灰色の脳細胞を塗り替えて

 寂しさすら覚えるほど広い部屋の中、二人の青年が向き合っていた。
 否、押し倒し、押し倒されていたというほうが正確だろう。
 片方、温厚そうな甘い顔立ちをした青年は、その見た目には似合わないほど強い力で、もう片方、華奢な相手を押さえ込む。

「探偵さん、僕を助手にしましょう!」
「ことわ」
「断るなんて、言えないですよね?」

 垂れ目がちな青い瞳が、脅迫めいた輝きを見せる。

 最悪だ。
 探偵はそんなありきたりな感想しか浮かばないほど、追い詰められていた。

***

 午前十時きっかりに、シン・ロンハイは温かみのない会議室のこれまた無機質な椅子から立ち上がった。彼の隣、もしくは向かいで、つまらなさそうな顔をした老若男女が十数人同じくそうしていた。彼らが囲んでいるのは中央に穴の開いた黒い円卓だった。
 向かいの職員と目が合わないよう少し俯いていたロンハイには、自分の高く結んだ長い黒髪と、人懐こそうな明るい青い瞳が、磨き上げられた円卓に反射してよく見えた。

「同志諸君、大機械(グレートマザー)へ一分間の忠誠を」

 誰ともなくそう言うと、皆が足を肩幅に開いて瞑想を始め、ロンハイも目を瞑ることにした。しんと静まり返った部屋の中で、きゅるきゅると監視装置の回る音だけが響いて、いつものように『忠誠』を持たない人間を探しているのだろうと分かった。

 とはいえ、ロンハイの記憶にある限り、この作業で誰かが脱落したのは見たことがない。
 当然のことだ。この場にいるのは、大機械によって高等であると認められた人間だけで、その幸運を理解できる知能があれば──あるいは、一度でも下層の住民の働く工場を見たことがあれば──誰だって多かれ少なかれ『忠誠』を抱こうという心持ちになるだろう。

 それから、液晶の中の疑似人格が一分の経過を告げ、人々は再び席についた。

「それではオールドムーン社の定例会議を開始します」

 疑似人格の案内で、手元の端末に各部署の持ち込んだ電子資料が導入される。
 合成音声に促されると、ロンハイの斜め右に座っていた壮年の男が手を挙げた。

「行政部門、どうぞ」
「知っての通り、ここ一週間、わが社の管理区域で市民の失踪が続いている」

 行政部門の代表が端末を叩くと、円卓中央の立体映像に行方不明事件の増加とその解決率がいかに低いかを示したグラフが表示される。

 ロンハイが軽く目を通しただけでは、失踪者の階級の上下や交友関係に関連性は見つけられなかった。これが分かりやすく下層市民に偏りでもしていれば、正式な手続きに拠らない転居、つまりは脱走だと考えることもできただろうが。

「外部企業、内部の関与のどちらも視野に、治安部門と協力して人員を増やしつつ捜査に当たらせてもらう」

 報告を終え、そう締めくくった行政部門の代表に、生命科学部門の代表が偉そうな態度で相槌を打った。

「まあ、こちらの業務を邪魔しないでくれるなら好きにすればいい」
「うちの研究員も何人かやられてる。侵入対策を含めて早期に解決願いたいところだね」

 ほかの研究部門からも同じような、小馬鹿にしつつも比較的肯定の意図を持った声が上がる。
 彼らがこのような軽薄かつ横柄な態度を他の部門へ向けるのは、この企業都市において自分たちが主体であると信じて疑わないからだ。
 一方で、より現実的な業務を担う経理部門の代表は、冷徹な無表情のまま、もっともな疑問を述べた。

「増員自体は構いませんが、それでは何のための監視装置ですか? 我々が安くもないリソースを捻出しているのは同志たちの忠誠を疑うためではないのですが」

 監視によって『忠誠』を持たない市民を摘発するのは珍しくないが、監視装置の存在はあくまでも治安維持を目的としている。それを無視して、むやみに人員を増やしたところで、経理部門は予算を増やすつもりはないと言っている訳だ。
 行政部門の代表は咳払いをして時間を稼ぎながら答える。

