「地学室。ここだ!」
紫苑がドア横のプレートを指さし言った。確かに『地学室』と書かれている。そんな名の教室があることを俺は今日初めて知った。
その教室の壁には月や惑星の写真、宇宙に関する壁新聞などがところ狭しと掲示されていて、まさに天文部の部室という雰囲気だ。
紫苑はそのドアをコンコンと軽くノックしてからガラリと開けた。
「失礼します! 天文部の見学に……って、あれ?」
「どうした?」
「誰もいない」
「はぁ?」
紫苑の脇から割り込んで教室を覗く。
その教室は理科室と同じ黒い机が並んでいた。
確かに誰もいないようだ。しかし電気は一応教室の前半分だけついている。
「部室はここのはずだし、今日活動日だったと思うんだけど」
「電気はついてんし、すぐ戻ってくるんじゃね?」
「うん……あっ!」
大きな声を出したかと思うと紫苑は教室の中へとずんずん入って行ってしまった。
「お、おい」
「ねぇ、これってプラネタリウムじゃない?」
教室の奥に確かにドーム型の物体が置かれていた。
俺も紫苑に続いて教室へ入っていく。
近くで見ると、直径50センチほどのそれはどうやらダンボール製のようだった。
「いいなぁ、こういうのを作ったりもするんだ」
紫苑がしげしげと眺めながら言う。
「でもプラネタリウムにしちゃあ、ちょっと小さ過ぎないか?」
「それは試作品だからね」
「!?」
急に入ってきた声に驚いて振り向けば、教室の入口に男子生徒がひとりが立っていた。
ネクタイの色を見るに3年の先輩だ。
「それで、勝手に入ってきて何かな君たちは」
持っていたプリントの束を机に置いて、その先輩が気難しそうに眉を寄せこちらにやってくる。
俺はついムッとして言い返す。
「勝手にって、鍵は開いてたしノックもちゃんと」
「僕たち、天文部の入部希望者です!」
そのとき紫苑が元気よく手を上げた。
「は?」
「え!?」
俺の声は先輩の大きな声に掻き消された。
そしてその先輩はさっきとは打って変わって満面の笑みを浮かべた。
「なんだ入部希望者か! なら大歓迎だ。ようこそ天文部へ!」
「い、いや、俺は」
「ぼくは3年の喜多川流星。この天文部の部長をしている。よろしく!」
またしても俺の言葉に被るように彼、喜多川先輩は自己紹介をした。
“流星”なんて天文部にぴったりな名前だなと思っていると。
「由良紫苑です。よろしくお願いします!」
続いて紫苑が自己紹介をし、次に先輩の視線はこちらに移った。
「……亜久津翔ッス。でも俺は見学だけで」
「紫苑くんと、翔くんだね。ふたりとも星が好きなのかい?」
きらきらとまさに星が輝いているような目を向けられ、紫苑がすぐに答える。
「はい、好きです!」
「どんな星が好きだい!?」
「僕はトラピスト1eが今一番気になってます!」
「ほう! トラピストの名が出てくるなんて君はかなり詳しいんだね」
(なんだよトラピストって、聞いたことねぇし)
若干引いていると、先輩が期待の目でこちらを見てきてギクリとする。
「君は?」
「い、いや、俺は……星っつーか、UFOとかブラックホールとかそういうのにちょっと興味あるくらいで」
なんとなく小声でぼそぼそと答えると、先輩はにかっと笑った。
「わかるよ! 宇宙は謎に満ちているから魅力的なんだ。いやぁ、ふたりとも最高だよ! 待っていた甲斐があった!」
それを聞いてちょっとホッとする。
UFOって……と呆れられるかと思った。
しかしそこで俺はハタと我に返る。
(いやいやいや、だから俺は見学に来ただけだっつーの!)
そしてついでに紫苑の言っていた可愛い先輩を一目見に来たのだ。
「あ、あの、他の先輩方は?」
どこか別の場所にいるのだろうかとさり気なく訊いてみると、喜多川先輩はぱちぱちと目を瞬いた。
「え? ぼくひとりだよ」
「……は?」
思わず素の低い声が出てしまった。
紫苑もそれを聞いて首を傾げる。
「え? でも、部活説明会のとき他に何人か」
「ああ! あれはクラスメイトに頼んで協力してもらったんだ。ひとりじゃ準備にも手間取ってしまうからね」
なん、だと……?
