「お邪魔しま~す!」
俺に続いてワンルームタイプの俺の部屋に入った紫苑は誰もいないのにそんな大きな声を上げた。
もう突っ込む気にもならない。
「バッグここでいい?」
「ああ……ありがとな」
いいと言っているのに紫苑は俺の荷物を持ってくれたのだ。
紫苑が俺のバッグを玄関脇に置いて靴を脱ぐのを見て、そういえばうちには来客用スリッパがないことに気付く。
「悪い、スリッパねーや」
「全然いいよ」
「中、散らかってるけど」
「大丈夫だよ。なんなら僕が掃除するし」
「いや、そこまでは……」
はぁ、とため息をついていると、先ほどのビニール袋が差し出された。
「はい、これ。アイス溶けちゃうから仕舞っちゃって」
「あ、ああ」
俺はそれを受け取り訊く。
「いくらだった?」
「いいよ、お見舞いって言ったでしょ。大した金額じゃないし」
「……悪いな」
本当は借りを作りたくないのだが、有難く甘えることにする。
カップタイプのバニラアイスを冷凍庫に、飲み物とゼリーを冷蔵庫に仕舞っていると、それを後ろで見ていた紫苑が言った。
「冷蔵庫ガラガラだね。料理しないの?」
「ほぼしない」
パタンと冷蔵庫を閉めて言う。
「バ先で廃棄ギリギリの弁当とか安く買えるし」
「だから風邪ひくんだよ!」
呆れたように言われ、お前は俺の母ちゃんかと心の中で突っ込みを入れる。
「仕方ねーだろ。料理なんて出来ねーし面倒だし」
言いながら居間の方へと進み、すぐにベッドに腰掛ける。
「朝ごはんは?」
「食べてねー」
余裕があるときはシリアルに牛乳をかけて食べるが、今日は食欲も無かったので何も食べずに家を出た。
すると、紫苑は額を押さえ「はぁ〜」とクソデカい溜息をついた。
「お米くらいはあるよね?」
「少しなら」
「卵は?」
「ない」
「調味料は」
「醤油と塩と、あと砂糖?」
少しの間があって。
「……わかった。ちょっと僕買い物してくるから翔くんは寝てて」
「は?」
「鍵かして」
強い口調でずいと手を差し出され、俺は慌ててポケットから鍵を出して紫苑に渡す。
「あ、薬飲むなら先にゼリーとか食べてね。空腹は良くないから。じゃあ行ってきます!」
そう一息で言って奴は部屋を出ていった。ガチャっと外側から鍵のかかる音がして俺は渋面になる。
「なんなんだあいつは……」
とりあえず俺は制服から部屋着に着替えることにする。
それから言われた通り果物がたくさん入ったゼリーを食べて薬を飲み、ベッドに横になった。
(俺、今朝あいつのこと振ったよな……?)
熱のせいで朝の記憶は少々ぼんやりしているが、確かにはっきりと断った。それなのに……。
俺ならきっと、告って振られたらもうその相手に話しかけることすら出来ない気がした。
(あいつ、どんだけ強メンタルだよ)
……俺が、優しくされて絆されるとでも考えているのだろうか。
だとしたら、申し訳ないが無駄というやつだ。
俺は女の子が好きだし、いくら優しくされても男は好きにならない。
(というか、あいつはなんだってそんなに俺に拘るんだ?)
確かに入学初日にあいつを助けた。
だが、それだけで同じ男を好きになるだろうか?
しかもあいつは見た目ほど弱いわけでもないらしい。
(ひょっとしたら俺が助けなくても、あいつひとりでなんとかなったんじゃないか?)
――だって、こんなに楽しいの初めてなんだもん!
今朝聞いたあいつの台詞が蘇る。
俺は振り回されてばかりだが、確かにあいつは常に楽しそうだ。
……もしかしてあいつも俺と同じで、つまらない中学時代を送ってきたのだろうか……?