「一部の非論理的な人間による破壊行為で装置が機能していない区画が多い。復旧分も含めて後日、予算案を提出させてもらう」

 苦境を見かねたのか、治安部門の代表も手を挙げて援護射撃を行う。

「相も変わらず反大機械思想の連中が活動を続けているようだ。一連の事件に関与しているかもしれない。各部門でも、怪しい職員がいれば治安部門に通報するように指導を徹底していただきたい」

 それを聞いてロンハイ以外の研究部門の代表たちはつまらなさそうに鼻を鳴らしたが、ロンハイも表に出さないだけで概ね同じ気持ちだった。
 治安部門の視線はねっとりとして息苦しく、一挙手一投足、いつ揚げ足を取られるのか気が気でない。
 通報にしたって、同僚を告発した職員のほうがかえって反大機械的思想の持ち主であると言って更迭されたくらいだ。彼らの言葉にまともに取り合うほうがどうかしている。

 それからしばらくは通常の報告内容が続き、ようやくロンハイの番が来た。

「機械工学部門、どうぞ」
「はい、では、いつも通り現在の開発状況から報告しますね~」

 これといった変哲もない報告書を読み上げ終えると、まばらな拍手に迎えられた。
 どれだけ身内で足を踏みつけ合ったところで、このオールドムーン社で最も重要な位置を占める事業が、彼が属するシン家の主導する機械工学であることに疑いはない。
 会議が終わっても、ロンハイに向けられる視線は減らないままだった。

「はあ~、ロンハイ様、今日も素敵ねえ」
「あの年で理事代理って、流石はシン家の御子息ね」
「物腰柔らかで顔立ちもよくて、目に留まったらまさに玉の輿って感じ!」
「私、会議のときだけコンタクトにしちゃう」

 そのような面白みのない憧れの声もあれば。

「ハッ、あんな若造に事業の何が分かるんだか」
「どうせやること為すこと何もかも母親頼りの人形の癖に……」

 このように嫉妬に満ちた的外れの陰口もある。

 機械工学部門の実績に理事である母の存在の占める割合が多いことは否定しないが、ロンハイとて自分に任された仕事で彼女の指示を受けたことはない。

 こんなお使いも自力でできないなら、ずっと前から夕食の席に彼の居場所はなくなっていただろう。これまで消えていった何人ものきょうだいたちのように。

 しかし、まだ大学を卒業したばかりのロンハイには外向きの窓役以上の席が用意されている訳でもなく、開発にまで携わりたければ苦手な兄姉に泣きつくか、誰か消えて席が空くのを待つしかない。

 それが悪いと言う訳でもない。
 今のまま、ロンハイの能力を持ってすれば苦労するまでもない仕事をこなしていれば、母たちがシン家の立場をより覆しようのない強大なものにしていくだろう。

 要するに、シン・ロンハイは落ちぶれようのない生活の中で退屈に精神を腐らせつつあった。

(午後はもう暇だな……新しい荷物が届いてるといいけど)

 今日はもう家に帰ろうと思った。
 昨晩、ネットオークションで旧体制時代の電子遊戯を見つけ、いくつか購入しておいた。そのような、家族にはがらくたと笑われるようなコレクションが、今のロンハイにとっての小さな慰めだった。

 社内と直通の廊下を通って、シン家の居住区画に入っても、その区別もつかないほど似通った雰囲気のまま、自室まで辿り着いてしまう。
 専任の警備員から声を掛けられ、荷物が届いていると段ボール箱を受け取った。

 箱を抱えたまま、革張りのソファに腰を下ろす。
 ローテーブルに荷物を下ろして、新しいお宝に胸を躍らせた。
 ロンハイが封を解いたのと、天井の換気口から見知らぬ青年が落ちてきたのはほとんど同時のことだった。

