元ヤンの俺、陰キャに懐かれる。


 ――翔くんのことが好きだよ。

 聞き間違えでなければ、奴はそう言った。
 この距離、この静けさの中で聞き間違えるわけもないけれど。

 それより、今俺は何をされた?

 口と口がくっついた。

 これはあれだ。
 世に言う「口付け」。
 俗に言うところの「キス」。

(……キス?)

 いやいや、紫苑とキスとかありえない。
 何かの間違いだ。
 間違いであってくれ。
 だって、もし今のがキスであるならば。

(俺の、ファーストキス……)

 漸くそこまで思考が追いついて、ガラガラと俺の中の色んなものが崩れ落ちていく音がした。

「おーい、翔くーん」

 そんな俺の目の前で紫苑がひらひらと手を振っていて。

「……ざけんな」
「え?」

 俺はぐっと拳を握る。

「ふざけんなっ!」

 奴を殴りつけようと拳を突き出して、しかし寸前でひょいっとかわされてしまった。

「!?」

 おかげで目標を失った俺は前につんのめりそうになった。
 避けた先で紫苑がへらへらと笑っている。

「あっぶな~」
「っ、避けんな!」

 今の間合いで避けられたことに内心驚きつつ怒鳴る。

「避けるよー、痛いの嫌だもん」
「こっの……」

 もう一度強く拳を握っていると。

「そんなに怒らないでよ。いきなりキスしたことは謝るからさ」
「キス言うな!」
「だって、翔くん全然本気にしてくれないから」
「するわけねーだろ! とにかく一発殴らせろ!」
「やだよ~~」

 そうして紫苑はパタパタと階段を駆け上がっていってしまった。
 フーフーと荒く呼吸しながらそれを見送り、俺はじわじわと自分の顔が熱くなっていくのを感じた。

(なんだアイツ、なんだアイツ、なんなんだアイツはーー!!)

 俺のことが好き?
 確かに異様に懐かれているとは思っていたけれど。
 でもまさか告られるなんて。
 しかもファーストキスまで奪われるなんて……!

 そこでつい、先ほどの奴の唇の感触を思い出してしまい、俺はジャージの袖でごしごしと唇を拭った。

 青春を謳歌したいと思っていた。
 告ったり告られたりキスしたり……そういう願望は確かにあった。
 あったが、それは女の子相手であって。

(断じて男相手ではなかった……!)

「翔くん?」
「!?」

 見上げると、上の階段の手すりから紫苑がひょっこり顔を出していた。

「早く行かないと先輩が心配するよ?」
「うっせー!」
「翔くんこわ~」

 そう言って顔を引っ込めた奴を追いかけるように俺は階段を一段飛ばしで駆け上がった。

(あんのヤローーっ!)

 屋上に辿り着き紫苑の姿を探したが奴は既に喜多川先輩と話をしていて、俺は強く握っていた拳を仕方なく緩めた。

(ふたりきりになったら、ぜってー殴る!)

 そう固く決意して。



 その後、天体望遠鏡で色んな星を観察したのち俺たち総勢8人は屋上にブルーシートを敷いてその上に寝転がった。
 さすがに夜風が冷たくて、各々防寒具として用意していたマフラーやダウンコート等をジャージの上にしっかり着用した。
 俺は学校の屋上で寝るという初めての体験に正直ワクワクしていた。……隣に紫苑がいることだけ、気に喰わなかったが。

 やはり雲は多めだが、それでもその合間から星が瞬いているのが見える。

「もしかしたら流れ星が見られるかもしれないよ」
「え?」

 隣に寝転がる喜多川先輩がこちらを見ていた。

「こと座流星群。昨日が極大だったんだけど雨で全然見れなくてね。運がよければ今夜見えるかも」
「ガチっすか」

 俺は改めて夜空を見上げる。

 前にSNSでなんちゃら流星群が話題になっていたときにベランダに出て夜空を見上げ数分で諦めた俺だが、今日は朝までこうしているのだ。折角ならば見てみたい。
 
「翔くん、何かお願い事するの?」
「あ゛?」

 先輩とは逆隣に寝転がる紫苑を睨みつけると、奴は人差し指を口元に当て小声で言った。

「翔くん、地が出ちゃってるよ」

(こいつ……っ)

