中学三年の進路面談が始まった頃、窓際の席でタカシはユキに尋ねた。
「ユキは、やっぱり北高だろ?」
当然の前提として問いかけた僕に、彼女は視線を合わせないまま答えた。
「私は、隣の市の女子校に行くことにしたんだ。」
窓の外の濁った空に、彼女の決意が吸い込まれていく。僕だけが、同じ場所に取り残されたような気がした。
四月。桜が冷たい雨に打たれる朝、玄関を出ると、隣の家からユキが出てきた。
僕は地味目の私服の隣に並ぶ、真新しい紺のブレザー。その色が僕たちの境界線のように見えて、喉の奥が熱くなる。
「……駅まで、一緒に行こう」
どちらからともなく紡いだ声は、春の風にさらわれて消えそうだった。
並んで歩く道。昨日までと同じはずの歩幅が、なぜかうまく合わせられない。隣にいるのに、彼女がもう、知らない誰かのように遠かった。
自動改札を抜けると、どちらからともなく足を止めた。 頭上の電光掲示板には、僕の乗る上り列車と、ユキが乗る下り列車の時刻が、無機質に並んで点滅している。
「……じゃあ、私、あっちのホームだから」
ユキが指差した先には、彼女と同じ紺のブレザーを着た生徒たちが固まっていた。
ピシッとした制服に身を包んだ彼女の隣で、悩んだ末に選んだ僕の私服のパーカーは、ひどく子供っぽくて、場違いなものに思えた。彼女だけが、僕の知らない大人への階段を一段登ってしまったような気がして、胸の奥がチリりと焼ける。
「おう。……また放課後な」
精一杯の強がりは、駅の喧騒にかき消された。ユキは小さく頷くと、一度も振り返らずに階段を降りていく。
その背中を追いかけたいのに、僕の足はホームのコンクリートに縫い付けられたように動かなかった。彼女の鞄で揺れる、真新しいパスケース。その中にあるのは、僕の知らない駅までの定期券だ。
やがて、重苦しい地響きと共に彼女を連れ去る電車が滑り込んできた。閉まるドアの向こう側、ユキの横顔が一瞬だけ見えた気がしたが列車は容赦なく速度を上げて、僕の視界から彼女を奪っていった。
階段を降りる足音が、やけに響いて耳が痛かった。
振り返ってはいけない。もし一度でもタカシと目が合ってしまったら、私はこの「新しい自分」を投げ出して、彼の元に駆け寄ってしまうだろう。
滑り込んできた電車のドアが開く。私は吸い込まれるように、見知らぬ人たちの群れに混じった。
吊革を掴み、ふと窓ガラスに目をやる。そこに映る紺のブレザーを着た私は、まるで自分じゃないみたいにひどく頼りなかった。
彼がきていたはずの学ランと同じ、深い紺色。けれど、私の胸元で揺れるリボンも、金色のボタンも、すべてが彼を置いて進まなければならない「私の世界」の色だった。
パスケースには、今日から使う定期券がある。印字された駅名は、私服で別の道に行く彼とは、正反対に方向を指していた。
ガタゴトと震えながら走り出した車内で、私はスマホを取り出した。
「私服、意外に似合ってたよ。駅まで送ってくれてありがとう」
打ちかけて、やめた。
そんなことを送ったら、さっき必死で振り切ったはずの寂しさが、また溢れてしまいそうだったから。
私はただ、遠ざかってゆく「私だけのタカシ」がいた街を、心の奥でそっと見つめていた。
「ユキは、やっぱり北高だろ?」
当然の前提として問いかけた僕に、彼女は視線を合わせないまま答えた。
「私は、隣の市の女子校に行くことにしたんだ。」
窓の外の濁った空に、彼女の決意が吸い込まれていく。僕だけが、同じ場所に取り残されたような気がした。
四月。桜が冷たい雨に打たれる朝、玄関を出ると、隣の家からユキが出てきた。
僕は地味目の私服の隣に並ぶ、真新しい紺のブレザー。その色が僕たちの境界線のように見えて、喉の奥が熱くなる。
「……駅まで、一緒に行こう」
どちらからともなく紡いだ声は、春の風にさらわれて消えそうだった。
並んで歩く道。昨日までと同じはずの歩幅が、なぜかうまく合わせられない。隣にいるのに、彼女がもう、知らない誰かのように遠かった。
自動改札を抜けると、どちらからともなく足を止めた。 頭上の電光掲示板には、僕の乗る上り列車と、ユキが乗る下り列車の時刻が、無機質に並んで点滅している。
「……じゃあ、私、あっちのホームだから」
ユキが指差した先には、彼女と同じ紺のブレザーを着た生徒たちが固まっていた。
ピシッとした制服に身を包んだ彼女の隣で、悩んだ末に選んだ僕の私服のパーカーは、ひどく子供っぽくて、場違いなものに思えた。彼女だけが、僕の知らない大人への階段を一段登ってしまったような気がして、胸の奥がチリりと焼ける。
「おう。……また放課後な」
精一杯の強がりは、駅の喧騒にかき消された。ユキは小さく頷くと、一度も振り返らずに階段を降りていく。
その背中を追いかけたいのに、僕の足はホームのコンクリートに縫い付けられたように動かなかった。彼女の鞄で揺れる、真新しいパスケース。その中にあるのは、僕の知らない駅までの定期券だ。
やがて、重苦しい地響きと共に彼女を連れ去る電車が滑り込んできた。閉まるドアの向こう側、ユキの横顔が一瞬だけ見えた気がしたが列車は容赦なく速度を上げて、僕の視界から彼女を奪っていった。
階段を降りる足音が、やけに響いて耳が痛かった。
振り返ってはいけない。もし一度でもタカシと目が合ってしまったら、私はこの「新しい自分」を投げ出して、彼の元に駆け寄ってしまうだろう。
滑り込んできた電車のドアが開く。私は吸い込まれるように、見知らぬ人たちの群れに混じった。
吊革を掴み、ふと窓ガラスに目をやる。そこに映る紺のブレザーを着た私は、まるで自分じゃないみたいにひどく頼りなかった。
彼がきていたはずの学ランと同じ、深い紺色。けれど、私の胸元で揺れるリボンも、金色のボタンも、すべてが彼を置いて進まなければならない「私の世界」の色だった。
パスケースには、今日から使う定期券がある。印字された駅名は、私服で別の道に行く彼とは、正反対に方向を指していた。
ガタゴトと震えながら走り出した車内で、私はスマホを取り出した。
「私服、意外に似合ってたよ。駅まで送ってくれてありがとう」
打ちかけて、やめた。
そんなことを送ったら、さっき必死で振り切ったはずの寂しさが、また溢れてしまいそうだったから。
私はただ、遠ざかってゆく「私だけのタカシ」がいた街を、心の奥でそっと見つめていた。