「あっ」

 箱を押しつぶし、尻もちをついた青年は焦った顔でロンハイを見上げた。
 くたびれたシャツに安物のサスペンダーという恰好を見れば、彼が大した階級の存在でないことは簡単に分かる。それがダクトを通って何をしていたのか。どこかに雇われて研究でも盗みにきたか、反大機械派が破壊工作でもしに来たか。

 壊れた荷物のことはもう忘れていた。
 ロンハイは心臓を爆発させそうなほど好奇心が膨らんでいく感覚を覚えながら侵入者のことを観察した。

 年は自分より幾らか上だろう。
 耳にかかるくらいの長さの黒髪は癖っ気があって、前髪に白い房がある。
 目つきの悪い金色の瞳孔がぶるぶるとこちらを見ていた。

「あなたは……」

 ロンハイがそう呟いた瞬間、ノックもなしに警備員が部屋に押し入った。

「何事ですか!」

 あまりにも物音が大きかったのだろう。若い警備員が拳銃に手をかけたまま飛び込んでくると、丁度、部屋の主が、通した覚えのない男と向かい合っているところだった訳だ。
 咄嗟に銃を構える警備員に対し、ロンハイは冷や汗をかきつつ答えた。

「ああ~、これは……」

 正直なことを言ってしまえば、彼はよくて連行、最悪この場で射殺だろう。
 それでは、ようやく掴めそうに思えた非日常を、秘密の詰まった彼の灰色の脳細胞と共に溢してしまうことになる。

「……騒がしくしてすみません、新しいペット(・・・)を躾けていたんです」
「えっ?」

 警備員と青年の困惑した声が重なった。
 ロンハイはそのまま青年の首元を掴むと、ぐいと引いて起き上がらせる。

「もう、駄目でしょう? 大人しくしてくださいって言いましたよね?」
「は?」

 警備員は腕の力が抜けたように拳銃を下ろしたが、今度は別の危険人物を見つけたような青ざめた表情で声を漏らした。

「いや、あの、それ人……」
「ふふ、可愛いでしょう?」

 ロンハイがそう言って微笑みかけると、警備員は顔を引き攣らせた。
 状況が呑み込めていないのか、青年は反論する言葉も出ないようで、息を詰めたまま、されるがままになっている。

「とにかく、しばらく激しい物音がするかもしれませんが気にしないでくださいね!」
「はあ……」

 警備員は理解したくないものを理解してしまったという素振りで、ふらふらと廊下に出ていった。
 金持ちの考えることは分かんねえな、というぼやきを残して。

「ふう、これで聞き耳を立てられる心配はなさそうですね」

 扉の鍵を掛け直し、ロンハイが振り返ると、ようやく我に返ったのか青年はポケットナイフをこちらに向けて睨んでいた。

「何を考えているのか知らんが、自分から警備を遠ざけるとは馬鹿なやつだ」

 ナイフの握り方を見ても構えた立ち方を見ても、彼が殺しに慣れているとは思えない。
 ロンハイがぼーっと立って隙を見せていると思ったのか、彼は息を呑んで突っ込んできた。

「顔を見られたからには死んでもらう。悪いがこれも……」
「革命の為に、ですか?」

 シン家の者であれば一通りの護身術は身に着けている。ロンハイは軽々と青年の手首を捻り上げると、彼の襟についた煤けたピンバッジに触れた。

「それ、反大機械思想の方がつけるマークですよね? わあ、実物は初めて見ました!」
「……!」
「それで……うちに何の御用だったんでしょうか」

 体格の違いをいいことにそのまま青年を引っ張ってソファのほうへ連れ戻す。
 どうして自分がここまで彼に心惹かれるのかということを、整理するように声に出しながら、ローテーブルに押し倒した。

「確かにうちは大機械の端末機も製造させていただくような企業ですけど……あくまでも開発研究部署であって量産工場じゃありません。工作で壊すならもっと効果的な場所はほかに沢山あると思うんです」

 両手を頭の上で押さえ込むと、彼はじたばたと暴れて、けれど逃れられないことを悟ったのか、口の中で何かを探る素振りを見せた。

(あ、毒薬でも仕込んでいるのかな)