 めちゃくちゃ腹が立って俺はすぐさま夜空に視線を戻した。
 だが、紫苑はお構いなしにいつもの調子で話を続ける。

「流れ星に3回お願い事すると叶うっていうでしょ?」
「……」
「でも3回なんて絶対無理だよねー」
「……」
「なんかさ、願い事は絶対に叶わないって言われてるみたいでちょっと寂しいよね」
「ぼくはそうは思わないけどなぁ」

 そう答えたのは勿論俺ではなく、喜多川先輩だった。

「え?」

 そちらを向くと、先輩は夜空を見上げながら言った。

「間に合わなくても、咄嗟に出てくる時点でそれは自分にとってすごく大事な願い事ってことだし、それだけ強い願いならきっと叶う。ぼくはそう思うよ」

 それから喜多川先輩は恥ずかしそうに笑った。

「なんて、ちょっとキザだったかな」
「よっ、さすがは天文部の流星部長! ロマンチック~~!」

 そう揶揄うような声を上げたのは喜多川先輩の向こうに寝ている他校の部長だ。

「うるせー! お前だって部長だろうが!」
「でもさ、『金、金、金!』なら、なんとかいけそうじゃね?」
「うっわ、こいつ最低だー!」

 そして笑い声が上がる。
 そんな和気あいあいとした雰囲気の中、俺は喜多川先輩の言葉に感動していた。

 ――それだけ強い願いなら、きっと叶う。

(流れ星見つけて、ぜってー願い事3回唱えてやる!)

 勿論、俺の願いはひとつ。

 ――普通の青春を送りたい!

 男に告られてキスされるようなおかしな青春ではなく。
 俺はごくごく普通の青春を送りたいのだ。

 しかし、じっと夜空を見上げているうちにだんだんと眠気がやってきて。

 俺はいつの間にか、夢の中へと落ちてしまっていた。


   ◆◆◆


 月のない夜のような暗闇の中に俺はひとり立っていた。
 不安を覚えながら辺りを見回していると、前方に眩しい光が見えた。

 その光の中に、あの人がいた。
 俺が強くなりたいと思った、きっかけの人。
 俺の、『憧れの人』。

 恐ろしいくらいに強くて、でもカッコ良くて……あの人みたいになりたいと思った。

 だから俺なりにあの人の真似をしてみた。
 あの人のようになりたくて、俺なりに努力してみた。

 ……でも、全然ダメだった。
 強くはなれたかもしれないが、あの人のようにカッコ良くはなれなかった。

 結局、中途半端な俺の努力は「黒歴史」にしかならなかった。

 光の中のあの人はやっぱりめちゃくちゃカッコよくて、俺はあのときのように動けないでいた。

 ――あっ!

 あの人が背を向け、行ってしまう。

 ――待って。待ってくれ!

 追いかけたいのに、足が思うように動かない。
 どんどん遠くなっていくその背中に、俺は手を伸ばす。

 ――待って……!


   ◆◆◆


「――ん、翔くん?」

 そんな呼び声に俺はハっと目を開けた。
 目の前に紫苑のドアップの顔があって、瞬時にあのキスがフラッシュバックした。

「~~~~!?」

 声にならない叫び声を上げて飛び起きると、どっと笑い声が起こった。

(え?)

「起きたかー? 一年」
「疲れてたんか?」
「メガネずれてんぞー!」

 俺がきょろきょろと辺りを見回していると隣で寝ている喜多川先輩が言った。

「翔くん、いつの間にか寝落ちしてたんだよ」
「え……」

 そうか。
 俺、流れ星見つけようとして……。

「す、すいません。え、俺、どのくらい寝ちゃってました?」

 メガネを直しながら訊くと、紫苑が答えた。

「1時間ちょっと? 雲が少し晴れてきたから、流れ星が見えるチャンスだよって起こしちゃった」
「あ、ああ……ありがと」

 再び横になった紫苑に、皆の手前、一応お礼を言う。

「寝言言ってたよ」
「え」

 どきりとする。

「寝言……?」
「うん。『待ってー』って何度も言ってた」

 かーっと顔が熱くなっていく。

「なんだ~? 好きな子でも追いかけてたんか?」

 他校の先輩からもニヤニヤと言われ、皆の視線が俺に向いていることに気付いた。
 どうやら俺の寝言は皆に聞こえてしまっていたらしい。

「う、うるさくてすいませんっした!」

 俺が慌ててブルーシートに寝転がると、皆はまた笑った。

(最悪だっ!)