「あのとき説明しただろう? このままでは天文部がなくなってしまう。切実に新入部員を募集すると」
ギっと隣を睨み上げると、紫苑は「知らなかったよ」とでも言うようにふるふると首を振った。
でも喜多川先輩はそのままテンション高く続ける。
「だから君たちが来てくれて本当に助かったよ! これでなんとか廃部にならずに済みそうだ!」
「いや、だから俺は」
「あの、先輩!」
俺の言葉を遮るように(今のは絶対にわざとだ)紫苑が言った。
「僕、天文台が見てみたいです!」
「ああ、勿論いいよ。うちの自慢の天文ドームに案内しよう」
「やった!」
本気で嬉しそうにガッツポーズをとった紫苑を見て、俺も少しだけ、ほんの少ーしだけ気になってしまった。
(天文台なんて初めてだ)
先輩について紫苑と共に屋上への階段を上りながら訊く。
「屋上、勝手に入っていいんスか?」
この高校は屋上立ち入り禁止で、それを知ったとき結構ショックだったのだ。
高校の屋上で友達、もしくは彼女と弁当を食ったり語り合ったりするシチュエーションに憧れていたからである。
「ああ、天文部の特権ってやつ」
喜多川先輩は笑顔で鍵の束を見せてくれた。
(へぇ。天文部なら屋上に入れるのか)
そして先輩は屋上の扉の鍵を開け、外に出た。
「わー! いい景色!」
紫苑がはしゃぐようにフェンスの方へと走っていった。
確かに屋上からの景色はなかなかのものだった。
田舎とは違いビルや高層マンションが多いけれど、それでも夕焼け空が綺麗に見渡せた。
風が気持ち良くて思わず深呼吸をする。
「この時間もいいけど、やっぱり夜景が最高だよ。天文ドームはこっち」
先輩はそう言って、向こうに見えるドーム型の屋根の建造物へと向かった。
(あれが天文ドームか)
なんだか戦艦の大砲みたいだなとか思ってしまった。
先ほどの鍵束の中からひとつの鍵を差して開け、先輩は中に俺たちを招いた。
円形の部屋の中には色んな機材が置かれていて外観よりも狭く感じた。多分10人は入れないだろう。
でもやはり目を惹いたのはその中央に設置されたデカい望遠鏡だ。
「カッコいい!」
(確かに)
「だろう? これがうち自慢の口径40cmの反射式天体望遠鏡だよ」
腰に手を当て得意気にそれを見上げる先輩。
「覗いてみてもいいですか?」
「いいよ。今の時期は宵の明星が綺麗に見える。ちょっと待って、準備するから」
そう言って喜多川先輩はPCを起動し周りの機材を操作し始めた。
「宵の明星?」
「金星のことだよ」
俺の疑問に答えたのは紫苑だった。
そして紫苑は興味深そうに先輩の背中からPCを覗いた。
「パソコンで動かすんですか?」
「そうだよ。これで見たい星を自動で追ってくれるんだ」
「へぇ」
「まずスリットを開けるね」
カチっとマウスを押す小さな音がしたかと思うと、ドームの一部が音を立てて開き始めた。
そこからゆっくりと群青色の空が見えてくる。
(すげ)
続いてドーム屋根がゆっくりと回転し始め、望遠鏡も自動で動き始めてちょっとワクワクしてきた。
望遠鏡の動きが止まると先輩は階段式の踏み台を上り、レンズを覗いた。
「うん、いいよ。見てごらん」
「はい!」
先輩に代わり紫苑が踏み台に上がり望遠鏡を覗く。
「えっ、これ金星ですか? 月じゃなくて?」
「金星もそうやって満ち欠けするんだ」
「そうなんですか? 初めて知りました!」
……金星が満ち欠け?
俺も早く見たい。
けど言えなくて内心ウズウズしていると、先輩がくすりと笑った気がした。
「紫苑くん、翔くんにも見せてあげて」
「あ、ごめん翔くん! 見てみて、凄いよ!」
「お、おう」
少し恥ずかしかったが見たい欲には逆らえなかった。
紫苑が下りてきて踏み台に上がり、ドキドキとしながらレンズを覗いてみる。
そして俺は息を呑んだ。
(ガチで月みてぇだ)
紫苑の言ったとおり、それは三日月にしか見えなかった。
一度レンズから目を離し、肉眼で空を見上げてみるとそこには綺麗に輝く星が見えた。
「ね、月みたいだったでしょ!」
「あ、ああ」
「そのままちょっと待ってて、月も見せてあげる」
すると望遠鏡が少し動いた気がした。
「いいよ、覗いてごらん」
「うっす」
言われた通り、覗いてみて俺は驚いた。
「えっぐ!」
「えっ、なになに、翔くん!」
「クレーターがすげぇくっきり見える!」
興奮して思わず大きな声が出てしまっていた。
画像でしか見たことのない穴だらけの月面がはっきりと見えて感動を覚える。
「僕も見たい僕も!」
「ちょっと待てって。先輩、これスマホで撮影出来たりとか」
「出来るよ」
喜多川先輩はにっこり笑って答えた。
俺はすぐにポケットからスマホを取り出しカメラを起動させる。
「接眼部にカメラを合わせてみて」
言われた通りにするとスマホ画面に今見たデカい月が映し出されすぐにシャッターを押した。
「すっげぇ……」
「翔くん! 僕も!」
「ああ、わかったよ」
続いて望遠鏡を覗いた紫苑は、もう煩いくらいに大はしゃぎしていた。
「あんなに凄い望遠鏡があるのに勿体ないなぁ。なんで人気ないんだろう」
「だろう? 他にも誰か見学したい子がいたらどんどん連れて来てよ」
校舎の中に戻り階段を下りながら前のふたりが話している。
すっかり意気投合したようだ。
「ちなみに月一で夜間観測会をやっていてね。丁度今週末にあるけど参加するかい?」
「えっ、学校に泊まれるんですか!?」
「ああ。その日は他校の天文部とか地域の子供たちも集まってくるから賑やかで楽しいよ」
紫苑が勢いよくこちらを振り返る。
「翔くんも参加するよね!?」
(するよねって、確定かよ)
そう心の中でツッコミを入れつつ、俺はぼそっと答えた。
「……バイト、代わってもらえるか訊いてみるわ」
ちょっと悔しいが、俺もすっかり天文部の魅力にハマってしまったのだった。



