を確認する。笑顔の写真。完璧な笑顔じゃない。少し泣き顔も混じってる。疲れた顔も混じってる。でも、本当の笑顔。
 蒼がスマホを覗き込みながら呟いた。
「十年後、この写真を見た時、何を思うだろうね」
 隼人が肩を叩く。
「きっと、『あの時頑張ったな』って思うよ」
 楓が髪をかき上げて、空を見上げた。
「『あの時、諦めなくてよかった』って思うよね」
 白鳥さんがパソコンの画面を回転させて、私たちに見せた。
「それでね、すごいニュースがあるの」
「何?」
 画面を覗き込む。
「参加者、千人超えたの!」
 四人は同時に顔を上げた。
「千人!?」
 画面には、リアルタイムで更新される参加者数。1,042名。1,043名。1,044名……数字が、次々と増えていく。

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【放課後タイムカプセル】
現在の参加者:1,044名
そして、全員が「結果」ではなく「行動」を約束しています。
最新の約束:
【ユーザー名:未来の医師】
十年後の自分へ
「医者になる」は約束しない。(試験に落ちるかも)
でも「毎日五時間勉強する」は約束する。
「医学書を年間百冊読む」は約束する。
行動を約束する。
【ユーザー名:料理人の卵】
五年後の自分へ
「レストランを開く」は約束しない。(資金が足りないかも)
でも「毎日料理の練習をする」は約束する。
「年間三百品のレシピを作る」は約束する。
行動を約束する。
【ユーザー名:教師になりたい】
十年後の自分へ
「教師になる」は約束しない。(採用試験に落ちるかも)
でも「子供に教える勉強を続ける」は約束する。
「ボランティアで週一回教える」は約束する。
行動を約束する。
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 宮本先生が眼鏡を外して、丁寧に拭きながら呟いた。
「君たちが始めた『結果じゃなく行動を』という考え方が、こんなに大きくなった。約一ヶ月半で、千人を超えた」
 涙が溢れそうになった。こらえても、こらえても、溢れてくる。
「私たちだけじゃなかったんだ。みんな、『結果』を約束できなくて悩んでた。でも、『行動』なら約束できる」
 蒼が拳を握りしめた。
「だから、俺たちも諦められない。千人の約束が、俺たちを支えてくれてる」
 楓が小さく頷く。その目は真剣だった。
「千人の約束を、無駄にしないためにも。みんなが見てる」
 隼人が立ち上がって、拳を突き上げた。
「よし、タイムカプセル埋める日、盛大にやろうぜ! 千人の約束を、十年後に届けるんだ!」
 四人は、また笑い合った。今度は、迷いのない笑顔。
 白鳥さんが資料を取り出した。
「それでね、先週の地元テレビ局の取材、覚えてる?」
「うん」
 楓が興味深そうに身を乗り出す。
「あれが全国ニュースで取り上げられて、すごい反響だったの。それで、また別のテレビ局から取材の申し込みが来てるの。今度は全国ネットの情報番組で、タイムカプセルを埋める日を取材したいって」
「また!?」
 四人は、同時に声を上げた。顔を見合わせる。
「うん。前回の地元ニュースの反響が大きかったから、今度は全国放送で特集したいって」
 宮本先生が腕を組んで、感慨深そうに。
「君たちの始めたことが、社会現象になりつつある。『結果じゃなく行動を』という考え方が、多くの人の心に響いてるんだ」
 私は窓の外を見た。青い空。雲が流れている。夏の始まりを告げる空。
 私たち、何か大きなことを始めちゃったんだ。
【第4章 完】