「……」
男と付き合うなんてことは考えられないけれど。
(友達なら、全然ありなんだけどな……)
良い香りに誘われるように、俺は眠りから覚めた。
トントンと小気味よい音が聞こえてキッチンの方を見ると、そこには紫苑が立っていた。
いつの間にか戻ってきたらしい。
「あ、翔くん起きた?」
包丁で何か切っていたらしい紫苑が手を止め俺の方を見た。
「具合はどう? 熱下がった?」
「え、あー……ちょっと下がったみたいだ」
起き上がって自分の額を触って言う。
あんなに酷かった頭痛もなくなっているし、どうやら薬が効いたみたいだ。
「なら良かった。もう出来るから先にうがいしちゃって。口の中気持ち悪いでしょ」
「あ、ああ」
立ち上がり洗面所で念入りにうがいをしてから居間に戻ると、ベッド前のローテーブルに引っ越してから一度も使っていなかった鍋が置かれていた。
「ごめんね、キッチンのもの勝手に色々使わせてもらっちゃった」
「いや……」
「おじや作ったから、食べて」
(おじや……)
ぱかっと蓋を開けると、湯気とともに美味そうな香りが鼻をくすぐった。
卵とじになっていて、その上にかかったネギの緑が色鮮やかに目に映った。
「鶏肉もちょっと入れてみたけど、無理そうならよけて食べてね」
「……ありがとう」
香りのせいか、ぐぅと小さく腹が鳴った。
「うっま!」
一口食べて俺が声を上げると、紫苑は嬉しそうに笑った。
「良かった」
お世辞でなくそれは本当に美味かった。
卵は丁度良くとろとろだし鶏の旨味もあって、俺は熱々のそれをふうふうと息を吹きかけつつどんどん口に運んだ。
作りたての温かい料理を食べるのは本当に久しぶりだった。
「ご馳走さんでした!」
パンと手を合わせて言うと、紫苑は苦笑した。
「一気にかっ込み過ぎじゃない? お腹大丈夫?」
「だって、ガチで美味くて。え? なにお前、料理得意な人?」
いっぱいになった腹をさすりながら訊くと紫苑は恥ずかしそうに答えた。
「得意っていうか、好きなだけ」
「それでこんだけ作れりゃすげーよ」
「そうかな」
そしてふと気づく。
「え、もしかして、いつもの弁当もお前の手作りだったり?」
「うん。冷凍ものも使うけどね」
「はぁ〜、すっげぇなぁ」
感心する。
冷凍ものと言えど朝早く起きて弁当を作るなんて俺には考えられない。
「あ、アイス食べる?」
「ああ、じゃあもらおっかな」
そして紫苑は空になった鍋をキッチンの方へと持っていった。
「洗い物はあとで俺がするから、そのままでいいからな」
「いいよ、パパっと洗っちゃう」
「や、でも」
そこまでしてもらうのは流石に悪い。
紫苑は冷凍庫からアイスを取り出しこちらに持ってくる。
「翔くんはしっかり休んで、早く良くなって」
「え?」
「じゃないと、学校行っても僕がつまらないから」
そんなふうに笑顔で言われて、少し気恥ずかしくなる。
「……ありがとな」
お礼を言って俺はそのカップアイスを受け取った。
それから俺は再びベッドに横になり、紫苑と色んな話をした。
知らなかったことだが、紫苑も一人暮らしをしているらしい。
てっきり実家暮らしだと思っていた。
「そうだ。僕、翔くんに訊きたいことがあったんだ」
「……なんだよ」
また何か妙なことじゃないだろうなと警戒していると。
「前にさ、憧れの人がいるって言ってたでしょ?」
どきっとする。
「そ、そんなこと、俺言ったか?」
「言ったよー。どんな人か知りたいなぁ~」
ローテーブルに肘をついて、紫苑がこてんと首を傾げる。
なんだそれ、別に可愛くもなんともないからな。
俺は少しの間逡巡して、仕方なく口を開いた。
「……めちゃくちゃ強い人」
「強い人? 翔くんよりも?」
「俺なんか全然、レベチ」
「そんなに強い人なんだ」
寝返りを打って天井を見上げ、俺は話し始める。
「小学校の校外学習か何かで俺こっちに来たことがあってさ。でも、俺うっかり道に迷って治安悪そうな通りに入りこんじまって。案の定、ヤベェ奴らに絡まれてさ……そのときに助けてくれたのが、その人」