「ねぇ、好きな子を追いかけてたの?」
「あ?」

 紫苑の声に振り向いて、ぎくりとする。
 いつもは顔半分を覆っている重たい前髪が横に流れ、その双眸がじっと俺を見つめていた。
 その目は全然笑っていなくて、突き刺すように鋭くて、俺は思わず逃げるように顔を逸らしていた。

「ち、ちげーよ」
「そ? なんか、すごく必死そうだったからさ」
「必死って……ただの夢だっつーの」

 そんな会話をしているときだ。

「あ、流れた!」
「え!?」

 喜多川先輩の声にびっくりして空を見上げる。
 他の先輩も嬉しそうに言う。

「流れたな」
「マジか、見逃したわー」
「オレも。え、どの辺?」
「あの辺」

 先輩が指差した方向を凝視するが、待てども待てども流れ星は現れない。
 願い事3回どころじゃない。まず流れ星が見えなきゃ意味がないのに。

 ――そして。

(結局、一個も見えなかった……)

 あの後また雲が厚くなり、流れ星は一個も見えないまま夜が明けてしまった。
 屋上から見えた朝日は曇り空のせいで絶景とは言えなかったが、それでも徐々に東の空が赤く染まっていく様は綺麗だった。

「夜間観測会は楽しかったかい?」
「はい!」

 校門前で喜多川先輩から訊かれ、俺は笑顔で答えた。
 本当のことを言うと、夜間観測会どころではなかったのだけど。

(それも全部、こいつのせいだけどな!)

 隣に立つ紫苑を横目で睨みつける。

「じゃ、また月曜日ね。お疲れ様!」
「お疲れっした!」
「お疲れ様でした」

 喜多川先輩が手を振り俺たちとは逆方向に帰っていき、その背中が見えなくなったのを見計らって俺は隣の紫苑の腕をガシッと掴んだ。

「えっ、なに?」
「なに? じゃねーよ」

 腕を掴んだまま、俺は奴の前に立つ。
 今度は絶対逃がさない。

「俺の怒りはまだ治まってねーんだわ」
「えー、翔くん根に持つタイプ?」
「うるせー! いいから一発殴らせろ!」

(ファーストキスを奪われた恨み!)

 怒鳴りながら繰り出した右の拳がパシッと小気味よい音と共に止められ、俺は目を見開く。
 俺の拳が、紫苑の大きな手の中に収まっていた。
 奴が困ったような口調で言う。

「やめようよ、翔くん。暴力は良くないって」
「お前……っ」

 ぐぐぐと渾身の力を入れるが紫苑の手はビクともしない。
 昨日かわされた事といい、

(まさかこいつ、見た目によらず強えのか……!?)

「しかもここ学校前だし。誰かに見られたら停学とかになっちゃうよ?」
「くっそ……!」
「それよりさ、」
「うぉわっ」

 急に抵抗が消えたかと思うと逆に手を引かれ、またしても奴の顔がドアップに迫った。
 そしてまた唇に奴の感触。

 ――!!

 啄むようにしてそれが離れたあと、

「キスのが僕は嬉しいかな」

そう耳元で囁かれて、ぶちっと頭の血管が切れるような音がした。

(一度ならず、二度までも……!)

 すぐに体勢を立て直し蹴りでも入れてやろうかと思ったが、奴はもう俺の間合いにいなかった。

 校門の前に飄々と立ち、紫苑が言う。

「夜間観測会、青春って感じで楽しかったね!」
「お前が言うな!」

 俺の青春をことごとくブチ壊している張本人が。

「途中まで一緒に帰ろうと思ってたけど、なんかそんな感じじゃなくなっちゃったし、僕先に帰るね!」

 言って奴はくるりと背を向け駆け出した。そして。

「じゃあね、翔くん。またキスしようね!」

 大きく手を振りながら最後にそんな爆弾を落としていった。

「〜〜っ、二度とするかボケーー!!」

 休日早朝の静かな住宅街に、俺の怒鳴り声が響き渡った。