 拷問にでもかけると思われたのなら心外だ。
 ロンハイは躊躇いもせず顔を近づけ、舌を捻じ込んでカプセルを掬い取った。

「むぐ~~~~っ!」
「ああ、何だ、仮死薬のカプセルでしたか。まるで古い映画の諜報員ですね!」

 死んだふりをして隙を見て逃げ出す算段だったのだろう。
 抜き取ったカプセルを、舌に乗せて見せびらかすと、青年は耳まで真っ赤にして口をぱくぱくさせている。
 肩で息を吐きながら、まなじりに涙を滲ませてまで、彼がようやく絞り出したのは弱々しい一言だった。

初めて(・・・)、だったのに……!」

 ロンハイは少し間を置いて、それが不本意な口づけへの苦情であったと気づいた。

「ああ~! それはすみませんでした。でも、手を離したら逃げちゃうと思ったので」
「離せばいいんだよ!」
「ね、あなたのことを教えてください。いいでしょう?」

 進展のない会話に青年は苛ついたように唸る。
 しかし、相変わらず押さえ込まれたまま、隠し種の薬も奪われ、どうしようもない。
 青年は観念したように力を抜くと、顔を背けて答えた。

「……私はルアン、探偵だ。13区の連続失踪事件について調べている」
「連続失踪事件……一週間前から続いているっていう、あれですね」

 ロンハイが何の気なしにそう相槌を打つと、ルアンは不愉快そうな顔で続けた。

「とぼけるな、行方不明になったのは全員、旧体制派の協力者だ。お前たちが……オールドムーン社が糸を引いているのは調べがついている」

 ルアンの言葉にロンハイは首を傾げた。

 旧体制派、というのは反大機械主義者とほとんど同義だ。
 大機械(グレートマザー)による完全な管理システムに不満を持ち、旧来の不完全な社会の再来を望む反抗者たち。その協力者ということは、表立って大機械の批判をする訳ではないが、内密に物資や情報などの提供を行っていた市民が、失踪しているということだろう。

 つまり、反大機械主義者が犯行に関わっているという治安部門の推理はまったくの見当違いで、かといって恐らくルアンの予想も間違っている。互いに互いを犯人だと考えているということだ。

「はあ~、話が見えてきましたよっ!」

 一人で合点するロンハイを前に、ルアンは呆気に取られて目を丸くしている。
 彼の痩せた白い手の平を取り、ロンハイは叫んだ。

「探偵さん、僕を助手にしましょう!」
「ことわ」
「断るなんて、言えないですよね?」

 ロンハイが圧し掛かるように獲物を覗き込む。その虹がかったふわふわの黒髪が檻のようにルアンを囲み、高級な香水の匂いが帳幕のように鼻をくすぐった。

「大事なコレクションはあなたのせいで壊れちゃったし、僕はあなたを庇ったせいで異常性癖の汚名まで被りそうになってます。それなら僕の言うこと、少しくらい聞いてくれても……いいじゃないですか?」

 ロンハイの透き通るような空色の瞳には、それが無茶苦茶な理屈だと分かっていても、有無を言わせない圧があった。

「正直なところ、僕は大機械とか旧体制とかどうでもいいです。僕にはどうにもできない会社のことだって興味ないんです。ただ、退屈に溺れて────死にそうなんですよ」

 こんな発言だけでなく、今からしようとしていることが家族や会社にバレたら自分は今まで得てきたすべてを失うだろう。
 それでも、ルアンのせいで掻き立てられた好奇心はもう収まりそうにない。
 それは、破滅しても構わないから、自分に与えられた能力を限界まで使ってみたいという欲求だった。

「僕の目を輝かせた責任、取ってくれますよね?」

 そんな常軌を逸した興奮は今やルアンにも感染しつつあった。
 もはや、熱に浮かされたように頷くしかなかった。
 ただ、最悪だ、という苦みばかりがルアンの喉を焼いていた。