「へぇ。なんか僕たちの出会いみたいだね」
「ま、まぁな……」
「それで?」
先を急かされて俺は続ける。
「相手は10人以上いたと思うけど、もうすげぇ勢いでバッタバタ倒してくんだよ」
今でもその立ち回りは鮮明に思い出せる。
その人の体格がズバ抜けて良かったわけではない。いや、寧ろ見た目は明らかに劣勢だった。
なのに、ぞっとするほどにその人は強かった。圧倒的だった。
「でもその人、連中が持ってたナイフで顔やられちまって」
「えっ」
紫苑が驚いた声を上げる。
「額からボタボタ血が流れてて、なのにその人は笑ってて……こんなこと言ったらアレだけど、それがまたカッコ良くってさ。それ見て、俺もその人みたいに強くなりたいって思ったんだ」
「……その人と、話したりはしなかったの?」
訊かれて、俺は頷く。
「ああ。カッコ悪ぃけど俺そのとき腰抜かしてて……結局、お礼も言えなかった」
その後、騒ぎを聞きつけた警察が飛び込んできて、俺は保護された。
そして先生からめちゃくちゃ叱られた。
「ふぅん、そうだったんだ。それは、確かに憧れちゃうかも」
「だろ?」
同意してもらえて嬉しくなる。
……そういえば、このことを人に話すのは初めてだ。
人に話したら夢から覚めてしまうような、そんな気がしていたのだ。
なんで紫苑に話してしまったのか。
やっぱり、熱のせいだろうか……?
「それで、今度はその翔くんが僕を助けてくれたんだね」
嬉しそうに、紫苑が言う。
「あー、まぁ、そうだな」
なんとなく気恥ずかしくなりながら俺は頷いた。
その後、紫苑は夕飯に煮込みうどんを作ってくれた。
何度要らないといっても、料理が好きだからと言ってきかないのだ。
そしてそれはまた悔しいほどに美味かった。
「……なんで、ここまでしてくれんだよ」
「え?」
帰り際、俺は訊いた。
紫苑は玄関で靴を履き、きょとんとした顔で俺を見る。
「俺、お前に結構酷いことばっか言ってるだろ。ここまでしてもらう理由がないっつーか……」
「そりゃ、翔くんのことが好きだからだよ」
はっきりと言われて、うっと顔が引きつる。
「好きな子を心配したり、優しくしたいと思うのは当然でしょ?」
「……で、でも俺、朝も言ったけど、お前とは」
「付き合えないって言うんでしょ? わかってるよ」
俺が何も言えなくなっていると、紫苑は穏やかな口調で続けた。
「でもそれって、今は、でしょ。これから未来はわからないよね?」
「……っ!」
そりゃ、そうだろうけれど……。
それでも、俺にはどうしても、紫苑と付き合う未来が想像が出来ない。
しかし奴は言った。
「覚悟してて。絶対に落としてみせるから」
「!」
にんまりと不敵に笑ったその口元を見て、ぞくりと得体の知れない感覚が走る。
「じゃあまたね。明日も無理はしないでね」
紫苑がドアに手を掛けて、そこで俺は大変なことに気付いた。
「あっ、飯の材料代! 全部でいくらだ!?」
「気にしなくていいよ。僕が好きで作ったんだし」
「そんなわけにはいかねーだろ!」
さすがにそこまで甘えるわけにはいかない。
焦って膝を着き玄関先に置いたままだったバッグから財布を取り出していると、紫苑がその前にしゃがみ込む気配がした。
「じゃあさ、」
「え?」
顔を上げた途端、ふにっという感触と共に口を塞がれた。
「!!」
大きく目を見開いて焦って後ろに飛びのくと、紫苑は立ち上がり言った。
「これでチャラってことで。ご馳走様!」
(こいつ、また……!)
口元を押さえながら俺はそんな奴を睨み上げる。
――顔が、全身が、熱いったらない。
「……風邪、うつっても知らねーからな!」
「大丈夫だよ。僕、栄養しっかりとってるし。じゃ、お邪魔しました~」
そうして、紫苑はドアを開けひらひらと手を振り行ってしまった。
ドアが閉まり残された俺は、はぁと脱力するように息をついて呟く。
「勘弁してくれ……」
3度目のキスに驚きはしても、それほど怒りを感じなくなっている自分に気付いて俺は頭を抱えたくなった。



